魔 導 学 院 物 語
〜氷と呼ばれた暗殺者〜

第一章 過去を連れてきた訪問者


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 季節は初秋を迎えていた。

 魔導学院の夏休暇も終わりに近づき、生徒達もほとんどが里帰りを済ませ、学院はその賑わいを取り戻しつつあった。

 元々、魔導学院は全寮制であるために小さな街に等しい規模を持っている。生徒達が戻ってきているとそれこそ活気溢れるものになるのだ。しかし第一修練場と名付けられた場所においてはそれは見られなかった。

 魔導学院第一修練場、夏休暇前にある事件によって一度大破した修練場である。先日ようやくその修復――というよりも再建築がなされたのだが、正式に学院の休暇が終了した後に開放されるということになっていた。そのためにここに人の姿を見ることはできなかったのである。

 しかし誰もいないのかというと、それもまた違った。第一修練所では二人の魔導師が戦いを交わしていたからだ。

「誘うは光の鼓動!」

 修練場の中に若い少年の声がこだまする。扉や窓がすべて閉められているために、それは反射などによってより一層引き立つものとなっていた。

 その声を発した少年はヒノクスという。魔導学院クリフ専門教室の生徒で、騒乱双児と呼ばれる双子の片割れである。黒い瞳と髪、それは彼が大陸に古くから住んでいる法族であることを示していた。

 そしてその彼に対峙しているのは、金髪の静かな雰囲気を纏う青年だった。目の前の少年が場の事象を変化させつつあるのにも関わらず、彼は構わずヒノクスを見据えていた。

「レイストライク!」

 その間にヒノクスは事象を組み立て、まるで言葉にそれを乗せるようにして事象を解き放った。刹那、突き出した彼の右手には光を放つ握り拳大の球体が出現する。そして球体はそのまま金髪の青年に向かって信じられないような速さで迸った。

 しかしそれは青年に当たることはなかった。青年は突然、一気に加速し、ヒノクスに向かって駆け出したのだ。そのあまりの速さに、ヒノクスが青年の動きに気付いた時には、既に彼の攻撃は繰り出されていた。

 信じられない速さの一撃。夏休暇の前のヒノクスではそれをどうにかすることは出来なかっただろう。だが少年は淡い光を放つ左腕でそれを受けていたのである。

 折られるような衝撃が、左腕を通して身体の中を駆け抜ける。それに伴い、ヒノクスの身体は後方に弾き飛ばされるが、彼は右脚に体重を乗せて踏みとどまった。それも夏休暇前のヒノクスでは出来なかった事だ。

 だが相手の実力は明らかにその上をいっていた。踏みとどまった次の瞬間、ヒノクスは腹部に下から打ち上げられる一撃を受けたのだ。反応できなかった攻撃に、ヒノクスの身体は踏みとどまる術はなく、そのまま僅かに宙に浮かび上がる。

「がぁっ」

 声にならない呻きが口から漏れる。そして顔面に迫る閃光のような一撃。それには何とか気付き、歯を食いしばるが、予測していた衝撃はヒノクスに伝わることはなかった。

「まだまだだな」

 そんな言葉と共に、ヒノクスの頬には僅かに押されるような感覚が伝わる。見ると、そこには青年の拳があった。ヒノクスの身体が宙に浮いた時点で、勝負は決まっていたのだ。それ以上の追撃は、青年には必要になかったのである。

 緊張が解け、ヒノクスはぺたりとその場に座り込と、それまで引き締まっていた顔を歪め、酷く悔しそうに言葉を吐いた。

「ちくしょおぉぉっ! また負けかよ!!」

 少年はそのままその場に仰向けになり、両手でどんどんと床を叩く。青年は呆れたようにふぅっと小さく溜息をつくと、変わらない表情で言葉を続けた。

「確かに休暇前よりは格段に力をつけているのは認めてやろう。だが私もただ遊んでいるわけではないのでな。そう簡単に差は縮まらんよ」

「自慢かよ、アーバン」

「そう受け取っても構わないが、私は事実しか口にしている覚えはない」

 恨めしそうに視線を送ってくるヒノクスに、青年はその青い瞳を向けた。まるで全てを全てを見透かすかのようなその瞳を見て、ヒノクスはふと彼のことを思い浮かべる。

 アーバン=エーフィス。彼はクリフ専門教室のクラスリーダーであり、学院生徒の中でもトップクラスの技能を持つと言われる生徒の一人だ。

 というのも、魔導学院が正式運用される前に試験的に設置された教室の一つ、バーグ教室に彼が所属していたためである。特級魔導師ガルシア=バーグ、彼が育てた六人の生徒は、皆が凄まじく高い能力を身につけたという話は学院では有名な話だ。それ故に、彼は教師に匹敵するとまで言われているのである。

 だが、その能力をヒノクスは知らない。あくまで、彼が今対峙している青年は、冷酷な刃クールエッジと呼ばれた彼とは明らかに違うのだという。もっとも、それは級友に聞いた話ではあるが……。

「どうした? 私の顔に何かついているか?」

 考えているうちに、見入ってしまっていたのだろう。ヒノクスはアーバンの声にはっとするとぶんぶんと首を振った。

「べぇっつに。ただ、まだ残暑が残る中だってのに、そんな暑苦しい服なんか着ている奴の気が知れないって思ってただけだよ」

 ヒノクスは考え事の内容を悟らせまいと、あえてぶっきらぼうにそんな言葉を口にした。自分が彼のことを気にしているなど、死んでも言いたくないことだ。実際、彼はヒノクスの目標であり、憧れなのだが、彼にそれを知られるのだけは絶対に我慢ができなかった。

 だが、ヒノクスが口にした事も確かに一つの疑問なのだ。アーバンは常に厚着をしている。今もヒノクスが着ているような薄着の学院推奨の修練着ではなく、学院で配布される行事用の重苦しい法衣だ。彼はほとんど毎日と言っていいほどこの服を着用している。

 確かに学院の法衣は特殊な繊維で織り込まれているために、様々な攻撃に耐性がある。そのために多くの魔術士に愛用されているのも事実だ。だが、それがアーバンとなると話は異なる。

 アーバンの技能はあくまで接近戦に重点が置かれたものだ。そのためにその戦いには瞬間の判断と、高速の動きが必要となる。前者は関係ないとしても、彼の服装は明らかに後者の能力を損なっているはずなのだ。

 しかしアーバンはヒノクスの問に、あまり気にした様子もなく言葉を返した。

「常に動きにくい格好をしておけば、制限された戦いの中で充分に動くことができる。言ってしまえば、今のお前では私と同じ土俵に立つことも叶わないと言うわけだ」

 彼は返答に特に意図して皮肉を込めたつもりはないのだろう。それはヒノクスもいくらかの付き合いで解っている。だが事実と解っていても腹が立つことには違いないのだ。

 ヒノクスは湧き起こる感情に逆らうことなく、言葉を吐き出そうとする。だがそれは突然耳に入ってきた男の声によって遮られた。

「よぉ、やってるな」

「あ、裏切り者」

 聞こえてきたその声に、ヒノクスは即座にそう言葉を返した。ヒノクスの返答を聞き、その青年は苦笑いを浮かべる。

「おいおい、いきなりそれはないだろ。第一、裏切った訳じゃないって」

 青年はそんな言葉を吐きながらゆっくりと二人の方へ寄ってきた。彼の名はガラフ=ゼノグレス、二人と同じくクリフ教室の生徒だ。長身で、アーバンよりも頭半分ほど背が高く、そのしっかりとした体格は、彼が鍛えられた戦士であることを示していた。

 ヒノクスは彼の顔を見て、あからさまに顔をしかめると、怒ったような口調で彼に言葉を続ける。

「ふん。ゾーン教室の連中とつるんでる様な奴、裏切り者で充分だぜ」

「あのなぁ」

 以外に理不尽なヒノクスの言葉に、ガラフは再び苦笑を浮かべた。彼が自分を裏切り者だというのも、解らないことはないのだ。最近、ガラフは第一級魔導師ゾーン=ウィンディアが担当教師を務めるゾーン教室の修練に、特別に参加している。

 基本的に学院の教室、特に中級魔導師以上が在籍する専門教室は教室外の修練を制限されている。だがガラフは担任であるクリフの薦めと、ゾーンの了解、そして学院長の許可を得て、それに参加していた。ヒノクスにはそれが気にくわないのである。

「やめておけ、ヒノクス。あれは先生が薦められたことだ。それを裏切り者呼ばわりするのは筋違いだろう」

「ふん」

 ヒノクスはアーバンの台詞に、つまらなそうに首を横に振る。だがこれ以上この話を続けるのが危険なことを、同時に彼は理解していた。クリフの名前を出したときのアーバンには逆らわない方がいい。それをヒノクスは熟知しているためだ。アーバンは、クリフに絶対の敬愛を抱いているのだ。

「それで、ゾーン教室の修練の方はどうなのだ?」

 ヒノクスがそんなことを考えているなどは全く気付かない様子で、アーバンはガラフとの話を進める。彼にとってそんな事はどうでもいいことなのだろう。

「うーん、レベルは高いぜ。だけど、追いつけないと感じる程じゃないな。二ヶ月、いや一ヶ月で絶対に連中に追いついてみせるさ」

「自信ありげじゃねーか」

「伊達に裏切り者をしてないからな」

 話の途中で茶々を入れてくるヒノクスに、ガラフはにやりと笑みを浮かべて、そう皮肉を返した。それを聞いて、ヒノクスは「うっ」と言葉を詰まらせる。

「こ、心の狭い奴だな。そんなこと一々根に持つなよ」

「心の狭さという点に関しては、他教室の修練を受けただけでどうこう言う誰かと良い勝負だと思うがな」

「ううっ」

 嫌みたらしい笑みを浮かべながら人の揚げ足をとっていくガラフに、ヒノクスは言葉を返せずに呻いた。そして遂にそれに耐えきれなくなり、「ちくしょー」と捨て台詞を吐きながら、その場から駆け出していった。

「ガラフ、あいつをあまり苛めてやるな」

 ヒノクスが出ていったところで、アーバンはいつもと変わらない表情で淡々とそう言った。ガラフは苦笑をしながら頬を掻くと、彼に言葉を返した。

「なんとなく遊びやすいんだよな、あいつ」

「単純だからな」

 アーバンの言葉に、ガラフは納得したように頷くと、更に言葉を続ける。

「だが、戦闘技術においては本当にまるで別人だな。夏休暇前とは」

「そうだな」

 あえて否定するわけでもなく、アーバンはそれに相づちをうった。褒めるとどうせつけあがるだけだろうからと口にこそしてはいないが、彼が力を付けてきているのはアーバンも認めている。それも信じられないような速さでだ。

 まだそれは基盤のようなもので、明確に力として開花しているわけではない。だが、彼が望むのならば、それはいつか確実な力となるだろうとアーバンは予測していた。彼は何人も見ているのだ。そういった類の連中を。

「だが未だ単細胞であることには違いない。考えも無く戦いに挑めるような経験はまだ奴にはないからな。まだ戦士としては使いものにならんよ」

「さすがはあいつの師匠だな。弱点もよく見えてるじゃないか」

「師匠?」

 その単語に、アーバンは初めて意外そうな表情を見せる。アーバンは彼の練習相手であり、師などではない。その一言はアーバンには伝わらなかったのだろう。ガラフは少し面倒そうな表情を浮かべたが、嫌がる様子もなく金髪の青年にこう言った。

「傍目からはヒノクスはお前の弟子だって感じを受けるぜ。実際、先生はヒノクスに何にも教えてないんだろ?」

 それは半ば確信であった。ガラフとて明確な指導をクリフから受けた覚えは何一つ無い。ほとんどが仲間内の修練と、独学によって今の能力を手に入れているのだ。

「先生は道を示して下さっているだろう。今回のウィンディア教師の件とて、先生の手回しがあったから実現できた。違うか?」

「だから傍目からって言ってるだろ。俺だってそれくらいのことは解ってる。けど、ヒノクスは明らかにお前から技術を吸収している。お前が師と呼ばれても、おかしくはないだろ?」

 それにはアーバンも反論はしなかった。

「まぁ、尊敬はしてるよ。ちゃらんぽらんに見えて、結構しっかりと俺達を見てくれているしな」

「ちゃらんぽらんと結構は余計だ」

 その部分にはすかさず反応し、アーバンは睨むような眼差しでガラフを見据える。そんな彼に、ガラフは小さく溜息をつくと、「悪かった」と言葉を付け加えた。

「そういえば話は変わるけど、先生に客が来てるみたいだな」

 この話を続けても疲れるだけだと考えたのだろう。ガラフは突然話を切り替える。すると、上手い具合にアーバンはその話題に興味を示したようだった。

「客?」

「ああ。多分」

「何だそれは?」

 曖昧な返答に、アーバンは珍しく訝しげな表情を浮かべる。それに対し、ガラフも「仕方ないだろ」と言葉を返した。

「さっき南棟で魔物狩人組合の人に先生の部屋を聞かれたんだよ。普通、先生の客だと思うだろ?」

「確かにな」

 ようやく納得したようで、アーバンはそう言いながら小さく頷いた。だがガラフが口にした次の台詞に、彼は強く反応する。

「だけど、まさかレイモンド組合長が先生を訪ねてくるとは思ってなかったよ」

「レイ、モンド?」

 それは明確な変化だった。彼はまるで有り得ない言葉を聞くような表情で驚いていたのだ。表情を変えることが少ない彼の、こうも明確な動揺を見るのは、長い間同じ教室の生徒であったガラフにも初めてのことだった。

「知っているのか? ジェチナハンターズギルドのギルドマスター、マスター・キースを」

 ガラフの問に、アーバンは小さく、呟くように答えた。

「知っている。ジェチナは、私の故郷だからな」

 その返答にガラフが驚いているのが解ったが、アーバンにはそれを気にしている余裕はなかった。それほど、彼にとってそれは重要なことだった。

 キース=レイモンドは知っているはずなのだ。かつてジェチナの魔物狩人組合に所属し、紅華隊最強と呼ばれた氷の閃光アイシィライトニングヴァイス=セルクロードのことを。それは、彼がまだ少女だった頃、彼女の父と兄を殺した男の名だった。



 その日は、学院教師クリフにとっては特に何の変哲もない一日だった。

 特に騒動が起こるわけでもなく、特に余計な仕事が入ってくるわけでもない。逆に静かすぎると思えるほど、変哲のない一日……。そう、彼が来るまでは、そのはずだったのだ。

「久しぶりだな、ヴァイス」

 尋ねてきたその人物を見て、クリフは絶句した。そこにいたのは、一人の初老を迎えた男だった。名をキース=レイモンドという。ジェチナ魔物狩人組合の組合長であり、そしてかつてクリフが義父と呼んだ男だったのである。

 止まっていた彼の時間は、過去を紡ぎながら静かに動き出そうとしていた。


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