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父親が死んだと聞かされたとき、不思議と涙は出なかった。 それはずっと昔の話だ。ここではなく、別の場所にいた頃の、まだ彼女が幼かった頃の話。その知らせは唐突に舞い込んできた。 知らせが届いてから、少女の周囲は慌ただしくなった。親類達がこぞって騒ぎはじめ、恐怖や不安の台詞を吐き、そして彼女には疎みや同情の視線が投げかけられた。だが、めまぐるしく変化するその状況を、少女はまるで他人事のように、ただ静かに見ていただけだった。 「ほら、お父さんにお別れを言いなさい」 それまで、まるで人形のようだった少女に変化が起こったのは、顔なじみの褐色の肌の女性にそう言われた時だった。 少女は棺の中にあった血の気のない父親の顔を見て、大きく震え始めたのだ。 何のことはない。まだ幼かった彼女には、それまで父親の死が認識できなかっただけったのである。父親が多忙で、家を空けていたときが多かったことも、その理由にあるかもしれない。いつものように、何気なく帰ってくる。そんな幻想を抱いていたのだろう。 だが、棺に眠る父親の姿を見て、少女はそれを理解せざるを得なかった。現実は、容赦なく彼女に降りかかってきた。 少女の瞳からは涙が溢れ、留まることなく頬を伝っていった。激しい嗚咽、切り裂かれる心。葬儀の間、彼女の慟哭が収まることはなかった。 それでも少女は立ち直ることが出来た。彼女には兄がいたためだ。父親が死んだことで日中多忙になり、会える時間は少なくなったが、父親と同様に彼は少女の面倒をよく見てくれた。時間はかかったが、そんな中でようやく少女は心を取り戻していった。 しかし、少女の不幸はまだ終わってはいなかった。むしろ、父親の死は始まりに過ぎなかった。 父の死からわずか三年後、兄が殺されたのだ。二度目の突然の喪失によって、一度治りかけた彼女の心は再び崩れていった。 その後、少女の心の崩壊は、更に進行を進めることになった。たらい回しにされた親類の先々で、彼女は邪魔者として扱われたためだ。 親類の態度が冷たかったのは、街そのものが変革の時を迎えていたこともあるだろう。そして、人に懐こうとしなかった彼女にも問題はあったに違いなかった。だが、とにかく少女はそんな環境の中で、いつしか感情を失っていった。 それでも、彼女には支えがあった。彼女は聞いていたのである。兄を殺した男の名を。 「君の兄を殺した男の名を教えてあげようか?」 それは、兄の知人と名乗る男の言葉だった。男が教えてくれたその名を忘れるはずもなかった。それは父を殺した男に他ならなかったのだから……。 砕け散った心の片隅で、復讐という炎だけが確かに芽生えた瞬間だった。 そして彼女は遂に運命の転換期を迎える。何度目かの移住の先で彼女は一人の男と出会ったのである。なぜ男が自分を捜していたのかは、彼女には解らなかったが、そんなことはどうでも良かった。 「お前は強くなりたいのか?」 その初老を迎えた男が投げかけたそんな疑問の声は、彼女の心に唯一あった感情を確かに揺すぶった。少女はその問に静かに、人形のように頷いたのである。 その男が何者であるかなど関係がなかった。少しでもあの男を殺せる手段を見いだせるのであれば、彼女は何をすることもいとわなかっただろう。 男はしばらくの間、じっと少女の瞳を見つめた。そして小さく溜息をつくと、続けざまにこう言葉を返す。 「死を恐れぬのなら、お前に私の技を授けてやろう。人を殺すための術をな」 一瞬、彼女の瞳には生気が取り戻された。心から湧き起こる喜び、復讐を成就できるという想いが、彼女の心に溢れたのだ。彼女は変化がなかった表情に、小さな笑みを浮かべる。人をぞっとさせるような、氷の微笑。それは兄を亡くしてから、彼女が初めて見せた笑みだった。
「学院に入る際、お前には一つの覚悟をしてもらう」 「覚悟?」 生気のない瞳でそう尋ねる少女に老人はゆっくりと言葉を返す。 「お前に教える闘気法の修得には、過酷な修練を要する。下手をすれば命を落とすことすらあるだろう」 死という単語を前にしても、少女は表情を変えなかった。そんな彼女に、初老の男はある種の恐怖を抱いたという。 だが男は言葉を続けた。彼にも、それに構っているだけの余裕はなかったのだ。 「それ故に、お前には女を捨ててもらう。理由は幾つかあるが、覚悟という意味の理由としては、女の身体では闘気法の修得に耐えられないからだ。最悪の場合は死、それでなくても、お前の身体が女として正常に成長しないことも有り得るということだ」 その半分は彼女の覚悟を計るための脅しだった。もちろん有り得ないことではないが、彼としても自分の後継に死んで貰っては困るのだ。しかし、彼女を望む技能を与えるためには、それなりの覚悟が必要だったのである。 「お前に、女を捨てる覚悟はあるかね?」 話す側の老人が躊躇いさえ覚えたその問に、少女は何の迷いもなく即座に答えた。 「愚問です」 と。彼女にはそんなことはどうでも良かったのだ。復讐さえ叶えることが出来るならば。父と兄を殺した男をこの手で殺すことが出来るのならば。
そして彼はある事件をきっかけに、畏怖の念をもってこう呼ばれるようになることになる。 冷酷な刃と……。 それはまだ、学院が正式運用される前の出来事だった。 時は流れ、彼は次第に変わっていった。だが彼女の復讐はまだ果たされてはいなかった。
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