魔 導 学 院 物 語

−遠き日の約束−
第七章 深き夢の中で



 閃光のような一蹴が、目の前に迫る。ラーシェルはそれを両腕を交差させ防ぐと、彼の次の攻撃に反応しようと、意識を集中する。

 だが彼の動きは風のように速く、ラーシェルの技量ではおいつくことができない。仕方なくラーシェルは頭を切り換えて、次の一撃の直撃を覚悟した。もっとも闘気という技法によって攻撃される部分をある程度想定し、いくらかの攻撃には耐えれるようには備えたが・・・。

 しかし彼の一撃はそんな物をまるで無視するかのように、鋭く、そして重いものだった。ラーシェルの闘気の防御はまるで意味を成さなかったかのように打ち破られる。

 刹那、ラーシェルは腹部に物凄い衝撃を感じると共に、その慣性によって弾き飛ばされた。そしてしばらく地面を激しく転がったところで、ようやくその勢いは収まる。

「おい、ラーシェル、本気でやれよ。アーバンならこれくらい簡単に防ぐぞ」

 ラーシェルを蹴り飛ばした『彼』の言葉が、それほど広くない修練場に響く。それを聞くと、ラーシェルはむくっと立ち上がり、平然とこちらを見ている男に向かって怒鳴り返した。

「ふざけるなよっ!! てめぇらは先生に闘気法まで習ってるだろうがっ!! 一緒にするんじゃねぇ!!」

 そう。確かにそう叫んだ覚えがある。だが、それは今の彼の言葉ではない。昔彼が口にした言葉を、昔の彼が口にしているのだ。ラーシェルは、まるで傍観者のようにその光景を見ていた。

 目の前にいるのは金髪の少年・・・、いずれこの教室からいなくなるフレッドだった。

 フレッドは呆れたようにため息をつくと、少し離れた場所から再び言葉を返す。

「接近戦にもちこまれる方が悪いんだろ。それに、接近戦でもアーシアの方がまだ張り合いがあるぜ」

 その言葉がひどく頭にきたのを覚えている。フレッドの言葉は的を射ていたが、だからといって悔しくないわけではない。いや、だからこそ悔しさがこみ上げてくる。彼の言葉にだけではなく、自分に対してもだ。

 ラーシェルは思わずその二つに対する想いを、怒りという形で吐き出そうとするが、それは彼の前にすっと出された一本の腕によって遮られる。

 見ると、相変わらず無表情に近いフォールスがいた。

「悪いが、俺が先約でな」

 一瞬暖かい笑みのような物を浮かべると、彼はフレッドと対峙した。元々、それほど仲が良い二人ではない。瞬時に場の雰囲気は重圧的な物に変わる。

「今日こそ、決着をつけないとな」

 フレッドはそう言って不敵に笑った。仲が良いわけではないが、二人は確かにお互いを認めあっていた。譲ることのない、好敵手としてだ。そして事実バーグ教室で最強を争うとしたら、間違いなくこの二人だったろう。

 魔導能力だけを言えば、絶大な力を有するミーシアに敵うはずもなかったが、制御能力に致命的な欠点を持っていた彼女と違い、二人は戦士として半ば完成されていたのだ。

 フレッドの言葉を境に、場の雰囲気は突然目まぐるしくその流れを早めた。その刹那、フレッドが人間離れした瞬発でフォールスとの間合いを詰める。これも闘気能力の一種だ。そして一瞬の後、フレッドの右拳はフォールスの右頬をかすめた。

 いや、フレッドは確実にフォールスの顔面を狙っていたのだ。だがフォールスの反応は彼の攻撃を捕らえ、それをかわしたのである。少し遅れてフォールスはフレッドが動いたのと同じ瞬間に構成を始めていた魔術を完成させる。

「ティア、ウィンド」

 その言葉を引き金にするように、フォールスの右手――正確には彼の右手に装着されているプラネットという魔導器――に大気が収束していく。そしてフォールスが右手を振ると、収束された大気は風の爪となって放たれた。

 避けることの出来る間合いではなかった。フォールスはほとんど距離がない状態でそれをあいたフレッドの腹部に放ったのだ。少なくとも、当時のラーシェルはフォールスの勝利を確信したのだ。

 だがフレッドは先程放った拳を引かず、そのままフォールスの肩を掴み、下に押すことで自分の身体を浮かせる反動にし、上空に跳んだのだ。それによってフォールスの右腕は下がり、彼の放った風の爪は目標を反らされ、修練場の床を抉った。

 一方上空に跳んだフレッドは瞬時に魔術を構成し始める。

「穿て、光の牙よっ!」

 そして上昇の臨界点に達したところで、構成したその魔術を放った。

「セイントマークっ!!」

 彼の言葉は収束され、一筋の閃光となり、未だ体勢を崩しているフォールスを捕らえる。だがフォールスの方も、それに対する魔術を体勢を崩しながらも完成させていた。

「ライトカーテン」

 淡い光の幕がフォールスを包んだ。それはフレッドの放った閃光を霧散させると、そのままゆっくりと消失していった。

(二人とも、化け物だな・・・)

 今のラーシェルが見ても、彼らの動きはひどく化け物じみて見えた。もう、4年以上前の、未だ二人が未完であった頃の光景だ。だがそれでも戦慄を覚えざるを得ない。

 もちろん今のラーシェルならば、いくらかは彼らに相対できるだけの力を持ってはいる。だが、この光景はあくまで過去の物だ。フォールスはこの後クレノフ=エンディーノの師事を受け、更なる構成力を身につけている。

 そしていなくなったとはいえ、フレッドもまたこの頃と同じ能力であるわけがない。だがこの頃は自分も、いつかこの高みに行けると信じていた。確かにラーシェルには素質と呼べる物はなかったかもしれないが、それでも彼は強くなっていく自分を感じていた。

 だが・・・

(俺は、高みに行けなかった)

 ガルシアの死後、クレノフ教室へ編入はしたが、ラーシェルの能力が際だって上昇することはなかった。それが彼が感じていた劣等感だった。

(結局、俺は連中に追いつけなかったんだ)

 彼はずっと他の級友達との差が開いていく様を見ていた。彼がアーシアやアーバン同様に教師になるための過程を受けなかったのはそのためだ。彼らとの力の差が明確になっていくのが、ひどく怖かったのだ。

(でも、本当に怖かったのは・・・)

 ラーシェルはその答えを紡ぎ始める。自分が本当に恐れているものの正体を。それは劣等感などではない。元々周りの人間が化け物じみているだけだ。劣等感を抱くこと自体が傲慢であるような気さえする。

 本当に怖かったのは・・・。

 フォールスに必要とされなることだった。

 ここには、彼の『願い』を叶えるための力になれる人間が大勢いる。彼らがフォールスの『願い』を聞き届けるかは解らないが、もし、彼らがフォールスの力になったとき、自分にその居場所があるのか、それが彼の不安の源だったのである。

(でも、何でこんなに不安なんだっ)

 ラーシェルの願いは自由を手に入れることだったはずだ。そして、もうそれを手に入れているはずなのに・・・、自分はフォールスの側に居たいと思っている・・・。

(孤児院から出してもらった義理や、俺を認めてくれたからじゃない・・・)

 彼自身、どうしてかは解らないが、そう思うのだ。自分が捕らわれているものは、もっと別の物だ。そう思ったとき、ラーシェルは再び暗い闇の中に沈んでいった。その答えを探すために・・・。

***

『あれは唯一私の予測から離れた成長を見せた少年だ』

 それがラーシェルに対するガルシアの評価だった。その評価の意味の善し悪しについては、ガルシアは答えなかった。彼自身、解らなかったというのが正答だろう。

 ガルシア=バーグはその生涯の中で、わずか十数名にのみ、自分の技を伝えたというのは、クリフが生前のガルシアから直接聞いた言葉だった。彼曰く、

『こうも他人の素養を見極められなかったのは、初めてだったよ』

 あまり愛想がよかった訳ではない彼にしては、珍しく顔をほころばせ、嬉しそうにそう語ったのをクリフは覚えている。予期せぬ知り合いに再会した、というものも、その要因の一つにあったのかもしれない。

 彼にとって後継者を育てるということは、自分の『願望』を叶えるための『人形』を作り出すということに他ならなかった。それも、彼自身の口から聞いた話だ。

 だがガルシアは言った。

『久しぶりに気分が高まるのを、自分でも抑えることが出来なかった。本気で戦士として育ててみたいと思ったのは、奴で二人目だったよ』

 育てあげる者の性、というのだろう。教師になって何年かたった今なら、ガルシアの言った台詞の意味が分かるような気がする。現実に、彼の生徒はまるで珠の粒のようにクリフは感じていたからだ。

『あれがどう化けるかは、私にも解らん。稀代の英雄になる器があるのか、それとも只の凡人なのか、それすらもな』

 彼の『願望』が込められずに、彼の師事を受けたのは、おそらくラーシェルだけだったのだろう。

「願わくば」

 クリフは目の前で未だ眠っている少年を見つめながら、小さく呟く。

「汝が求める物を、手に入れんことを」

 少し、その言葉に嫉妬を込めながら、クリフはゆっくりとその瞳を閉じた。クリフもまた、休息を必要としていた

***

 白い、十字の柱に、一人の女性がくくりつけられていた。そして彼女を囲むように、数え切れないほどの人間が立ち並んでいる。

(何処だ? ここは・・・)

 見たことのない光景に、ラーシェルは戸惑った。だが彼の心は訴える。それがひどく重要な物であることを。

「王よ、私が死んでも、希望の灯は消えはしない」

 女性は凛とした表情で、眼前で彼女を忌まわしげに見ている男に、そう言い放った。その黒い双眸は、明らかに王と呼ばれた男のそれよりも威厳に満ちていた。一方、男の瞳は女に対する憎しみのためか、狂気に満ちている。

「黙れっ! 銀色の魔女に魅せられし売国奴がっ!!」

 王は隣にいた衛兵から彼が持っていた槍を奪うと、それをその女めがけて突き刺した。槍は女の腹部に突き刺されると、その身体を貫く。

 赤い飛沫が、ゆっくりと宙を舞った。それは一瞬だったのかも知れない。だがラーシェルの瞳には、まるで時間がその流れを止めたかのように、長い時間に感じられた。

(胸が痛い・・・)

 知らない光景のはずなのに・・・。

 知らない人間のはずなのに・・・。

 胸が、張り裂けそうに痛む。

 気付くと、誰かに取り押さえられているような感覚を、ラーシェルは受けていた。

「駄目だ、フィル! マリーは、助けられない」

 またも、知らない声がラーシェルの耳に入る。多分、ラーシェルは今、そのフィルという男の感覚を共有しているのだろう。

 この男は解っていた。自分の力ではどうしようもないことも、彼女が助けられることを望んでいないことも・・・。だが、何も出来ない自分がもどかしかった。

 そして彼女は、その後炎に包まれた。王が放った煌々たる赤色に、その身を焼かれていったのだ。


(何よりも、護りたかったのに・・・、護りれなかった)

 再び闇となった世界の中で、ラーシェルは身が裂かれるような想いに浸っていた。他人の出来事のはずなのに、どうしてもそれが他人事だとは感じることが出来なかったのである。

 そして、ラーシェルは最後の回想に導かれていった。

***

 そこは草原だった。目の前には炎に焼かれた、あの女性がいた。年はまだ少女と呼べるほど幼いものであったが、この瞳を見間違えるはずはなかった。

 そして彼女は微笑みながらこう言ったのだ。

「私が貴方に、もっと違う世界を見せてあげる。だから、私と一緒に行こう」

 彼女が言い放ったその言葉はラーシェルにも聞き覚えがあった。

『いつかお前をここから連れだしてやる。だから、俺の側にいろ』

 昔、フォールスが言った言葉・・・。二つの言葉がラーシェルの頭の中で重なる。

(そうか・・・、これだったんだ・・・)

 次第に薄れていく意識の中で、ラーシェルはようやく答えを、導き出していた。

(俺が本当に欲しかったのは、護るべき人だったんだ・・・)

 何故か、それが正答であると、彼は感じていた。何の確証もない。だがラーシェルの心はそれに同意していたのだ。

(護るべきものを探すために、自由になりたかった・・・。護るべきものを護るために、力が欲しかったんだ・・・)

 彼はずっと探していたのだ。本当に自分が護りたい何かを・・・。狭い世界ではそれが手に入らないことを知っていたから。そして不安だったのはそれを再び失うかも知れなかったから・・・。

 それに気付いたとき、ラーシェルは目を覚ましていた。そしてそこには護りたい人の姿があった。

「まったく、いつまで寝ているつもりだ?」

 無愛想にそう言った彼に、ラーシェルは満足そうな笑みを浮かべながらこう答えた。

「答え、やっと見付かったよ」

「・・・そうか」

 ラーシェルの言葉に、一瞬彼は戸惑いを見せたが、すぐに暖かい微笑みを見せた。そしてこう付け加えた。

「おかえり、ラーシェル」

 少年は、求めていた物を手に入れていたのだ。

 彼のその笑顔が、何よりの証明だった。






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