−遠き日の約束−
第六章 少年の追憶
落ちていく・・・ 闇の中を、ただ静かに、落ちていく・・・ 酷く空虚な感覚・・・。だが、不思議と寂しいとは感じない。それどころか、彼は言葉では言い表せない懐かしさを感じていた。 (夢・・・、なんだ・・・) 朧気な世界の中で、何故か、漠然とではあるが、彼はそう理解した。 (探さなければならない・・・) 心がそう訴える。 (だけど・・・、何を?) それが解らない・・・。だが、行かなければならないのだ。もっと深いところへ。 思い出さなければならない。自分が何を求めていたのかを。 だから彼は過去を旅をする。 邪なる瞳に誘われて・・・
いや、正確に言えば、彼女は少し前からここにいたのだ。ただ、クリフが気付かなかっただけだ。そうでなければ、クリフが彼女の接近に気付かないわけはないし、第一彼女が気配を断つ理由がない。 (ここまで感覚がにぶるか・・・) 正直、自分でもひどく驚きながら、クリフは彼女の方を振り向いた。そこにはクリフの予想した通りの顔がある。 「どうしたミーシア? 紅茶セット、必要になったか?」 そんな冗談混じりの言葉で彼女に話しかけるが、ミーシアの顔は笑っていなかった。解ってはいたことだ。 「また、邪眼を使ったのね」 静かで、重々しい声が部屋の中に響いた。その口調で彼女がかなり怒っているのが解る。 彼女が人の目に付きそうな場所で、クリフに敬語を使わない事は滅多にない。ミーシアは学院連中の前では常にクリフの生徒であるようにつとめているのである。 その彼女が、今はそれをしていないのだ。こんな時の彼女の状態は、昨日のように甘えているか、激しい感情に揺さぶられている時以外はない。雰囲気を読む限り、前者は有り得ないだろう。 「ち、ちょっとだけだって。ちゃんとしびれ薬で掛けやすくもしてたし・・・」 こういうときは下手に逆らわない方がいい。長い、とは言えないかもしれない付き合いの中で、彼女との対応の仕方は一応心得ている。どもりながらとりあえず保身の為の言い訳をする。 「はぐらかさないで」 だがそれは今回は通じなかったようである。 ミーシアは、強い感情の籠もった声でそう言うと、ゆっくりとクリフに近づいてくる。そして彼の眼前で足を止めると、一旦大きく息を吸ってクリフをキッと見据えた。 「邪眼は、今の貴方に使える代物じゃないでしょう!」 半ば怒鳴り声で、彼女はそう叫んだ。実際彼女は怒っていた。邪眼という能力を使うことが、クリフに何をもたらすか良く知っていたからだ。 クリフはばつが悪そうに頬を掻く。指に汗がまとわりつくのが解る。一般に過剰能力と呼ばれる力を使った証拠だ。そして、それがミーシアが怒っている理由でもある。 「オーバーアビリティがどれだけ危険な物かは、クリフだって知っているでしょう?」 ミーシアは変わらない厳かな口調でそう言った。オーバーアビリティとは、使用者の限界を超えた亜種族能力の使用を意味するものだ。そして、その制御を誤った場合、使用者に待つのは死だけである。 クリフもそれを知っている。だからこそわざわざラーシェルにしびれ薬など飲ませたのだ。クリフが彼に使った深き瞳は、言ってみれば暗示である。本来ならば言動や動作などで相手の精神を制し、精神的な干渉を行うものだ。 だがクリフには彼の精神を制するだけの力はなかった。彼はガルシアの弟子の中では劣等生ではあったが、それでも並の魔導師と比較するには十分な能力を持っているのだ。 だからしびれ薬を使って、動けない事を意識させたのだ。クリフはそれに少し力を加速させてやったに過ぎない。しかしそれでも今のクリフには十分すぎるほどの力の負担になっていた。だから彼女がこれほどまでに怒りを露わにしているのだということも解っている。 「だが、ラーシェルを放っておくわけにもいかんだろう。あいつは、師父の後継の中で唯一・・・」 「そんなの関係ないっ!!」 真顔になって答えようとするクリフの言葉を、ミーシア叫び声が遮った。同時に凄まじい勢いで場の精気がミーシアに収束していくのを感じる。 自動収束、ミーシアが持つ能力であり、彼女を絶対破壊者と言わしめる能力が発動した証拠だ。そして彼女が自身の能力を抑えきれなくなった証拠でもあった。 「そんなことどうでもいいのっ! ガルシア先生も、ラーシェルも、どうだっていいっ!!」 彼女がかぶりを振りながら言葉を吐く度に、精気の収束は激しくなる。彼女自身、止めることができないのだ。それでもミーシアはまだ言葉を続けようとする。感情のコントロール、彼女が欠落した能力の一つだったから・・・。 だがそれは、不意に感じた唇の温もりによって遮られた。目を見開くと、そこにはクリフの顔があった。途端に暖かく力強い何かが彼女を包み込む。抱きしめられていと気付いたのは、すぐ後のことだった。 ミーシアは身体から、力が抜けていくのを感じる。そしてその代わりに強い安堵感が彼女の心を満たしていった。 ミーシアは名残惜しそうに唇を離すと、クリフの胸に顔をうずめた。 「ったく、言っている本人が暴走してどうするんだよ。そういうところは、昔から変わってないな・・・」 「・・・・・・」 無言で肩を振るわせるミーシアの頭を、クリフはまるで子供をあやすように撫でてやる。すると彼女はクリフの服を強く握りしめた。 「・・・もう、・・・嫌なの・・・」 かすれるような涙声で呟く。 「怖いの・・・、クリフが側から居なくなるのが・・・。もう、貴方を失いたくないの・・・」 ずっと怖かった。一度失った辛さを知っているからこそ、もう二度と離したくはなかった。 クリフは彼女の言葉に応える代わりに、ミーシアの顎を上にあげると、そのまま唇を深く求めた。 側で、静かに眠っているラーシェルは、既に彼らの眼中になかった。
「ふざけるなっ!!」 突然、そんな声が辺りに響く。そしてその声はラーシェルの意識を呼び起こした。意識は次第に覚醒していく。そしてその中で、ラーシェルはその怒鳴り声に対して驚いていた。 (何で・・・) その声の主が、ここに居るはずがないのだ。彼は学院を出ていったはずだ。 (フレッド・・・) 意識が引き戻され、彼の姿を見て、思わずラーシェルはそう言葉を吐いた。だがそれは声にはならなかった。身体の感覚はあるのに、空気の振動が感じられないのだ。そしてラーシェルはその場の光景を見て更に驚いた。 (バーグ、教室? それに、あれは・・・) 「別にふざけているつもりはない。文句があるのなら、俺を選んだ本人に言ってくれ。俺はただ仕事を依頼されただけだ」 そう答えたのは、クリフだった。そして彼の周りには、見慣れた顔があった。アーシア、アーバン、ミーシア、フォールス、フレッド。 ただ、その全てが、有るはずのない光景だったのだ。全ては、4年前に一同がクリフを紹介された時の光景だったのだ。アーバン一人を除いては、皆が今よりも幾分か幼い顔立ちをしているし、何より、そうでなければフレッドがここにいるはずがないのだ。 そしてフレッドはあの時と同じ言葉を怒鳴る。 「大体何処の馬の骨かも解らないような男に、自分の運命を任せられるはずがないだろう!」 それは、フレッドが昔に吐いたのと同じ言葉だった。問題の発端は、ガルシア=バーグが病床に倒れ、その代わりとなる教師が来た事から始まったのだ。 (過去の夢なんだ・・・) フレッドのその言葉を聞いて、ラーシェルはそう理解した。ひどく心が落ち着いているのが不思議だったが、そんなことよりも、ラーシェルは目の前の光景に、奇妙な安堵感を覚えていた。 「落ち着け、フレッド。これは学院の決定だ。従わざるを得んだろう」 感情的に怒鳴り散らすフレッドに、彼を諫めようと声をかけたのはフォールスだった。バーグ教室時代は、まだ学院が正式に運用されていないこともあり、クラスリーダーなどというものはなかった。だが、おそらく当時その役割を果たしていたのは、やはりフォールスだっただろう。人が集まる以上、まとめる人間がいた方が集合としては成り立ちやすいものだ。 そしていつもなら、フォールスの言葉でフレッドも落ち着くはずだった。バーグ教室時代、集められた他の5人の中で、能力において彼が完全に認めていたのはフォールスだけだったからだ。 だが、その日の彼は止まらなかった。 「貴様はいい! クレノフ先生の師事をうけるんだからな。だがこっちは名前も聞いたことのない様な、しかも魔導師階級すら持たない人間だぞっ! これが落ち着いていられるかっ!!」 (まぁ、怒るのも当然だよな・・・) 確かその時、ラーシェルはそう思っていたはずだ。そして今でもその考えが的を外しているとは思っていない。機国大戦に参加したということだけで、何の名声も持たない男が、特級魔導師であるガルシア=バーグの後任になる。異常な事ではある。 そしてその事に反感を抱いているのは、何もフレッドだけではなかった。 「私も同意見だ。実力も解らぬ男に、自分の身を任せる気はない」 淡々とした口調でアーバンがそう呟く。今まで、ほとんど感情どころか意見すら出さなかった彼がそう言ったことには、皆が驚いたはずだ。そして普段無言であるアーバンのその言葉は、全てを圧倒する奇妙な説得力があった。 しかしその時、アーバンの稀な発言と同様に、意外な人間が口を開いたのだ。 「いい加減にして! ここで貴方達が騒いでも、どうなる物でもないじゃない」 一同が、彼女の方を見た。それまで、人とほとんど関わろうとせず、唯一自分の妹だけをその側に近づくことを許していた少女・・・。声の主はミーシアだった。 「名声なんて人が勝手に付けた肩書きでしょう? それに、クリフォードさんを選んだのはガルシア先生よ。先生がただ訳もなく人選をすると、本気で思っているの?」 ミーシアの言葉に、フレッドは黙るしかなかった。ガルシア=バーグ、その男の名前は絶対的な権限と、信頼を持っていたからだ。たった一言の台詞であったが、それは一同の議題を終わらせるには十分だったのだ。 部屋が静まり返った所で、それまで一同の会話を静観していたクリフがゆっくりと口を開いた。 「まぁ、確かに君達ほどの人間を育て上げる力があるかどうかは俺自身解らんよ。だから君達にとって役に立たないと思ったならば、見限ってくれて構わない」 彼のその一言に、一同は意外そうな顔を浮かべた。クリフは更に言葉を続ける。 「ただ、俺はガルシア=バーグに教えられないものを、君達に教えることができる。あの人ほど効率よく教えれるかどうかは解らないがな」 そう言ってクリフは苦笑を浮かべた。 「何だか、自信が有るのか無いのか解らない言葉ですね」 それはアーシアの言葉だ。その言葉に、クリフはもう一度苦笑を浮かべた。
(自分は変わったのだろうか?) そんな疑問が脳裏に浮かぶ。 それを知りたい。だからラーシェルはもっと深い眠りにつく。 求める物を得るために。 自分が一体何を欲していたのかを知るために。 邪なる瞳の深き呪縛は、彼を更なる心の奥へと導く。
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