魔 導 学 院 物 語

−遠き日の約束−
第五章 拭えない苛立ち



 クリフが色々と動いた翌日には、ラーシェルの謹慎はとけ、彼はいつものように事務部に出勤していた。

 魔導学院は現在夏休暇中で、運営自体はしていない。だが、事務部となると話は別である。学院が動いていないと言えど、学院に誰もいなくなるわけではないし、休暇中に処理しなければならない仕事はたくさんある。

 さらに休暇中は魔導同盟の関係者の出入りが多くなる分、忙しさは通常運営中よりも忙しくなる事が常だ。

 そんなこともあり、ラーシェルの謹慎は、早く解けたのであるが、彼は非常に注目されていた。もう少し正確に言うと、彼と、彼の隣に座っている男が注目されているのだ。

「あの・・・、先生、ここで何しているんですか?」

 ラーシェルはそう言って、もう一人の注目されている人物――というよりも、彼のせいで自分も目立っているのだが――の方を見る。

 するとその男は、それまで読んでいた本から目を反らし、「ん?」と不思議そうな眼差しを混ぜて、ラーシェルの方を振り向いた。

「見て解らないか? 来年度の入院生徒候補の、データの処理をしているんだが・・・」

 彼――クリフは、そう言うと、再びデスクに目を向け、データの処理を始める。だがラーシェルは彼の解答に満足をしていない様子で、言葉を続ける。

「いや、そーじゃなくて。何で先生が事務部の仕事をしているのかって聞いているんだけど」

 ラーシェルは、その場にいる他の事務員達の言葉を代弁するかのように、クリフにそう尋ねた。

 学院では事務部への出入りは、事務員以外は厳禁されている。それは事務部に学院の情報が集結している為なのであるが、それはともかく、問題はクリフが何故ここで仕事をしているかである。しかも、クリフは事務部の制服まで着ているのだ。

「まったく、どっからそんな物まで持ってきたんですか?」

 訝しげにラーシェルはそう言葉を付け加える。すると、クリフは疲れたような表情で、ラーシェルの質問に答えた。

「それがなぁ、昨日サイモンに支払いを任せたら、今朝方怒鳴り込んで来やがって、食った分は働けって連れてこられたんだ」

「よく、わからないんですけど?」

 ラーシェルは更に訝しげな顔をするが、クリフはひらひらと手を振って、彼の言葉を退けた。

「あんまり考えすぎると、はげるぞ」

「余計なお世話です」

 ラーシェルは、これ以上話しても無駄だと思ったのか、呆れ気味にそう言うと、再びデスクの方に目をやる。大体、しばらく休んでいた分、ラーシェルにも仕事は山ほどあるのだ。クリフに構っている暇はない。

 そしてクリフにもノルマらしき物はあるのか、彼もいそいそとその仕事に取りかかり始めた。そんな感じでその日の午前中は過ぎていった。

 事件が起きたのは、その日の昼食時間のことだった。


「ねぇ、ラーシェル先輩。クリフ先生、うちに就職するんですかね?」

 そんな恐ろしい事を尋ねてきたのは、ラーシェルの同僚のキルナ=フェスタという少女だった。歳はラーシェルよりも、2歳ほど年下だったとラーシェルは記憶している。顔はどことなくあどけなさを残し(ラーシェルが言えた義理ではないが)、目は黒く、髪には少し赤みがかかっている。

 二人は食事をとりに、南棟二階のラウンジまで来ていたのだ。

「じょ、冗談にしても笑えないって、それは・・・」

 呻くように、ラーシェルは目の前の少女にそう答えた。事務部でのクリフの評価は最悪である。まぁ、クリフが出す始末書の処理を彼らがさせられているのを考えれば、それも当然だろう。

「でも、お父さん、クリフ先生と仲がいいし、あながちない話でもないと思いますよ」

 お父さん、と言う言葉に、ラーシェルは顔をしかめる。この事務部の事務長である彼女の父親と、クリフは仲がいいという噂を聞いたことはある。というよりも、クリフは学院の上層連中に、異様に人気があるのだ。

 クリフを除けば、第一級魔導師以上の魔導師は8人いるのだが、その全員がクリフ寄りの人間だと言ってもいいだろう。もちろんフォールスも含めてだ。

 噂では、所々で大がかりな引き抜きがあった、という話を聞いたことはあるが、もしかするとそれは本当の話なのかも知れない。

「ま、まぁ。でも、借金あるみたいだし、こっちには来ないんじゃないか?」

 どうしてもクリフが事務部に来ることを否定したいらしく、ラーシェルは顔をひきつらせながらそう答えた。

「そうそう。事務部って結構安月給なんだろ?」

「なっ!」

 不意に意外な声が耳に入り、ラーシェルは過敏に驚く。見ると、そこには銀色のトレイを持ったクリフの姿があった。そのトレイは、このラウンジにある飲食店の物なのだが、それはともかく、突然出てこられると心臓に悪いのは確かだ。

「と、突然出てこないで下さいっ」

「突然とは心外だな」

 慌てながらそう怒鳴るラーシェルに、もう一つの声が降りかかる。

「げっ、アーバン・・・」

 最悪だ・・・。不意にラーシェルはそう思った。彼はバーグ教室時代、最も馬が合わなかった人物だ。というよりも、ラーシェルが一方的に嫌っていたという方が正しいのだが。

「結構な挨拶だな」

 皮肉を込めた一言がラーシェルに浴びせられる。が、皮肉の内容よりも、彼のその言葉にラーシェルは違和感を覚える。

(皮肉なんて、言うような奴だったっけ?)

 ラーシェルの記憶の中のアーバンは、いつも無表情だった。まるで人形のように。それがアーバンが嫌いだった理由の一つだったのだ。

 それはともかく、最近になって自分の意志を出すようになってきたのは知っていたが、まさか彼の口から皮肉が出るとは思ってもいなかった。

(変われば変わるもんかねぇ)

 そんなことを思いながら、ラーシェルはアーバンに言葉を返す。

「気配もたてずに後ろに立たれれば、そうも言いたくなる」

「貴様が鈍くなったのではないか?」

 間髪入れずに、アーバンの言葉が返ってくる。今度の言葉は何の皮肉もない彼の素の台詞だ。つまり、事実を射ている言葉だ。

「う、うるせぇなっ! 大体、人の後ろに立つのに気配を消す奴が何処にいるんだ」

「消したつもりは無いと言っている。それにしても、本当に鈍くなったのだな」

 そう言ってアーバンは小さくため息をついた。それにはラーシェルの頭も熱くなる。馬鹿にされたような気分に陥ったのだ。本人にその気がないところがさらに頭に来る。

「てめぇこそ人のこと言えるかよ。アーシアから聞いたぜ。腕が落ちたってな。ぬるま湯に浸かりすぎじゃないのか?」

 ぬるま湯。その言葉にぴくりとアーバンは反応する。

「どういう、意味だ?」

 アーバンの周りの雰囲気が、突然今までとは異質な、重圧的な物に変わる。恐らく今の言葉の意味を、クリフへの侮蔑だととったのだろう。クリフを心酔するアーバンとしてはそれを許すことは出来なかった。

 だがラーシェルはそれを解っていて、言葉を続ける。

「そのまんまの意味だよ。その人に付き合って、堕落したんじゃねぇかって言ってる」

 その言葉に、明らかにアーバンの雰囲気は一変する。突然彼の気質は殺気に近い物に変わったのだ。

 自分に、ガルシア=バーグに師事を受けていたときのような力が無いことは、彼も承知していた。あからさまに言うと、確かに弱くなっているのだ。

 だがそれは、また異なる意味で彼が強くなっている証明でもあった。新しい強さを手に入れるために、昔の力を捨てる。それをどうこう言われるいわれはない。

 だが本当はそんなことは彼にはどうでもいいことだ。ラーシェルが吐いた言葉の中に、クリフを侮蔑する言葉があった。彼が、自分の怒りを制する必要がない理由は、それで十分だったのである。

 瞬時に、アーバンの身体に闘気が展開する。闘気は魔導技法に比べ、その発生率は比較的早い。それが闘気法の利点であるのだが、ラーシェルもまたそれには反応していた。彼もまた闘気を纏ったのだ。

 ラーシェルはバーグ教室の中でも劣等生ではあったが、それでもガルシア=バーグの教えを受けた人間であることには代わりはない。特出した者を除けば、上位に食い込めるだけの実力はある。

 そして二人の戦闘態勢が整った瞬間、その場は戦場と化すはずだった。

「ラウンジで暴れるんじゃないっ!」

 だが二人が動くよりも早く、彼らの正面に、それぞれ白と黒の物体が突進してくる。もちろんアーバンはそれを避けるが、白い置物は見事にラーシェルの顔面に直撃する。

「ぐはっ」

 ラーシェルは、不意に加えられた衝撃に、為す術もなくその場に倒れ込む。彼の顔に直撃したのは白い置物だ。ラーシェルの記憶によると、北南双天白黒猫、確かそんな名前がつけられていたはずだが、そんなことはどうでもいい。

「な、何すんですかっ!」

 顔に走る痛みをあえて無視して、ラーシェルはそう怒鳴った。クリフはいつの間にかラーシェルの対面の席に座っており、食事をとっていたが、取りあえず食べていた物を飲み込んだ後に言葉を発した。

「何すんですかじゃないって。面白そうだから見ていてもよかったんだが、よくよく考えれば、お前ら二人とも俺の管轄下にある連中じゃないかっ。お前らが喧嘩するのは勝手だが、お前らが喧嘩をすると、俺に被害がくるんだから、あんまり無茶をするんじゃないっ」

 そんな自己中心的なクリフの言い分に、ラーシェルは呻くが、今更この教師に何を言っても無駄だということは解っていた。だがそれでも何かいわずにはいられないのが、このラーシェルという少年だ。

「言っておきますけど、俺は自己防衛のために警戒態勢に入ったんですからね。それを言うならアーバンに言って下さいよ」

 そう言ってラーシェルはアーバンを一瞥した。そして、アーバンからもまた、珍しく怒気は消えていない。

(普段なら、少し切れれば元に戻るんだがなぁ)

 珍しい事態に、多少疲れを覚えながらも、クリフはぱくぱくと食事を口に運んでいた。

 そして二人の対立を初めて見るのだろう。横では友人の娘が、目の前で行われた出来事に口をぱくぱくさせているが、説明するのが面倒くさいために、あえてそれは無視することにした。

(昔からあんま仲良くないって言っても、このままじゃいかんよなぁ)

 さすがにこの事態を長く放っておくわけにもいかない、とクリフが思ったとき、ラーシェルの口から、冷ややかな言葉が発せられた。

「大体、目的を忘れたような奴が、俺の前でうろちょろするんじゃねぇよっ! 目障りだっ!!」

 目的、その一言に再びアーバンの気質が変わる。だが今度は、先程のように熱の帯びた怒気ではない。ひどく冷たい殺気・・・。だが意図しなければ、気付かないほど静かなものだ。

 冷酷な刃・・・、今はほとんど使われなくなった、アーバンの異名。その名がラーシェルの脳裏に浮かぶ。確実に人を殺せるように育てられた技能・・・。だが・・・

「やめとけ、アーバン」

 掛けられたその声に、彼の変化は一瞬にして消える。

「それはもう使うなって言っただろ? それとも、俺との約束が守れないか?」

 少し重めの口調でそう言ったのはクリフだった。ラーシェルにしてみれば初めて見る彼の一面だ。といういうよりも、目元が笑っていないクリフを、ラーシェルは初めて見る。

「いえ。すみませんでした」

 そして、アーバンがその一言で諫められた事も、ラーシェルには不思議だった。

(結局は飼い犬かよ)

 そして心中でそんな言葉を吐き捨てる。

 確かに、ラーシェルは昔からアーバンが嫌いだった。だが、認めてはいた。バーグ教室生徒六人の中で、特出した血統的な素養をもっていなかったのは、彼とアーバンだけだったのだ。

 魔導能力は血によって受け継がれることが多い。例えば赤珠族王家は、その繊細な術式構成能力で、二つの魔術を同時に構成することすら出来る者もいるのだ。

 しかしそんな技能を持たなくても、復讐という強い意志だけで、戦士としての高みに近づいていく彼に、ある種の尊敬の念すら抱いていた。

(だけど、今のあいつはただの腑抜けじゃねぇかっ!)

 今の彼に抱いているのは失望だけだ。だが・・・、それよりも・・・・・・

(何で、俺はこんなに苛ついてるんだよっ)

 苛ついている本当の原因は、アーバンのせいはない。それが何であるのかはラーシェル自身にも解らないのだ。ただ、アーバンを見ていると、それが膨らんでいくのを、彼は実感していた。

(結局は八つ当たりか・・・)

 最終的に行き着くのは結局は自己嫌悪だ。最近、ひどく自身を嫌っている自分がいることに、ラーシェルは気付いていた。

 理由の解らない苛立ちを感じ、人にあたる・・・。サイモンとの仲がいつにも増して険悪になったのも、それも含まれているのだ。解ってはいるのだが、理由が分からない以上、自分の感情ではどうにもならないことだった。

「最近、心が不安定みたいだな」

 他に集中していたラーシェルに、不意に声がかけられる。声の主はクリフだ。見ると既に食事をとり終え、お茶をすすっていた。

「先生には、関係ないでしょう」

 図星をさされ、ラーシェルは顔を紅潮させながら、クリフをキッと睨む。その行為に、アーバンが再び険しい顔つきになるが、クリフがそれを制した。そして彼はお茶を一度だけ啜ると、言葉を続けた。

「まぁ、俺としては保護観察中に面倒を起こしてくれなきゃそれでいいんだが・・・。今のままのお前だと、またアーバンと衝突しそうなんでな。この際だから看てやろうか?」

 看る・・・。一瞬ラーシェルはその言葉の意味を理解できなかった。医者でもないクリフがそんな言葉を出すとは思わなかったのだ。

「ん? カウンセリングみたいなもんだよ。もちろん本職に看てもらうのがいいんだろうが、色々と手続きが面倒だろうからな」

 そう言った後にクリフは「早い方がいいだろ?」と付け加える。

 ラーシェルはまるで、心を見透かされているような、そんな感覚を受ける。それはあまり気持ちの良いものではない。だがそれよりも、確かにクリフが言うように、現状から早く抜け出したいという思いの方が強い。

「・・・。本当に、何が原因なのか解るんですか?」

 かなり訝しげに、だがどこか期待のようなものを密かに言葉に込め、ラーシェルはそう呟く。運だけの男と呼ばれる、そんな男に頼ることは、かなり不本意であり、不安であったが、現状よりはいくらかましだ。

「さぁ? わらだとでも思って、すがってくれ」

 そう言って笑みを浮かべるクリフに、強い不安を覚えながらも、ラーシェルはこくりと頷いた。それを確かめると、クリフはキルナの方を振り向き、彼女に言った。

「じゃ、キルナ、ラーシェルが午後は休むってサイモンに言っておいてくれ。ちょっと時間がかかるかもしれないからな」

「え? でも・・・」

 何かを言い返そうとする彼女の言葉を、クリフは制する。

「大丈夫だって。文句なら後から言いに来いって伝えてくれれば、納得するだろうから」

 そんな訳の解らないことをキルナに言いながら、クリフはアーバンに言付けを頼むと、そのままラーシェルを連れていった。

 クリフが去った後に、キルナはぽつりと呟いた。

「お父さんが何だか大事な用があるって言ってたんだけどなぁ」

***

 二人がいる場所は、クリフに与えられた教員部屋である。クリフの教員部屋ははっきり言って狭い。

 だがそれも当然だろう。元々は余ったスペースに作られた、ちょっとした物置だったところを、クリフの要望で彼の部屋にしたてたのだ。広い部屋は落ち着かないというのがその理由らしい。

 しかしそれでもそれほどその狭さが苦にはならないのは、部屋の中にものがほとんどないためだ。

 少し大きめのベッド、木製の机とタンス、そして接客用のテーブルと椅子位しか、物らしい物が置いていないのだ。後は机に数冊の本と、学内通信用の魔導器サテライトが置いてあるだけである。

「殺風景な部屋ですね」

 初めてはいるクリフの部屋に、ラーシェルは意外そうな表情を浮かべる。彼の予測だと、何故かクリフの部屋には物が散乱していると思っていたのだ。

「そうか?」

 クリフは何気なくそう返答すると、先程部屋に来る前にミーシアから借りてきた紅茶セット一式で紅茶を入れてくれた。

「じゃあ、早速始めるか」

 そう言うと、クリフはラーシェルに椅子を勧め、自分もその対面の席に腰を掛けた。

「で、何をするんです?」

 ラーシェルはいれられた紅茶を飲みながら、クリフにそう尋ねた。その刹那、ラーシェルの身体にしびれが走る。

「な・・・」

 突然自分の体に起こった出来事に、ラーシェルは戸惑いを覚える。だが彼の頭は、そんな状況であるにもかかわらず、今の自分に起こっている状況と、その原因に対して答えを捜し始めた。

 答えはすぐに求められた。というよりも困惑する頭ではそれしか思いつかなかったと言った方が正しいだろう。

「な、にを、盛ったんだっ」

 考えられるのは、紅茶に何か盛られたということだ。徐々に広がっていくしびれのために途切れ土切れではあるが、ラーシェルはそう呻いた。

「なに、ちょっとしたしびれ薬だよ。しばらくしびれるだけで、身体には後遺症は残らない」

 悪ぶれた様子もなく、そう言葉を返すクリフに、ラーシェルは強い憤りを覚えた。そしてその怒りを言葉として吐こうとするが、それは突然変わったクリフの表情に中断させられる。

 クリフの顔に笑みはなかった。まるで感情がないかのような表情・・・。一瞬、その表情が昔のアーバンにだぶる。だが明らかにあの頃のアーバンと違う点が一つだけあった。

 それは瞳だった。色がどうというわけではない。まるで、全てを吸い込むかのような漆黒の瞳。だがそれには確かに強い意志が込められていた。

「俺の瞳は、お前の精神を捕らえた。そしてお前は深い眠りに落ちる」

 その言葉に誘われるかのように、激しい睡魔がラーシェルを襲う。そしてその睡魔の中で、彼はクリフの言葉の続きを朧気に聞いていた。

「さぁ、自分自身で捜してこい。お前が望むものを・・・」

 クリフの言葉が終わるのと、ラーシェルの意識が途絶えるのは、ほぼ同じだった。そしてクリフは崩れていく少年の姿を見ていた。ただ静かに。





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