魔 導 学 院 物 語

−遠き日の約束−
第四章 見守る者達



 ラーシェルは夢を見る。自分が幼かった頃の夢を。


 彼は自分が育った孤児院が嫌いだった。世界が目まぐるしく動いているのに、それを見ようともしないあの空間が嫌いだった。

 今思うと、怖かったのだろう。ラーシェル達を育ててくれた人たちは皆、龍帝の反乱のという地獄の中を生きた人たちだ。人を信じられなくなり、信じられる物だけを集めた小さな空間・・・。それにすがりたかったのだろう。

 だがラーシェルは違った。真実から目を背ける大人達とも、飴を嘗めさせられ、大人達の言葉に従順に従う子供達とも彼は違っていたのだ。

 ラーシェルは、とにかく自分の目で様々な物を見たかった。世界に傷つけられるよりも、世界の外に埋まっていく自分が許せなかったのだ。

 そんな彼は、小さな閉ざされた空間では異端児だった。そして、彼はそんな中で上手く生きれるほど器用ではなかったのである。

 だが、もう一人、彼とは違った意味で異端だった人間がいた。

『お前は、他の連中とは違うのだな・・・』

 それが、自分と大して年の違わない『彼』との最初の会話だった。

『当たり前だっ、あんな連中と、一緒にするなよっ!』

 ラーシェルは、確かそう返したはずだ。躾という名の体罰に、腫らした顔の痛みに耐えながら・・・。

『そう、だな』

 不意に返された『彼』の言葉に、ラーシェルは驚いたのを覚えている。『彼』小さく、優しげな笑みを浮かべながら、彼は微笑していた。初めて、自分を認められたような気がした。

 その時から、ラーシェルと『彼』は親友になったのだ。

***

 魔導学院第二研究所。そこは2年前に、若い世代の人間を集めて編成された魔導器研究所だ。

 所長は、では学院最年少の第一級魔導師フォールス=ウィレムスだ。彼はまだ二十歳という若輩の身であるが、師ガルシア=バーグから、知識を受け継ぎ、魔導の技法を学んだ男なのである。

 それ故に魔導の技法について、彼とまともに話せる人間は、ほんの僅かしかいない。特に魔導器学という、魔導器製造についての学問になると、5名いるかどうかである。そしてその中の一人に、運だけの男クリフォード=エーヴンリュムスも含まれていた。

「サテライトの量産の目処がついたんだって?」

 クリフは椅子に腰掛けながら、対面に座っているフォールスに、面倒くさそうにそう尋ねた。

 サテライトとは、学院で量産されているプラネットという魔導器の、補佐的な役割をするために作られた魔導器である。

 それについての量産型試作品は、クリフはアーシアとの三度目試合で目にしていた。それは彼が思っていたよりも、かなりの優れものだった。アーシアとの三度目の試合、クリフが負けたのだが、アーシアが勝った要素の中に、それも含まれていたのだ。

「ええ。何とか、という感じですがね」

「わずか一年でプロトタイプを製造し、量産の目処をたてる。十分じゃないか?」

「確かに、そうですね」

 口とは逆に、フォールスにはそれほど満足している様子はなかった。それを見て、クリフはふぅっと小さくため息をつく。

「まぁ、とにかくしばらくよろしく頼むよ」

「いえ、こちらこそよろしく御願いします。それと、ラーシェルのこと、ありがとうございました」

「ん?」

 彼の台詞の意図が一瞬理解できなかったのだろう。クリフは疑問の声があげる。だがすぐに気付いたらしく、クリフは言葉を返した。

「ああ、監察官のことか。別に感謝されるようなことでもないだろ? 仕事だからな」

 素っ気なくクリフがそう言うと、フォールスは小さく首を横に振る。

「いえ、会議でのことです。先生がかばって下さらなかったら、ラーシェルは解雇になっていたでしょうから・・・」

「そうでもないだろ?」

 だがクリフはもう一度そう返す。

「まず俺が口ださなかったら、クレノフが止めに入ってただろうしな。それに、もしあそこで解雇処分が下ったとしても、ベルーナや元学院長が動くさ。ガルシア=バーグの教え子をむざむざ手放すことはないだろう、ってな」

「確かに師父の生徒という語句を出せば、ほとんどの連中が黙るでしょうね」

「ま、そんなわけだ。あんまり気にされると、こっちが息苦しくなる」

「了解しました」

 そう言ってフォールスは軽く笑みを浮かべる。

「ま、そーいうわけで、本題にはいるか」

「そうですね」

 フォールスの笑みは、突然それまでとは異質の物に変わる。何やら怪しげな光を込めた、そんな笑みだ。本題、それは冷静沈着であるフォールスが、唯一心を熱くさせる物・・・。

 そして、二人は魔導アンティークという、フォールスの趣味の中へと埋もれていった。

***

『いつか、俺は世界に影響を持つ男になってみせる』

 それが『彼』の野心だった。「一介の孤児が・・・」と、誰もが馬鹿にするであろう、そんな戯言。

『例え、どんな犠牲を払ったとしても、俺にはやることがあるんだ』

 だがいつも『彼』はそう言っていた。例え、周りがどういう目で見ようとも、そして異端とされても、ずっと意志を貫き通した『彼』に、ラーシェルは憧れていたのだ。

『俺には、お前が必要だ。いつかお前をここから連れだしてやる。だから、俺の側にいろ』

 自分を認めてくれたその言葉が、嬉しかった。他の誰よりも、自分を選んでくれた。だから、ラーシェルは決めたのだ。『彼』が求める限り、自分は『彼』の側にいようと・・・。

 フォールス=ウィレムス、それが『彼』の名前だった。

***

「どーしたんです? そのお金」

 ミーシアは、机に並べてある赤珠国の紙幣を見ながら、きょとんとした様子で、後ろ姿のクリフにそう尋ねた。

 振り返って彼女を見ると、どことなく、その表情は残念そうにも見える。

「フォールスに魔導アンティークを売った」

 クリフが机の紙幣の方に目を移し、そう短く答えると、ミーシアは「むぅ」っと低く呻いた。そして今度は一変して、途端に目を輝かせながら、嬉しそうにこう言った。

「そんなことしなくても、私が養ってあげますのにぃ〜」

 その言葉にどっと疲れが噴き出すのを感じながら、クリフは「あのなぁ」と言葉を返し、続けて文句の言葉を吐こうと、顔をミーシアの方に向ける。だが、一瞬の間、彼の思考は停止した。

 そこには赤い、幻惑的な瞳で、自分を見つめている少女の顔があった。見つめられる度に、赤珠の民の赤い瞳に、引き込まれそうになる自分がいることに気付く。

「今朝は、邪魔が入っちゃいましたよね」

 ミーシアは、普段とは変わって、妖艶な瞳をしながら、甘い声で囁くように言った。

「ま、待て、仕事中は・・・」

 恋愛沙汰は持ち込まない。それがクリフとミーシアの間でかわされた約束だった。それを言うのに、何故かどもりながら、クリフは後ろに引こうとするが、机が邪魔をし、叶わなかった。

 一方クリフが混乱している間にも、ミーシアはじりじりとクリフに顔を近づけていく。

「今は、休暇中です。それに、今朝抱きしめてくれたのはクリフよ」

 そう言って、彼女はクリフの首に腕を絡ませた。

(そーだよな、別にもうミーシアも教師なんだし、別にやましいことはないよな)

 ようやく頭が回り始めたのか、誰に対してというわけでもないのだが、クリフは自分の行いを正当化した上で、ミーシアをゆっくりと抱き寄せる。

 そして二人が、今朝の続きを行うかのように唇をあわせようとしたとき、やはり邪魔者は現れたのだった。

「先生、失礼します」

 まるで今朝の再現を行うかのように、ドアはキィという高い音をたてて開いた。部屋に入ってきたのは、アーバンだったのだが、彼を迎えたのはクリフではなく、またもミーシアだった。

「ど、ど、ど、どーしたの? アーバンっ」

 今朝と同様、ミーシアは頬を赤く染めながら、言葉をどもらせ、応対をする。

「いえ、先生と休暇中の打ち合わせをしようと思ったんですが・・・。先生、何をやってるんです?」

 またも奇妙な形でひっくり返っているクリフを見ながら、アーバンもまた、今朝のクレノフと同様の反応を示す。

(こーいうのも、デジャヴっていうのかなぁ)

 などと、下らないことを考えながら、クリフはまたもこの言葉を呟いたのだった。

「もぉ、いいです・・・・・・」

 この後クリフがため息をついたのは、もはや言うまでもないだろう。

***

 狭い世界しか知らない自分に対し、フォールスは大きな世界を知っていた。そして大きな志を抱いていた。だが、彼と自分が違う資質を持っていることも理解していたのだ。だから、彼が選ばれたときにも、悔しくはあったが、それよりも嬉しいと思った。

 そう、フォールスは選ばれたのだ。ガルシア=バーグという英雄に、自分の後継者の一人として。

 そして、ラーシェルは無二の親友との別れを決意した。だが・・・。

***

 クリフは、アーバンとの打ち合わせを終え、夕食をとるために、再び南棟二階ラウンジに来ていた。ミーシアは学院長に呼ばれ、アーバンはまだフォールスとの話があるからと、一人で食事をとりに来たのだった。

 だがその代わり、と言う表現が正しいのかは解らないが、彼の前にはサイモンが座っていた。彼は、不機嫌そうな顔を浮かべながら、クリフに尋ねる。

「何故、俺がお前と一緒に食事をとらねばならんのだっ」

 その言葉に、クリフはすかさず言葉を返す。

「別に良いだろ? 付き合い悪いと友達無くすぞ」

「余計なお世話だっ!!」

「俺もそう思う」

「なら言うなぁっ!!」

 などと下らない話を続ける内に、サイモンもいい加減、言葉を返すのが無駄だと気付いたらしい。クリフを無視するように、黙々と食事を取り始めた。

 一方、クリフは軽めの食事であったことと、サイモンをからかっている間も食事をとっていたので、いつの間にか食事を食べ終えていた。

 そして食事を無言で食べているサイモンを見ながら、彼は一変して、静かに言った。

「別に、事を荒立てることはなかったんじゃないか?」

 その一言に、サイモンは動きを止める。

「俺が出しゃばったのは意外だったろうけど、ラーシェルがクビにならない事くらい解ってたんだろ? っていうか、それを前提とした上で、会議を起こしたんだろ?」

 サイモンはスプーンをテーブルに置くと、ゆっくりとクリフを見据えた。その視線を気にもせず、クリフは話を続ける。

「学院が特級魔導師ガルシアの後継者達を、みすみす手放すわけがない。お前はそれを知っていて、事を起こした。理由まで言うか?」

 クリフはその理由をサイモンの口から言わせたかったのだろう。口で勝てないことは、先程の馬鹿なやりとりでも明白だ。サイモンはクリフからゆっくりと口を開いた。

「あれ程の能力を持ちながら、その能力を無駄にしている奴が許せんのだよ」

 サイモンは何か思い詰めたような表情で、そう呟く。

「初め、奴が事務部に来たとき、すぐに恒星を動かせるようになったことに、嫉妬さえ覚えたよ。だが、それよりもその能力に敬意さえ抱いている自分がいた。それほどの力を持っていながら、下らない不祥事を起こすようだったから、少し痛い目を見せてやっただけだ。これで満足か?」

 ぶっきらぼうにそう言うと、サイモンは再び食事を口に運び始める。クリフはそれを見ながら微笑して言った。

「お前は遠回しにやりすぎるんだよ。別に敵意を持たせなくてもいいだろうに・・・」

「うるさい」

 そう言って、サイモンはじっとクリフを睨む。それを見て、クリフは「不器用だなぁ」と呟くと、更に可笑しそうに笑った。

「まぁ、とにかくだ。ラーシェルとはともかく、フォールスと敵対はするなよ。同じ様に、ラーシェルを見守っている人間同士なんだからな」

 クリフはそう言って、すっと立ち上がると、小さな笑みを浮かべて言葉を加えた。

「じゃ、支払いよろしくっ」

 そして、言い終わるよりも先に、クリフはその場から、物凄い速さで、立ち去っていった。

「ちょ、ちょっと待てっ」

 サイモンが慌ててクリフを追いかけようとするが、後ろから誰かに肩を叩かれ、思わず立ち止まる。見ると、そこには飲食店のバイトのウエイトレス――確かクリフ教室のサフィアだったとサイモンは記憶している――が立っていて、サイモンににっこりと営業スマイルを浮かべながら言った。

「お会計を御願いします」

 笑顔ながらも、どことなく威圧的なその表情に、サイモンは項垂れながら、それに従うしかなかった。

***

『あいつを連れていけないのであれば、俺は学院に行く気はありません』

 それは、フォールスとガルシアの会話だった。偶然、ラーシェルは二人の会話を立ち聞きしてしまったのだ。

『何故、そんなにもあの少年にこだわる。この話を受ければ、お前は望みに一歩近づけるのだぞ?』

 そのガルシアの疑問は、ラーシェルも気になっていたことだ。フォールスが、自分を必要とする理由が、ラーシェルには解らなかったからだ。

 もし義理や情けで、自分を連れていくと言っているのなら、ラーシェルはそのままその場に乗り込んで、フォールスを殴ってやるつもりだった。

 確かに孤児院は出たかった。だが、仮に義理だけと言っても、自分を認めてくれた男に、そんな見下されるような情けを掛けれられるのだけは、耐えられなかった。

 だが、フォールスの答えは違った。

『あいつは、ラーシェルは、自分の意志を貫く強さを持っている。俺がこれまでこの場所で自分の志を吐き続けていれたのも、あいつの強さに支えられたからです』

 ガルシアは、何も言い返すことはなく、フォールスの言葉を聞いていた。

『確かに、友人としてあいつをここから出したいという思いもあります。ですが、それよりも俺にはあいつの強さが必要なんです。あの国を、変えるために』

 フォールスの瞳には、強い意志が込められていた。その内容は、当時のラーシェルは知らなかった。だがそれよりも、彼が本当に自分を認めていてくれた事が、何よりも嬉しかった。涙が、止まらなかった。

 そして、フォールスは最後にこう付け加えた。

『それに、俺は親友一人の約束を守れない男が、あれ程の野望を叶えることが出来るとは思いません。例え叶えたとしても、それに意味があるとは思えないんです』

 フォールスの言い分を聞いた後、しばらくガルシアは黙っていたが、一つだけ意見を返した。

『お前が言う事の真偽については、私には解らんが、あの少年には私の教えに耐え得るだけの力があるとは思えない。お前は、彼を殺す気かね?』

 殺す、という言葉に、フォールスは思わず黙ってしまった。死という単語がでるとは思わなかったのである。友人の生死を賭けた選択を出来るほど、彼は傲慢ではなかった。結局、ついには、フォールスはそれを答えることが出来なかった。

 だが、答えられないフォールスの代わりに、それまで立ち聞きをしていたラーシェルが、突然ガルシアの前に飛び出した。

 フォールスは意外な展開に、目を丸くしていたが、ガルシアは動じた様子もなく、ラーシェルの瞳を見据える。そしてラーシェルも、その瞳をにらみ返すと、出来る限りの意志を込めて、彼に言ったのだ。

『俺はフォールスと約束したんだっ! こいつが野望を叶えるまで、側に俺がいるって! その約束を果たすためなら、どんな苦痛にも耐えてみせるっ。だから、俺も、連れていって下さいっ』

 ラーシェルの言葉を聞きながら、ガルシアは、一度だけゆっくりと目を閉じると、再び強い眼差しをラーシェルに向け、静かにこう言った。

『いいだろう』

 と。

 こうして、彼は魔導学院に来たのだった。

 だがそれは、ラーシェルの苦難の始まりでもあった。





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