−遠き日の約束−
第三章 仕事の始まり
学院の棟をつなぐ西南渡り廊下で、会話をしながら歩いている二人の男女がいた。男の方はクリフ、そしてもう一人は彼の教室のクラスリーダーである、アーバン=エーフィスだ。 彼女の髪はブロンドで、目は澄んだように青い。それは彼女が、元々この大陸の原住民であった法族ではなく、古くにレイクーン大陸から渡ってきた渡来の民・蒼族の血を引いていることを証明している。多くの法族が黒髪、黒瞳であるのに対し、彼らは金色の髪と青い瞳を持つからだ。 そして彼らは法族の同年代の人間よりも、いくらか大人びて見えることもあるので、男女共に、彼女に憧れる者は多い。 とはいっても、彼女は学院の書類上では男、ということになっているので、端から見れば、二人の男ということになるのだろう。 「それで、やはり引き受けるんですか?」 それはともかく、二人の話の内容は、ラーシェルの監察官と学院長の依頼についての話だった。 普段の彼ならば、それほど気にもとめない内容なのであるが、それがクリフの話であるとなれば話は別だ。彼のクリフに対する敬愛の念は、学院でも知らぬ者はないほど周知のことなのだ。 そしてそれには、自分の身にも、思わぬ厄災が降りかかるのを覚悟しておこうという意図もあった。 いくらクラスリーダーといっても、夏休暇中はその担当教師自体の任が解かれるということもあり、その責任から解放される。だがアーバンは、毎年学院に残り、クリフの手伝いをしていた。彼には身内がいないために帰るべき場所がないのだ。 更に付け加えれば、彼は自分の学費と生活費を稼ぐために、夏休暇でないときも、クリフや他の教員の手伝いをしている。騒動教室といわれるクリフ教室において、彼の受けが良いのはそのためだ。それはともかく、 「ああ。まぁ、な」 と、アーバンの問に、クリフはそう答えた。ついでに「仕方がないだろ」という言葉と、小さなため息を付け加えたが。 「半年以上も、給料無しではやっていけんし、それにうちの連中を日中相手にするよりは良さそうな気がする。」 クリフはクリームから届いた依頼書を見直しながらそう言った。依頼書には次のような事が書かれていた。 『拝啓クリフォード=エーヴンリュムス殿。貴殿に夏休暇中にやっておいて欲しいことをここに記載しておきます 1.夏休暇中の3日間の集中講義に講師として参加すること 2.総計48時間、フォールス研究所の助手を行うこと 3.恒星の動作チェックを行うこと 任務が無事終了した暁には前回あんたの生徒が起こした事件の分の減給はなしにしてあげるわよ』 それが依頼書の内容だ。書類の冒頭と文末で言葉遣いが変わっているのは気になるところだが、どれも彼の生徒を相手にするよりは楽そうな気がする。 講義は3日間であるし、フォールスは趣味に関する話さえしなければ、至ってまともな人間だ。恒星の動作チェックなどは根を入れれば12時間程度で終わる。その程度ならば、自分の教室の生徒を相手にするよりはましなはずだ。 そして何よりも大きいのが前回分の減俸がなくなるというものである。減俸さえどうにかなえば、クリフはそれほど贅沢をするタイプではないし、十分に半年程度ならまかなえると考えたのだ。 「それで、事務部には何をしに?」 一通り話を終え、アーバンが話題を変える。アーバンは先程事務部へ行こうとしていた最中に、クリフとばったり会ったのだ。彼はクリフが事務部に赴く理由を知らなかった。 「講義の内容を登録しに行く。集中講義のな」 「え?」 クリフの言葉が意外だったのか、彼にしては珍しく、驚きの声をあげる。 「何だ?」 アーバンの反応に、クリフは怪訝そうに呻く。 「内容、決まっていなかったんですか? 確かに講義の内容は書かれていませんでしたけど・・・」 「一体何を言っている?」 明らかに二人の会話は噛み合っていなかった。クリフは取りあえずアーバンの反応を待つ。 「夏休暇の集中講義のことですよね?」 「ああ」 「もしかして、それがクリーム様からの依頼なんですか?」 「ああ」 「しかしヒノクスが確かその講義選択していましたが?」 「・・・・・・、は?」 アーバンの言葉にクリフは間抜けな声をあげる。クリフが依頼書を受け取ったのは、つい先程のことだ。それを受けるかどうかという返事すらしていない。だがよくよく考えてみれば、夏休暇中に行われる集中講義の受講申請期間は、当然夏休暇前に行われるはずである。 それに、夏休暇前と言えば恒星が壊れる前だ。それらから導き出される答えは・・・。 (あの女狐・・・、俺が借金作らなくても、講義をやらせる気だったな・・・) クリフはそう思いながら、わなわなと手を振るわせる。しかも夏休暇の集中講義は進級にすら関わる物なので、もしクリフが断れば、その講義を履修した生徒におもむろに反感をかうことになる。つまり、断ることは半ば不可能だと言うことだ。 だが考えようによっては、どうやっても引き受ける羽目になる仕事であるのならば、借金の帳消しというおまけがついただけ、特をしたことになる。クリフはそう自分を納得させながらも、項垂れながら事務部へと歩き始めた。
学院事務部、学院南塔一階にあるそれは、学院の情報を統べる場所である。 最高責任者は第一級魔導師フェイン=フェスタという男だ。ディレファールの諜報部に所属していた魔術士で、学院の創立と同時に引き抜かれたのだ。そして、恒星の制御にも長け、それを扱う権限を持っているために、学院長であるベルーナ=ヴァルギリスと学院の情報を二分する男だとも言われていた。 とはいっても彼は結構多忙で、ここ3ヶ月間ほど学院内外を行ったり来たりしている。その間事務部を任せられたのが先日フォールスと衝突したサイモンだった。
中には鬱陶しいと罵る人間もいたが、少なくともクリフは彼のそんな律儀な性格に好感を抱いていた。 「よぉ、サイモン」 そんな感じでクリフはサイモンに馴れ馴れしく話しかける。サイモンは一瞬クリフの方をちらりと見たが、あまり興味がないように顔を背けた。 「おいおい、無視することはないだろう。第一、俺は仕事の話をしに来たんだぞ」 相変わらずのサイモンの態度に、クリフは顔をしかめる。彼がこういった態度をとるのは別にクリフに限ったことではない。それが彼の悪評の原因なのであるが、人に色々と仕事を押しつける連中に比べれば可愛いものである。 彼はあまり態度を変えず、すっと一枚の紙を差し出した。その紙には講義概要報告書と書いてある。つまりこの紙に何をするのかを書くのだろう。講義などしたことのないクリフにとって初めて見る代物である。 「面倒くさいな、内容はその場の雰囲気に任せることにするよ。取りあえず掲示板には適当とで書いておいてくれ」 クリフはひどくかったるそうにそう言った。大体、受けに来る連中も、講師が自分だと解っているのなら、まともな講義だとは思ってはいまい。そう思ったのだ。 だがクリフはふいにサイモンが俯きながら肩を振るわせていることに気付く。 「どうしたサイモン?」 声を掛けると、彼は「ふ、ふ」と笑い声にも似た、おかしな声をあげていた。 「ふ?」 クリフが不思議そうに近寄ると同時にサイモンは突然顔を上げ、クリフの胸ぐらを掴む。そして、 「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 サイモンが怒鳴った。土壇場の展開に慣れているクリフも、さすがに彼の突然の変貌には驚きを隠せなかった。 「な、なんだ、一体?」 「会議で少し見直してみればっ! 貴様はいつもいつもっ!!」 サイモンはさらに怒鳴り声を加えながら、クリフの身体を前後に激しく揺する。そしてその怒鳴り声にその場にいた連中は皆、窓口に注目した。サイモンが怒鳴り声をあげることは珍しいことではないが、ここまで猛烈な怒りを見せることは少なかった。 「大体、俺は貴様のそういう横着な性格が嫌いなんだっ! 見直して損したわっ!!」 「ちょっと待てい。見直したのはお前の勝手だろう。そんな事で怒鳴られるいわれはないぞっ」 「ぐっ」 クリフから返された正論に、サイモンが呻く。 一瞬、意外な出来事にひるみはしたが、場のやりとりにかけては、サイモンよりもクリフの方が上だ。 何しろこの魔導学院に来てから、まともな連中に加え、キワモノ連中とも熾烈な戦いを繰り広げてきているのだ。負けが多いとはいえ、踏んだ場数がサイモンとは訳が違う。 (ふっ、甘いぜサイモン。元学院長やその他諸々に鍛えられた俺をなめるなよっ!) そんな事を思いながら、クリフはにぃっと不敵な笑みを浮かべる。 だが、 「あーっ、やっぱりクリフ先生よっ」 不意に聞き慣れた声がクリフの背後から聞こえてきた。 (こ、この声はっ) クリフは額から汗が流れ出てくるのを感じた。クリフの耳がおかしくなければ、それは彼が苦手とする娘の一人の声だ。おそるおそる振り向くと、そこには思った通りの人物+おまけがいた。 「いくらサイモン先生が良く怒鳴るからって、あれだけの声を張り上げる相手といえばクリフ先生しかいないと思ったんですよ」 そこにいるのはアーシアとラーシェルだった。何やら喜々とした表情をしているアーシアに、どことなく呆れた表情を浮かべているラーシェル。ついこの間までは考えられなかった構図だ。 アーシアについては、ほんの一ヶ月ほど前までクリフを嫌っており、彼の前で微笑むなどと言うことは絶対と言っていいほど無かったし、ラーシェルにしても今回の事件がなければ、いつものように気楽に馬鹿をやっていただろう。 珍しい光景と言えば、珍しい光景だ。 だがそれはともかく、クリフがアーシアを苦手とし始めたのも、実は彼女がクリフに笑みを見せるようになったからだ。というよりも、にこやかに微笑む赤珠族の女性に、クリフは苦手意識を持っているのだ。笑っている彼女らの側にいると、いつも何か起こる。 「あ、アーシア。何でお前が?」 おそるおそるクリフがそう尋ねると、彼女はにっこりと、彼女の姉によく似た笑みを浮かべながら言葉を返した。 「上でラーシェルを慰めていたんです」 「慰めてた? いたぶってたの間違いだろ」 と、ラーシェルが言うが、次の瞬間ゴガッという鈍い音とともに、彼の言葉は阻止された。見ると、ラーシェルが後頭部を抱えながら、うずくまっている姿があった。もちろんアーシアの鉄拳が飛んだのだ。 「ってぇな! 何するんだよ」 「あんたはいつも余計なこと言い過ぎなのよ」 彼女は「当然でしょ」とばかりの表情でそう言うと、再びクリフの方に視線を戻した。 「ところで、先生こそどうしてここへ?」 そして「また始末書ですか」とにこやかな顔で付け加える。 「あのなぁ。まぁ、いいさ」 (どうせ何言っても無駄だろ)と心の中で付け加えて、クリフは二人に事情を話した。 「大体、俺はさっき引き受けたばかりなんだぞ、そんなに早く内容を決められるかよ」 「むぅ」 どうやらその話は初耳らしく、サイモンは低く唸る。サイモンは厳しくはあるが、無茶苦茶ではない。彼は「仕方あるまい」とひどく疲れた様子で言うと、クリフに一日だけ、猶予をくれた。 「だがっ、ちゃんと内容を書いてこい! でなければ認めんからな!」 「面倒くさいが、了解した。一応仕事だしな。」 というよりも、借金返済の目処を消すわけには、いかないのだ。ここで逆らうのはあまり得策ではない。とにかく、一段落着いたのだから、クリフはこれで良しとすることにした。 「まぁ、ここの用件はこれでお終いだな。ラーシェルの監察も明日からだし、次はフォールスの所だな」 「フォールスの所に行くんですか?」 そう意外そうに言ったのは、ラーシェルだった。クリフとフォールスの接点、それがラーシェルには浮かばなかったのである。 「ん? ああ。元学院長からの依頼で、研究所の手伝いをすることになったんだ」 「先生が、ですか?」 ラーシェルはあからさまに怪訝そうな表情を浮かべる。戦闘でいくらかの能力を持っていることは、アーシアを通じて知っているが、彼が魔導器の研究に精通しているという話は聞いたことがない。 「俺もそう思うんだけどなぁ。まぁ、役に立たなかったら、あいつと魔導アンティークの話でもしているさ。また新しいのが入ったんでな」 そう言ってクリフは苦笑する。冷静さが売りであるフォールスではあるが、こと魔導アンティークの話になると人が変わった用に多弁になるのだ。 (そういえば、学院でアンティークの話が出来る人間が少ないって、本気で残念そうな顔してたっけ・・・) 学院の中では、フォールスとの付き合いが最も長いラーシェルであるが、アンティークを語りだした時のフォールスには着いていくことが出来ないのだ。 (趣味の共通って大切だよな〜) と、自分でも訳の分からないことを思いながら、ラーシェルはクリフを見送った。そしてアーシアも、帰郷の為の準備にと、部屋に戻っていく。 場には、サイモンとラーシェルだけが取り残された。 「・・・・・・。残念でしたね。俺を追い出させなくて・・・」 人が周りにいないことを確かめて、ラーシェルが小さな声でそう言った。 「たかだか人より多少優れているだけで、いい気になっている人間の言いそうなことだ」 「なんだと」 サイモンの言葉がかんに障ったらしく、ラーシェルはサイモンを睨み付ける。 「図に乗るなということだ。貴様のお得意の恒星操作とて、ここに来た創師の足下にも及ばなかったではないか。井の中の蛙が鳴いても、ただやかましいだけだ」 ギリッとラーシェルは歯ぎしりをする。手のひらを強く握りしめ、その黒い双眸の視線はさらに険悪なものになる。だが、彼は耐えた。 (こんなところで、つまずくわけにはいかないんだっ!) そう自分の心に言い聞かせる。 (俺には、約束があるんだ。笑いたい奴には、笑わしてやればいい。だけど・・・) 「いつかあんたを見返してやるよ」 ラーシェルはそう言い捨てると、きびすを返し、自分の部屋へと戻っていった。 サイモンは、彼がいなくなったのを確かめると、小さく呟いた。 「初めからその眼を見せていれば、余計な手間はかけなくて済んだのだ」 そして、サイモンもゆっくりと事務部へと戻っていった。
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