魔 導 学 院 物 語

−遠き日の約束−
第二章 狭い世界



 基本的にエクセリオン大陸全土には四季がある。極寒の地という寒冷の地や灼熱の地という熱砂の地など、一部の特殊な地域を除けば、それらは同じ時期に大体同じ季節を迎える。

 大陸は今、夏だった。燦々と照りつける太陽、そして青々と生い茂る草花、そんな風景が見られる頃、魔導学院の夏休暇は中盤を迎える。

 夏休暇は元々、虎国出身者を主とする渡来の民のためにもうけられたものだった。夏には彼らの種族的祭事である鋼皇祭が開かれるためだ。そのために渡来の民、蒼族のほとんどはその日に合わせて帰郷する。そして多くの生徒もまた彼らにあわせるかのように帰郷し始めるのだ。

 しかし中には学院に残る者もいる。学業に専念する者、友人と学院で夏を過ごす者、そして帰るべき場所が無い者・・・・。その内容は様々だ。そしてそんな彼らのために学院は休日中も運営しているのである。



 彼は孤児だった。世界全体を揺るがすような戦いはそうそうあったわけではない。だがそれでも各地域では小さな内戦のような物が絶えないでいる。ラーシェルはそんな国の一つで生まれ、親を失った。

 長い間、混沌とした街で暮らしていた彼であったが、孤児院の生活自体は彼にとって、さほど居心地の悪い物ではなかった。だがその閉ざされた小さな世界の中での、小さな価値観は好奇心が旺盛だった彼には耐え難い苦痛であったのだ。

 ラーシェルは何度もそこを出ることを試みた。だがその度に彼は捕まり、自分の無力さを呪った。

 だが彼はその閉ざされた空間から抜け出すきっかけを得ることになる。魔導学院、それが彼を救い出すきっかけとなった機関の名だった。

***

 魔導学院南棟二階ラウンジ、そこは生徒達の憩いの場である。南棟自身がそもそも接客用に作られた場所であるために、他の場所よりも装飾が華やかになっているのだ。

 そんな場所を流行にめざとい若者達が見逃すはずもなく、学院教師と生徒との長い交渉の末に、接客用であった二階ラウンジは開放されたのである。

 それにはちょっとした教師と生徒の熾烈な戦いがあったのだが、それはともかく、いつもならば大勢の学生で賑わうラウンジも、夏休暇の、しかも鋼皇祭の前後となると、その数もまばらになってくる。今日などは二人しか人がいないくらいだ。普段からは考えられないほど珍しい光景である。

 だが物珍しいという点では、その場にいる二人も負けてはいないだろう。短めの黒髪に、まるで宝石のような瞳をした少女。そしてもう一人は栗毛の、さほど際だった特徴のない少年だった。

 そう・・・、少年と表現するのが適切だろう。彼はもう青年と呼ばれてもおかしくない年頃ではある。だが彼のあどけなさを残すその表情は、同じ歳であるはずの、目の前の少女よりも幼い。

 同年代の女の子よりも男の子の方が幼く見えるという俗説を、まるで明確に表しているようにも思える光景である。

 だが精神的な幼さから言えば、残念なことではあるが、二人とも同レベルであることには違いないだろう。

「結局、恒星を私的な事に使ったのがばれて謹慎受けたわけ? ばっかね〜」

 ひどくおかしそうに、少女はテーブルの対面に座っている少年の失敗談を肴をにして、彼を笑い飛ばしていた。

 彼女は、この魔導学院の現生徒の中では、トップクラスの実力を持つと言われているアーシア=サハリンだった。彼女はにたにたといやらしい笑みを浮かべている。

「うるせぇ」

 そんな彼女に対し、少年はふてくされながら、呻くようにそう呟いた。約10分ほど延々と馬鹿にされ続けていることを考えれば、当然と言えば当然だ。

 少年の名はラーシェル=ホフマン、アーシアの元クラスメートである。過去形になるのは、彼は今は学院を卒業し、学院の事務部に務めているからだ。もっとも、今は謹慎を受けているところではあるが・・・。

 それはともかく、この二人がよく言い争いをしているのは学院では周知のことだった。というよりも気の短いアーシアが、よくラーシェルにからかわれていたのだ。

「ま、あんたのことだから、間抜けなミスでもしたんでしょ」

 アーシアはふっと小さく鼻で笑うと、皮肉を込めた一言を彼に投げかける。今まで受けた嫌味を、ここで一気に返そうというのが、彼女の目的だった。もちろんラーシェルにもそれは解っているので、彼にとっては尚更面白くない話なのだ。

「う、うるせぇな! 大体、恒星がぶっ壊れなきゃばれることなんてなかったんだよ」

 ラーシェルは何とか話題を変えるべく、苦し紛れにそう言葉を返した。すると、アーシアも上手くその話に興味を引かれたようで、食らいついてくる。

「何? それどういうこと?」

 彼女は不思議そうな表情をしながらも、ひどく目を輝かせながらラーシェルの顔を見つめる。実際の所、彼が学院で最も恒星を上手く扱えるのは、周知のことだ。そしてその能力については元クラスメートであるアーシアも良く知っている。

(このまま馬鹿にするのも面白いけど、何でばれたのか理由を知るのも、結構面白そうよね)

 というのがアーシアの目論見だった。

 一方ラーシェルはというと、ひどく魅惑的な彼女の瞳に見つめられ、多少頬を赤めていた。一言で言えば彼女は美形である。見慣れていると言っても、こうもじっと見つめられると照れるなという方が無理な注文だろう。

 ラーシェルはしどろもどろになりながら、彼女の問に答える。

「あ、いや、恒星には閲覧した情報や更新情報を記録しておく記録表みたいなのがあるんだよ」

「それを見られてばれた、と」

 そんなことか、といった感じでアーシアはつまらなそうにラーシェルの話に水をさす。するとラーシェルは首を振りながら言葉を返した。

「冗談! そんな間抜けな真似するかよ。ちゃんとそんな情報書き換えておいたさ」

「じゃあ何で?」

「・・・・・・」

 アーシアの問に、ラーシェルは言葉を濁らせる。だがアーシアの好奇の瞳に押し切られるように、彼は諦めた様子で言葉を続けた。

「恒星の記憶領域の深層に、全ての更新記録を管理する精霊が仕込んであったらしい」

「は?」

 恒星のシステムについてはアーシアはあまり知識を持っていない。意味の分からないラーシェルの言葉に、アーシアは間抜けな声をあげた。

「だぁかぁらぁ、恒星の記憶領域を司る精霊が俺の情報の書き換えすら記憶してたってことだよ!!」

 失敗を何度も言うのに、彼なりに羞恥があったのだろう。ラーシェルは怒鳴りながらそう答える。アーシアはそれでも意味が分からず、きょとんとした表情で、自分の知っている恒星の情報をまとめてみる。

 恒星、フィックストスターは学院の情報を統べる精霊器、すなわち精霊によって構成された魔導器だ。とある創師と、機国帰りの魔導師によって作られた魔導器であり、製造されて約二年ほどたっている今でも、それをまともに扱える人間は学院にもいない。

 確か恒星を構成している精霊は数種いると聞いている。実際にどれだけの数の精霊で構成されているのかは知らないが、結構多くの精霊によって構成されているはずだ。ラーシェルの言う記憶領域さえも、数種の精霊に構成されているのだ。それをたった二人で作り上げたというのだから、恒星を作った二人は化け物なのだろう。

 そんな話のずれた、どうでもいい話はおいておいて、結局はラーシェルの言う言葉が一番分かり易い言葉のようにアーシアは思う。精霊という監視に、彼が引っかかったということなのだろう。

 アーシアがそんなことを考えている間にも、ラーシェルの言葉は留まることなく続いた。

「だけどそんなもん、学院の連中にも見ることはできなかったんだよ。それが修理に来たあの創師が難なく見つけちまったんだ」

 つまりは先日来た創師さえこなければ、発見されることはなかった、と言いたいのだろう。だが・・・

「けど、それって結局はあんたが、その創師に恒星の制御で負けたって事でしょ?」

 何気ないアーシアのその一言に、ラーシェルの顔は怒りと羞恥のために赤く染まる。

「う、うるせぇんだよ!! それはあの女創師が化け物だったってだけだろ!! それに、俺だって恒星をいじって怒られないんなら、もっと・・・」

 「上手く使いこなせた」と続くであろう彼の言葉を、アーシアは右手を差し出し遮る。

「でも大体、深層の情報の閲覧ってやっちゃいけないんでしょ? 謹慎程度でよかったじゃない」

 さすがにこれ以上興奮させると、面倒になると思ったのだろう。アーシアは取りあえず無難な話題に話を切り替える。だが興奮が収まらないラーシェルは、未だ怒鳴りながら言葉を返した。

「冗談じゃない! 謹慎だけじゃない。保護監察!! しかも監察官はクリフ先生だぜ。何が悲しくてあの人に監視されてなきゃならないんだよっ!!」

 別にラーシェルはクリフが嫌いなわけではないが、どちらかといえばクリフは監察官というよりも、監察される側の方が似合っている。そんなクリフに監察されるというのが、ラーシェルには耐えられなかったのだろう。

 しかし彼の興奮はアーシアの一言によって一気に冷めさせられる。

「じゃあリグール副事務長の方が良かったわけ?」

「ぐっ・・・」

 リグール、その名にラーシェルは口をつぐむ。サイモン=リグール、彼はラーシェルにとって天敵だった。相手が自分のことを気に入っていないのも知っていたし、ラーシェル自身口うるさいサイモンの事が嫌いだった。そんな人間が監察官になったのではたまったものではない。

「・・・クリフ先生で良かった・・・です」

 顔を青くしながら呻くようにそう言ったラーシェルを、アーシアはひどく可笑しそうに笑った。

 一方そんな無邪気なアーシアの笑い顔を見たラーシェルは、思わず顔を赤らめる。

 先程も言ったようにアーシアは美形である。まだ面立ちに幼さを残すとは言え、顔立ちがよく似ている彼女の姉を見れば、彼女もまた美人になることは間違いないだろう。

 だが顔を紅潮させた理由は先程とは違った。力と自信がなかった自分に対し、彼女は力と自信を持っていた。その溢れんばかりの彼女の自信に憧れていた自分を、彼は不意に思い出したのだ。

「どしたの?」

 突然黙ってしまったラーシェルに、彼女は顔を近づけそう尋ねた。突然彼女の顔が接近したことにより、にラーシェルの顔はさらに赤く紅潮する。彼はとにかく平静を取り戻そうと慌てながら話題を変えた。

「な、なんでもない。そ、そういえばお前、実家に帰るんだって?」

 ラーシェルが動揺した様子でそう言うと、アーシアは何を今更という様な表情で答えた。

「私、長期休暇の度に帰ってるでしょ? もっともディレファール出身だから帰るって言ってもそう遠くないけど・・・。第一、帰らないと御母様がうるさいのよ」

「確かに・・・」

 納得するようにラーシェルは頷いた。一度ラーシェルはアーシアの母親に会ったことがある。一言で言うと凄い人、だ。

「帰らないと泣くのよ御母様。小さな子供みたいに・・・。あんたも見たでしょ、3年前の夏休暇にここで大泣きしたの」

「ああ。あれは凄かったな」

 以前のことを思い出し、ラーシェルは苦笑した。確かあの時は、帰省しないと言ったアーシアに、彼女の母レーミアが大泣きをしたのだ。周りは大勢の生徒がいて、慌てながら母親を宥めるアーシアが妙に可笑しかったのをラーシェルは覚えている。

「笑い事じゃないわよ。しかも天然だから手がつけれられないんだから」

「ああ、わかったわかった」

 必至にそう訴えるアーシアを、ラーシェルは苦笑しながら宥める。こういう時の彼女には逆らわない方がいいと言うことを、彼は長い付き合いの中で悟っていた。

 本人にとってはよほど深刻な問題なのだろう。アーシアは数分ほど深呼吸を続けて、ようやく落ち着きを取り戻した。

「まぁいいわ。で、あんたはどうするの?」

「ん?」

「今年も帰らないの? 孤児院。フォールスは帰っているんでしょ?」

「ああ・・・」

 何気ないアーシアのその一言に、ラーシェルは顔を強ばらせる。ヴォレイス孤児院、そこは彼が少年時代を過ごしたところだ。戦後、飽和的に需要が膨れ上がり、多くの孤児院が慈善ではなく、義務と化してしまったその当時においては、他の孤児院よりかは幾分かはましな場所だったとラーシェルは思う。

 実際、仲間と呼べる連中もそこにはいたし、自分の面倒を見てくれた人々に対しても、それほど不満はなかった。他の孤児院で育った人間が聞けば、そこは楽園だったのかも知れない。だが・・・、

「フォールスは律儀な性格だから帰ってるみたいだけど、俺はごめんだね」

 そう言ってラーシェルはアーシアから顔を背けた。彼自身、別に孤児院育ちということを重荷に思っているわけではない。

 それには大陸では孤児という存在が、それほど賤しい身分として受け取られないという理由もあるのだが、それはともかく、ラーシェルが表情を濁した理由は他の所にあった。

(狭いんだよ。あそこは)

 ラーシェルはそう心の中で毒づいた。当然ではあるが、敷地が狭いと言っているわけではない。そこにいる者が感じている世界、価値観、そんなものが狭いことを、彼はずっと感じ続けていた。

 決して自分が広い世界や価値観を持った人間であるとは言わないが、それを求めようとする心にだけは自信があった。それを持つラーシェルには、その閉鎖的な空間は、ひどく居心地の悪い物だったのである。

「ふーん。良く解らないけど、別に良いわ」

(だったら聞くなよ)

 と心の中で呟くが、ラーシェルはそれを口に出すことは止めた。どうせ余計な事を口にすれば、まだ恒星の事件の話が有効である今、劣性なのは自分であるのは明白だからだ。

「ま、取りあえず頑張ってよ。あんたがクリフ先生とどんな馬鹿やるか見れないのは残念だけど」

 からかうのにも飽きたのだろう。会話も一段落着いたところで、アーシアは椅子から立ち上がる。

「勝手に決めつけんなよ」

 愚痴るようにすかさずラーシェルが突っ込むが、アーシアは笑いながらその突っ込みをかわし、言葉を続ける。

「あははっ。無理無理、関わっちゃったんだから。もうあんたも逃げられないわよ」

 恐らく騒動教室の異名をとるクリフの教室に関わった者は須く『壊れる』という、ある種の噂のことを言っているのだろう。解るようで解らないようなその台詞を聞きながら、ラーシェルは小さくため息をついた。そして

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 というラーシェルにとって聞き慣れた叫び声が聞こえてきたのは、それとほぼ同時であった。

 突然の叫び声にラーシェルとアーシアは、意味が解らず、きょとんとした表情でお互いの顔を見合わせた。その光景は、おそらく端から見た限りではかなり間抜けなものだっただろう。

 そして二人の表情はすぐにそれぞれ異なる様子で変化する。好奇の表情を浮かべるアーシア、そして嫌な予感を覚え、顔をしかめるラーシェルにである。

 何故なら、その声はラーシェルが最も嫌う男の一人である、自分の上司の声であったからだ。そして、その彼をここまで怒らせることができる人間も、学院の中では極限られているだろう。

 恐らくアーシアの期待が当たっている事を予測しつつ、彼は深く長いため息をついたのは言うに難くなかった。

(幸先がわりぃなぁ)

 と心の中で呻くラーシェルを余所に、アーシアは声が聞こえた下の階へと急いで降りていった。





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