魔 導 学 院 物 語

−遠き日の約束−
第一章 仕事の依頼



「う〜む・・・。」

 クリフは椅子に座り、机の上に置かれた皮の袋を眺めがら唸っていた。彼の目の前にあるその袋は彼の財布である。

 その袋の中には金貨が数枚入っていた。贅沢さえしなければ当分は過ごせる金額だ。とはいってもエクセリオン大陸では金の価値はそれほど高くはない。しかしそれでも普通に収益のある者ならば十分な金額なのであるが、それがないクリフには深刻な問題であった。

「先生、そんなに見ててもお金は増えませんよ」

 不意にクリフの耳に若い女の声が聞こえてくる。視線を机から少し上にあげると、そこには一人の髪の長い女性が立っていた。艶やかな黒髪、整った顔立ち、間違いなく美人の部類に入るだろう。そして何よりもその赤い瞳は、まるで魂を奪うかのような幻惑的な美しさを持っている。その瞳は彼女ら赤珠族の特徴だ。

 クリフは、嬉しそうに微笑みながら自分の様子を眺めている彼女の顔を見ると、少しすねたような様子で言った。

「うるさいミーシア。別に増えると思って見ているわけじゃない。この金でどうやって半年過ごすか考えているんだ」

 そう、彼はここにある数枚の金貨だけで約半年を過ごさなければならなかった。彼には収益がないためだ。確かにかなりの額ではあるが、半年以上を過ごすとなると、確実に足りない。

 彼は魔導学院の教師である。第一級魔導師という肩書きがあるために当然給金も高い。だがそれにも関わらず彼には収入がなかったのだ。その原因は先月の頭に起こったある事件だった。

 彼の教室、クリフ教室は騒動が多いことでも有名な教室だった。実際あの事件が起こる前も彼の教室は度々事件を起こしていたのだ。そしてその事件が起こる度に彼の給金は少しずつ減っていっていた。

 それでも彼の第一級魔導師としての給金を考えれば、それを差し引いたとしても一、二年は楽に暮らせるだけの年給は得ることが出来たはずだ。しかしあの事件はそれらを遙かに凌駕する被害を出したのだった。

 特に損害が大きかったのは恒星と呼ばれる大型魔導器の破損だ。恒星は魔導学院の情報を統べるものだ。事前に連絡があるならまだしも、突然一時的にでも機能が停止すればその損害は莫大な物になる。

 しかしそれよりも更に莫大な損害となったのはその修理費である。クリフの応急処理によって機能の一部は取り戻したものの、故障していることには代わりはない。恒星は精霊器と呼ばれる魔導器で、それを修復する技能を持った人間は少ない。そのために恒星を修復する人間を捜すだけでも非常に高い費用を要してしまったのだった。

 過去形になるのは、クリフが学院を出ていた間に、創師を呼んで修復をしたという話を聞いたためだ。

「やっぱりあれが痛かったよな・・・」

 クリフは疲れたようにはぁっとため息を付く。するとミーシアは相変わらずにこにこと微笑みながら、クリフの肩をぽんと叩き言った。

「だいじょうぶですよ先生っ。半年くらい私が養ってあげますっ」

 満面の笑み、そう表現するのが最も適切だろう。だが言われている言葉が情けなすぎる。

「なんか紐みたいで嫌だ。却下」

 過去に嫌な想い出があるのか、クリフはきっぱりとそう言った。

「え〜〜〜っ」

 彼女の笑顔は極端に崩れ落ちる。

(そこまで露骨に表情を変えなくても・・・)

 クリフはそう思ったが、あえてそれは言わなかった。言っても無駄だと考えたためだ。クリフは彼女を無視してもう一度生計を立て始める。

 何も言わないクリフに、ミーシアは瞬時に落ち込む。そして捨てられた子供のように、ひどく頼りない声で小さく呟いた。

「そんなに、私との事を知られるのは・・・、嫌?」

 彼女はじっとクリフの方を見る。目を見るとそれが潤んでいるのが解った。それはひどく頼りなげで、脆いものだった。

「別にそういう事じゃない。一部の者は気づいているだろうし、知られたからといってどういうものでもない」

 クリフは彼女から目を背けそう言った。赤珠族の瞳は心を引き寄せるような作用があるように思える。クリフが目を背けたのは相手のペースに引き込まれないようにするためでもあった。だが、それ以上に・・・。

「負い目を感じているの・・・。レイシャに・・・」

 彼女は静かにそう言った。同時にクリフは胸をえぐられるような感覚を味わう。彼女が言った事が的を射ていたからだ。

「・・・・・・っ」

 クリフは何も答えなかった。答えられなかったといった方が正しいかも知れない。彼はただ強く唇をかみしめる。

「ごめんなさい・・・・・・」

 その名がクリフにとっての禁句であることを彼女も知っていた。その言葉が彼の心を傷つけることも・・・。だが彼女は言葉を続けた。

「でも彼女だって貴方が幸せになることを望んでいるはずよ!! 私じゃ、貴方の心の穴を埋められないかも知れないけど・・・。自分勝手な言い分かも知れないけど・・・。私は・・・貴方の側にいたい・・・」

 彼女はそこで言葉を止め、そのまま項垂れる。クリフには彼女の気持ちが痛いほど分かっていた。彼女が自分を支えとしているように、自分も彼女を支えとしていたから・・・・。彼女が自分のために明るい自分を演じていることを知っていたから・・・・。

 だが言葉には出せなかった。出してしまうと自分が脆く崩れ去ってしまうような気がしていたからだ。クリフは自分が強い人間でないことを知っている。

 その代わりにクリフはミーシアの手を引き、彼女を強く抱きしめた。そして右手でまるで子供をあやすように、彼女の頭を撫でてやる。それが彼女を落ち着かせる方法だということも、彼は知っていた。

 静寂が辺りを包み込む。

 しばらくして、ミーシアは顔を上げクリフを見上げた。二人の視線が絡み合う。そして彼女は静かに目を閉じた。

 甘い雰囲気が辺りを包んだ。クリフもその雰囲気に身を委ね、彼女と唇を交わそうとする。だが・・・。

「クリフ、いるか?」

 突然、部屋のドアがキィっという嫌な音をたてて開く。そんなきしむ音がするのは生徒の一人であるヒノクスがドアを蹴り開くからなのだが、それはともかく、そう言って部屋の中に入って来たのは赤い法衣に身を包んだ男だった。

「ど、ど、ど、どーしたんですか? クレノフ先生っ」

 頬を赤く染め、さらにひどくどもりながら彼女は、魔導学院の副学院長である彼の名を呼んだ。

「ん? ちょっとクリフに用事があったんだが・・・、クリフ、何をやっているんだ?」

 クリフはミーシアから少し離れた位置で、崩れた本棚の下敷きになりながら、何故か逆さまの状態でクレノフを見ていた。不思議そうにその光景を見るクレノフに、クリフは疲れたような様子でこう言った。

「・・・・・・もぉいいです・・・・・・」

 と。そしてクリフはいつものように深いため息をついたのだった。

***

「で、俺に何の用なんだ?」

 クリフは少し機嫌が悪そうに、訪ねてきたクレノフにそう尋ねた。

「何を怒っているんだ? もしかしてお邪魔だったか?」

「そ、そ、そ、そんなことないですよ〜。ね、クリフ先生」

 ミーシアは慌てながらそれを否定する。あまり喜ばしくはないことではあるが、妙に話をこじらせても疲れるだけだと思ったクリフは、とりあえず相づちを打っておく。

 クレノフは一言「そうか」とだけ言うと、話を続けてきた。

「いやな、前のラーシェルの件なんだが、結局保護監察という結果になった」

「ほーっ。良かったじゃないか。ま、あれだけの能力の持ち主をみすみす捨てることはないわな。サイモンだってそれくらいのことは、本当は分かっていたはずだしな」

 それほど親しい仲ではないが、いつも自分の始末書を無言で受け取ってくれるのはそのサイモンである。相手がどう思っているかは知らないが、クリフは結構サイモンに好意を持っていた。

「そうだな。それで、保護監察の監察官には私はミーシアを推したんだ。バーグ教室で一緒だったしな。あ、ところで話は変わるが、今度購買部に新しい種類のパンを売り出そうと思っているんだが、お前はどう思う? それでな、その保護監察の監察官にお前が選ばれた。うん、いいパンらしいぞ。確か蒸しロールあんパンだったかな?」

「ちょーっと待て」

 クリフは早口で喋るクレノフの話を止める。

「その奇妙なパンのことも気になるんだが、それよりも何か途中で妙な話が入っていなかったか?」

「そ、そうだったか?」

 明らかに誤魔化しているクレノフを、クリフはじーっと睨む。

「お前、最近キャラが変わってきてないか?」

 クリフがそう言うと、クレノフは哀愁たっぷりの表情でこう答えた。

「これくらい壊れてないと、元学院長の相手なんぞできんさ・・・」

 クリフは彼の言っている意味が、非常に良く分かったが、それはともかく、やはり誤魔化されるのはあまりいただけない。

「で、ラーシェルの保護監察を誰がするって?」

「・・・・・・」

 クレノフはクリフから顔を逸らす。

「俺の聞き間違いじゃなければ、『お前が選ばれた』と聞こえたんだが・・・」

「・・・・・・」

 未だ沈黙のクレノフ・・・。

「おい」

 段々と重くなっていくクリフの声色に、クレノフはゆっくりと立ち上がると、その右腕を肘から直角に立て、ふっと小さく鼻で笑う。

「それじゃっ」

 そう言ってクレノフはその場から去ろうとする。が、それよりも先にクリフは彼の法衣の襟を掴んでいた。

「どーいうことか説明してもらおうか」

 クリフはにこにこしながら、彼にそう言った。しかしその額にはぴくぴくと血管が浮き出ているのをクレノフは見逃さなかった。

「りょ、了解」

 さすがに身の危険を感じたのか、クレノフはようやく観念して事の発端を話し始めた。

「実は昨日、もう一度会議を開いたんだ。前の会議の中で、バーグ教室にそれほど関わりのない教師を集めてな」

「それで?」

「俺とベルーナ以外の人間が、満場一致でお前を監察官に選んだんだ」

「は? 何で俺を?」

 間抜けな声をあげるクリフ。彼にはあまりにも意外なことであったのだろう。運だけの男と呼ばれている自分に対する嫌がらせかとも思ったくらいだ。だが、クレノフの解答はクリフが想像していたものとは大きく異なった。

「一昨日の発言で、皆がお前に注目している。ま、それはそうだろうな。運だけの男と言われている男があの場を鎮めたんだ。特にリグール教師なんかは強くお前を推していたよ」

 クレノフは少し嬉しそうにそう答えた。しかしクリフはあまり面白くない話だ。

「前から聞きたいと思っていたんだが、学院はどーして俺の意志を聞かないで、話を進めるんだ?」

 その問にはクレノフはすかさず答えた。

「そりゃあ、元学院長がいるからだろ」

「・・・成る程・・・」

 その言葉は他のどんな言葉よりも説得力のある言葉だった。魔導学院元学院長クリーム=ヴァルギリスを知る者であれば、皆がそれを納得するだろう。事実、現にクリフも納得させられてしまっている。

 しかしこの件に関しては、彼はまだ納得がいかなかった。

「だが、今回のことは元学院長は関わっていないだろう!」

 そのはずである。でなければクリフが帰ってきてから、一度も会わないなどということはない。彼女の趣味の一つにクリフをからかうというものがあるからだ。

「そう。だからお前に話しにくかったんじゃないか。はっはっはっ」

「笑いながら言うな!!」

 思わずクリフは怒鳴る。だが仕方がないとも思っていた。いくらクレノフや、学院長の権限が強いといっても、満場一致で出された意見を覆すことができるほど横暴な事が出来るわけではない。システム的には出来ないこともないが、多国籍の人間が集う魔導学院の場でそれをするわけにはいかないのだ。

「まぁ、決まったことは仕方がない。どうせ休暇で暇だったしな。それに下手に暇だとうちの連中に付き合わされる。休暇中くらいそんなのからは逃げたい」

 クリフは無理矢理自分にそう納得させ、その話を承諾した。とはいっても、彼が断らないことくらいは、クレノフも承知しているのだろう。クリフにとっては気にくわないことであるが。

「いやー助かる。それでな、こっちが元学院長からの依頼だ」

 瞬間、クリフの思考は止まる。

「なんですと?」

 クリフはそれだけを言うのがやっとだった。クレノフは当然だろと言わんばかりの表情で、その書類をクリフに渡す。

「いや、だってあれは学院からの仕事だろ? 元学院長は同盟の盟主だからな。多分そっち方面の仕事じゃないのか?」

 さすがにこの事態は想定していなかった。自分で元学院長は関わっていないと言っていたのにも関わらずだ。

「それでな、それに載っている仕事で、前回出したお前の減俸をチャラにするそうだ。ま、頑張ってくれ」

 クレノフは言うだけ言うと、その場から立ち上がり、帰り際に満面の微笑みをクリフに見せるとと、彼の部屋を出ていった。

 いつものクリフならば文句の一つや二つも言ったのであろうが、それを言う気力すら彼にはなかったのである。

 ミーシアの哀れみ眼差しを受けながら、彼は項垂れながら、ようやく一言だけ呟いた。

「・・・・・・もぉいいです・・・・・・。」

 そしてその一言の後、彼はその場にぱたりと倒れた。彼の思考能力は、既に考える事を拒絶したのであった。





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