−遠き日の約束−
序 章 自分で蒔いた種
いつものことであるが、彼は疑問に思っていた。それは別に特別なことではない。彼が疑問としていることも、彼が疑問と思っている姿もだ。 端から見れば、そうでないことなのかもしれないが、少なくとも彼はそれに慣れてしまっていた。だがそれを認めると、ひどく理不尽な気がしてしまうので、それを否定しているわけだ。 (何で俺がここいいるんだろうなぁ) 似合わない伊達眼鏡を掛けたその黒髪の男は、そう思いながらひどく面倒くさそうに、周りを見回した。 彼の名はクリフォード=エーヴンリュムス、魔導師の育成機関である魔導学院の教師であり、魔導同盟の第二位の階級である第一級魔導師でもある男だ。 クリフがいるのは第一会議室と名付けられた部屋だ。収容人数100人といったところであるその部屋には、約50名の人間が集まっていた。皆魔導学院教師連中である。 彼らは揃いも揃ってが厳しい表情をしていた。(一部にはそうでないものも点々とは存在しているが・・・) どう考えてもやる気のないクリフは場違いのように思える。だがそれでクリフが、自分がここにいる事を疑問視しているのかというとそうでもなく、彼が疑問に思っていることはまた別のことだった。何しろ場違いそうな人間なら、彼の横にも座っているのだ。 (俺はさっき帰ってきたばかりなんだけどなぁ) 彼が疑問に思っているのは今し方、会議の始まる直前に、約半月の旅から帰ってきたというのにも関わらず、会議に参加している事実だ。 彼は帰ってきたところに、偶然ばったりと学院の副学院長である彼の旧友と出会い、「あ、ちょうどいい。お前も出席してくれ」と言われ、訳も分からずこの場所にいるのである。 議題の内容も聞かされていないのであるから、当然やる気が起こるはずもなく(もっとも議題が明確に知らされていても、やる気が起こったかはそれこそ疑問であるが)、彼はぬぼーっとしていたのである。 だが本当に彼が疑問に思っているのは、場違いな場所にいることでもなく、疲れている自分がここに喚び出されたことでもない。その程度ならば日常茶飯事の事だ。問題はもっと別の所にある。 (世界でも大きな影響力を持つ組織の重要機関の会議が、こんな行き当たりばったりでいいのだろうか・・・) それが彼の疑問であった。 しかしクリフのそんな疑念を余所に、会議はクリフを取り残したまま、厳かな雰囲気の中で進められていっていた。 「それで、リグール教師。彼をどうしようと言うのだね」 静かにそう言ったのは紅蓮の法衣に身を包んだ男だった。灼熱の魔神、彼を形容するその名のイメージを表したような法衣を身に纏ったその男こそ、クリフの旧友である魔導学院副学院長クレノフ=エンディーノである。 「彼、ラーシェル=ホフマンは恒星を私的な事に使いすぎました。巧みに情報を隠蔽してあったので、今までは気づきませんでしたが、これは由々しき事態でしょう。私は彼を同盟の裁判にかけることを提案します」 話題の内容は。バーグ教室元生徒ラーシェルがフィックストスター、俗に恒星と呼ばれている魔導器を私的に利用していたことについてであった。 恒星は魔導学院の情報を統べる魔導器である。その魔導器に使われている技術は非常に高く、学院の教職の者でさえそれを完全に理解している者はおろか、まともに扱えている者はいない。事務部副長の教師サイモン=リグールにしても同様である。それがたった一人の、それもわずか17歳の少年が使いこなしていたのだ。サイモンにしてみればいい気はしないはずである。 「ですが、裁判にかける、というのは穏やかではないと思いますが・・・」 教師の一人が、少し長めの金色の髪をなびかせながら、すかさず立ち上がる。ラーシェル同様、バーグ教室の元生徒であったフォールス=ウィレムスだ。学院最年少の第一級魔導師、そして同時に学院第二魔導研究所の所長でもある。その能力が確かなものであるからこそ、一部の者には疎まれている男だ。 「恒星の価値を考えれば穏やかにならざる事くらいはわかるだろう。君はラーシェルとは同教室の人間だったな。私情を挟んでいるのではないのかね」 「私には私情を挟んでいるのがリグール教師のように見えますが」 フォールスとサイモンの間に火花が飛び散り、険悪な雰囲気が会議室の中に漂う。学院教師である彼らが、このような所で騒動を起こすことはないだろうが、後々までしこりを残すことになるのは誰の目から見ても明白だった。 しかしその雰囲気を一人の男がうち砕いた。 「どちらとも正論だな」 場に合わない、ひどく暢気そうな声でそう言ったのは、それまで頬杖をつきながら二人のやりとりを見ていたクリフだった。 「どういうことかね、エーヴンリュムス教師」 フォールスとの衝突に加え、半ば飛び入り参加のような形で会議に参加したクリフに、言葉を遮られた事が気に入らなかったのだろう。怒りが籠もった声でサイモンはクリフの名を呼ぶ。 しかしクリフはサイモンの怒りなど全く気にした様子もなく、淡々と言葉を続けた。 「確かに恒星は学院の貴重な財産だ。だがそれに対してはラーシェルも同様だって事だよサイモン。ラーシェルは特級魔導師ガルシア=バーグ、そしてクレノフ=エンディーノの教えを受けた人間だ。しかも恒星を学院で最も上手く扱える人間、それをむざむざ手放すことはあるまい」 「しかし!! 」 サイモンが何かを言おうとするが、クリフは右手をすっと差し出し、それを遮る。 「そう、しかしだ。彼が行ったこと、そしてその能力は非常にまずい。彼が恒星の中を検索できる技術を持っているということは、事実上学院の情報の大半が彼に委ねられると同じ事だからな。ん?」 まだ言うべき事は終わっていない。だがクリフはふと周りの雰囲気が異常であることに気づき言葉を止める。多くの人間が驚いたような目で自分を見ているのだ。 「何だ? 揃いも揃って変な顔しやがって」 「・・・お前、本当にクリフォードなのか?」 皆の疑問を代弁するかのように、クリフにそう尋ねてきたのはクリフの横に座っていた、実技担当の教師ガゼフ=ゼノグレスだった。 「どーいう意味だ・・・」 そう意外な言葉でもないが、はっきりと言われるのにはさすがに抵抗があるのか、クリフは重い声で彼に尋ねる。だが鈍感なガゼフはそれに気づいていない。 「いやお前、いつも面倒くさそうに寝てるじゃねぇか」 「お前の息子が騒動起こさなきゃもっと寝てられるんだがな」 クリフは言葉に力一杯皮肉を込め、そう返す。が、ガゼフは笑って難なくそれをかわす。というよりクリフの皮肉すら彼には通じていないのだ。 相手をしていても仕方がない。そう思ったクリフは少し苛立ちながらも話を続ける。 「えーっと。そうそう、情報が委ねられるだったな。確かにそれは危惧すべき事だ。だがそれは魔術と同じだとは思わないか? 使いこなせなければ反動が返ってくる反面、使いこなすことが出来れば強力な力になる。学院という術者のな」 辺りの雰囲気はいつの間にか真剣なものに変わっている。クリフは軽い口調で言っているが、それが重要な事であるのを皆が理解したているのだ。 「ま、意志がある分扱いづらいと言うのはある。が、それは周りの人間、つまり俺達が成長すればいい。もしくは本人を成長するようにサポートしてやるとかな。本来、俺達の仕事はそういうものだろう」 最後にクリフは「ま、騒動を起こしている教室の教師が言う言葉じゃないかもしれんがな」と付け加えた。 彼が言い終わると、何故かガゼフは真剣な表情でクリフの手を取る。そして彼は少し感動したようにクリフに言った。 「クリフ、良いこと言うじゃねぇか。お前、何か教師みたいだな」 何の悪気もない、ガゼフの正直なその言葉は瞬時にクリフの身体から力を奪った。クリフはうなだれながら、声を絞り出すように、小さくこう言った。 「・・・・・・もぉいいです・・・・・・」 と・・・。その時のクリフの声が非常に疲れた物であったのは言うまでもない。
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