魔 導 学 院 物 語
− 聖 王 の 刻 印 −

第七章 刻印解放




 白い大理石で作られた部屋の中には、光が溢れていた。輝いているのは、部屋の中央を包むように展開している、幾数十もの光の輪である。そしてその輪の中央には、巨大な白い水晶のような結晶と、二つの人影があった。

 一つは後ろ姿で良く判らないが、黒い法衣を纏った、初老を迎えたばかりであろう年頃の男、そしてもう一つは裸で宙に横たわっている少女の姿だった。

「チェリア! 」

 騒乱双児は同時に光の球の中で横たわっている少女の名を呼んだ。彼女は周りの光の帯、そして結晶と同様の光を放っていた。そして周りにある光の帯は、中央にあるその結晶から文字として生み出され、そして紡がれ、帯となっていた。

(良く解らないけど、止めなきゃいけない! )

 正直、その光景が何であるのか、二人には全く理解することは出来なかった。だが、心の中で何かが叫んでいたのだ。それを止めなければいけないと。

「我誘うは光の鼓動! 」

 そう叫んだのは、ヒノクスだった。思考が回るよりも早く、彼は魔術の術式を構想していた。感覚が、ひどく冴えていた。

 ヒノクスは速く、そして繊細に術式を編む。今までとは比べ物にならない程、その時はそれがスムーズに出来た。

「レイストライクっ!! 」

 刹那、ヒノクスの右手には目映いばかりの光の球が出現する。ヒノクスはその手を前に差し出すと、力を込めて、それをチェリアの前に立っている男に向かって放った。

 光球は、その軌道を蛇行させながら、帯に向かって突き進んでいく。だが、光球は、帯に触れる直前で弾けた。

「な! 」

 驚愕の表情でそれを見たのはヒノクスだけではなかった。横で次の魔術の術式を編んでいたテューズもまた、その異常な光景に思わず構成を止めてしまう。

「そうか、お前達がフォボスと戦ったという子供達か・・・。」

 チェリアの前に立っていた男は、魔術が弾けたことで二人に気付いたのか、二人の方を振り向く。目付きの悪い男・・・、それが騒乱双児のローグに対しての第一印象だった。

「てめぇが、ローグ=イレイドかよ。」

 目の前で起こった、異様な光景に戸惑いを感じながらも、怯むことなくヒノクスはその男にそう吐き捨てた。

 男は冷ややかな目で二人を一瞥する。

「どうやって入ってきたのかはしらんが、邪魔はしないでもらおう。」

 そしてローグは吐き捨てるように言葉を続けた。

「最も、如何に尋常でない力を持っていようと、この場に発生しているフィールドを破ることは出来ないとは思うがな。」

 そう言われ、二人は目の前で規則的に動いている、光の帯を見つめる。

 先程の魔術、決して加減をして放ったわけではない。それどころか、今までにないほどの力が出せたはずだ。

 それにも関わらず、ヒノクスの魔術はローグには届かなかった。ローグの言葉から察するに、おそらく場には強力な魔導障壁が生じているのだろう。

 魔導障壁は場に集結した精気によって生み出される防御障壁である。だがそれは普通薄い膜程度のもので、ここまで強力なものではない。おそらくは、目の前の文字の帯の能力だろう。

「これが刻印の力だよ。ランフォードの子供達よ。」

「!!! 」

 突然呼ばれた自分たちの姓に、二人は戸惑う。

 自分たちが装着している魔導器で、学院の人間だというのは解るかも知れない。だがランフォードに辿り着くというのは考えにくいことだ。

「どうして・・・。」

 その疑問を口に出したのはテューズだった。その問にローグはゆっくりと答える。

「ランフォードの事はある程度調べてある。もちろんお前達のこともだ。因果律、よく言ったものだ。」

 台詞の最後に、ローグは小さく笑う。そしてローグは再び、二人を冷たい目で、睨むように見る。

「もうじき儀式は終わる。そうもうじきだ。刻印はその姿をここに現す。」

「させるかよっ! 」

「だが、お前達の力ではフィールドは敗れまい? どうするね。」

 まるでこの状況を楽しむかのように、ローグはそう言った。実際楽しんでいるのだろう。今、自分が手にいれんとしている力に酔いしれながら・・・。

 そして光の帯は、突然その出現を停止する。同時に、あれほど強い光を放っていた結晶もその輝きを失う。それが始まりだった。

 文字が出現を止めた数瞬の後、チェリアの身体が急にその輝きを強め始めた。

「チェリア!! 」

 双子の姉弟は同時に彼女の名を呼ぶ。そして彼らの目の前でその変化は起こった。

 今までローグ達を取り囲んでいた光の帯が、まるで吸い込まれるかのようにチェリアの胸の中に入っていったのだ。

「うあぁぁぁぁっ。」

 そして同時にチェリアが苦しそうに呻き始める。まるでチェリアが壊れんばかりにだ。もはやそれは絶叫に近かった。

「野郎っ! 」

 その叫び声を聞き、テューズとヒノクスは考えるよりも先に動いていた。そして彼らは同時に魔術を構成し、同時に放とうとする。

 だがそれよりも先に、二人に向かって二発の光球が向かってきた。ローグが放った魔術だ。二人はとっさに魔術を放つ。構成が未完成で、不安定な魔術ではあったが、飛んできた魔術を迎撃するには十分だった。

 しかしあまりに近くでその魔術を迎撃したため、二人はその爆風をもろに浴びた。二人はその爆風によって壁まで弾かれ、叩きつけられる。

「不意打ち程度なら、獣の芽の効果だけでも十分というわけだな。」

 ローグはそう言って自分の手を見る。

 獣の芽、それはローグが死霊使いと呼ばれるアルスから受け取った人体を強化する薬だ。

 一応警戒のために配下の者でも試してみたが、特に副作用もなさそうだったのでローグも使用していたのだ。

(子供でもこれほどの能力か・・・。アングレイドの血統・・・、恐ろしいものだ。そして・・・)

「羨ましいものだ・・・。」

 そう呟き、ローグは見つめていた手を握りしめる。

(私にもこれほどの力があれば・・・。)

 彼の瞳には感情の炎が灯っていた。怒り、後悔、様々な物が入り乱れた想いが・・・。

「だが、私は力を手に入れるのだっ! それも並の力ではない! 人を越えるほどの力をだ!! 」

 意を決したように、彼はチェリアに向かって大きく両腕を広げ、そう叫んだ。凄まじい力の流動が風を生み、ローグの黒い法衣がばたばたと音を立てていた。

 だがその音はそれが嘘であったように、突然静まり返った。

 光の帯は全て場から消え失せる。チェリアの叫び声もいつの間にか止んでおり、身体もまた輝きを失っていた。

 騒乱双児は半ば朦朧としている意識をたてなおしながら、その光景を見ていた。無音、そんな感じがした。場には一切の音が無いような感覚、不思議な感覚だった。

 その静寂の中で、チェリアの胸から、目映いばかりの何かが出現したのだ。それは小さな文字だった。というよりも何かの紋章にそれは近いような気がする。

 古来、それは聖柳国と呼ばれる王国の象徴であった紋章だった。その紋章は王族の祭儀にも用いられたことから、こう呼ばれていた。

 『聖王の刻印』と・・・。

 そしてその紋章は静かにローグの額へ吸い込まれていった。

***

「精気の流れが止まった・・・。」

 塔の上層へと続く階段を駆け上がりながら、怪訝な表情でクリフはそう呟いた。

 今の今まで荒れ狂うような流れを見せていた精気の流動が突然止まったのだ。下手な言い方をすれば、どしゃぶりだった雨が、途端に止んだようなものだ。

 そしてそれは儀式が終わりを告げた事を意味していた。

「あの子達が、儀式を止めたんでしょうか? 」

 そう尋ねたのは、クリフの横を走っているミーシアだった。クリフは彼女の問に顔をしかめる。

「だと、いんだがな・・・。」

「可能性は低いと? 」

「フレッドの性格を考えるとな。あれが俺達を目の前にしたからといって、逃げるようなタマかよ。」

「退いたのには、それ相応の自信があると? 」

 確かにそれならば頷ける。ミーシアもフレッドのとった行動には違和感を感じていたのだ。しかも自分たちが手負いだったのにも関わらずだ。

「そう言うことだ。大体、テューズとヒノクスを先に行かせたのも、確信があったからだ。ローグならあの二人を相手にすることが出来ると。」

 だが、そうなると、事態はひどく深刻なことになる。通常の状態のままで、ローグはあの二人を相手できるほどの能力の持ち主であると言うことになるからだ。

 もしそんな相手が凄まじくレベルの高い亜種族能力を手に入れたとすれば・・・。

「ちっ、ペースをあげるぞミーシア。体力の回復に構ってはられん。」

「解りました。」

 ミーシアが頷いたのを確かめると、クリフは足に闘気を込め、凄まじい瞬発をもって階段を駆け上がり始めた。

***

 塔の最上階にあたるその部屋は、先程までとは一変して、ひどく静かだった。あれほど荒々しく駆けめぐっていた精気の流動も、今は異常なほどに静まり返っている。

 だが双子の姉弟は、場の状況とは変わって、凄まじい重圧感を感じていた。

 『関わってはいけない』・・・。そんな言葉が、強く頭の中を巡っていく。少し前までは『チェリアを助けなければいけない』という使命感が心を占めていたのにも関わらずだ。

 だが二人の性分は、それを認めなかった。

 二人はゆっくりとその場所を立ち上がると、ローグの方をじっと見つめる。彼らは戦意を失っていなかった。頭の中を駆ける言葉を彼らは認めなかったのだ。

「チェリアは返してもらいます。」

「もうあんたにとっては用済みだろ! 」

 取りあえず、二人は優先させるべき事を口にした。刻印とか、ローグ野望などには二人は全く興味はない。元々彼らはチェリアを助けることが目的でここに来たのだ。

 だがローグは嘲るように軽い笑みを浮かべると、二人に向かって言った。

「それはできんよ。彼女の役目はまだ終わっていない。魔導紋章というものは、ひどく使いにくい亜種族能力でな。それに慣れるには、鍵を利用するのが一番なのだよ。例えば。」

 ローグはすっとチェリアの身体の額に手を乗せると、ぼそっと何かを呟いた。同時にティルスの頬に文字のような痣が浮かぶ。

「下れ雷! 」

 そしてローグがそう叫ぶと、凄まじい雷撃がテューズとヒノクスに向かって放たれた。

「うあぁぁぁっ。」

「きゃあぁぁぁ。」

 身を内から切り裂くような衝撃が、騒乱双児の身体の中を駆ける。それは初めて受ける種の痛みだった。雷撃系の魔術は、それを使用できる魔導器がほとんど残っていないために、滅多に使う魔術士はいない。

 だがそんな事よりも、二人が驚愕したのは、魔術の発動言語をローグが使用していないということだ。

 発動言語とは、最終的に魔術を発動させるための言葉である。そして、これを人と魔導器との最終的な接触とし、魔術は完成される。

 普通それは魔術の名だ。それについては、色々と仕組みがあるのだが、それはとにかく、ローグはその種の言葉を言ったようには思えない。彼の言葉と精気の収束が同時に起こったからだ。

 魔導技法の基本的な原則として、精気の収束と魔術の発動は同時には行うことができない。息を吸うことと吐くことを同時に出来ないように。

「これが刻印の力だ。使い方によっては発動言語すら使用せずに魔術を発動させることすら出来る。私にはまだ使いこなせない代物だがね。」

 そう言ってローグは皮肉な笑みを浮かべる。まだ、とあえて言ったのは、おそらく近い内にそれを会得する自信があるためだ。そしてそのために必要な物こそが、おそらくチェリアなのだろう。

「ふざけるなよっ! さっきからチェリアを物みたいに言いやがってっ!! 」

 まだ痛みが残る身体を起こしながら、ヒノクスはそう怒鳴った。

「チェリアは、絶対に取り戻して見せます! 」

 そしてテューズも叫んだ。だがローグはそんな二人を一瞥する。

「まだ、やるつもりかね? もはや、勝てないことは理解しているだろう。」

 冷ややかな声が、部屋の中に響きわたる。ただそれだけのことなのに、騒乱双児は身体から冷たい汗が流れるのを感じていた。あのフォボスという魔術士と戦ったときと同じ種の恐怖を、彼らは抱いていたのだ。

 圧倒的な力の差・・・。なまじ能力が高いために、それを彼らは肌で感じてしまっていたのである。しかし彼らは退こうとはしなかった。

「わりぃけど俺はそんなに頭良くねぇんだよ。」

「同じく、です。」

 それは精一杯の強がりだった。だが、勝てる見込みがないのではない。二人にはたった一つだけ打つ手があった。

「いくわよ。」

 テューズのかけ声をきっかけに、二人は左右に展開した。ローグはその片方を目で追う。いや片方しか追えなかったのだ。騒乱双児の強み、それはチェリアだった。

(あの人の魔術はチェリアを基準に展開される。つまりあの場所を動けない。)

(人が物を見られる範囲、ってのは決まってるんだよ。)

 ローグの視界の中にいるのはヒノクスだった。ヒノクスは彼の視界の中で小刻みに左右に動く。相手の注意を自分に引かせるためだ。そしてその間にテューズはゆっくりと魔術を構成した。

「レイストライクっ! 」

 瞬間、テューズの右手から光球が放たれる。一瞬の精気の収束を感じたためだろう。ローグはすぐに方向を修正し、その攻撃に対応する。

「光の壁よっ! 」

 ローグは瞬間的に光の幕をその場に出現させた。そしてその幕はチェリアの魔術をうち消す。

「甘いんだよっ。」

 しかしその時にはヒノクスがローグの間近まで接近していた。ヒノクスは右手に魔導闘気を込め、ローグを殴り飛ばそうとする。だがそれはローグが発生した光の幕に邪魔され、攻撃が届くことはなかった。

 もちろん、それはヒノクスも承知していた。ヒノクスの目的はローグではない。彼の前に展開している光の幕だ。

「うおぉぉぉぉぉっ。」

 ヒノクスはさらに魔導闘気を増幅させ、光の幕を打ち砕く。テューズの一撃目も、ヒノクスの攻撃も、全ては布石だった。彼らの本当の目的は、三度目の攻撃だったのである。

「レイストライクっ! 」

 テューズは、先程の魔術を放った後、既に次の魔術の術式を編んでいた。そして、光の幕が砕かれた刹那、テューズは再び光球を放つ。如何に早く魔術を構成できようとも、魔術を展開した後に、瞬間的にそれを発動させるのは不可能である。そしてテューズの攻撃はローグを捕らえた。はずだった。

「なめるなっ! 」

 ローグは近くにいたヒノクスの首を、物凄い握力で掴むと、そのまま力ませに彼を自分の方に引き寄せる。そして彼はヒノクスを、向かってくるその光球に向かって投げつけた。

 ヒノクスにはあまりに突然すぎて対応できなかった。ヒノクスはその光球の直撃を受け、そのまま受け身をとれないまま部屋の床に叩きつけられた。

「ヒノクス! 」

 思わずテューズは叫んだ。彼女の視界は、ヒノクスと光球によって起こった爆風によって遮られている。しかし彼女にはヒノクスが感じられる。生きていることだけは確認し、テューズは安堵した。

 だがその間にもローグはチェリアの額に触れている手に神経を集中させ、すかさず雷撃をテューズに向かって放つ。彼女はその直撃を受け、彼女もまたその場に倒れ込んだ。

「素晴らしい。」

 ローグは自分の行った動作に、明らかな興奮を覚えていた。上がったのは魔導能力だけではなかった。肉体的な能力、そして精神的な能力さえも、圧倒的な向上を示していた。

「力に恵まれなかった私でさえこれほどの能力か! ディラン、私は貴方と同じ力を手に入れたのだ! 」

 そう叫んで、ローグは右手の拳を強く握りしめた。

「うるせぇよ。」

 しかし感慨にふけるローグに向かって、ヤジがとぶ。ローグが振り向くと、そこには光球をまともに受け、ぼろぼろになったヒノクスが立っていた。そしてその後ろではテューズが立ち上がろうとしている。

「その身体で何ができるというのだね? いい加減、諦めたらどうだ? 」

 ローグの肌には、再び文字のような物が一瞬浮かぶ。さきほどから魔術が発動しているときにはその文字が出てきている。おそらくは魔術を発動させるときにでるものなのだろう。つまりそれは相手が既に攻撃態勢に入っていることを意味していた。

「次の魔術で私はお前達を殺す。だがそれほどの才能、ここで散らせるには惜しいのだよ。この娘のことは諦めて退け。今なら、見逃してやる。」

「ふざけんじゃねぇよ! さっきも言っただろ、俺達はそんなに頭が良くないって! 」

「ここで諦めるくらいなら、殺された方がましよっ!! 」

 チェリアがさらわれたとき、二人はフォボスに睨まれ、恐怖に敗北した。プライドとか、そういうものではなくて、ただ二人は悔しかった。

 『弱い奴や、身動きのとれない奴にしか相手に出来ない奴』、それはヒノクスがチェリアをさらったごろつき達に吐いた言葉である。だがフォボスに心までも敗北したとき、二人はそれが自分たちであることを認めてしまったのだ。

「死んだって、心まで負けるのはもうたくさんだっ! 」

「私達を負けても、先生がチェリアを絶対に助けてくれるわっ! 」

 二人は、ローグを睨みながらそう叫んだ。どんなことがあっても、最後まで心だけは負けない、それが二人がフォボスに敗北したときに誓った事だった。二人に迷いはなかった。

「よかろう。ならば、せめて一瞬で殺してやる。」

 奇妙なことではあるが、まるで二人の意志をくみ取るかのように、静かにローグはそう言った。そしてローグがチェリアの額から手を離すと、彼は叫んだ。

「来たれ! 破邪の戒めよ!! 」

 刹那、彼の周りに凄まじい勢いで精気が収束していく。おそらくチェリアの身体を介さないために、魔力が解放されたのだろう。それは先程までの力の比ではなかった。

「レイ、ブラスター!! 」

 そう叫びながら、ローグは前に手を突き出した。瞬間、凄まじい光の奔流が騒乱双児に向かって放たれた。

 ヒノクスとテューズは、必至で守護系の魔術を編む。覚悟はしているが、諦めたわけではないのだ。諦めたら、それは敗北と同じである。生き延びれる可能性がある限り、彼らはその術を行うだろう。

 しかし刻印を手に入れたローグの力は圧倒的すぎた。今の二人では、その攻撃を防ぐことは不可能だった。だが、その時、彼らの中で何かが弾けた。

「う、うわぁぁぁぁぁっ。」

 突然、二人は身体の中で、何か熱い物がのたうちまわるような感覚を覚える。



殿は私が務める。お前達は先に行け。』

(もし、あの時私に力があれば・・・。)

『私には刻印がある。必ず戻るよ。』

(力がなければ何もできないではないか!)

『戻ったら、皆でまた騒ごう。』

(そう言われたではないですか! )

『どうして父さんを助けてくれなかったんだよ! 』

(あの人を殺したのは、私だ・・・。)

『聖国は、同盟を容認するそうです。』

(ふざけるな! 奴等は、ディラン様を・・・。)



 そんな声が二人の頭の中を駆け巡っていた。それが何であるのかは解らなかった。ただそれは人の記憶と想いであるのだけは確かだった。あるのは、怒りと、悲しみと、そして後悔・・・。

 そして声が聞こえなくなったとき、二人の中で何かが弾けた。

***

 異常を最初に感じたのは、塔の階段を昇っていたクリフとミーシアだった。彼らは突然、再び精気の流動が激しくなるのを感じていたのだ。

「せ、先生、これは一体? 」

 ミーシアは横を走っている師に、驚きを隠そうともせずに、そう尋ねた。先程から度々大きな力が発動するのは、彼女も感じていた。

 しかし今彼女が感じている力の流動は、まるでローグが刻印の儀式を始めたであろう時と同じ、いや、それ以上の激しさであったのだ。

「馬鹿な・・・、まだ、その域には達していないはずだ。」

 クリフは驚愕の表情でそう呟いた。有り得ることではなかった。実際には不可能ではない。が、彼らはまだその段階に入ってはいなかったはずだった。

「発動したのか? 刻印が・・・。」

 クリフのその呟きは、塔の静寂に消えていった。

***

 ローグの放った魔術は双子の姉弟に当たることなく、場から消滅していた。原因は解っている。突如彼らの前に発生した魔導障壁と、そして彼らが最後に発動させた光の幕である。

 おそらくどちらが欠けても、彼らは助からなかっただろう。

 だが納得できないのは、何故、突然彼らの前に障壁が現れたのかということと、何故彼らの守護魔術があれほど強力な力を持っているのかということだ。

 それに驚いているのはローグだけではなかった。テューズとヒノクス自身も、自分たちの行った行動に驚いていた。そして、自分たちの身体から湧き起こる強力な力にも・・・。

「な、何だ? 」

「力が、漲ってる? 」

 戸惑いを隠せなかった。それはまるで自分の力でないようだった。そしてそんな二人をローグは驚愕の表情で見ていた。正確には、彼らの額にである。

(刻印、だと・・・。)

 彼らの額には、聖王の刻印があった。ローグが求めて止まず、ようやく手に入れた力、それをこの二人もまた手に入れたのである。

 しかし二人はまだそれに気付いていなかった。気付いているのは、ローグと戦うだけの力を手に入れたということだけである。

「楽に死ねなくなった事を、後悔するがいい。」

 ローグは多少戸惑いながらそう叫んだ。とはいっても、ローグは目の前の双子の姉弟に負ける気はしない。

 如何に刻印を持とうとも、経験や魔術構成の完成度では彼は幾ばくか優勢であったためだ。年の功というやつである。さらには獣の芽という薬によって、彼の身体能力は向上している。

 そんな余裕もあり、ローグは落ち着きを取り戻しながら、すかさず魔術を構成した。

「レイブラスター!! 」

 再び、周囲を光の奔流が包む。だが、二人もその時には自分たちの魔術を構成していた。

 二人は横に並ぶと、同時に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。その言葉は、頭の中から導かれるように湧き起こってくるものだった。

「汝、穿つは聖王の刻印っ! 」

 そしてその言葉に反応するかのように、二人の周りには尋常でないほどの精気が収束していく。

 彼らは、大きく目を見開くと、躊躇うことなくその力を解放した。

「セイントマークっ!! 」

 瞬間、二人の目の前の空間には、聖王の刻印と同じ紋章が展開し、その紋章は強大な光の波となり、ローグが放った光を飲み込みながら、彼に向かって突き進んでいった。

 その先にはチェリアがいたが、二人には何故か大丈夫だという確信があった。

 光の波は周囲を目映いばかりの光で照らしながら、ローグとチェリアを飲み込んでいく。そして、光が消え去った後、その場には傷一つついていないチェリアと、塔の壁に作られた大きな穴だけが残っていた。

「やったぁぁぁぁ。」

 二人は抱き合いながら歓喜の声をあげる。

 自分自身で行ったにもかかわらず、この場で何が起こったのか、二人はいまいち理解していなかったが、とにかくローグに勝利したことだけは理解できたのだ。

 だがその途端に、二人は体中の力が抜けるような脱力感に襲われた。まるで今まで身体の中を巡っていた力が嘘のように消えていったのだ。

(あれ? )

 二人の身体は重力に逆らうことなく、その場に倒れ込もうとする。が、二人は突然何かによって支えられた。

 動かない身体を、何とか少し起こしてみると、そこには自分たちの師の姿があった。

「へへっ、遅いぜ、先生。」

 強がっているつもりなのだろうが、言葉にすら力は入らず、ひどく弱々しい声でヒノクスはそう言う。

 クリフは初め呆れたような表情をしていたが、二人の頭をぽんっと叩くと、二人に優しく言った。

「取りあえず休んでおけ。家までくらいは担いでいってやるよ。」

 クリフの言葉に、二人は軽く笑みを浮かべると、そのまま小さな寝息をたてて眠り始めた。

 チェリアが目を覚ましたのは、丁度それと同じ頃だった。

 目を覚ましたチェリアに、クリフは取りあえず自分の着ていた服を、彼女に渡した。

「血やら汗くさいが、裸よりはましだろう? 」

 初めはぼーっとしていたチェリアであったが、自分が裸であることに気付き、慌てながらその服を受け取った。服はクリフとチェリアの身長差もあり、取りあえずは膝の辺りまで身体を覆った。

 そしてその後、チェリアはクリフから大体の説明を聞いたのである。

 もちろん、刻印の話も含めてである。ただし、騒乱双児の異様な力については、確信が無かったこともあり、伏せることにしたが・・・。

「上手く、事情が掴めないんだけど、とにかくありがとうございました。」

 刻印やローグの話を一度に聞いたためだろう。チェリアは少し混乱したようだったが、取りあえずは話を飲み込んだらしく、クリフとミーシアに礼を言った。

「その言葉は俺達によりも、こいつらに言ってやってくれ。とにかく、ランフォード邸まで戻ろうぜ。カウント婦人もそこに移動させてあるし。それに下に降りれば、俺の法衣があるから、それを着るといい。」

「はい。」

 クリフの言葉に、チェリアは素直に頷く。そしてクリフはヒノクスを、ミーシアはチェリアを背負うと、チェリアを引き連れ、塔を降りていった。

 ランフォード邸についたのは、朝日が昇り始めた頃だった。

***

 時を同じくして、テューズとヒノクスの魔術を受けたローグは、ぼろぼろな身体で森の中で倒れていた。身体は血塗れである。

 それも当然である。本来なら死んでいてもおかしくはない状況であったのだ。彼が放った魔術のお陰で、運良く死は免れたというだけであった。

 そして塔からの落下の際に彼を救ったのがアレスだった。

「手ひどくやられたものですね。」

 それすら楽しんでいるように、アレスは妖艶な笑みを浮かべながらローグに言った。

「くくく、確かに戦いに負けはした。だが、刻印は手に入ったのだ。いつでも再起は出来るよ。」

 身体が痛むのにも関わらず、彼は笑みを浮かべていた。刻印は確かに手に入れたのだ。あとは刻印を使いこなせるようになれば、一騎当千の力を手に入れられるのである。

 だが突然、ローグの身体に激痛が走る。

「効いてきたようですね。」

 それはひどく冷たい声だった。アレスは変わらず冷たい笑みを浮かべながら、苦しむローグの様子を眺めていた。

「き、貴様っ!! 」

 ローグは醜悪な目付きで、アレスを睨む。半分は身体を走る痛みのため、半分は憎しみのためである。

「先程貴方に飲ませた薬、獣の芽の効果が強いものなのですよ。身体が薬の効果についてきていないようですね。」

「一体、何を考えている。何故今更・・・。」

「私は貴方が刻印を手に入れるまで待っていたんですよ。貴方の望みが叶い、野心が最大に膨らむまで・・・。」

 ギリッっとローグは歯ぎしりをする。だが彼はアレスの後ろに、フォボスが近づいてきているのを見つけた。

「フォボス、こいつを殺せっ! 」

 ローグは血を吐きながらそう叫んだ。フォボスは一本の剣を握っていた。彼はそれを振りかぶると、一気に振り下ろした。

 だが彼の剣の先にいたのはアレスではなかった。彼の剣は、ローグの身体を切り裂く。

「うら、ぎったな。」

 溢れる鮮血を、まるで他人事のように見ながら、ローグはそう呻いた。だがその事について答えたのはフォボスではなく、アレスだった。

「まだ気付かないのですか? 元々彼は私の配下ですよ。貴方の下に付けさせたのは、貴方の野心を叶えるためです。滑稽でしたよ、自分が認められていると勘違いしているあなたの姿を見ていたのは。」

「きっさまぁっ。」

 その侮蔑の言葉は、ローグの憎しみを最大にまで高めた。それとローグの身体が変化を示すのは同時だった。

「がぁぁぁぁっ。」

 ローグの身体は、突然その形を異形の物に変えていく。歯が鋭くなり、身体には鱗のような物が生え始める。

「言い忘れていました。獣の芽は、人を魔物に変えるグールパウダーという薬を改良した物です。もし、精神の制御がかなわなくなり、理性が本能に負けたとき、服用者は魂を喰われ、魔物に変わる。」

 アレスの言葉が言い終わらない内に、ローグの身体は鱗で覆われた異形の化け物に変わっていた。そしてその化け物は、一度その身体を整えると、淡い光を発しながら、卵のような球体に変化していった。

「これで、目的は達成されたのですね。アレス様。」

 フォボスが笑みを浮かべながらそう言うと、卵を拾っていたアレスもまた、微笑を浮かべながら頷いた。

「それにしても、因果律とは実に興味深い物だよ。」

「何か、興味の引かれる物でも? 」

 アレスの言ったことが理解できなかったのか、フォボスは聞き返す。するとアレスはさらに楽しそうな微笑を浮かべそれに答えた。

「まさか彼とこんな所で再会できるとは・・・。そしてそれが君が言っていた男だとはね。」

「クリフォード=エーヴンリュムスのことですか? 」

「そうだった。今はそう名乗っているのだったね。本当に因果律という物は・・・。」

 アレスはそう言うと、高らかな声をあげて笑い出した。それほど上機嫌なアレスを、フォボスでさえも見たことがなかった。

「再会出来る日を楽しみにしているよ。クリフォード。」

 森を去る前に、アレスは小さくそう呟いた。因果律の環に、そう願いながら。





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