魔 導 学 院 物 語
− 聖 王 の 刻 印 −

第六章 師弟の再会




 塔の周辺は、ひどく静まり返っいた。場所が森であり、さらに時間が真夜中ということを考えれば、特に異常でもない。

 異常といえば、彼の周りに倒れている、数十人の男達の方が異常ではある。

 正確な数は確か23名だったと思うが、そんなことはどうでもよく、それよりも重要なのは、彼の目の前に立っている金髪の男だ。

(まさか、こんな所で会うとはな・・・。)

 正直、目の前に彼がいるという今においても、クリフはそれを現実だと思うことができなかった。

(アルフレッド=グロリアス・・・、師を越えた者か・・・。)

 かつて学院にはバーグ教室という教室が存在した。学院が正式に運用される前に、試験的に運営されたその教室は、ガルシア=バーグという特級魔導師の師事により、脅威的な能力を持つ六人の生徒を生み出した。

 だが彼らが『完成』する前に、ガルシアは世を去った。そしてその中で唯一の『完成品』と言われたのが、アルフレッドという男だった。

(あいつらを先に行かせて正解だったな。)

 クリフは冷たい汗が吹き出すのを感じながら、先に塔に侵入させた双子の姉弟の事を考えた。

***

 クリフ達三人が塔についたときには、既に多くの人間が塔の周りを囲んでいた。そしてその中には、チェリアをさらった連中の姿も見ることができた。ただその中に、フォボスという男と、ヒノクスが腕を折った男の姿はなかった。

「こ、こんな数、相手にできるのかよ。」

 クリフ達は塔の近くの茂みの中に隠れていた。様子見のためだ。

 見ることの出来る範囲内で数えても、ゆうに15名は越えている。さすがにこの数は予測していなかったのか、そう呻いたのはヒノクスだった。

 全員がチェリアを襲った連中のような力を持っているとは考えにくいが、中にはそれ以上の能力者もいるという事も考えられる。第一、あのフォボスという男がいないというのは、考えにくいことだ。

「どうにかして侵入できませんかね?」

 少し気後れしながら、テューズはそう言った。正直、彼女はこのこの数の中を突破できるとは考えていなかった。それはヒノクスも同じだ。仮に出来たとしても、極端に体力が消耗するのは必至だ。

 だが二人の考えを全く相手にせず、クリフは全く動じる様子もなく答えた。

「そうだな。俺とミーシアなら、気付かれずに侵入もできたんだが・・・。まぁ、お前達じゃ少し無理があるな。最も、大した数じゃないが・・・。」

 大した数ではない。二人の耳がおかしくないのならば、確かにクリフはそう言った。実際そう言ったのではあるが、騒乱双児には師の台詞が信じられなかった。

「ほ、本気かよ。あの数だぜ。」

 驚きながらも、連中に気付かれないようになるべく声を抑えて、ヒノクスはクリフにそう聞き返した。

 おそらく答えるのが億劫なのだろう。クリフは極端に不快そうな顔をし、仕方がないというような感じで言葉を返す。

「ま、一度負けて臆病になるのは解るが、あの程度の数に気後れしているようじゃ邪魔になるだけだ。今からでも遅くはない。帰れ。」

 それはクリフの本意だ。クリフが二人を連れてきたのは、彼らの覚悟を見たからだ。覚悟がないのなら、足手まといにしかならない。人の命がかかっているのなら尚更だ。

 だがクリフの言葉は逆に彼らに火を付けた。

「冗談じゃないぜ。このまま黙って引き返せるかよ。」

「私たちはチェリアを助けに来たんです。」

 二人に迷いはなかった。

 それを確かめると、クリフは二人の頭をぽんと軽く叩く。

「よし、なら作戦を言うぞ。俺が奴等を引き受ける。お前らは俺が騒いでいる間に先に行け。」

 少し嬉しそうな顔をしながら、クリフはそう言った。

「でも、先生一人では・・・。」

 意外な言葉に、テューズは驚きの表情を見せる。だがクリフは平然と言葉を返す。

「時間がない。魔導紋章の力は絶大だと言っただろう。俺が知っている奴の中に一人、それを持っていた奴がいたが、そいつの能力は脅威的だった。そいつとローグが同じレベルだとは言わんが、それでも脅威には違いないだろう。」

「それに、儀式が終わったら、チェリアの命が危ない、だろ。」

 ヒノクスの方は納得していたようだった。アーバンに鍛えられているためだろう。戦いに関しての読みはテューズよりも鋭い。

「そう言うことだ。それに、俺は一応第一級魔導師だ。お前らが心配するにはまだ早い。」

「りょ〜かい。でも、あのフォボスって奴が出てきたらどうするんだ? ただ黙って負ける気は無いけど、やばいとは思うぜ。」

 ヒノクスはそれが一番の問題だと考えていた。フォボスという男の力は尋常ではないのは、ヒノクス達は肌で感じていたのだ。しかしクリフは全く動じた様子もなくその問に答える。

「上にそいつがいるなら、こっちは早く片付くよ。学院じゃ、こうは暴れられないからな。愚弟子のせいで無くなった給料の憂さ晴らしをしてすぐに駆けつける。」

 一瞬、クリフの瞳は奇妙な光を帯びる。その台詞に苦笑いしながらも、ヒノクスは話を続ける。

「でも下にいたら・・・、先生は勝てるのかよ。」

 運だけの男、そう呼ばれているクリフの能力を、二人は知らない。テューズに関して言えば、得体の知れない能力を持っている、というのは知ってはいるが、それがフォボスに通じるのかも、疑問である。

 だがクリフは余裕たっぷりの表情で、にやりと笑みを浮かべながら言った。

「伊達に3年以上運だけの男で通ってないんだ。俺には切り札があるんだよ。」

 自慢になっていない自慢を聞きながら、騒乱双児は軽く微笑する。

「ま、元々先生の心配なんざしてねぇよ。べっつにどうでもいいしな。」

「これがミーシア先輩なら少しは心配もしたんですけどね。」

 おどけながら言ったその言葉にクリフも微笑する。そしてクリフはそのまま後ろに振り返ると、ひらひらと手を振りながら、そのまま茂みから飛び出した。

 先手必勝とはよく言ったものだ。クリフは飛び出すとすぐに、法衣の中から牛の置物を取り出す。そしてそのまま振りかぶると、その置物を思い切り投げ飛ばした。

「行け! タウラス!! 」

 クリフの言葉に、それは瞬時に大きく膨れ上がると、凄まじい加速を生み、驚異的な勢いで直進する。

 そしてクリフの声に、連中が気付いた時には既に遅かった。牛の置物は、難なくその進行上にいる男達をはじき飛ばし、巨木すらも薙ぎ倒しながら、森の奥まで進んでいった。そしてはじき飛ばされた男達は、一斉に宙を舞い、そのまま地面に激突した。

「おーっ。良く飛ぶ飛ぶ。ざっと6人ってところか。」

 ざっとと言っている割には、正確な答えを口にしつつ、驚愕の表情で自分を見つめる男達の中で、クリフは大笑いをしていた。

「す、凄いことするわね。先生・・・。」

「あ、ああ。」

 茂みの中にいる騒乱双児もまた驚きの表情でそれを見ていた。だが連中の注意がクリフに集まったのを確認すると、二人は真顔に戻り、塔に向かって動き始めた。

 あまりにインパクトのあるクリフの行為のためか、二人は難なく塔に侵入し、そのまま塔の上階に向かって走り始めた。

 双子の姉弟が塔に入ったのを確認すると、クリフはその表情を突然真顔に戻した。そしてゆっくりとした口調でその場にいる男達に言った。

「さてと、俺が用事があるのはお前達じゃない。少し手荒になるが、悪く思うな。」

 そう言って、クリフは白と黒の猫の置物を取り出す。そしてそれを振りかぶると、一斉にそれを男達に向かって投げ飛ばした。

 夜の森に、男達の悲鳴が響きわたった。

***

 クリフがその場にいた全員を倒すのに、そう時間はかからなかった。魔導アンティークと呼ばれる、三つの置物で既に半数以上を倒され、昏倒していた連中は、クリフにとって敵ではなかったのだ。

 そして、その男達を全て薙ぎ倒した後、先程から感じていた視線の先にいる男を呼んだ。クリフ達が茂みにいた頃から感じていた視線である。そしてその男こそが、フォボスだった。

「学院にいた頃は、これほどの使い手だとは思っていなかった。だが、そのままでは運だけの男の名を返上できるとは思わんがね。」

 先程のクリフの戦いを見ていたフォボスは、クリフに向かってそう言い放った。その青い瞳がまるで心を見透かすかのように、クリフを見つめている。

「別に汚名を返上したいとは思ってはいない。結構気に入っている立場だからな。だが、ガルシア=バーグからお前のことは頼まれている。」

 だがクリフはそれに動じる様子もなく、そう答えた。実際、彼は今の生活が気に入っている。たとえどんな騒動に巻き込まれてもだ。

 そして、アルフレッドはガルシアという名に、強く反応する。そしてふんと鼻で笑った後に、こう答えた。

「私を殺してくれとか? 」

 クリフは眉をひそめる。彼が言った言葉は、4年前、病床のガルシアがクリフに言った言葉である。クリフを自分の後任に選んだガルシア、それが彼の遺言の一つであった。

 一瞬、言葉を躊躇ったが、クリフはガルシアの遺言をそのまま自分の口から彼に伝える。

「フレッドはわしを越えた。師を越えた者の名の通りに。だが奴は良くも悪くも信念が強すぎる。もし奴が狂気に走るようなことがあったら、殺してやってくれ。これがガルシア=バーグが俺に残した遺言だ。」

 その言葉はガルシアの言った言葉と一字の違いもなかった。クリフは正確にガルシアの遺言をリピートしたのだ。だがフォボスはさほど気にした様子もなく、言葉を返した。

「師父の言いそうな事だ。完成品にならなければ、用済み・・・。あの人らしいではないか。」

「別にお前とガルシア=バーグについて論じる気はない。それに遺言を実行する気もな。だがお前が俺の邪魔をするというのなら、話は別だ。」

 突然、クリフの周りの雰囲気は一変する。精気が収束していっているのだ。

「できるかな? 貴様の力で。」

 場に収束しつつある精気の変動を感じながらも、フォボスは不敵に笑った。それに対し、クリフはゆっくりと言葉を返した。

「どうせお前も戦うつもりだったのだろう? やってみるさ。」

 そしてその言葉をきっかけに、二人の戦いは始まった。

***

 エッテムの塔の中は、不気味な程静寂していた。まるで誰もいないかのようにだ。実際、テューズとヒノクスは塔の上層を走っている今も、まだ誰にも遭遇していなかった。

「静かね・・・。」

 不安を言葉と同時に吐き出すように、テューズはそう呟いた。辺りは不気味なほどの静けさだ。だが確かにチェリアがここにいるのを、何故か二人は明確に感じていた。

「何でだろ? 塔に入ってから、強くチェリアの鼓動を感じるようになった。」

「私も・・・。居場所がはっきりと解る・・・・・・。この、上ね。」

 彼女らの不安の半分は、この奇妙な感覚である。極希に、感覚が研ぎ澄まされた時にだけ、騒乱双児はまるで心が繋がったように感じることがあった。この感覚はそれに近似している。

 今までは不思議とも感じなかった感覚だ。むしろそれが当たり前のように感じていた。だが今は、何か異物が身体の中に入ってきたように、妙な違和感を感じる。そしてそれは階を上がるに連れ強くなってきているのだ。

(何だか、自分が自分でないようで、怖い・・・。)

(けど、行かなくちゃならないんだっ! )

 二人はそう決意をし、最後の階段を昇り始める。不安は確かに強くなっていっている。しかしそれよりも、二人ははっきりと自分たちがなす事を感じていた。

 彼女を護らなければならない。何故か、その言葉が胸の中で響いていた。まるで繰り返される呪文のように。

「チェリア!! 」

 階段を昇りきった所で二人は護るべき者の名を呼んだ。そして部屋の中には光が溢れた。

***

 赤い液体が、ゆっくりと宙を舞う。

 実際には、それほどゆっくりでは無かったのかも知れない。たが、少なくともその場にいる二人にはそれはまるでスローモーションのように、遅々として見えた。

「ちぃ。」

 舌打ちが、小さく場に響く。が、それを気にする者は誰もいない。それを発した眼鏡の男――クリフ――は、斬られた右頬に構わず、ゆっくりと魔術を編みはじめる。

「遅いっ。」

 だがそれよりも速く、彼を追いつめていたフォボスが、淡い光の籠もった右手の人差し指と中指の二指を、まるで刃物で切り裂くように振った。指に込められているのは闘気である。しかもそれは高密度に収束され、鋭い刃と化していた。

 しかしクリフは一歩前に踏み込むと、彼の右腕を自分の右腕で止める。殺傷力があるのが、その二指であることを彼は知っているのだ。如何に闘気を込められていようと、当たらなければ意味がない。

 クリフは左足を前に出し、半身分踏み込むと、左手に込めた魔術を言の葉とともに放った。

「エアブラスト! 」

 刹那、クリフの左手に空気が収束する。そしてクリフは、それをそのままフォボスに直接ぶつけようと手を伸ばした。

 だが、フォボスは先程まで伸ばしていた腕をさらに伸ばし、クリフの肩をそのまま下に押し込むと、自分はその反動で高く跳躍する。そしてそれによってクリフは体勢を崩した。

(ちぃ。)

 二度目の舌打ちは、心の中でだった。体勢を崩したクリフは、左手で上円の弧を描き、そのまま地面に収束した空気の塊をぶつける。そして場には大きな砂埃が巻き起こった。

(鬱陶しい連中をどかしておいて良かったな。)

と、体勢を崩す中で、クリフは先程までそこら中に倒れていた、数十人の男の事を思い出した。

 そしてフォボスは、クリフが体勢を崩したその機を見逃さなかった。

「刻め、疾風! 」

 彼は上空で瞬時に魔術を完成させる。

「スプレットレザー! 」

 瞬間、無数の風の刃が彼の前に展開する。その刃は下にいる、クリフをめがけて一斉に突き進んでいった。

(避けられないか・・・。)

 クリフは直感でそう感じた。以前同じパターンの攻撃を、アーシアから受けた事はあった。だがその時は体勢を崩されていなかった。

(この辺が、フレッドとアーシアの体術の差か・・・。)

 そんな事を思いながら、クリフは体勢を立て直しつつ、ゆっくりと魔術を編む。こういった時は、慌てた方が危険なことを、彼は長い戦闘経験の中で理解している。

 要は、身体が動かなくなるとか、意識が断たれるという致命的なダメージさえ受けなければ、それほど深刻な問題ではないのだ。少なくとも彼にとっては。

「スプレットレザー! 」

 クリフはフォボスと同じ魔術を発動させる。ただし、フォボスよりは刃が拡散する範囲を狭めてだ。

 無数の刃が襲ってくるのであれば、それ以上の数で対応すれば、相殺できる可能性は増えるはずである。拡散する範囲を狭めたのはそのためだ。

 クリフの思惑通り、それらは相殺しあい、クリフに届いたのは威力の削がれた風と、僅かな風の刃だった。クリフは腕を前で交差させ、致命傷に気をつけながら、その攻撃を受ける。

 彼の腕には幾つもの筋が浮かび上がって来る。そして時間差で、その筋からは赤い液体が流れ出した。

 だが刃の威力が弱まっていることもあり、それほど深い傷にはならなかった。

(さすがは、ガルシア=バーグの傑作か。)

 クリフは腕の傷を眺めながら、相手の能力を整理する。

(個々の能力においては、他のバーグ教室生徒にも僅かに劣るが、完成度が他の連中とは違う。何でもできる万能型って奴だな。)

 彼の能力について、大体の予測はできていた。クリフが学院に就任して、実際に学院が運用されるまでの3ヶ月間、彼の担当教師を務めたのは、他でもない。クリフだ。

 その間に、フレッドの能力がどの位の物なのかは把握していた。問題は、それから現在に至るまでの三年と余月、彼が如何様に成長したかだ。

(まだ手の内を見ていないからよく解らんが、確実に俺より実力は上だな。)

 それは今に始まった事ではない。クリフがフレッドと出会った時には、彼は能力においては、ほとんどの面で運だけの男を越えていた。

 だがただ二つ、クリフが彼よりも勝っている点があった。そしてそれは、おそらく今でも変わっていない。

(際どいところだな。)

 クリフはそう思いながら、目の前で自分の出方を伺っているフレッドを見た。

 そして、その時だった。

「なっ。」

 クリフは突然、場の精気の流動が、非常に目まぐるしく変化するのを肌で感じた。

 精気の流れの変動は、精気を収束させた時などに起こることが多い。だが今クリフが感じているのは、そんな一個人で起こせるような小さな規模の物ではない。

 クリフは精神と集中させ、その収束限を特定する。場所は、自分の真上だった。

「刻印の儀式が始まったのか・・・。」

 ギリッと歯ぎしりをしながら、呻く。逆に、フォボスはにやりと小さく笑みを浮かべた。

「もうじき、ローグ様は刻印を手に入れられる。確かにあのお方は将の器ではない。だが、もし刻印を手に入れるとなると、どうかな? 」

 フォボスの笑みに、強い不快感を覚えながら、クリフはもう一度歯ぎしりをした。

 出来ることなら、導いてやりたかった。苛立ちの反面で、クリフの頭にそんな想いが横切る。だがそれがかなわないことも、クリフは知っていた。

(平行線は交わらない。俺には、奴を止めることは出来ない、か。)

 そう無理矢理自分自身を納得させ、クリフは一つの決断をした。

(とにかく、今は双子を優先させる。)

 と。

 そして、クリフは眼鏡を外すと、それを地面に放り投げ、法衣をも脱ぎ捨てた。黒い半袖の戦闘服に身を包みながら、彼はゆっくりとフォボスに向かって言った。

「悪いが刻印を手に入れさせるわけにはいかない。それに、あいつらの命もな。だから、せめてこれくらいとっておけ。」

 そう言うと、クリフは右腕に、左手の爪をたて、かきむしるように皮膚を一気に引き裂いた。

「!!! 」

 その行動には、さすがにフォボスも意外だったのか、驚愕の表情でその光景を眺める。クリフの腕からはおびただしい量の血が、溢れていた。先程の風の刃から受けた傷などは、既に意味を成さないかのように・・・。

「何の、つもりだ? 」

 強い警戒を隠そうともせず、フォボスはクリフにそう言った。一方、クリフはまるでそれが人事であるように、全く同様もせず答える。彼の雰囲気は、ひどく落ち着いた物に変わっていた。

「言ったろう? 受け取れとな。今から、届けてやるさ。」

 クリフの台詞が終わった刹那、場の精気が一気にクリフに収束する。それによって乱れていた精気が、さらに乱れていくのをフォボスは感じていた。

 クリフはゆっくりと右手を差し出すと、目を大きく見開き、小さく呟く。

邪眼血塗れの踊り子。」

 彼のその言葉に紡がれるかのように、彼の腕を流れていた血は、突然その流れを止める。そしてクリフはその血に命令するかのように続けて言葉を発した。

「行け。」

 すると、クリフの血は一度空を舞い、停滞すると、まるで銃の弾のように、フォボスに向かって凄まじい勢いで一斉に飛んでいった。

「くっ、光の幕よ。」

 フォボスは顔をゆがませながらも、即座に魔術を組み立てようとする。だがそれよりも速く、クリフの血は、フォボスを捕らえた。

 血で作られた、紅の弾丸は一気にフォボスの身体を貫く。もちろんフォボスも致命傷を受けないように、気を付けてはいるが、その血の弾の数は致命傷への回避行動を無にするほど多くの物だった。

「ライトカーテン! 」

 フォボスが魔術を完成させたのは、身体に数発の弾を受けた後だった。致命傷はない。だが一発、フォボスは肩に大きな傷を受けていた。

 残りの血の弾丸は、フォボスの魔術によって遮られ、そのまま地面に落ちていった。

 クリフの攻撃が止んだ後、フォボスはクリフを睨みながら吐き捨てるように言った。

邪眼だと・・・。馬鹿な! 闇の眷属だとでもいうのか! 」

 闇の眷属、それは脅威的な能力を誇ったという、古代種族の一つである。天使に対峙する能力を持ったというその種族であるが、いつの間にか消えていった種でもあり、いつしか忘れられていった種でもあった。

「唯のお伽噺ではなかったということか。」

 忌々しげにフォボスは呻く。そしてクリフの方は、表情を変えずに彼に言った。

「試してみるかね? ただし、受講料には貴様の命を頂く。」

 冷ややかに変わったクリフの口調にフォボスの顔はさらに強ばる。かつて、師から一度だけ聞いたことがあった。

 闇の眷属・・・、彼らは天使に匹敵する能力を持つと言われた種族である。師ガルシアが絶対に手を出してはいけないと忠告していた種だ。

 おどしかもしれない。フレッドは内心そう思っていた。確かに、今のクリフの能力は、人外の物であることは間違いない。だがガルシア=バーグが警戒するほどの能力であるとは、フレッドは思わなかった。

 しかし、フォボスは戦いを中断した。軽く皮肉げに笑みを浮かべ、両手を挙げたのだ。

 それはクリフにとっては意外だった。プライドの高いことでクリフの元を去った彼が、如何に亜種族能力を用いたとはいえ、ころほどあっさりと退くとは思わなかったのである。

「どういうつもりだ? 」

「退けと言ったのは貴様だろう? それに上級魔導師二人を相手にするほど俺は愚かではないよ。」

「二人? 」

 そこでクリフは自分の後ろにもう一人、人間がいることに気付いた。ミーシアである。フォボスはミーシアを気にせずに言葉を続ける。

「第一、私の役目は貴様をしばらくここで足止めしておくことだ。今から向かっても、付いた頃には儀式は終わっているよ。」

「くっ。」

 クリフは呻く。そして双子の姉弟を先に行かせたことを後悔した。

 だがクリフの後ろでミーシアが叫んだ。

「止めてみせるわ。人を駒としか思わない最低の人間なんかに、あの子達を殺させはしない。絶対に! 」

 その時クリフは初めてミーシアの感情が高ぶっていることに気付いた。だが今は彼女よりも目の前の敵に注意を向けなければいけないのを理解している。クリフは未だ右腕をフォボスに向けたまま、彼に注目する。

 するとフォボスは小さく嘲笑し、二人に向かって言った。

「できるものならやってみるがいい。片方は出血のし過ぎで間近に人が来ても気付かない。片方は魔術の使い過ぎで感情さえ制御できない。そんな状態で何ができるのか、見せてもらおう。」

 そう言うと、フォボスはそのまま後ろを向き、森の中へ消えていった。クリフ達は、彼を追わなかった。と言うよりも追えなかったのだ。

(見抜かれていたか・・・。)

 クリフは内心、ひどく安心していた。フレッドが言ったように、クリフは近くに接近しているミーシアの存在に気付けなかったのだ。そしてミーシアの方も、理由は解らなかったが、声で、ひどく体力を消耗しているのを感じていた。

(だが、行かないと・・・。)

 そう決意をすると、クリフはミーシアの方を振り向いた。すると・・・、

邪眼をどうして使ったの! 今の貴方に使える代物じゃないでしょう!! 」

 突然、ミーシアは目にいっぱいの涙を浮かべながら、怒りを隠そうともせず、そう怒鳴った。

「いや、でも・・・。」

 おそらく、感情の制御ができていないためなのだろうが、呆気にとられながら、クリフは何か言い訳を考える。

 だが、それよりも先に彼女は話を続けてきた。

「でもじゃないの! 約束したでしょう? 無理はしないって! 」

「は、はい。」

 ミーシアの怒涛の怒りにたじろぎながら、クリフは首を縦に振って頷いた。

 彼女は納得したように頷くと、自分の法衣を破り、そしてクリフの両腕を取り、その腕に巻き付けた。

「取りあえずは応急処置をしておきます。でも血が足りない上に、オーバーアビリティを使ったんです。十分に動けるとは思わないで下さい。」

 いつの間にか彼女はいつもの口調に戻っていた。(まだ少し機嫌は悪そうではあったが)

 言いたいことを吐き出した為か、クリフと顔をあわせた為かは解らないが、気力を取り戻し、感情を制御しなおしたのだろう。

「ま、それじゃ、行くか。」

 ミーシアの一方的な会話に、何となく納得いかない物を感じながらも、クリフはそう言った。するとミーシアはこくりと頷く。

 彼女もまた、今すべきことを心得ていたのだ。

 そして二人は塔に向かって走り始めた。





back to a chapter  Go to next Chapter  back to novel-room