エッテムの塔は聖都の外の南側に広がる、エバードの森に建っている塔だった。聖都が建設されるよりも先に作られた塔である。 古来この近辺を支配していた聖柳国の遺産だという話は、聖都の人間ならば子供でも知っている事だ。 半ばお伽噺に近い感じで、長い間、その事は聖都に住む者に伝わってきた。 輝神教を弾圧していた聖柳国を、聖国が滅ぼしたのは既に500年以上前のことだ。それにも関わらず、聖柳国の遺産であるこの塔を残しておいたのには、それなりの理由があってのことだった。 「エッテムの塔には聖柳国に伝わる、数々の祭器が残っていたんだ。聖柳国が滅びた当時には、既に失われた技術になっていた物だったんだが、実際にそれを使用できる人間が残っていれば、聖国は戦いに負けていただろうとまで言われている。」 夜の街を走っている最中、クリフはそんな話を二人にしていた。 「それとローグがチェリアをさらったのと、どういう関係があるんだよ。」 ヒノクスは納得がいかない様子で、クリフにそう尋ねる。知りたいのはチェリアが連れ去られた理由だ。そんな事ではない。 「まあ、話を聞け。塔の中の祭器のほとんどは、長い研究の成果もあり、印族と呼ばれる種族の、マークという亜種族能力を会得させるための物だというのが解ったんだ。」 「亜種族、能力? 」 知らない単語ではない。人外の能力を発動させることが出来る種族、亜種族。固定した種族の名ではないが、彼らが用いる能力の総称を亜種族能力という。これも半ばお伽噺に近い話だ。 だがそれは確かに存在する。身近な物でいえば獣人の半獣化だ。他にも冥貴族の邪眼や、赤珠族の赤宝珠など様々な能力が伝わってはいる。 しかしだ、それらの能力のほとんどは未だ確認されていない。闇の眷属と呼ばれる冥貴族に至っては種族すら残っていないし、身近にいる赤珠族にしても、実際に赤宝珠の能力を持つ物確認されてはいないのだ。 「そんなの、迷信だろ?獣人の他にそんな能力を実際に持つ奴等なんて聞いたことないし、第一、そんな物あるんなら、とっくに話ぐらい出てそうだろ。」 ヒノクスが言うことは正論だ。事実、世界で亜種族能力を持つ者はほとんど確認されていない。だがそれにも理由はあった。 「隠しているのさ。亜種族能力者自身がな。」 「!!! 」 その言葉にヒノクスは驚愕の表情でクリフを見た。クリフは話を続ける。 「考えてもみろ、亜種族能力者はその異形なる能力のために常に迫害されてきた。今でこそ普通に暮らしている獣人達も、魔導同盟が成立するまでは迫害の対象になっていたんだ。そんな中、わざわざ自分が亜種族能力者だと名乗りあげると思うか?」 確かに魔導同盟の成立は、世界に大きな影響を与えたという話は、授業でも聞いている。だが魔導学院で暮らしている限りは、そんな話は全く実感の湧かないものだった。 それほど魔導学院という小さな世界は、外界に比べて平等だったのである。 「実際、機国大戦にも多くの亜種族能力者が参加した。マークを使用する亜種族能力者もな。」 それは二人にとって初耳だった。レイクーン大陸で起こった機国大戦に、エクセリオン大陸の多くの戦士達も参加したという話は知っているが、亜種族能力者がいるという話は聞いたことがなかった。 「まぁそれで本題に入るんだが、その前にだ。」 そう言ってクリフは突然足を止めた。 「??? どうしたんだよ。先生。」 ヒノクスもクリフの奇妙な行動に足を止めた。そして後ろを振り向く。特に変わった所はない。クリフがいるだけである。 「あ・・・。」 そこでようやくヒノクスは気付いた。テューズが着いてきていないのだ。少し後ろの方を見ると、大きく息を切らしながらテューズが二人を追いかけてきていた。 「ふ、二人とも、は、速すぎる・・・。」 ようやく二人に追いついたところで、テューズはやっとそれだけを呟いた。クリフは小さなため息を付きながら、彼女を背負い、再び走り始めた。 三人が聖都を出たのは、それからしばらくしてからだった。
クリフ達が聖都を出たのと同じ頃、ミーシアはチェリアの母レニスをランフォード邸まで無事連れてきていた。しかし夜中に訪問したために、ミーシアは門兵たちによって足止めされていた。 「ですから、早急にランフォード猊下に会わせて頂きたいのです。クリフォード師の弟子が来たと言って貰えれば解って頂けます。」 「で、ですが、猊下は既に就寝中ですので、今はお取り次ぎする事はできません。」 数分の間、ミーシア達はこの問答を続けていた。目の間にいるのは二人の神殿兵士だ。元々こんな夜分に尋ねてきたのだ。こんな事態に陥るのは予想はしていたのだが、予想外だったのは、レニスの容態の方だった。 横を見ると、レニスの顔はひどく青ざめている。気力だけでここまで来たのだ。無理もなかった。 (解ってはいたけれど、頭の固い・・・。でもこの様子だと、早く休ませないと命にも関わるわね。サハリンの名は出したくなかったけれど・・・、人の命には代えられないわ。) サハリンの名は聖国でも良く知られた名である。魔導同盟の中枢が置かれている、ディレファールの王族の分家なのだから、当然であるのだが、同時に聖国においてすら、その名は強い力を持っていた。 だが名に力があるということは、乱用をすればそれ相応の反動が返ってくることも確かなのである。ここで出したサハリンの名が、後々聖国、もしくは他の大国などとの交渉に差し支えがでるケースすらあると考えなければならないのだ。 それはミーシアもわかっているのだが、目の前で苦しんでいるレニスを放っておくことはできなかったし、何よりもこれは、クリフから頼まれたことだ。彼女にとってそれは何よりも先に優先する。 そしてミーシアが意を決し、サハリンの名を出そうとした、その時だった。 「何を騒いでいる? 」 緊迫した場に、低い男の声が響きわたる。 「猊下! 」 驚いたような声で、そう言ったのは門兵の一人であった。ミーシアも声のした方を振り向くと、そこには一人の中年の男が立っていた。見覚えのある顔だ。 そしてその男も、ミーシアの視線に気付いたように彼女の方を見る。すると、突然その表情は驚きの物に変わる。 「君は・・・。」 「お久しぶりです。ランフォード猊下。今日は、クリフォード教師の遣いとして来ました。」 「クリフの? 」 そう言いながら、ティルスは彼女の横に立っているレニスの方を見やる。と同時に彼は驚愕の表情を強める。 「レニス! レニス=カウントじゃないか!! 」 「かなり衰弱しています。早く休ませたいのですが、よろしいですか? 」 「もちろんだ。カイルは医者を、サイモン、ユリスを連れてきてくれ。」 「りょ、了解しました。」 珍いことなのだろう。真剣なティルスの表情に、二人は慌てながら、その指示に従う。しばらくすると、その片方が背の高い女官を連れて戻ってきた。 「ユリス、すまないが、この女性の世話を頼む。すぐに医者も来るだろうから、先生の指示に従ってくれ。」 「はい。承知しました猊下。」 その女官は、レニスを抱えると、ゆっくりと屋敷の奥の方へと連れていった。 「サイモン、しばらく一人になるが、門を頼む。カイルもすぐに戻ってくるだろうから。」 「了解しました。」 その門兵の返事にティルスは微笑し、彼の肩を軽く叩いてやる。そして彼はそのままミーシアを応接間へと案内した。
クリフ達は森の中にいた。三人はようやく塔を包んでいる森に入っていたのである。そしてクリフはその中で話の本題を口にしていた。 「先に結論を言うと、チェリアはマークという亜種族能力を人に宿らせるための魔導器なんだ。」 師が口にした言葉の意味を、騒乱双児は理解できなかった。彼女らの知識で答えると、魔導器は魔術を発動させるための道具である。魔性石という名の物質によって作られる、人の意志と、自然の事象を互換させるアイテム、それが魔導器のはずだ。 だがクリフは二人の納得を待たずに話を続ける。 「マークは端的にいうと、一種の魔導器に相当する。魔導器を形成している魔導石は、元々は精気が結晶化した物だ。そしてマークも同様に文字、という形をとっているだけで、精気が結晶化した物に他ならない。そしてチェリアは精気をマークに変えるための幾つものマークを、身体に宿しているんだ。」 クリフの背に乗っているテューズと、横を走っているヒノクスが驚きの表情で顔を見合わせる。はっきりとは理解できなかったが、彼女が亜種族能力者だということが意外だったのだ。 「それで、チェリアと塔がどう繋がるんだよ!」 興奮気味の様子で、ヒノクスが尋ねてきた。今までの話で、チェリアが連れ去られた理由は納得できたが、どうして儀式を行う場所が塔なのか、ということについてはまだ話を聞いていない。 チェリアが無条件でマークを宿らすことが出来るならば、別に儀式は塔でなくても良いはずだ。塔に連れていく以上、何か理由があるということになる。 クリフはその質問に対してもすぐに答えを述べる。 「マーク、と一言で言っても様々な種類があってな。それらは個々の情報を持っている。こんなに極端ではないが、特定の魔術を使うための術式情報だとか、魔力を増幅するための術式情報とかな。」 「はぁ。」 意味が解ったのか解らなかったのか、それすらも判断できないような返事を二人は同時にした。 「もちろんチェリア自身に、それほどの魔導術式が込められている訳でなく、個別の術式情報は特定のアイテムに付加されていることが多い。そして鍵を解することによって、それらは一つの能力として人に宿るわけだ。」 「祭器のほとんどがマークを宿すための物、というのはそういう意味なんですね。」 ようやく意味が解ってきたのか、テューズは師にそう尋ねる。 「そうだ。で、他のマークとは比べ物にならないほどの力を持ったマーク、魔導紋章と言われるものなんだが、その一つが塔の最上階にあるわけだ。」 「それが聖王の刻印ってわけかよ。」 どうやらヒノクスの方も納得してきたらしい。それを確かめると、クリフはゆっくりと首を縦に振った。 「魔導紋章の能力は絶大だ。一世紀ほど前に歴史上唯一聖都を陥落させた男もまた、聖王の刻印を身体に有していたと言われている。とにかく、奴が刻印を手に入れる前にかたを付ける。」 クリフがそう言うと、二人は同時に頷いた。そして三人の眼前には、目的の塔がそびえ立っていた。
「好かれているのですね、猊下。」 応接間への回廊で、ミーシアは微笑しながらティルスにそう言った。ミーシアは何度かティルスと会ったことがあった。 元々ティルスは機国大戦時に魔導学院現学院長であるクリームと、紅華隊で共に戦った戦友である。そのために聖国と魔導同盟との友好を深めるべく、学院がまだ正式に運用されていない頃に、よく学院に来ていたのだ。 今では子供がいるためか、学院に来ることもなくなったが、その頃にサハリン家を通じてミーシアは彼と何度か顔を合わせていたのである。 変におだてられたことに、照れたのか、鼻の頭を掻きながら、ティルスは言葉を返す。 「元々が軽い性格だからな、付き合いやすいのだろう。それにしても、殿下が来ているとは知らなかった。」 「殿下は止めて下さい、猊下。私は学院教師として来ているのですから。」 というよりも、殿下という呼ばれ方に慣れていないのか、ミーシアは苦笑しながらそう言った。 「承知した。それにしても、どうして君がカウント婦人と? 」 「そういえば、猊下もレニアさんを知っていたようですけど? 」 「ああ、私とカウントは昔からの顔馴染みだったからな。」 「では、ローグ=イレイドのことも御存知ですね? 」 ローグ、突然ミーシアの口から出たその名に、ティルスは顔を強ばらせる。そして彼は疲れたような表情で、深いため息を付いた。 「そういうことか・・・。私よりも先にローグの方がカウント婦人を見つけてしまったわけか。」 「カウント婦人を捜していたのは知りませんでしたが、そういう事のようです。ローグは聖王の刻印、セイントマークを狙っています。」 「カウントの娘が奴等の手に渡ったのか・・・。クリフが話していた少女がそうだと知っていれば、ここでかくまったものを・・・。」 ティルスはひどく後悔した様子で、そう言った。二人が応接間に辿り着いたのは、ちょうどその時だった。 「猊下、気付いておられますか? 」 応接間の前で、ふとミーシアはティルスにそう尋ねた。ティルスは小さなため息をついた後に、その問に答える。 「大方ローグの手の者だろう。それにしても6名とは・・・、侮られたもんだな、俺も。」 「正確な数ですね。それで、彼らの処理は私に任せて頂けませんか? 」 「了解している。だからここまで付き合ったのだろう? 急いでいるというのに。」 ティルスのその言葉を聞き、ミーシアは苦笑する。 「私が下手に動けば、屋敷の者達に気づかれるからな。クリフは、なるべく秘密裏に事を進めてくれようとしているのだろう? なら俺はそれを信じるまでだ。」 「ありがとうございます。猊下。」 そう言うと、彼女は軽く頭を下げ、来た道を引き返していった。 (礼を言わなければならないのはこちらなのだがな。) そう苦笑し、ティルスは応接間の中に入っていった。
ローグがランフォード邸に遣わせた暗殺者は6名だった。彼らはミーシアが門兵達と問答を繰り広げている、丁度その頃にランフォード邸に辿り着いており、それ以後、ずっとティルスを観察していた。 「女がいなくなったぞ。どうする? 動くか? 」 茂みの陰に身を潜めていた暗殺者の一人が、隣にいるもう一人の暗殺者に尋ねた。ランフォード暗殺の命を受けた一同は、ティルスが一人でいるところを狙う予定だったのだが、妙な女が現れてしまったために、行動をとれないでいたのだ。 「そうだな。他の連中もしびれをきらしているだろうしな。」 彼らは二手にわかれて行動していた。片方は応接間の対面で、こちらの部隊の動きがあってから突入する手はずになっている。挟み撃ちをしようという考えなのだ。 「だが相手は機国大戦の英雄だ。油断はできんな。」 「なに、相手は全盛期を過ぎた中年だ。敵ではないさ。」 「あら、中年のおじさまの魅力がわからないなんて、駄目ね〜。」 「!!! 」 突然、背後から聞こえた女の声に、二人は驚く。振り向くと、そこには赤い瞳の若い女が立っていた。確か先程ランフォードの前からいなくなった女、ミーシアである。 驚愕の表情の二人に、ミーシアはにっこりと微笑むと、直線の会話とは異なり、しっかりとした口調で言葉を紡いだ。 「重力の戒めよ。」 ミーシアの台詞に対応するように、彼女の首にかけてある丸い球に力が収束していくのがわかる。しかも、場に収束しているのは尋常でないほどの力だ。 暗殺者達は、その収束した力の大きさに驚きながら、その場を離れようとするが、ミーシアは二人にすっと触れると、言葉と共にその力を解放した。 「グラビゲーション! 」 瞬時に暗殺者達は、自分の身体が何倍にも重くなるのを感じた。まるで鋼鉄の重りを背負ったように、二人は動くことが出来ず、そのまま地面に俯せになる。 「一つ聞きたいことがあるんだけど、いいわよね〜。」 場に合わない、気楽そうな声でミーシアは倒れている男達にそう言った。 「き、貴様、一体? 」 「質問するのは私よ。反対側にいた三人みたいになりたくなかったら正直に、ね。」 ミーシアはそう答えるともう一度にっこりと笑った。その場にいた暗殺者達には、それは悪魔の微笑みに思えた事だろう。二人は頬に冷たい汗が流れるのを感じながら、小さく頷いた。 「あとの一人は何処行ったの? もう一人いたでしょ? 」 ミーシアが感じたのは6人だったはずだ。ティルスも同様に6人と感じていたのだから間違いはないはずだ。それにも関わらず、この場には2人しかいないし、さっき遭遇した連中も3人だった。 暗殺者の片方は、答えるのを戸惑っていたが、もう一人の方は怯えながら、簡単に答えた。 「よ、様子見に行ったまま、帰ってきていない。」 (嘘はついていないようね。ま、あれだけ脅したんだから当然と言えば当然だけれど・・・。) ミーシアは応接間の向こうで倒れている3人の暗殺者を思い出しながら、そう思った。 「ま、とにかく。ありがと。」 そう言って、ミーシアは素早く二人の男の首元に手刀をたたき込んだ。男達の意識はそこで刈られた。 「!!! 」 その刹那、物凄い勢いで、一本の槍がミーシアに向かって突進してきた。ミーシアは瞬時に脚に精気を収束させ、疑似闘気を付加させる。そして槍が当たるよりも先に、彼女は上に跳躍した。 同時に槍が地面に爆音をたてながら突き刺さる。そして驚愕した。 (闘気、しかも生粋の・・・。) 疑似闘気である魔導闘気を発動させるためには、今ミーシアが行ったように、精気の収束が必要となる。 場に精気が充満している時ならともかく、そうでない今、精気の流動を感じなかったとなると、それは闘気以外の何者でもない。 驚愕の対象になっているのは、威力ではなく、その槍を投げた人間である。 黒髪の、黒い瞳の少年だった。彼はまだ騒乱双児とそう変わりのない歳だ。だが間違いなく強力な闘気使いである。目の前に突き刺さっている槍が、その証明だ。 (虎国でさえ、闘気使いの育成には手間取っているというのに、一司祭がそれを成しているというの? ) それが事実だとすれば、それは脅威的な事だ。刻印、この少年、そしてあの男の力が揃えば、それこそ聖都すら落としうる力となる。 (もしかして、それがローグの目的? ) 何のためかは解らない。だが何故かそういった考えがミーシアの頭から離れなくなった。 そしてその隙をその少年は見逃さなかった。 「でやぁぁぁぁっ。」 少年は右手に闘気を込めると、そのまま物凄い瞬発力でミーシアに突撃してくる。それは人間離れした突撃だった。が、ミーシアに見切れない動きではなかった。 (速いけど、先生やアーバンはもっと速いわ。) ミーシアは闘牛士のように少年を流すと、首に下げている球に力に収束させる。 「グラビゲーション。」 そして少年に触れると同時に、場には再び重力の場が発生する。 「うがぁっ。」 押しつぶされそうな重力に、少年は苦悶の声をあげる。だがそれでも少年は立ち上がろうとした。 「やめなさい。それ以上力を加えれば、貴方は死ぬわよ。」 ミーシアは重力の場を強める。というよりも少年の力が更に上がってきているために必然と力を上げさせられているのだ。 (このままじゃ、本気を出さざるを得なくなる・・・。) 焦燥がミーシアを襲うが、そんな事には構わずに少年は叫んだ。 「俺は、自由になるんだっ。誰にも邪魔させないっ!! 」 「自由? 」 ミーシアには意味の解らない台詞だ。だがミーシアは躊躇いもなく、彼の戒めを解いた。 「・・・・・・何の、真似だっ! 」 少年は未だ強い警戒心を見せながら、ミーシアを睨み付けた。だがミーシアは全く臆する様子もなく答えた。 「貴方の言っている事の意味はよくわからないけど、私は貴方の自由を奪うことはしないわ。」 そう言うとミーシアはにっこりと微笑んで、彼に手を差し伸べた。意外そうな表情をしながらも、少年はその手をとろうとした。 だが少年の胸を、一筋の閃光が貫いた。そしてゆっくりとその場に倒れ込む。ミーシアが場の精気を乱したために気付かなかったのだ。魔術が発動したことに。 「馬鹿が。妙な欲を出さなければよかったものを。」 それを放ったのは、一人の老魔術士だった。おそらく高位の魔術士なのだろう。幾ら場の精気が乱れているといっても、精気の収束を巧みに紛らわすことの出来る魔術士などどこにでもいるわけではない。 だがそんなことはミーシアにはどうでもよかった。ミーシアは場にしゃがみ込むと、少年の傷の具合を見る。 確実に致命傷だった。閃光は少年の心臓を貫いていたのだ。血がとどめもな溢れてくる。 「ごめんね。」 小さくそう呟くと、ミーシアは彼の手を強く握ってやる。すると少年は、最後にその手を握り返し、そのまま力無く目を閉じた。 ミーシアは少年の身体を横たえると、老魔術士の方を振り向き、言った。 「何故、この子を殺したの? 」 それはひどく静かな声だった。感情という物が全く込められていない、静かな言葉・・・。いや、必死で感情を抑えようとしていた、というのが事実だろう。 彼女は、心の内から沸き起こる怒りを、必死で制御していたのだ。それが彼女がクリフから学んだ事だから・・・、そしてそれが自分がクリフにしてやれるたった一つのことだったからだ。 だが彼女の想いとは裏腹に、老魔術士は吐き捨てるようにこう言った。 「いくら力があっても、駒は意志をもってはいかんのだよ。それに獣の芽さえあれば、まだ駒はいくらでも作ることができる。なんなら、貴様にもくれてやろうか? 」 そう言って笑う老魔術士の姿を見て、ミーシアは感情を抑えるのを止めた。 瞬時にミーシアを中心として、場には凄まじい量の精気が収束していく。老魔術士は笑いを止め、驚愕の表情でそれを感じているしかなかった。 「な、何だ? 何をした? 」 それは信じられないほどの力だった。既に人の範疇を越えていると言っても、過言ではなかっただろう。そしてその場の精気が、全てミーシアの首にかけてある、宝珠に収束した後、彼女はすっと前に手を差し出した。 「ば、馬鹿な。耐えられるものか。人間に、これほどの力が。」 普通ならば不可能なはずだった。強力な魔術は、術者本人すらの身体すら消し去るほどの力を生み出すことも稀ではない。そして今、老魔術の目の前で展開されている力もまた、それと同じ種の力なのである。 だが彼女は躊躇いもなく、一言の言の葉とともに、その力を解放した。 「レイブラスター! 」 ミーシアが言葉を口にすると同時に、巨大な光の奔流が全てを飲み込みながら、老魔術士を包み込む。そして後に残ったのは、数百mに及ぶ焼き爛れた地面の跡だけであった。 「冥府であの子に詫びなさい。」 滝のような汗を流し、大きく息を切らしながら、ミーシアは後ろに倒れている少年にもう一度呟いた。 「ごめんね。」 と。そして彼女は二度は振り返ることはせず、ランフォード邸を出た。彼女にはまだやるべき使命があった。
「いい加減に、姿を現したらどうだ? 」 エッテムの塔の前には、何十人かの人間が倒れていた。その中央に立っている男によって、薙ぎ倒されたのだ。 その男は学院教師であるクリフだった。そして彼は、誰もいない森の茂みの方に向かって、そう叫んでいた。 何も知らない者が見れば、気が狂ったように思えたかも知れない。だが彼には見えていた。そこに人がいることを。 「出やすいように、人払いまでしたんだ。それとも、いぶりだして欲しいのか? 」 その言葉が冗談ではないことを示すように、彼は右手の手袋の魔導器に、精気を収束させる。 「そうせかすな。クリフォード=エーヴンリュムス。」 脅しが効いたのか、一人の男がその茂みの中から出てくる。金髪の青い瞳の魔術士・・・。それはローグの直属の部下であるフォボスだった。 「何をしていると思えば、お前ほどの男があの程度の男の犬か。フレッド。」 「同じ犬になるのであれば、貴方よりは十分楽しめる相手だよ。クリフ先生。」 言葉の末の方に強い皮肉を込めて、フォボスはそう言った。
彼の名はアルフレッド=グロリアスと言った。
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