魔 導 学 院 物 語
− 聖 王 の 刻 印 −

第三章 敗北




 夜の闇の中を、三人の男女が少し早足で歩いていた。チェリアとヒノクス、テューズの三人である。

 彼らは、クリフのお陰でランフォード邸から、見張りに気づかれることなく出ることに成功していたのだ。

 方法は単純である。クリフが見張りに話しかけている間に、三人が正門から抜け出したのだ。それほど大したことをしていないクリフであるが、三人にはひどく感謝をされた。その代わり、ヒノクスとテューズはクリフに言われ、彼女を家まで送っていくことになったのだ。

 当の本人であるクリフは、チェリアの母親が病気だというのが気になるらしく、応急用の薬品などをまとめてから三人の後を追うという事になっていた。

「悪いわね。付き合わせちゃって・・・。」

 申し訳なさそうにチェリアは二人にそう言った。だが二人は彼女の様子とは裏腹に、意外に楽しそうな表情をしている。

「気にしなくて良いわよ。夜に街に出られるなんて滅多にないことだしね。」

 テューズは嬉しそうにそう言った。ヒノクスも彼女の横でうんうんと頷いている。二人は自分たちが体験する、初めての状況を楽しんでいるのだ。そしてこの好奇心の旺盛さこそが、彼らが騒乱双児である由縁なのである。

 彼らが魔導学院に入学して2年と2、3ヶ月。彼ら自体が発端となった事件は、彼らが関わった事件数を考えてみれば極端に少ない。それはつまり、二人が余計な事に首を突っ込んでいることを意味しているのだ。

 そして彼らが起こした事件にしても、そのほとんどが騒乱双児同士の喧嘩がきっかけというものがほとんどだ。

 端的にいうと彼らが事件を起こすのは、何か面白そうな事件が起こっていたときがほとんどなのだ。それが『騒乱』の理由であり、二人が一緒にいると事件が起こるために、彼らが双子であることをかけて『双児』なのである。

「ま、とにかくだ。急ごうぜ。お前の母さん、心配してるだろしな。」

 ヒノクスがそう言うと、チェリアはこくりと頷いた。

 そして三人の姿は夜の闇に紛れ込んでいった。

 しかし彼らはその時に気付くべきだった。その場に彼らを見つめる人影があったことに。

 その人影は彼らの後をゆっくりと追い始めた。

***

「ま、これが大体の内容だな。」

 ランフォード邸の一室ではクリフとティルスが会話をしていた。その内容は夜の街に騒乱双児を連れ出すというものだ。クリフはそれを話す前に昼間の事件のこともティルスに話していた。

 ティルスはクリフから一通りの話を聞き終わると、納得したようなような表情を浮かべ、言った。

「ま、とりあえずはお前に任せる。俺はこの件を知らないということでな。立場上、俺がそれを許すわけにはいかんからな。」

 それは特別司教の肩書きを持つ彼には、二人の行った乱闘や、脱走という行為を認めるわけにはいかないという意味だ。だが、

「父親としては立場に縛り付けたくない、か。」

 クリフがそう呟く。

 それがティルスの本音だ。

 ティルスは言ってみれば聖国法皇に次ぐ権力の持ち主である。だが彼はあくまで司教なのであり、権力という意味では大司教を凌ぐわけにはいかず、立場という意味では厳格に法を守らなければならない。その二つを守らなければ封建制度の宗教国家というものは成り立たないからだ。

 しかしティルスの性分は本音の通りなのだ。だが人が作り出した法である限り、必ずそれにはどこかに矛盾が生まれる。しかし法がなければ混乱が生じるのもまた確かなのである。

 だからこそティルスは矛盾を抱えながらも、法を守る側の立場に立っているのである。法を守るために殉じた彼の父親と同様に・・・。

「出来ることならあいつらに俺と同じ道を歩んで欲しくない。自分が正しいと思った事もできないような道をな。」

 その時、初めてティルスは顔を曇らせた。機国大戦の時も滅多に見せなかった表情だ。彼は常にムードメーカーであろうとした。実際、紅華隊のリーダー、ディルもよくそれに助けられていたのをクリフは覚えている。

 そんなティルス弱みを見せるというのは、よほど今の自分が自分らしくないと言うことなのだろう。もちろんクリフを信頼してくれているということもあるのだろうが。

「だが後悔はしていないんだろう?ならお前が気にすることでもあるまい。結局はあいつらが決めるさ。そう言う意味ではお前は良い父親だと思うよ。」

 そう言ってクリフはティルスの肩をぽんと叩く。クリフは彼が騒乱双児を学院に入れた理由を知っている。

 本来なら国の要人は、祖国に対する忠誠を見せるために子を学院にやることが多い。そして要人の子を学院に通わすことで、その国は魔導同盟での権限を強めようとしているのだ。それほど魔導同盟は様々な国家にとって脅威となっていた。

 しかしティルスは違った。もちろん法皇から頼まれた、というのもあるかもしれない。だが、彼が二人を学院に入れた理由は、二人に世界を見て欲しかったためだ。

 魔導学院は確かに閉ざされた世界である。だがそれでも聖都と言われるこの街で、身分という制限に捕らわれて暮らさせるより、閉ざされていても、世界から人が集まる学院で色々な事を学ばせたいと思っているのだろう。

 多少美化はしているが、この大半の言葉はクリフが騒乱双児の入学査定の際、ティルス本人から聞いた言葉だった。あの時はおどけて言っていたが、今の彼を見れば、それが真実で、しかもかなり深い想いだったのが分かる。

「任せておけ。俺とお前が家族ということは、あいつらも俺の家族ということだ。それに生徒でもあるし、助けられてもいる。お前が側にいてやれない分、出来る限り俺がそれを補ってやるよ。」

「ありがとう。」

 そうティルスは静かに言った。

「それじゃ俺は行くぜ。あいつらを放っておくと、何をしでかすかわからんからな。」

「ああ。頼む。」

 クリフは小さく頷くと、そのままティルスの部屋を後にした。

***

 クリフがランフォード邸を出ると、突然クリフの耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。

「クリフ先生?」

 見ると、そこには紅い瞳の女性が立っている。ミーシア=サハリン、彼女の名だ。クリフは驚愕の表情で彼女を見る。

「ミーシア、なんで?」

 クリフは目を大きく見開きながら、そう彼女に尋ねる。すると、ミーシアが話をしようとするのと同時に、ミーシアの側にひどく背丈の小さい女性が近づいてきた。

「あらぁ〜。くりふせんせいじゃありませんか〜。」

 甘ったるい声、ミーシアが時折口にする甘ったるい声よりも、さらに輪を掛けたような声だ。その声にクリフはひどく嫌な予感を覚えた。

「れ、レーミア様・・・・。」

 クリフは顔を青くしながらその女性の名を呼ぶ。レーミア=サハリン、ミーシアの母親の名だ。あのクリーム元学院長ですら制しきれない女性・・・、それが彼女だ。

「いつもむすめたちがおせわになってますぅ〜。」

 レーミアは相変わらず甘い声で喋りながら、深々と頭を下げると、にこぉっと笑った。と同時に、ぞくっとクリフの背筋に悪寒が走る。最大級の嫌な予感だ。こういった天然のタイプはクリフが最も苦手とするタイプだった。

「い、いえ。と、ところでどうしてレーミア様達が?」

 少しずつ後ずさりながら、クリフが尋ねる。

「え〜っとですねぇ。」

 レーミアが説明しようとするが、それをミーシアが制する。

「私が話しますわ。お母様。」

「あらぁ、そぉ〜?」

 レーミアは残念そうな表情をするが、このままでは話が進まないと思ったのだろう。アーシアは普段とは異なり、しっかりとした口調で話を続ける。

「法皇猊下の御子息の誕生パーティーに呼ばれたんです。アーシアにも招待状は来たんですけど、何か最近やる気になってみるたいで。」

 最後の方をいやに強調して、意味深な笑みを浮かべながらミーシアはそう言った。

「へ、へぇ。」

 クリフは併せて笑みを浮かべる。もちろんそれは乾いた笑みだ。

「ところでぇ、くりふせんせいはなにをしてるんですかぁ〜?」

 突然話に割り込んでくるレーミア。その言葉にきっかけを見いだし、クリフはわざとらしく驚いたように言った。

「そ、そうだ。実は少し急いでるんですよ。申し訳ありませんが、俺はここでっ。」

 クリフはしゅたと右手をあげると、軽く頭を下げる。

「いえいえ〜、おきになさらずに〜。あ、そうだ〜、みーちゃんがひまをしているよ〜なので〜、つれていってもらえませんか〜。」

「え”?」

 あからさまな反応をするクリフ。しかしレーミアはそれを気にせずに言葉を続けた。

「おねがいできませんかね〜。」

 屈託のない満面の笑み、それは妙な威圧感を持っていた。どうしてこの笑みにそんな威圧感があるのかは分からないが、クリフはそれに逆らうことができなかった。

「は、はい。」

 項垂れながら返事をするクリフ。それを聞くとレーミアは変わらず笑みを浮かべながら、二人のやりとりを呆れながら見ていたミーシアに言った。

「あんまりめいわくかけちゃだめよ〜。」

と。

 その言葉を聞いてクリフががっくりと肩を落としたのは言うまでもない。

***

 クリフがレーミアに遭遇していた頃、先にランフォード邸を出ていたチェリアら三人は、ちょうどチェリアの家に辿り着いていた。

 チェリアの家は外層街のさらに郊外にある古い共同住宅街にあった。元々は外層街の中央に近いところに住んでいたそうなのだが、父親が死んでから、経済的な問題もあり、こちらに移ったという。

 その家ははっきりといえばボロ屋だった。大きさはランフォード邸の一室にすら値しない。

「ごめんなさいね。なんのおもてなしもできないで。」

 弱々しい声でそう言ったのは痩せ細った女性だった。チェリアの母親だ。黒く、長い、乱れた黒髪、元々身体の強い人ではなかったらしいが、夫を失ってからさらに身体を悪くしたということだ。

「構わないで下さい。こんな時間にお邪魔した私たちが悪いんですから・・・・。」

「そうそう。」

 二人はは微笑みながらそう言う。

「でも、チェリアがお友達を連れてくるなんて珍しい事ね。」

 チェリアの母親は小さく微笑みながらひどく嬉しそうにそう言う。だがその笑みは彼女が痩せ細っていることでひどく痛々しい物に見えた。

「何言ってるのよ母さん。私にも友達くらいはいるわよ。」

 チェリアはふてくされたようにそう言う。二人が友達になっているのは、帰路に口裏を合わせたからなのであるが、家に帰ってきてからの彼女は、先程までの尖った雰囲気はなくなっていた。母親に心配をかけたくないのだろう。

 騒乱双児には二親もいるし、聖国の良家で育ってきたために世間知らずではあるが、そんな彼女の想いというのは、しみじみと感じることが出来た。

 この家に来てから人が、喧嘩をする素振りすら見せなくなったのは、場の雰囲気を壊したくなかったからであろう。

 双子の姉弟が場を荒らさないこともあって、チェリアの家にはしばらくの間和やかな雰囲気が伝わっていた。

 だがその和やかな時は長く続くことはなかった。

「まさか、てめぇがグレイムのガキだったとは思わなかったぜ。」

 突然、数人の男がチェリアの家に押し掛けてきたのだ。そのメンバーは昼間の男達である。騒乱双児の表情が瞬時に嫌悪のものに変わる。

「お前ら、一体何の真似だ?仕返しなら俺達にやるのが筋だろうがっ!!」

「仕返し?そんなちんけな話じゃねぇんだよ。なぁ、奥さんよ。」

 男達の言葉にヒノクスは振り向くと、後ろではチェリアの母親はがくがくと震えている。

「あ、あ、あ・・・。」

 明らかに怯えている。チェリアの母親は、大声で叫ぶ。

「チェリア、逃げなさいっ!!」

 チェリアの母親は彼らがここに押し掛けた理由を知っているようであった。だがチェリアには母親が言った意味が分からなかった。なぜ昼間の出来事を知らない母親が、自分を逃がそうとするのか、それが彼女には分からなかったのだ。

 だがそんなチェリアには構わず、場の状況は進んでいく。

「そうかよ。鍵はそのガキかよ。」

 リーダー格の男がそう言うのと同時に、左端にいた坊主頭の男がチェリアに向かって動く。しかも昼間とはまるで別人のような動きでだ。

「させるかよっ。」

 だが学院でアーバンを相手にしているヒノクスが反応できない速さではない。ヒノクスは男達が現れたことで、いつでも発動させることの出来るようにしておいた闘気を使い、坊主頭の男に向かって瞬発する。

 ヒノクスが男の顔を思い切り殴り飛ばすと、チェリアの前に彼女を護るべく立ちはだかった。

「何のこと言ってるのか解らねぇけど、気にくわないんだよっ!!」

「それに、チェリアのお父様のことで尋ねたい事もありますし。」

 チェリアの母親を護りながらテューズが男達を睨む。その手には学院の魔導器プラネットがはめられていた。先程の男達の動きを見て、異常さを感じたのだ。でなければ守護系の魔術を使う以外、一般の人間に魔導器を使うことなどない。テューズは体術は得意ではないが、その程度の実力は持っているのだ。

 だが男達に臆したような様子はなかった。昼間、ヒノクスは結構本気で痛めつけたはずだ。さっきの坊主頭の男にしても、ヒノクスは手加減をしたつもりはない。にも関わらず、男は平然と立ち上がっている。

「昼間と同じと思うなよ。来いっ!光の刃っ!!」

 リーダー格の男はそう言うと、右手の手袋についている十字架に光を収束させる。魔術を発動させる気だ。だが同時にテューズもそれに対応していた。

「我纏うは光の幕。」

 テューズもまた、右手の魔導器に光を収束させる。そして二人はほぼ同時に叫んだ。

「セイントマークっ!!」

「ライトカーテン!!」

 男が閃光を放つのと同時に、テューズは薄い絹のようなものを眼前に展開させた。閃光はその幕に触れると弾けた。

 リーダー格の男と、テューズが魔術を発動させる直前、それよりも早くヒノクスは男達の方に向かって走っていた。相手が自分たちよりも数が多い以上、長期戦、しかも何かを護りながら戦うのは利口ではない。先手必勝、ヒノクスはそう考えたのだ。

 ヒノクスは走り出すと同時に、小さく、それでありながら強い意志がこめられた声で呟く。

「我誘うは光の鼓動。」

 そして続けて彼は叫んだ。

「レイストライクっ!!」

 瞬間、ヒノクスの右手に収束した光は、握り拳程度の球体となってリーダー格の男に向かって突き進んでいく。光球はそのまま物凄い速さで男の顔面に命中し、男はその衝撃で意識を失った。

 しかしヒノクスの動きはそれで止まらない。彼はそのままの速さで、一番間近にいた長身の男の腕を取り、その腕を間接とは逆の方に曲げる。長身の男の腕は、普通ならば決して曲がらない方向に折れ曲がり、男は壮絶な痛みに絶叫する。

(手加減してる余裕なんてないんだよ。)

 ヒノクスは、男の叫び声を聞きながら、そう心の中で呻いた。何か異様な力を感じるとはいえ、一般の人間に力を振るうなどというのは、ヒノクスには初めてのことだった。ひどい罪悪感が脳裏をよぎる。

 だがこの二人は護らなければいけない。何故かそんな使命感が、ヒノクスの心の中に溢れていた。そしてそれはテューズも同じだった。

「レイストライクっ!!」

 ヒノクスが相手に仕掛けている間に、テューズは魔術の術式を完成させていた。ヒノクスが撃ったのと同じその魔術は、ヒノクスに襲いかかろうとしていた長身の男を吹き飛ばす。

 そしてヒノクスは、それを見るよりも先に、近くにいたもう一人の男を殴り飛ばした。そこでようやくヒノクスは動きを止めた。

「はぁ、はぁ、はぁ。」

 ヒノクスの息は荒くなっていた。ノンストップで全力を振るったのである。当然といえば当然だ。だが取りあえずヒノクスは、当初の目的は果たしていた。

 相手は残り一人。一か八かではあったが、特攻が功を成したのである。とはいっても倒す自信がなかったわけではない。伊達にずっとアーバンを相手にしていたわけではないのだ。確かに連中の能力は、以前とは比べ物にならないほど上昇してはいたが、速さはアーバンほどではない。それに、テューズがいた。

 ヒノクスやテューズ自身、それに気付いてはいないが、彼らはお互いに絶対的な信頼を寄せている。ヒノクスが先程攻撃に反応を見せなかったのもそのためだ。できなかったのではない。しなかったのだ。する必要が無かったと言った方が正しいのかも知れない。ヒノクスは、テューズを通して自分が護られることを感じていたのだ。

 呼吸を整えているヒノクスに代わり、テューズが最後に残った坊主頭の男に向かって言った。

「さあ、あとは貴方だけよ。投降しなさい。これ以上戦っても無意味でしょう?」

 テューズは凛とした声でそう言うと、その男は歯ぎしりをしながらテューズを睨み付ける。だがテューズも目を反らさない。こういった時には、目を反らす事が自分たちに不利な状況を招くことを知っているからだ。

「無駄よ。もうじき私達の師がここに来るわ。あなた達に打つ手はないわ。」

 さらに威圧するように叫ぶ。相手の戦意を削ぐためだ。そしてそれは明らかに効果を発した。男は戦意を喪失したのだ。

 だが、突然テューズは凍るような寒気に襲われた。

「無様だな。」

 不意に、背後から男の声が聞こえてくる。振り向くと、そこには倒れているチェリアとその母親の姿があった。そしてその傍らには長身の、ブロンドの髪の男が立っている。

 凍り付くような冷たい表情、そしてその視線は、間違いなく『味方』のものではない。そしてその力が、先程までのごろつき達とは書くが違うのも、一目瞭然だった。

「だが仕方がないといえば、仕方がないか・・・。まさかこれほどの使い手とはな。いくら獣の芽を受けたといっても、こいつらでは相手にはならんか。だが、まだ俺を相手にするには、未熟すぎる。」

 男はヒノクスとテューズを眺めながら言うと、すっと左手を、ヒノクスとテューズの中間ほどの場所に向ける。その手には見慣れた物があった。赤い手袋にはめられた、一つの球体。それが何であるか理解するよりも早く、男の右手に場の精気が収束する。

「ライトチェーン。」

 男の声と同時に、数本の光の鎖が二人に猛襲する。男の手にあった物は、紛れもなく騒乱双児が持つのと同じ魔導器、プラネットだった。

 二人はその鎖から逃れようと、その場から離れようとする。が、それは叶わなかった。光の鎖は、二人が動こうとしたときには既に、周囲の至る場所に展開していたのだ。まるで二人を囲むかのように。いや実際囲んでいるのだろう。目の前の男の意志によって。

「こうなったら。」

 ヒノクスは意を決し、前に向かって進んだ。つまりブロンドの男の方へである。周囲に包囲網が展開しているのであれば、未だ魔術に集中している術者を狙い、包囲網を突破しようと考えたのだ。

 そしてそれを実行したのはヒノクスだけではなかった。テューズもまた同様に前に向かって駆け出している。

 だが男の魔術の速さは、彼らの動きを凌いでいた。前後左右から押し寄せてくる光の鎖の網に、対応空しく二人は捕らわれる。そしてそれらは物凄い力で二人の身体を締め付けた。

「着眼点は悪くはない。が、貴様らの技量ではまだいささか不十分だったようだな。」

 男はそう言うと、光の鎖を放す。束縛系の魔術は精気の続く限りその効果を発揮し続ける。男がどれくらいの精気をそれに込めたのかは分からないが、自分たちが仕事を全うする間に精気が切れるような真似はしていないだろう。

 だがそれでも二人は足掻いた。ここで諦めてしまったら、何か取り返しのつかない事になるような気がしたためだ。だがそれはたとえ足掻いたとしても、変わることはなかった。

「さてと。ヴェイス、その馬鹿共を起こせ!」

「は、はい。フォボス様。」

 ヴェイスと呼ばれた坊主頭の男は、ブロンドの男からそう一瞥を受けると、慌てながら倒れている他のごろつき達を揺さぶる。一方、フォボスは倒れているチェリアの顔を覗くと、その身体を肩に担いだ。

「待ちやがれっ!チェリアをどうする気だっ!!」

 ヒノクスは俯せの状態であったが、顔を上げフォボスに向かって怒鳴る。だが同時にヒノクスは腹部に激しい痛みを感じた。ヴェイスに起こされたごろつきの一人に蹴られたのだ。

「そんな事を聞いていれられる状態かよ。自分の立場を考えなっ!!」

 上に蹴り上げられたために、ヒノクスの身体は一度宙を浮き、そのまま仰向けになった。

「げほっ、げほっ。」

 呼吸を邪魔され、ヒノクスは激しく咳き込む。

「ヒノクス!!」

 視界には入ってはいなかったが、ヒノクスが咳込むのを聞き、テューズが叫ぶ。光の鎖の戒めに縛られているために、受け身もとれず、苦しげにもがくヒノクスであったが、それでも彼の瞳は彼らに屈してはいなかった。

「弱い奴や、身動きのとれない奴しか相手に出来ない奴は黙ってやがれ!!」

 ヒノクスは自分を蹴った男を睨みながら、そう怒鳴った。そしてテューズもまた同様に男達を睨んでいた。戦闘での敗北を喫しても、彼らは精神の敗北は拒んだのである。

「ガキがっ!!」

 図星だったのか、男はもう一度ヒノクスを蹴ろうとするが、意外にもそれを制したのはフォボスだった。

「やめておけ。」

 フォボスはそう言うと、担いでいたチェリアをその男に渡す。そしてそのままその場を去ろうとする。

「フォボス様?」

 止められた事が意外だったのか、男はチェリアを受け取りながら、彼の名を小さく呼んだ。当のフォボスは、不機嫌そうに一瞬だけ後ろを振り向くと、まるで汚れた物を見るような目で彼らに向かって叱咤した。

「同じ失敗を二度も繰り返す気か?魔術を使うような騒ぎを起こせば、そう時間が経たないうちに人が来る恐れがある。そんなガキ共に構っている暇は無いだろう。ローグ様も二度は貴様らを助けては下さないぞ!!」

 それだけ言うと、フォボスはそのまま出口へと足を進めていった。

「待ちやがれっ!まだ話はっ・・・」

 それはヒノクスの言葉だった。だがその言葉は、最後まで続くことはなかった。フォボスはもう一度振り向き、そして恐ろしく冷たい視線を二人に向けていたのだ。

 恐らく、それが二人が初めて体験した『本当の恐怖』というものだったのだろう。あれほど猛っていた怒りすら凍り付くような感覚を二人は味わっていた。

「粋がるのはいいが、実力の差というものを理解しておくのだな。あまり度が過ぎると、子供の戯言では済まなくなる。」

 かろうじて眼だけは反らさずにいたが、二人の精神は既に限界寸前だった。圧倒的な威圧感・・・。二人は、敗北を認めざるを得なかった。

 そしてフォボスはそのまま法衣を翻しながら、その場を去っていった。

「ちくしょう・・・。」

 一同が去った後、ヒノクスは唇をかみしめながらそう呻いた。彼らの戒めが消えたのは、そのすぐ後だった。





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