魔 導 学 院 物 語
− 聖 王 の 刻 印 −

第一章 聖都の騒動劇




 神聖国家アネステレス。

 その国は輝神教の教主である法皇によって治められる宗教国家である。そしてアネステレスの主従制は法皇を頂点とする僧侶、そして国を護る神殿兵士達によって形成されている。そして現在ではその勢力は他の大国にすら浸透しつつあった。

 魔導学院のある赤珠族の王都ディレファールはアネステレスから独立した国だ。王都の名と国の名が重なるのはディレファールが独立都市だからである。

 ディレファールは輝神教を国教とすることでアネステレスからの独立を果たした。そしてディレファールの国教が輝神教であるのは今も変わってはいない。つまり独立国といっても聖国色が強いのである。

 それであるのにも関わらず、魔導学院に大国要人の人間が入学するのには理由があった。その理由の一つは輝神教自体が他の宗教に通じているためである。

 エクセリオンを含むマルディールという世界の神々は全体的に一通している。その祖となるのは魔導神マルディールである。各国家の信仰する宗教はその神の子とされる神々だ。

 そしてその中で最も信仰されているのが、輝皇神レヴァを主神とする輝神教なのである。


 そこは白で覆われた部屋だった。部屋はそれほどは広くはない。クリフ本人がそこを希望したからだ。貧乏性なのか彼はあまり広い部屋は好きではなかった。

 だが広くないといっても、クリフの教員部屋のゆうに3倍はある。これが最小の部屋だというのだからクリフには驚きだった。

 彼はアネスティーンのある僧の屋敷にいた。屋敷の主の名はティルス=ランフォード、アネステレス大神殿の特別司教だ。司教でありながら、聖国第二位の階級である大司教に並ぶ権力を持つ男である。

 彼の履歴を話せば、妻が大神殿の司教の娘で、ティルス自身機国大戦で紅華隊に所属し、大きな功績を成した人物であった。そのために大戦後、聖国法皇に認められ特別司教となったのである。

「しかし、本当に白い部屋だな・・・・。」

 クリフは半ば呆れたような声色で、目の前にいる黒髪の男にそう呟いた。輝神教徒はよく白を好む。清潔とは感じるが、部屋を全て白に染めるという行動自体は、クリフにはあまり良い趣味とは思えなかった。

 クリフの言葉に家の主であるはずのティルスも、同意するように頷いた。

「俺もあまり良い趣味とは思わんのだが、何せこの国の連中は白を好むからな。接客用の部屋は基本的に白で統一してあるのさ。」

 ティルスはそう言うと、悪戯っぽくそう苦笑した。その表情はどことなくヒノクスに似ている。彼がヒノクスの父親であることを考えれば、当然と言えば当然だ。

「だが、お前が教師というがらかよ。初めて聞いた時は笑ったぞ。」

「うるさい。自分でもそう思っているんだ。皆まで言うな!」

 クリフはビシッと人差し指をティルスに向けると、不機嫌そうにそう言った。ティルスはその様子を楽しむかのように、さらに言葉を続ける。

「いやいや、他の連中にも見せてやりたいぜ。ジェチナギルドの氷の閃光が、ガキ相手に馬鹿やってる所をな。」

 氷の閃光、それはクリフの昔の通り名だ。ジェチナギルドの魔物狩人として機国大戦に参加したクリフ。だが彼がそう呼ばれていたことを学院のほとんどの人間は知らない。極一部、クリフと深い縁のあった者だけがそれを知っているのである。

「紅華隊か、懐かしいな。」

 クリフはふいにそう呟いた。紅華隊、それはクリフにとって有意義な時を過ごした時間の一つだ。だが彼がその時間を思い出すことは少ない。それはその時間が有意義であったと同時に、多くの大切なものを失った時間でもあったためだ。

 だが久しぶりに旧友と再会したことでクリフはその時間を思い出していた。そしてそれはティルスも同じだった。

「そうだな。戦いの中だったが、あの空間は居心地が良かったからな。今に満足していないわけじゃないが、あの時間は確かに特別だった。」

 クリフが思っていた事をティルスが代弁するかのように口にする。

 特別な空間、確かにそれは特別だった。わずか一年半程度の時間だったが、ある一人の女性を中心に、紅華隊はまるで家族のような空間を作っていた。そしてクリフもその中にいたのだ。大切な人と共に。

「さて、昔話はこれくらいにしておこうぜ。」

 クリフの表情が重くなってきたのを感じ、ティルスは話題を切り替えた。紅華隊のムードメーカーであった彼だが、決して雰囲気に無頓着な訳ではなかった。むしろ彼のそれは相手を気遣うからこそ演じていたものだ。そう魔導学院元学院長クリームのように。

 ティルスのそんな心遣いに内心感謝しながら、クリフは小さく頷く。

「ま、こっちにいる間はうちに滞在してくれればいい。白い部屋で悪いがな。」

「いや、ありがたい。だがそんなに長居をする気もない。元学院長の依頼でお前の子供達を連れてきただけだからな。」

「そうか?まあ、聖都は初めてだろ、観光くらいしていけよ。」

「そうさせてもらうよ。」

 その言葉を聞くと、ティルスは納得したように微笑し、その場を立つ。

「それじゃ俺は二人の相手もしなきゃならんし、ここらで失礼させてもらう。食事なんかは厨房長にでも交渉しておいてくれ。」

「普通客にそんな事をさせるか?」

 大雑把な接客の仕方に、呆れたように言うクリフ。

「客?そんなつもりはないぜ。」

「???」

「家族、だろ?」

 ティルスはそう言うと、右手を挙げながら部屋を出ていった。クリフは優しげな表情を浮かべながら、彼がいなくなった後に小さく呟いた。

「ありがとう。」

 と。大戦中、彼とはそれほど親しい仲ではなかった。それでもこうして接してくれる彼のその心遣いがクリフにはとても嬉しかった。

***

 賑わう街中の街道。夕方が間近のためだろう。所々に買い物をする主婦の姿が見られる。

 聖都と呼ばれるアネスティーンであるが、こういう世間の日常というものは他の街ともさほど変わらない。

「やっぱ故郷はいいよな〜。縛られる物もないし、自由に行動できるしな〜。」

「何言っているのよ。普段だって自由に行動してるくせに。」

 そんな普通の街中に、他愛のない会話をしている二人の少年少女の姿があった。髪と瞳の色は二人とも漆黒だ。悪戯っぽい表情をした少年に、しっかりとした表情の少女、瓜二つの顔が、異なる表情でそこにあった。

 ヒノクスとテューズ、それが二人の名だ。魔導学院クリフ教室生徒で騒乱双児と呼ばれている二人である。聖国出身である彼らは夏休暇を利用して聖都に帰省していた。

「うるせぇな〜。いいだろ、人をいきなりぶっ飛ばす先生も先輩もいないんだぜ。」

 ヒノクスはにこやかな表情でそう言う。本当に嬉しいのだろう。普段の彼らなら既にバトルモードに突入しているところだ。

「ま、いいけどね。でも先生はこっちに来てるんだから・・・・。」

 半ば呆れながら喋るテューズ、だが内心、彼女も久しぶりの帰省に心を躍らせていた。しかし性分なのだろう。どうしても説教じみた台詞を口に出してしまう。

 しかし今のヒノクスには余裕があった。彼はふっと笑うとその拳を握りしめる。

「甘いぜテューズ、学院を出た先生など先生にあらず!つまり、俺達を制限する権限はないって事だ。」

 珍しくまともなことを言うヒノクスに、テューズは慌てて彼の額に手を置く。

「何の真似だ?」

 訝しげに尋ねるヒノクス。テューズもまた難しそうな顔をしながらそれに答えた。

「おかしいわ、あんたがまともなこと言うなんて・・・。熱もないみたいだし。明日は雪が降るわね。」

 テューズの至極真面目な表情に、元々気が短いヒノクスの怒りは頂点にまで達する。

「んだとぉーっ。こんな真夏に雪なんか降るわけねぇだろうが。この馬鹿っ!!」

「何よ。馬鹿に馬鹿呼ばわりされたくないわっ!!」

 瞬時に二人の間には険悪な雰囲気が漂う。そして二人が動こうとした丁度その時、突然どこからかドガッという物が崩れるような音が聞こえてきた。

「何?」

 テューズが周りを見渡すと、それほど離れていない店の周りに人だかりが出来ている。

「乱闘かな?」

 ぱぁっと目を輝かせるヒノクス。

「不謹慎ねっ。」

 とテューズは言うが、彼女の瞳にも好奇心の色が見て取れる。やはり双子である。根本的な好みは一緒なのだろう。二人はお互いの顔を見合わすと、こくりと頷き、その人混みへと駆け寄っていった。

***

 パシィッ。

 乾いた音が辺りに響きわたる。そして同時に小さな身体が勢い良く吹き飛ばされ、その身体は地面に強く叩きつけられる。

「うううっ。」

 仰向けになりながら小さくそう呻いているのは、まだあどけなさを残す少女だ。

 辺りには多くの人間が集まっていた。彼らは少女を中心に円を作るように集まっている。その顔には哀れみと嫌悪の表情が浮かんでいた。

 そしてその少女に形相の悪い男が近寄っていく。

「ったく、俺の店で盗みを働こうなんざ、良い度胸だぜ。」

 男はそれだけ言うと少女の胸ぐらを掴み、彼女を締め上げる。

「ぐうっ。」

 少女は苦しげに呻く。そしてその苦しみから逃れようと、少女は男の腕に思い切り噛みついた。

「うぎゃっ。」

 男の悲鳴とともに少女の身体はその戒めを解かれる。少女は地面に着地すると、せき込みながらその場を離れようと足に力を入れる。だが少女の願いは叶うことはなかった。

「調子に乗るんじゃねぇ。」

 少女の身体は再び宙を舞う。人混みの中から現れた男に腹部を蹴り上げられたのだ。再び激しい嘔吐感が少女を襲った。

「げほっ、げほっ。」

 人混みから現れたのは五人の男達だった。少女を蹴り飛ばしたのはその中でもリーダー格の男だ。その男は倒れている少女の髪を荒々しく掴みあげると、その頬をひっぱたく。

「うぁっ。」

 口内を切ったらしく、少女の口から赤い筋が流れ出る。

「おい、聖都での盗みは御法度だぜ。ちゃんと罪は償わなくちゃな・・・。」

 男は下品な笑みを浮かべながらそう言う。もちろんそれは少女をいたぶるための口実だ。日常が他の街と変わらない分、こういった輩もまた聖都にもいる。そしてそこに集まっている人間達も、哀れみの瞳を少女に向けるだけで彼女を助けようとはしなかった。

 だが突然人混みの中から小さな影が飛び出してきた。その影は高く跳躍すると、少女を掴んでいる男を蹴り飛ばした。男はもの凄い衝撃を受け、そのまま地面を転がる。

 その影はヒノクスだった。そして遅れてテューズが人混みの中から出て来、少女を介抱する。

 ヒノクスはあからさまに嫌悪の表情を浮かべると、その場にいる六人の男達に向かって侮蔑するように言った。

「おっさん達、何盗まれたのかしらねぇけど、いい大人がガキ一人を相手にすることじゃねぇだろーが。」

「確かに盗みは御法度ですけど、私刑だって公認ではないでしょう。」

 テューズもまた嫌悪の表情を浮かべている。二人とも騒がしいのは好きな方だ。だがこういったいわゆる『弱い物いじめ』や『よってたかって』という行為は、彼らが最も嫌悪することだった。

「ガキがぁ。」

 男達は凄い形相で二人を睨んでいた。無理もないだろう。周囲にいる大人すら、黙認している彼らの行為を遮ったのが、年端もいかない子供なのだ。彼らにとっては面目が立たないのだろう。

 彼らは怒りにまかせ、二人に襲いかかってくる。だが相手が悪かった。


「どおりゃあああぁぁぁぁぁっ。」

 ヒノクスのかけ声と共に、男の一人が吹き飛ばされる。ヒノクスが殴り飛ばしたのだ。本来ヒノクスの腕力でできる行為ではない。だがそれは彼が会得している闘気法を使えば可能なことだった。

 闘気法には大きくわけて二つの使い方がある。一つは拳や剣などに込め、大きな破壊力、もしくは防御力を生む付加法、もう一つは身体的な能力を向上させる活発法である。ヒノクスが使用しているのは後者だ。

 闘気の力は絶大な物だ。多少かじった事があるだけのヒノクスでさえ、こうして自分より大きな相手を薙ぎ倒すことが出来る。そんな彼に普通の人間が彼に勝てるはずもない。

 だが男達にも意地がある。このまま引き下がる事は出来ない。男達は一斉にヒノクスに殴りかかってきた。喧嘩慣れしているのだろう。その動きは速く、慣れたものだ。だが、

「アーバンの攻撃に比べたら、止まったように見えるぜ。」

 ヒノクスが一息をつきながらそう言ったのは、五人目の男を殴り倒した時だった。それまで黙っていた野次馬達も、まだ幼い一人の少年の活躍に呑まれ、歓声を挙げている。

「さてと、後はあんただけだぜ。」

 ヒノクスがそう言って残った男を指さすと、場には一際大きい歓声が沸き起こった。

「クソガキがぁっ。」

 男は呻くように声を絞り出す。そして彼は懐から手袋のような物を取り出した。その手袋には、小さな十字架がはめられていた。

「ウィッシュ・・・。」

 そう呟いたのはテューズだった。ウィッシュ、それは聖国で量産されている魔導器の一つである。型によって能力は違うが、最新のものならば魔導学院のプラネットよりも性能は明らかに高い。

「街中で魔術を使うのかよっ。」

 そう言うよりも先に、ヒノクスは走りだしていた。街中で魔術を使えば混乱は必至だ。それを考えてか、それとも魔術に攻撃されるのを避けるためかはわからないが、とにかくヒノクスは、男が魔術を完成させる前に、術式の構成を阻止しようとしたのだ。

 だが男の魔術はその前に完成してしまった。

「セイントマークっ。」

 男は一筋の閃光を放つ。閃光は一瞬にしてヒノクスの眼前に迫ってきた。

 ヒノクスは上に跳躍し、それを寸前でかわす。そして落下と同時にその男の顔を思い切り蹴り飛ばした。閃光の方はプラネットを装着したテューズの結界によって防がれていた。

「ったく、街中で魔術なんて使うんじゃねーよ。」

 身なりを整えながらそう言うヒノクス。普段の彼には絶対に言われたくない言葉だ。だが周りにいるのは普段のヒノクスを知らない人間達である。彼らはヒノクス達の活躍に一斉に拍手喝采が沸き起こした。

「そこで何をしているっ!」

 しかしその騒然とした場に、低い男の声が響きわたる。声の方を見ると、そこには白い鎧を着た数名の男達が立っていた。アネステレス大神殿の神殿兵士である。

「やべっ。」

 神殿兵士達の出現に騒乱双児は慌てる。本来なら二人はこのような場所にいて良い人間ではない。父親が特別司教という立場であるためにだ。しかも乱闘まがいの騒ぎを起こしたとなれば尚更だ。だがその場にいた野次馬達が上手い具合に神殿兵士達の動きを遮っている。

「坊や達、訳ありなんだろ、その子を連れて逃げな。」

 そう言ったのは一人の老人だった。老人は周りの人々に指示し、神殿兵士が来た方とは逆の方向の道をあけさせる。

 ヒノクスはその場に倒れている少女を背負うと、二人はその老人や周りの人たちに深々と頭を下げる。そして二人はその場を駆け出した。





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