魔導学院物語

−騒動教室の日常−
第三章 ようやく終わる暴走劇




 クリフは疲れていた。原因は目の前にいる少女だ。明らかに運だけの男と呼ばれている自分の手にはあまる代物である。かといって放っておく訳にもいかない。頼みの綱であるミーシア=サハリンが来ない今、彼女を止められるのは自分だけなのだ。

「ったく、何でこう面倒ばかり起こすかね〜。」

 彼の口調はその場にあわない暢気なものだった。しかしその場にいたテューズとサフィアは感じていた。クリフの周りの雰囲気が明らかに変わっていっていることに・・・。

 魔導を少しでもかじった者ならば分かる精気の変動、その場にはその兆候があった。それも、師クリフを中心にである。

「さてと、あんまり傷つけたくないし、持っててくれ。」

 そう言うとクリフは掛けていた伊達眼鏡を取り、法衣を脱ぐ。そしてそれらをサフィアに向かって放り投げた。

「すぐに終わる。」

 サフィアは一瞬ぞっとした。変わっていたのは周りの雰囲気だけではない。クリフォード=エーヴンリュムス、彼自身も運だけの男とは明らかに違った。今まで感じたことのない種の威圧感のようなものが、クリフから感じられる。

 そしてそれはネレアも感じていたようだった。あれほど怒り猛っていたネレアが、明らかに警戒している。それは彼女の額に浮かんでいる、珠のような汗を見ても分かる。

「お前の、負けだ。」

 クリフが呟くようにそう言うと、突然ネレアの動きが止まる。静止ではない。何かに抑えつけられるようにだ。クリフはゆっくりと呟く。

「これでお前は動けない。」

 クリフの声は静かだった。まるで感情の伴わない声、サフィアの脳裏にはふとアーバンの顔が思い浮かぶ。その時のクリフの雰囲気は、初めて会った頃の、冷酷な刃と呼ばれていた頃のアーバンに似ていた。

 ネレアは苦しげに呻きながら足掻く。力任せに、そして魔導障壁を展開し、とにかくクリフが起こした『何か』から彼女は逃れようとしている。だがクリフが仕掛けた呪縛は彼女を解放することはなかった。

「な、何?」

 不意にテューズが呟く。心境はサフィアも同様だった。目の前の光景、それが二人を驚愕させていた。

 特に変わった様子は何もないのである。ただ明らかにネレアが『何か』に動きを封じられている。しかし彼女を縛っている『何か』はサフィア達には見えなかった。

 ネレアはそれでも力任せに身体を揺すろうとする。だがクリフが眼を見開くとともに、さらに強い力が彼女を締め付ける。

「無駄だ。俺の眼は確実にお前を捕らえている。お前には悪いが、それはネレアの身体だ。大人しく眠ってもらう。」

 クリフはそう言った後、もう一度大きく眼を見開く。すると場の精気は一気に収束し、同時に彼女の身体の周りに数種の帯のような物が現れる。

 それらは彼女の身体にまとわりつき、彼女を締め付けていった。よく見るとその帯は多くの文字が組み合わさったものだった。

 ネレアの力は霧散するように次第に衰えていった。そしてそれに伴うかのように彼女の顔からは邪気が抜けていく。数分がたつ頃には、ネレアの暴走は完全に止まっていた。

「封印完了って感じだな。」

 いつの間にかクリフの雰囲気も元に戻っていた。あれほど収束していた場の精気もいつの間にか正常なものに戻っている。まるで狸か狐にでも化かされたように・・・。

「おい。サフィア、テューズ、ネレアを介抱してやってくれ。あれだけ力を暴走させたんだ。本人はぼろぼろだろ。」

 クリフは唖然としている二人にそう言うと、サフィアから法衣と眼鏡を受け取り、ふーっと大きく息を吐く。クリフの額には大粒の汗が噴き出している。おそらくクリフが『何か』をした証拠なのだろうが、サフィア達にはそれが何であるのか分からなかった。ただ二人は、その時初めて第一級魔導師としてのクリフを見たような気がしていた。


「ほえ?どーしたんですみなさん?」

 それはネレアが暴走を終了してから数刻後のことだった。彼女は突然目を覚まし、すっきりしたような表情でその場にいた三人にそう尋ねた。

「これが、ぼろぼろですか?」

 サフィアは呆れた表情でクリフの顔を見る。クリフは額に人差し指を当て、深いため息をついた。

「心配するだけ無駄だったみたいだな。」

「???」

 当の本人は不思議そうに辺りを見回す。その場にいた一同は、呆れたように苦笑を浮かべた。

「でも、ようやく事件も終わりましたし、これで一安心ですね。」

「そーだな。ま、かなりの被害が出たけど、この程度なら・・・。」

 いつもと大してかわらんだろと、クリフが言おうとしたその時だった。

 ちゅどーん。

 突然、南棟の方から爆音のような物が聞こえてくる。その音に、クリフは固まる。

「・・・・・・。なぁ、今の音、南棟からじゃなかったか?」

 物凄く嫌な予感がクリフの頭の中を横切る。学院に来て、何度この予感が当たった事だろうか・・・。クリフは半ば諦めた様子で、爆発音のした南棟へと歩いていった。


−南棟・事務部−

 クリフの予想は見事に的中していた。ガラフとゼラの乱闘により東棟から南棟にかけて一部破壊、さらに大型魔導器フィックストスターの機能一部停止、おそらくネレアが出した被害よりも、この二人が出した被害の方が大きいだろう。

「・・・・・・・・・・。」

 クリフは絶句していた。半崩壊した事務部にだ。最悪の事態の一つである。側ではミーシアが、正座をして俯いている男女に説教している姿があった。珍しい光景の一つだ。普段なら楽しめる状況なのだろうが、今の状況を考えると、クリフはそんな気にもなれなかった。

 周りを見回すと事務員達が状況の復旧に追われている。だが状況はかんばしくないようだ。

 クリフはキッっと目の前で正座している二人の生徒を睨み付ける。事務部を半壊に導いた張本人、ガラフとゼラをだ。彼らはさすがに事の重大さを理解しているのか、黙ってうつむいている。

「すみません。先生、私が休講なんかにしなかったら・・・。」

 それまで二人に説教をしていたミーシアがクリフに謝ってきた。その表情はひどく沈んでいる。まるで親にしかられた小さな子供のように・・・。滅多に人には見せない表情だ。その表情を見せられてしまってはクリフも何も言えなくなってしまう。

 それにこの結果はクリフにも責任があるのだ。

「別にお前のせいだけじゃない。確かに講義を休講にして妹とチェスうってたのはあんまりよろしくないけど、それくらいは俺も似たようなことやってるし・・・。(昼寝)それに俺ももう少し考えるべきだった。ガラフとヒノクスはを送ったのは確かにあまりにも賢くない選択の一つだった。」

「ちょっと待ってくれよ。俺は今回は何にもしてないぜ。」

 横で聞いていたヒノクスがヤジを飛ばす。彼もガラフ達を追って事務部に来ていたのだ。

「珍しくだろ?」

「うっ・・・。」

 クリフの指摘にヒノクスは黙ってしまう。彼の今までの事件数を考えれば当然といえば当然だろう。

「とにかくだ、俺はフィックストスターの方を見てくる。ミーシア、お前は学院長代理が来たら、事情を説明しておいてくれ。」

 学院の情報を司るフィックストスターの機能が停止してしまった以上、それが長引けば損害は相乗的に増えていってしまう。そうなればクリフの責任も大きくなっていくことになる。クリフは急いでフィックストスターの本体のある場所へと向かった。

「ラーシェル、状況は?」

 大型魔導器フィックストスター、その巨大な魔導器の前では数名の事務員が険しい表情で作業を行っていた。クリフはその事務員の一人に尋ねる。彼は自分に任された処理を行いながら答えた。

「あんまり良くないですよ。記憶領域には被害がないみたいですが、フィックストスター自身が入力を受け付けないですよ。何とか強制的に侵入はしてるけど、何分こいつは精霊器だから、下手に刺激すると暴走する可能性が・・・。」

(また暴走か・・・。)

 クリフはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。

 意志を持つ魔導器である精霊器。それらは最も扱いの難しい魔導器でもある。中には人の魂を喰らうといわれる物まであるくらいだ。

 だがフィックストスターを司る精霊は元々情報制御用に選定された精霊でもあり、それほど扱いにくくはない。だが機械的な端末ではなく、意志を持った精霊であるために、一旦外部からの接触を断ってしまうと接触すらできない事もある。

「駄目だっ。全然侵入できねぇ。」

 ラーシェルは忌々しそうに怒鳴る。全く事態が上手くすすまない事への苛立ちと、自分の力が及ばない事への不甲斐なさのためだ。

(多分事務部で一番上手くフィックストスターを扱えるであろうラーシェルでもこの様じゃ、他の奴等もあてにはならんな。)

 クリフはそう考えると、その場にいた事務員達に指令を出す。

「学院第一級魔導師の権限に置いて命ずる。場にいる者はコメットから来るデータの処理と、フィックストスターの主要機能の処理にまわれ。少しでも損害を少なくする。」

「は、はぁ。」

 クリフの指示に事務員達は一斉に命じられた処理に行動を移す。

 普通ならば運だけの男と呼ばれているクリフの言葉に耳を傾ける者などいなかっただろう。しかし彼が今発令した学院第一級魔導師の権限は、学院の者である限り、第一級魔導師以上の階級の者でなければあらがう事は出来ない。全ての指揮権と、責任がそれを発動させた物に委ねられるのだ。

 そしてクリフがそれを発令したのは今回が初めてだった。


 クリフはフィックストスターの核の前にたっていた。フィックストスターの核は巨大球体である。これ自体が精霊が変化した物なのだ。クリフは伊達眼鏡を外し、プラネットを装着した右手をフィックストスターに当てると、すぅっと大きく息を吸き、一瞬呼吸を止めた後に、眼を見開いた。

 それをきっかけに彼の周りに精気が収束していく。ネレアと対峙したときと同じ状況である。そして彼はあの時と同じように大きく眼を見開き、聞き慣れない言葉を呟きはじめる。その言葉が何であるのかはその場にいた者全員が理解できなった。おそらく学院の中でもそれが何であるのかを理解できる者はわずかだろう。

 言葉を紡ぐに連れ、彼の身体の周りに数種の、文字の帯が展開する。それらはクリフの身体を囲み、輪を描くように動き始めた。

 それはクリフの口が速くなると同様に、速さを増していく。事務員全員が、何が起こっているのか分からず、唖然とその光景を見ている。

 そして1分ほどそんな状況が続いた後、クリフの身体にまとわりついていた文字の帯は、吸い込まれるようにフィックストスターの中に入っていく。次の瞬間、突然フィックストスターは光り出し、その機能を再び活動させ始めた。

 クリフは再び伊達眼鏡をつけると、少し身体をよろけさせながら、その場の事務員達に向かって言った。

「よし、後は君たちに任せる。ただ今のは応急処置に過ぎないから、あまり無理はさせないよーに。」

 そして事務員達が頷いたのを確かめると、クリフは一同が待つ事務部受付へと向かった。


 こうしてネレアの暴走から始まった騒動事件は、事務部までを巻き込んだ所でようやく終結した。しかしクリフの長い一日はまだ終わりを告げてはいなかった。


***


「それで結局、被害の方はどうなったの?」

 魔導学院学院長ベルーナ=ヴァルギリスは頭を押さえながら、目の前で資料を眺めている秘書に尋ねた。学院に帰ってきたと同時に今回の事件のことを聞かされたのだ。

「事件の原因はネレア=パッカードが薬品の調合に失敗の際に暴走。被害内容は女子寮の壁、第一修練場、東棟教室3部屋、東南渡り廊下、南棟事務部、あとはフィックストスターの停止による一時的な情報混乱などです。」

「フィックストスターまで壊れたの?」

 ベルーナの表情は一瞬にして険しくなる。それほど学院にとってフィックストスターという物は重要なのである。しかし秘書は慌てた様子もなく、その問に答える。

「はい。一時機能が完全に停止したようです。現在も機能の30%程度はまだ修復していないようですが、元々あれは学院の手に余る代物のようですので、現在でも十分活用できるそうです。」

「誰が言ったの?」

「エーヴンリュムス教師です。最も私はジーン教師から聞いたのですが・・・。」

 なるほど、といった表情でベルーナは頷く。そして同時に安心した。

「彼がそう言ったのなら大丈夫ね。だけど・・・、」

 出た被害が大きすぎる。特にフィックストスターの修理などは費用の問題だけではない。修理できる者を探さなければならない。下手をするとベルーナでもクリフをかばいきれなくなる。

「あとは、クレノフの手腕にかかってるわね。」

 ベルーナはそう言って静かにため息をついた。


***


 一方、学院の第二会議室ではクリフの処罰について、全教員を集めた会議が行われていた。外に出ている教員もいるので、その数は二百数十名といったところだ。

「大体、彼が担当教師になって、学院がどれだけの被害を被ったと思っているんです。」

 そう怒鳴ったのはクリフを嫌っている男だった。クリフの教室がひどい損害を出したのを機に、クリフを快く思わない連中が彼を学院から追い出そうとする動きが出始めたのだ。

「しかし被害を出したのはエーヴンリュムス教師ではなく、彼の生徒達です。」

 そう言ったのはミーシアだった。彼女は必死に弁明をするが、状況はあまり良くはない。先程のミーシアの言葉に一人の教師が言った。

「それは教師としての言葉なのか、それとも彼の生徒としての言葉かはっきりして欲しいですな。」

「・・・・両方です。」

「ならば君が口出しできる問題ではない。これは教師の責任の問題だ。何度も騒動を起こすと言うことは、生徒になめられている証拠だろう。それに、今回の事件は君の生徒も一枚かんでいるのだぞ。」

 その後も、クリフへの攻撃の声は続く。しかしその中で数名彼への弁明の言葉もあった。

「しかしネレア=パッカードの暴走を防いだのは彼でしょう。」

「恒星の暴走を阻止したのも彼だと聞いていますが・・・。」

「それに、幸い怪我人は出ていないのだろう?」

 それらを言ったのは皆が第一級魔導師達だった。彼らの多くはクリフを認めている。しかしそれでも今回はクリフの方が劣勢だった。

「ですが、これからも死傷者が出ないとは限りませんぞ。」

 その言葉は一瞬で場を沈黙させた。確かに不思議なことに今まで人に被害が出たことはほとんどなかった。だがもし人に被害が出た場合、学院の存亡そのものが危うくなる可能性もあった。何しろ学院にいる生徒の一部は大国の要人の関係者すらいるからだ。

「わかった。」

 それまで沈黙を守っていたクレノフがようやくその口を開く。

「クリフォード=エーヴンリュムス。学院副学院長の名において貴公に退任を命じる。」

 ざわっ。

 場にざわめきが生じる。

「副学院長!!」

 ミーシアが慌てて立ち上がる。だがクリフ本人は平然とこう答えた。

「途中で仕事を放り出すようで少し気が引けるが、立場を考えれば何もいえんわな。」

「先生っ。」

 さらに驚くミーシア。さらに一人の教師が怒鳴る。

「クレノフっ、ちょっと待ってくれ。今回の騒ぎを起こした中には俺の息子もいる。クリフだけに責任をとらせるのは筋違いだろう!!」

 それはガラフの父だった。だがクレノフは厳しい表情で言い返す。

「エーヴンリュムス教師は彼らの学院内での全ての責任を預かる担当教師だ。君の口出すところではない。」

 クレノフのその一言に、その獣人も黙るしかなった。そしてクレノフは話を続ける。

「それで、エーヴンリュムス教師の後任の件なのだが、第二級魔導師の中から選定したいと思っている。」

 その言葉でさらに場はざわめく。

「ま、待って下さい副学院長。なぜ第二級魔導師なのですか?学院には他にも第一級魔導師がいるでしょう?」

 それを言ったのは第二級魔導師の一人だった。彼らに言わせてみれば厄介者が回ってくることになるのだ。

「仕方がないだろう。第一級魔導師のほとんどは研究所の教師だし、僅かな担当教師も自分たちの生徒の面倒で余裕はない。となれば第三位の階級である貴公達に任せるしかないだろう?当然全員を面倒見ろというわけではない。一人ずつわけさせてはもらうがね。」

 クレノフの提言に第二級魔導師達は騒ぎ始める。しばらくしてようやく数名の第二級魔導師がそれを承諾する。

 おそらく一人ならばどうにかなると思ったのだろう。しかしクレノフの次の言葉を彼らは愕然と聞くことになった。

「では、もし彼らの素行が改善されない場合は、貴公らにも辞めていただくことになるが、よろしいか?」

「ど、どう言うことですか?」

 一斉に第二級魔導師達は口を開いた。どこからそんな話が出てきたのか彼らにはわからなかった。クレノフはゆっくりと彼らに言った。

「それはそうだろう。貴公らはエーヴンリュムス教師の教育能力が無能だといっているのだろう?ならば貴公らならば改善できるはずだろう。もし出来なければ貴公らは自身が無能であると言った人間以下ということになる。無能以下の人間を雇うほど学院には余裕がない。」

 クレノフのその言葉は彼らのほとんどを黙らせてしまった。そして彼らはクリフの後任を次々と断ってきた。するとクレノフはふぅっとため息を付いて言った。

「これではエーヴンリュムス教師を辞めさせるわけにはいかんな。」

 その言葉にミーシア達の顔がぱぁっと明るくなる。

「という訳で先程の解雇は撤回させて頂くが、よろしいかね?」

 誰もそれを否定する者はいなかった。そしてクリフは学院に残ることになったのだった。

 しかし今回の事件でクリフは大きな負債を負うことになったのだが、それはまた別の話である。





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