魔導学院物語

−騒動教室の日常
第二章 予想外の出来事




−第一修練場−

 クリフ達が第一修練場に着いたときには、修練場はほとんどその原型をとどめていなかった。所々に修練場から避難したと思われる生徒の姿が見られる。クリフはその中の一人の男子生徒に尋ねる。

「おい、ネレア=パッカードがどうなったのか分からないか?」

「え?あっ、クリフ先生。」

 その男子生徒は驚いた表情でクリフを見る。様子を見ると、彼にも何が起こったのか良く分からないようだ。

「女子が二名、変な笑い声をあげた娘を追って、西棟の方に行きましたけど・・・。多分片方はテューズ=ランフォードだったと思います。」

 他の二人よりも幾分か多く事件を起こしているテューズの顔は知っていたのだろう。さすがは騒乱双児である。だがクリフはそんなことに構っている暇はなかった。

 学院西棟・・・、その名を聞いてクリフは背筋が凍るような感覚に襲われていたからだ。

「・・・・アーバン、西棟って確か・・・・。」

「・・・・魔導器研究所を主とした、研究機関が密集したところです。」

 アーバンはクリフが聞きたかった事を、彼は寸分の狂いもなく答えてくれた。そう、西棟には魔導学院の研究施設があるのだ。


 事務部と研究室、それらには絶対に手を出してはいけない。クリフがいつも心がけていることである。

 事務部に配置されている情報処理用大型魔導器フィックストスター、それは学院の情報を統べる情報端末である。もしそれが破損するようなことがあれば、学院の大半の情報機能は停止してしまう。

 そして研究所、それは学院、いや魔導同盟が大国と対等でいられる要素の一つでもある。研究所では日々魔導器の研究が続けられている。魔導器が生成できる機関は大国のものをあわせても有数の場所しかないのだ。その機能が停止してしまうと学院の損害は建物2つ3つが吹き飛ぶくらいではすまない。

 加え研究所には魔導薬という特殊な薬品や、貴重な書籍や魔導書などまである。それらもまた、失われれば絶大な損害になる。

「アーバン、お前は事務部へ行って急いで各研究室に連絡しろ。俺はあいつらを追う。」

「間に合いますか?」

「サフィアが追っているんだ。足止めくらいはしているだろう。あれは機転が利く。」

 多分ガラフとヒノクスを遣いに走らせたのも彼女の考慮だろう。

 ガラフは攻撃に関してはずば抜けた才能を見せるが、器用でない分、こと護る事については全くと言っていいほど役に立たない。

 また、テューズとヒノクスは騒乱双児の別名をとる。個々で騒動を起こす確率もさることながら、二人が合わさったときのそれは、まるで相乗効果を表すかのように酷い物になる。そうなったら被害が大きくなる可能性が高い。それを考えたのだろう。

 多分自分が彼女であっても同様の行動をとる。クリフはそう思った。

「分かりました。」

 アーバンはクリフの言葉に即座に返答する。彼はクリフの言葉に従順である。もちろんそれはクリフが強制しているわけではない。彼のクリフへの尊敬の念と、絶対的な信頼がそれを成しているのだ。

 クリフはアーバンの言葉を聞くと、西棟の方へと走っていった。アーバンは西棟よりも幾分か近い南棟に走る。南棟にある事務部に事を知らせるためだ。知らせさえすれば情報端末フィックストスターによって各研究所と連絡が取れる。そうなればもしネレアが研究所に突っ込んでも多少は被害を抑えられると考えたのだ。

 しかし必死で事件を止めようとするクリフをよそに、もう一つの事件が別の所で起ころうとしていた。


***


−東棟・ミーシア教室−

 場所は東棟のミーシア教室に移る。そこには北棟のクリフの部屋から走ってきたガラフとヒノクスがいた。この教室の教師であるミーシアの助けを借りにだ。

 ネレア=パッカード、前にも記したが彼女の魔力は学院全体を見てもかなり高い物である。魔力の高さでは一、二を争うミーシア=サハリンにも匹敵するほどの力の持ち主なのだ。(普段は引き出すこともできないが)学院の上級魔導師のほとんどがいない今、彼女を止められるのはミーシアが最適というのがクリフの考えだった。

 しかしその使いに彼らを選んだのはクリフの失敗だった。なぜならそこでは熾烈な睨み合いが繰り広げられていたからだ。


「いいからミーシア先輩の居場所を教えろって言ってるだろ!!」

 そう怒鳴ったのは獣人の青年ガラフだった。その眼の前には目付きの鋭い娘がいる。その娘はふんっ、とそっぽを向くと、ガラフに向かって怒鳴り返す。

「どうして私たちがあんた達なんかに先生の居場所を教えなきゃいけないのよ!!」

 ガラフに対峙している少女はゼラ=イクシュリ、ミーシア教室の生徒だ。二人の間では眼鏡をかけた少女がおろおろとしている。

「ゼ、ゼラ。別に教えても・・・。」

「シェーラは黙ってなさい。なんでクリフ教室の生徒なんかに命令されなきゃいけないのよ。しかも、小汚い野良犬の血統なんかに!!」

「小汚い野良犬の血統だと・・・。」

 その言葉にガラフの表情は一層険しくなる。周りにいた人間は、その威圧感に危険を感じ、ガラフの周りから離れていく。もちろん仲間であるヒノクスを含めてだ。

 しかしゼラだけはガラフに未だ対峙している。彼女はさらに言葉を続ける。

「ま、貴方にはあんな能無しにいいようにこき使われてるのがお似合いよね。」

 その言葉が終わる前に、ガラフは飛び出していた。彼の身体は一瞬淡い光に包まれると、その後には白色の体毛に覆われた異形の物に変化していた。また髪の毛や髭までも白色になり、瞳や耳が狼のそれに変化している。

 ガラフは一瞬のうちにゼラとの間合いを詰め、その凶器と化した爪で彼女を切り裂こうとした。

 が、彼女は上空に高く跳躍すると、彼女もまた光に身を包む。そして彼女は黒色の体毛に覆われる。そしてその瞳もさらに鋭くなり、耳も猫のようにつんと尖った。

 白狼族と黒虎族、それが彼らの種族の名前だ。そして彼らが使った能力こそ、獣人の特殊能力、半獣化である。

 獣人と一言で言ってもその種類は非常に多彩である。現在確かめられているだけでも280以上の種族があり、しかもその中には獣でない者達も存在する。

 その中でも最も仲が悪い種族の組み合わせの一つであるのが、白狼族と黒虎族である。そう、彼らの因縁は個人のものだけでなく、種の問題でもあるのだ。それが敵対している教室にいるというのも皮肉な話である。

 ガラフは上空に飛んだゼラを迎撃しようと同様に跳躍する。半獣化した時の彼らの運動能力は人よりも数段高い物になる。その跳躍の能力も半端なものではなかった。

 ガラフは右手に力を込める。それと同時に彼の右手には淡い光が宿った。闘気法である。実際狼の最大の武器は鋭い牙を操る強靭な顎である。だがいかに獣人といえど全てが獣に変わるわけではない。

 しかしその顎の能力は彼の手に宿っている。そしてその手に闘気が込められると、彼らの手は強力な武器さえも凌ぐほどの凶器となるのだ。

「咬み切られろっ!」

 ガラフはゼラの喉元を狙い、喰らおうとする。まるで獣が獲物を咬み切るようにだ。

 しかしゼラもただやられるような性格ではない。彼女は自らが持つ、その絶妙な空中感覚で体勢を立て直していた。そして彼女はガラフの腕を掴み、その軌道をずらすと、自分の方にガラフを引き寄せ逆にその喉元を爪で切り裂こうとする。

 ガラフは余っていた右腕でその攻撃をガードするが、彼女の攻撃の勢いで、そのまま地面に叩きつけられた。空中戦においては空中感覚に勝る彼女には、ガラフでは分が悪かったのである。

 しかしガラフの瞳からはまだ闘志は抜けていなかった。それはゼラも同じである。

 こうしてネレアが暴走している全く逆の場所で、クリフの予想にはない騒動は始まったのである。


***


−第三修練場付近−

 ガラフとゼラ、二人の獣人が戦闘を始めた頃、学院の南西に位置する第三修練場の側ではもう一つの戦闘が行われていた。

「ウケケケケッ。」

 奇怪な笑い声が辺りに響きわたる。声の主は褐色の肌の少女、分厚い眼鏡をかけ、乱雑に伸ばしたその髪の毛はまるで物の怪を連想させる。

 その少女は目の前の二人の人間に向かって右手を差し出すと、再び甲高い笑い声をあげた。

 同時に彼女の右手から炎が溢れだし、さらに二本の槍となり二人に向かって一本ずつ放たれる。少女達は身を翻し、それを避けると、意識を集中させ呟く。

「集え、水の子らよ。」

「我喚ぶは光の戒め。」

 二人の声にあわせ、それぞれの右手に力が収束する。片方は水が、そして片方には光がである。

「ウォーターバインド。」

「ライトチェーン。」

 その呼びかけに答えるかのように、それぞれの右手からは水の帯と、光の帯が出現し、笑い声の主を捕らえようと飛んでいく。が、

「ウケッ、ウケケケケケケケケケッ」

 彼女が再び甲高い笑い声をあげると同時に、彼女の目の前には光の幕が出現し、その二つの戒めをかき消す。

「どうするのサフィア。」

 二人の少女の内、まだ幼い黒髪の少女が、幾分か年上の少女に向かってそう尋ねた。

 サフィアと呼ばれた赤毛の少女は即答する。

「とにかく先生が来るまで足止めするわよ。叩きのめすのならともかく、捕らえる事は私たちには無理だわ。」

 暴走しているといってもネレアは同教室の仲間である。そのために殺傷能力が高い攻撃はできない。つまり二人は攻撃の魔術をほとんど封じられていることになる。

 とはいっても今の彼女――ネレア=パッカード――は叩きのめすことすら困難な相手だった。

 サフィア=ガーラントとテューズ=ランフォード、彼女たちも学院の中でも有能な部類に属する。だが暴走時のネレアはそれらを凌駕する力を持っているのだ。

 今彼女たちに出来ること、それはネレアを足止めすることだけだった。

「もーっ、クリフ先生何やってるのよ・・・。」

 黒髪の少女、テューズがそうぼやくと、サフィアが皮肉げに言った。

「たまには受けに回るのも良いんじゃない?いつも暴れてるんだし。」

「・・・こんな状況で余裕ね。」

 テューズはそう言ってジト目でサフィアを睨む。サフィアはくすっと一笑いすると、「慣れてるのよ。」と答える。

 そしてその言葉を境に二人はネレアの動きに集中する。

 彼女は未だ奇妙な笑い声を発しながら、ばたばたと両手両足をばたつかせている。その姿は邪魔をするサフィア達に怒りを覚えているようにも見える。

 まるで観測するような表現になるのは、暴走状態になったときの彼女に人の意志は存在しないためだ。

 それは幼少時の彼女の体験から来る物らしいのだが、二人はその詳しい内容を知らない。だが一つだけ確かなのは、暴走時の彼女は邪魔する物全てを敵と見なす、ということだ。つまりサフィア達は明らかに彼女の敵意を受けているのである。

 不意にネレアの笑い声が止まる。

「これって・・・。」

 テューズに嫌な予感が走る。以前彼女が暴走したときに、これと同じ状況を、彼女は見たことがあった。

(確か、あの時は・・・)

「何してるの!逃げるわよっ!!」

 ぼけっとしているテューズにサフィアはそう叫ぶと、彼女の手を握り、第三修練場の方に走り出す。本意ではない行動だ。しかし、それは今から起こるであろう最悪の状況を考えれば仕方のない事だった。

「ウケーーーーーッ。」

 それまでとは比べ物にならないほどの笑い声(叫び声?)が辺りに響きわたる。そして彼女の差し出された両手からは巨大な炎が出現した。彼女の笑い声の停止は、彼女が敵意を剥き出しにしたときに発動する危険信号なのである。

 そして彼女の前に現れた魔術、クリムゾンフレア・・・、天使が使っていたという古代魔術の一つである。学院の中でも使用できる人間は有数で、その破壊力は絶大。しかも本来、彼女の持つ魔導器プラネットで発動できるような代物ではない。

 サフィアとテューズは、改めて暴走時のネレアの驚異的な力を見せつけられたのである。

「あ、あんなの防げないわよっ。」

 テューズの慌てる声、その心境はサフィアも同じだった。守護系の魔術を組み立てはするが、防ぎきれる自信はない。

 そんな二人の心境などかまわず、ネレアはその魔術を放とうとその両手に力を込めた。今の彼女には人としての意志はない。

 深紅の炎は一直線に、周りの空間を飲み込みながら二人に向かってくる。二人は同時に光の壁を目の前に展開しようとする。が、二人は突然何者かに抱えられ、その場所から大きく横に移動する。

「ふーっ、間に合ったぁ。」

 聞き慣れた声が二人の耳に入る。

「せ、先生・・・。」

 二人は涙声でその声の主を呼ぶ。

 声の主、それはクリフだった。かなり急いで走ってきたらしく、息が途切れ途切れになっていた。

 クリフは担いでいた二人を降ろすと、呼吸を整えながらネレアを観察する。一方ネレアは邪魔者の排除を邪魔されたのが気に入らないらしく、じっとクリフの方を見ているようだった。(度数の高い眼鏡に邪魔されて確認はできないが。)

 いつの間にかクリフの呼吸は整っていた。運だけの男、クリフの別称である。彼の能力が低いことから付いた名であることは周知の事実だ。

 テューズもそれを認めていた。自分の師が馬鹿にされるのは気持ちの良い物ではないが、本人が認めているし、それが事実なのだろうと思っている。

 だが時折クリフが力の片鱗を見せることを、テューズもまた感じていた。瞬時に息を整えたのもそれだ。しかしこんな状況でもクリフは相変わらず緊張感のない表情をしていた。

「う〜ん。本格的に暴走してるな・・・。」

 クリフは腕を組みながら、その様子をじっくりと見ている。クリフが機国大戦という壮絶な戦いを潜り抜けた事を考えれば当然であるが、こんな状況も初めてのことではないのだろう。意外に落ち着いている。

「結構余裕ありますね。」

 テューズがそう言うと、クリフはふぅっとため息をついて返した。

「一々何にでも驚いていたら、お前達の担当教師なんて務まらんよ。」

「似たようなこと、サフィアにも言われました。」

「だろう?」

 緊張感のない会話である。しかし相手はそんなことはお構いなしだった。彼女はもう一度叫び、深紅の炎を喚び出そうとする。しかしクリフは落ち着いた様子でこう言った。

「サフィア、テューズ、ネレアが狙っているのは俺のようだから、お前達は左右に展開。その後束縛系の術で相手の動きを止めろ。」

「でも・・・、」

 テューズが何かを言おうとすると、サフィアがそれを遮る。時間がないといった様子で。

(大丈夫なの?)

 テューズはそう思いながらもクリフに言われたように、サフィアが走ったとは逆の方に向かって走り出す。ネレアの魔術の発動はそれと同時だった。

 再び深紅の炎が空間を喰らいながら迸る。クリフは目の前に光の壁を作り出すと、それを一時的な時間稼ぎにし、その場を離れる。サフィアとテューズの束縛術が発動したのはそれと同時だった。

 光と水の帯は今度はしっかりとネレアの身体に絡み付く。光と水の帯はお互いに絡み合い、ネレアの動きを封じた。

「そっか、魔術を発動させていれば、他の魔術は使えないよね。」

 基本的に魔術の術式は一度に一つしか編み上げることはできない。攻撃の魔術を編めば、防御の魔術が編めないのは当然のことである。

「ま、単純な話だな。これでネレアも・・・。」

 クリフは笑いながらネレアの方を振り向く、と同時にその表情は一瞬にして固まった。

 ネレアの身体の周りからは薄い膜のような物が展開しつつあった。

魔導障壁・・・。」

 クリフは彼女の周りに現れたそれを見て、あからさまに嫌な顔をする。

「ウケーーッ!!」

 そしてネレアの叫び声と同時に薄い膜が一気に展開する。そして一気に展開した魔導障壁は彼女の戒めを力任せに吹き飛ばした。

「げっ・・・。」

 その光景に眉をひそめるクリフ。明らかに予想外の出来事だ。以前彼女が暴走したときはこの方法でしとめたはずなのに・・・。

(ネレアの成長とともに、彼女も成長している?)

 クリフは最悪の事態を考えた。もし仮にクリフの想像が当たっているとすれば、今のネレアは実に驚異的な能力を持っていることになる。単純な力だけでなく、技法という意味の力のことだ。

(だとしても・・・。)

「止めなきゃなんねーんだろーなー。」

 疲れたようにクリフはそう呟く。予想外の事態、クリフは改めてそう認めるしかなかった。そして彼は自分が彼女の担当教師であることを呪った。


***


−南棟・事務部−

 各地でクリフの予想を裏切った事態が起こっていた頃、もう一つの予想外の出来事が南棟でも起こっていた。

 そこには第一修練場から走ってきたアーバンの姿があった。アーバンはクリフの指示通り事務部の職員にネレアの暴走を伝えていたのだ。

 そして彼がクリフの支援を行うべく、事務部から出ようとしたその時、聞き慣れた声が彼の耳に入ってきた。

「あーーーーーーーーっ。アーシア、それちょっと待ってっ!!」

 アーバンはとっさにその声の方を振り向く。なぜならアーバンは、その声の主がここにいる事は予想していなかったからだ。

 振り向くと、事務部の待合所で客人用のチェスをしている二人の女性の姿があった。二人とも黒髪に赤い瞳、それは彼女らが赤珠族の証であるのだが、この際そんなことはどうでもいい事だ。

「ふっふっふ。お姉様、駄目ですよぉ。勝負は勝負ですからね♪」

「ふみぃ、アーシア強いんだからぁ、ちょっとくらい・・・。」

 暢気そうな会話だ。いや、事実彼女らは暢気にチェスをしているのだろう。だが・・・・。

「どうしてこんな所にいるんですっ!!」

 さすがのアーバンも驚きを隠せずにその女性に向かって叫んでいた。

「ミーシア先輩っ!!」

 そう。そこにいたのは、ガラフ達が呼びに行ったはずのミーシア=サハリン教師であった。そしてその妹のアーシアまでそこにいる。彼女達は今、授業中のはずにも関わらずだ。

 二人はアーバンに呼ばれ、ゆっくりと彼の方を振り向く。アーバンはひどく嫌な予感をその胸に抱いていた。





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