魔導学院物語
−魔導師クリフの試合−

第一章 試合のお相手




 平穏な時間、それはいいものである。男はそう思いながら、それほど大きくない部屋の中で熱いお茶をゆっくりと飲んでいた。

  正直、このようなゆったりとした気分に浸れたのは久しぶりのことである。心にゆとりを持つことはいいことだ。些細な出来事さえも新鮮に感じることができる。

 現に彼は部屋の小さな窓から降り注ぐ日の光でさえ、酷く眩しく感じていた。


 男の名はクリフォード=エーヴンリュムス、8年ほど前に作られた魔導教育の専門学校、魔導学院の教師である。

 教師、といっても彼は教室担当の教師であるので、毎日研究所にこもる研究担当や、何かと用意の忙しい講義担当の教師に比べればそれほど忙しい存在でもない。だが、彼は異様に心労を募らせていた。彼が心労を溜める原因となるのは別の所にあるのだ。

「先生っ。」

 突然部屋のドアが、ドゴォという鈍い音をたてて開かれた。そして教師クリフォードは自分の平穏の時間が終わりを告げたことを確信した。

 掛けている伊達眼鏡を人差し指で上げ、ドアの方に目をやると、その行為がいつものことなのか、そのドアは酷くぼろぼろに痛んでいた。そしてそのドアの前には同じ様な背格好の男女が息を切らせて立っている。

 髪の色も瞳の色も二人とも同じ漆黒、そして性別こそは違うが、その顔立ちは良く似ている。

 その二人はもの凄い勢いで部屋に入ってくると、クリフの机をバンと叩いて言った。

「先生っ。勝負させて下さいっ。」

「はぁ?」

 クリフはわけが分からない様子でそう答えた。この二人が言い出すことはいつも突然だ。

 二人の名はヒノクスと、テューズ、姓は二人ともランフォードという。二人は姉弟なのだ。しかも双子の・・・。

 クリフの生徒は学院内でも騒動を起こすことで有名なのだが、この二人はその中でも特にトラブルを起こすことで有名だった。お陰で付いた名が騒乱双児、担当の教師であるクリフには多少痛い名だった。

(それでもいつもは騒動を起こすときは別々なんだが、今回は何だ?)

 いつもにも増して嫌な予感を覚えているクリフに、二人は同時に言った。

「ミーシア先輩のクラスのアーシアと勝負させて下さい!!」

 言い終わると、二人はいきなりお互いをにらみ合う。

「テューズ、何言ってやがる。あいつと勝負するのは俺だ!!」

「ヒノクスなんかに任せられるわけないでしょ!第一、あんたは無鉄砲すぎるのよ!!」

 二人の口喧嘩が部屋の中に響く。まぁ、いつものことなのだが、話の内容が他教室との試合であるだけに、クリフも放っておくことはできなかった。

「どっちが先でもいいが、一体どういうことだ?」

 クリフは詳しく事情を聞こうと、二人の仲裁に入る。しかし、二人の興奮はそれでも収まらず、口喧嘩は続いていた。

(しばらくケンカが収まるまで待っているか・・・。)

 そう思いかけたその時だった。二人の方からスパーンといういい音が響いてくる。見るとそこには長身の男が立っていた。

 髪はブロンドで、青い瞳、顔立ちは見方によっては女性にすら間違えるような美形であり、変わることのない表情が、その美しさを一層ひきたたせていた。

 しかし彼の手には、その容姿とは不釣り合いのスリッパが握られている。ヒノクスが頭をおさえ、うずくまっている所を見ると、その男がヒノクスを手に持っているスリッパで殴ったのだろう。

「お前達、先生の話はちゃんと聞け。」

 その男は、冷たいともとれる淡々とした口調でそう言った。ヒノクスはがばっと立ち上がると、その男の胸ぐらを掴んで言った。

「何で俺だけ殴られるんだよ。テューズだって聞いてなかったろ。」

「ちゃんと自分が悪いということは理解できているようだな。」

「話をずらすんじゃねぇ。」

 ヒノクスの興奮に何を言っても焼け石に水だと感じたのだろう。その男はふぅっとため息をついて言った。

「お前の方が殴りやすいからだ。気分的にな。」

「アーバン、てめぇ。」

 ヒノクスは怒りにまかせ、その男に殴りかかる。しかしその男は、胸ぐらを掴んでいたヒノクスの左手を掴むと、その腕を軸に綺麗にヒノクスの足を払い、ヒノクスを地面に叩きつけた。

「俺はお前と違ってみすみす殴らせるようなお人好しではないのでな。」

 男は、まともに腰を打ってもがいているヒノクスを無視し、クリフの方に歩み寄ってきた。

 彼――アーバン=エーフィス――はクリフの教室の年長者でクラスリーダーを務めている。彼は魔導師としてだけでなく武術家としても優れており、戦闘力だけでいうならば学院の中でも上位クラスの実力を持っているだろう。

 また、その容姿と、クールな性格から女生徒にも人気があり、面倒見が良いため後輩に好かれている。かといってそれを棚に上げるわけでもなく、年長者にも礼儀を尽くして接することもあり、クリフは彼が非難の声を受けていることを滅多に聞いたことがなかった。(ヒノクスからはよく聞くが)

 アーバンはクリフの前に来ると、ゆっくりと言った。

「先生、私もアーシア=サハリンとの試合の申請をしたいのですが。」

 アーバンの言葉はクリフには意外なものだった。

 基本的に学院では他教室との修練は禁じられている。そこで試合というものができたのである。

 試合とは他教室生徒との技術を競うためのもので、行うには事務部に申請しなければならない。また試合自体も教師の監督の下行われる。こうして学院では学生同士の私的な戦闘を禁じているのだった。

 しかしそれは名目上のことだ。実際の所、試合は私闘用に使われていることも多い。酷いものになると教師同士のいざこざのために行われる試合もあるくらいだ。

 もちろん以前そのような事があったときには、その教師達は学院の処罰を受けたが、生徒に対する学院の処置はあまい物が多い。だからテューズやヒノクスもこのように軽々しく試合の話をするのだろう。

 だが、それがアーバンとなると、やはりクリフには意外だった。


 先にも話した内容からも分かるように、アーバンは生真面目な生徒である。今まで彼自身が私的な事で試合を望んだことはないし、それどころか自らは細かな学則までも律儀に守るほどの堅物だ。(しかし決して他人に強要することはないが)

 もしクリフ以外の人間が彼の言葉を聞いたのならば、純粋に力量を試すためにとも考えただろう。しかしクリフには彼から酷く強い怒りを感じていた。

 元々アーバンは感情表現がほとんどなかった人間だ。そのために喜怒哀楽の区別がつけにくい。というよりも実際彼が喜怒哀楽の感情を出すことすら珍しいことだ。それにはいろいろと事情があるのだが、それはまた別の機会に話すことにしよう。

 兎に角、普通に見ているだけならば彼の感情の変化を感じることは不可能に近いのだ。

 だがクリフには彼の感情が手に取るようにわかった。感情が欠落していたからこそ、彼は感情を隠すことが下手なのだ。無論この場合、表面に出ている感情ではなく、内面に出ている感情のことだ。

 駆け引きを得意とするクリフだからこそ分かったと言ってもいいだろう。しかし・・・、

(それにしても、ある程度感情を抑える方法は覚えてきたはずなんだが・・・、珍しく熱くなってるな。)

 そう、今のアーバンからは殺気に近い感情が感じられていた。殺気を断つことを学んだ彼には最も遠い存在であるのにも関わらずだ。彼がその感情を彼が抱くところをクリフもまだ数度しか見たことがない。

「で、戦いたい理由は何なんだ?お前がそこまで感情を露わにしているんだ。ただの練習試合がやりたいわけじゃないだろ?」

 クリフの問いに、アーバンは少し考えてから答えた。

「相手が気に入らない、という理由ではいけませんか?」

 アーバンは至極真面目な表情でそう言っている。彼がこんなときに冗談を言わないのはクリフも分かっている。だからといってまさかこうもあからさまに本心を言うとも思っていなかった。

「一応、私闘は禁じられているはずだぞ?」

「承知しています。」

「分かっていてもやりたいか・・・。一体お前らどうしたんだ?突然、でもないが、あのアーシア=サハリンと戦いたいなんて・・・。」

 クリフには心当たりがないわけでもなかった。彼女――アーシア=サハリン――は何かと付けてクリフの教室を目の敵にしていた。(というよりもクリフが目の敵にされており、そのとばっちりを生徒が受けている状態なのだが)

 そのためにクリフ教室と、アーシアのいるミーシア教室とは異様に仲が悪かった。そういった訳で理由があるといえばあるのだ。

 だが、アーバンに関しては今まではそのいざこざに関わろうとはしていなかった。(単に興味がなかっただけかもしれないが)その彼が戦いたいというのだ。何か理由があるのだろう。

「事務部にはともかく、俺にも明確な理由を答えれんのなら、試合は認めることはできない。そこの二人も一緒だ。」

 クリフは教室の隅でアーバンとのやりとりを見ていた、騒動双児に向かってそう言った。すると二人はダッシュで近づいて来、怒鳴りながらいった。

「理由ならあります!!」

「そうだぜ、あいつら先生を馬鹿にしてたんだぜ!!」

「俺を?いつものことだろう?」

 クリフは生徒が自分に対しての罵声に怒りを覚えていることに、内心喜びを感じながらそう言った。そう、クリフは学院内では教師、生徒構わず侮蔑の対象となっていた。理由はそれほどの能力があるわけでもないのに、第一級魔導師という立場にいるからだ。

 魔導同盟が定めた魔導師の階級には10段階の階級がある。その第二位が第一級魔導師なのだ。

 その数は世界を見てもわずか数十名、五十名には満たないのである。学院にもクリフを含め、7名しかおらず、クリフよりも階級の低い教師にとってはそれが気にくわないのだ。

 そのためにいつしかクリフについたあだ名が運だけの男であった。まぁ当然のことだと本人も認めているので、本人はあまり気にしていないのだが、改めて生徒達がそれを否定してくれるとやはり嬉しいものだ。

 しかしそれは単なる勘違いであった。

「先生のことはどーでもいいんだよ。問題はその次っ。」

「アーシア先輩、こう言ったんですよ『教師が教師なら生徒も生徒ね』って。」

「俺達まで一緒にしないで欲しいぜっ。」

「ほ〜っ。」

 スパーン、スパーン!!

 何とも言えない良い音が部屋の中に響いた。瞬時にクリフはアーバンのスリッパを奪い、クリフはそれで二人の頭を叩いたのだ。

「ぬか喜びしてそんしたわっ。」

「何だよ。先生だって自覚してるじゃねぇか!!」

 ヒノクスは叩かれた頭を抑えながらクリフに怒鳴った。

「自覚していても人に言われると腹がたつわっ。大体教師を尊敬する心はお前にはないのかっ。」

「先生、言ってることが矛盾してますっ。それって結構横暴ですよ。」

 テューズが痛いところを突っ込むが、クリフはあえて無視し、三人のやりとりを見ていたアーバンに言った。

「いいだろう。アーバン、試合を申請してやるっ。俺はもうしらん。」

 クリフがそう言うと騒動双児がさらにクリフに喰いかかってきた。

「そんなっ、どーして先に申請をしに来た私たちよりも、アーバン先輩に許可を下ろすんですか!!」

「不公平だぜっ。」

「うるさいっ!二人一緒にならともかく、お前ら一人一人で勝てる相手かっ!!相手はあのアーシアだぞ。確かにお前らも第七級のレベルじゃないのは認めるが、相手も天才の部類に入る魔導師だ。諦めろ。」

 クリフは諭すように二人にそう言った。もちろん騒動双児の名は伊達ではない。この程度でこの二人が納得するとはクリフも思ってはいなかった。しかし、案の定二人が何かを言いかけた時三人の会話には終止符がうたれた。

「せーんせいっ。」

 甘ったるい声が部屋の外から聞こえてくる。

(またか・・・。)

 そうなのだ。アーシアの名が出てきた時点で、これだけの騒ぎで終わらないのはクリフも気づいていた。いわゆるいつものパターンというやつだ。この面子がそろったときには必ずと言っていいほど『彼女』が関わってくる。

 クリフはこれから起こるであろう事態に酷い頭痛を覚えた。

「どうしたんです?頭を抑えて?風邪ですか?」

 その甘ったるい声の主、クリフと同じ魔導学院の教師である――ミーシア=サハリン――は不思議そうに部屋に入ってきた。

 彼女はクリフの元生徒で、さらに言えばクリフの教室が騒動教室と呼ばれるようになった原因は彼女にあるといっても過言ではなかった。彼女がクリフの教室に入って、学院をでるまでの2年間、彼女が発端となる事件の総数約50件、1年に25件もの事件を起こしている計算になる。

「お前もアーシアの件か?」

 クリフはもう半ば諦めた様子で彼女にそう尋ねた。

「良く分かりましたね〜。さすがは先生っ。」

 ミーシアはいやににこにこしながらそう言った。分からないはずがない。今問題となっているアーシアは彼女の生徒であり、彼女の妹でもあるのだから・・・。

「で、お前は何のようだ?」

 クリフは本当ならば聞きたくない一心であったが、仕方がなく、それでも非常に嫌そうな表情でミーシアに尋ねた。彼女は屈託のない笑みを浮かべながらこう答えた。

「盛り上がっているところ悪いんですけれど、実はうちのアーシアからも試合の申請がありまして、もう事務部が受理しちゃったんですよ〜。」

「ほ〜。ってちょっと待て、相手は誰だ?試合は普通両人と、その担当の教師の同意がなければ受理されんだろう?」

 クリフは訳が分からない様子でミーシアに尋ねた。ミーシアはさらに笑みを深めながら、言った。

「一応<特例>ってありますよね。」

「特例?」

「確かに生徒同士の試合は両人の同意、教師の申請許可、事務部の許可がいりますけど、生徒が実技という名目を含めて教師に試合を申し込む場合は学院長の了解がいるだけで、特に規定はないんですよね。」

「生徒から、教師?」

 少しの間、部屋の中に沈黙が生じる。そしてしばらくの後、クリフははっとしながら叫んだ。

「って、まさか相手は俺か!?」

「はいっ。」

 ミーシアは相変わらずにこにこしながらそう答えた。

(冗談だろ・・・。)

 クリフは疲れた表情で、本日で一番深いため息をついた。





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