彼と共に歩む道 第五話
二人で歩む道
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クリフの師事を受けるようになって、初め言われた事は、自身の力を過信するなということだった。 それはミーシアだけではなく、同じくガルシアの弟子であったアルフレッド、アーバンに対しても同じだった。 クリフの言い分はこうだ。 「ガルシア=バーグは俺が知る限り最高の指導者だ。その彼が後継者として育てた君たちの能力は、学院……いや、大陸全土視野に入れても上位の部類にはいるだろう。だが、それだけなら君たちより上の連中はいくらでもいる。少なくとも今の君たちよりはな」 その言葉はクリフとフレッド、アーバンとの確執を大きくした。彼らには自分たちの能力に対する自負もあったし、そしてそれは彼らの周りの人間も認めていたからだ。 それもそうだろう。彼ら二人と、フォールスの三人は、ガルシアに選定されて、彼の後継者となるべく育てられた者達だ。ガルシアが死ぬ前に、彼らは戦士としては完成していた。 だが、クリフの言葉通りかどうなのかは解らないが、フレッドは学院を去り、アーバンはウィンディア教室のネルスに敗北した。もっとも、アーバンが本当に負けたのは自分自身だったのだろうが……。 思えば、完成されていたと思っていた彼らも不完全だったのかも知れない。クリフを失っていた頃のミーシアと同じように。 ミーシアは引き裂かれた肩を押さえ、荒い呼吸をしながらそんなことを考えていた。 彼女は今、敵と戦っていた。彼女にとって初めての実戦だ。 初めてといっても、戦いを経験したことは何度かある。ジェチナ時代、成人の儀式、その他にも何度か身の危険にさらされたときに、それに応戦したことはある。加えてバーグ教室時代、仲間達と繰り広げていたのは実戦形式の修練だ。それは並の戦闘などよりもよほど熾烈なものだった。 しかし、修練はあくまで修練であるし、修練以外の場合においては、一度も戦士として戦ったことはない。だが、今回は違う。それは紛れもなく、ミーシアの戦士としての戦闘だった。 「まずいわね」 状況は極めて悪い。相手は距離を一瞬で詰めることができる速さを持った敵だ。魔術による遠距離攻撃が主体のミーシアが苦手とするタイプであり、それよりもまずいのは、敵がミーシアよりも手練れであることだ。 「どうした、同盟の魔導師。俺を倒すのではなかったのか」 相手の挑発が聞こえてくる。森に身を隠したために、見つけられずに苛立っているのだろう。何とかして体勢を立て直さなければならないミーシアには好都合だった。 しかし―― 「ネル、影を喚べ。あの女を燻り出す」 「……はい」 何の会話かは解らなかった。ただ、敵は一人ではない。 そう思った瞬間、場の精気が奇妙な収束を始めたのに気付いた。感じたことのない感覚だ。それは、自分が知らない種の魔術か何かが発動していることを意味する。 そんな時だった。突然、獣の雄叫びが場に響き渡った。魔獣か魔物かとも思ったが、近年、この辺りでそういった類のものが出現したという話は聞いたことがない。しかし、それは森の木々を掻い潜りながら、凄まじい速度で近づいているのだけは解った。 「くっ」 仕方なくミーシアは精気を収束させ、魔術を発動させるための準備をする。それが近づいてくる速さと、自分の魔術構成速度、それを頭の中で計算し、迎撃の態勢に入る。 飛び込んできたのは漆黒の狼だった。いや違う。狼の形をした黒色の何かだ。最初に思い浮かんだのは魔物の出来損ないである。 魔物は精気が強い意思を取り込み、生まれ出るもの総称である。生物である魔獣と違い、それらは死を恐れず、眼に映る異物を破壊する習性を持つ。そのあまりに危険な性質により、古来より人の天敵として存在してきたものだ。 目の前に迫ってきたそれから感じられる精気の質は、何度か遭遇したことのある魔物のそれとひどく類似していた。しかしそれは明らかに魔物とは違った。 「影……、アクティヴツインズ」 驚愕しながらも、ミーシアは構成した魔術を解き放つ。森林の闇を焼き尽くすような光の波が迸った。しかし、それが判断の過ちであったことに、ミーシアはすぐに気付かされた。 「馬鹿がっ」 気付いたのは敵の接近を赦した後だった。右方から閃光のような速さで緑色の肌の男が突進してくる。その肌は深緑樹という種族の証だ。そして今のミーシアの敵である。 両腕に激しい痛みが走る。相手の槍が繰り出したなぎ払いは、咄嗟に疑似闘気である魔導闘気を展開させ、それを防ぐことができた。しかし、そのあまりの時間の短さと、攻撃の威力によりその衝撃を防ぎきることが出来なかったのだ。 まるで毬球のようにミーシアの身体は吹き飛び、樹木にたたき付けられる。 「かっ」 呼吸が止まるのが解った。一瞬、頭の中が朦朧としたが、続けて来る痛みによって、何とか気を失うことだけは防ぐことが出来た。混乱して何が起こっているのかは解らなかったが、とにかくその場にいてはいけない。どこから湧き出てくるその判断だけが彼女を突き動かした。 ミーシアは高く跳躍すると、無我夢中で魔術を構成する。暴走すら考えられる行為ではあるが、クリフに言われ繰り返し行ってきた魔術の構成である。いくらか綻びは感じられたが、それは無事に完成した。 「パーサーズレイっ」 ミーシアの両手から、無数の閃光が放射される。高難易度の魔術であり、学院でも使える者が有数である魔術であるが、ミーシアは経験に恵まれていた。思い出したくはないが、彼女はそれを見たことがあったからだ。 見たことが有るのと無いのとでは、魔術の完成度はまるで違う。それはミーシアの意識が混濁としながらも、上手く完成し、周囲の樹木をなぎ倒していった。 「糞がっ」 閃光の幾つかは男にも向かっていったようで、敵はそれを難なく避けはしたが、それによって相手はミーシアの姿を見失ったようだった。 再び樹木の裏に隠れたミーシアは、急いで呼吸を整える。激しい嘔吐感には襲われたが、何とかそれには成功し、相手の出方を伺った。 戦っている相手の名はジュレンという名の魔物狩人だ。大陸中部を拠点としている魔物狩人で、その名はミーシアがいる赤珠国にまで届いていた。 もっとも当然と言えば当然だった。彼は魔物狩人として最高位の階級であるマスタークラスの戦士であり、戦いの中に身をおく者であれば、大陸中で彼の名を知らない者は少ないだろう。 彼と戦う羽目のなったのは、魔導同盟の仕事の中でのことだった。仕事そのものはクリフが元学院長から引き受けた仕事であり、ミーシアはそれに同行していたのだ。 依頼の内容はパレという村の調査だ。何の変哲もない村ではあるのだが、最近その周りで奇怪な事件が起こることを聞き、クリフがその調査に乗り出したのである。 そしてクリフはその調査で核心にまで近づいてしまったらしく、彼がいない間に事の首謀者であるジュレンが、クリフへの警告としてミーシアを捕えようとしたのだった。 もっとも、それはミーシアの予想外の強さに阻まれてしまったのだが。 (相手がマスタークラスだなんて。しかももう一人、亜種族能力者がいる。アクティヴツインズ――影ってことは……、影法師ってこと)
深緑樹 そして影法師は既に絶滅した種である。疑似魔物を生み出すことが出来るというあまりに驚異的な能力を持っていたために、真っ先に迫害され、根絶やしにされたのである。ちなみに影とはその疑似魔物の事を示し、今ではアクティヴツインズという名で呼ばれている。 「クリフはまだしばらく戻ってこない。私だけで、切り抜けなくちゃならない」 こんな時のために手に入れた力だ。彼の――クリフの足手まといにならないために。 「ひっ」 考え事をしていたミーシアに、若い女の声が入ってくる。慌てて声の主を見ると、そこには幼い少女が立っていた。その漆黒の瞳は恐怖に歪み、彼女の周りに瞬時に精気が収束していく。 「この感覚、まさかあなたが……」 言い終わるよりも先に、ミーシアはその少女を抱いていた。彼女が恐怖しているのは、自分でないことに気付いたからだ。この子は他の何かに怯えている。それは、慈母性の強いミーシアにだからこそ解ったものだった。 「落ち着きなさい。あなたが動けば、私はあなたを殺さなければならなくなる」 もちろん、それは脅しだ。しかし動きを止めなければならなくなるのは事実だ。少女は震えながらも、こくりと小さく頷いた。 「あなたが怯えているのは、彼にね」 「……はい」 「そんな相手と、どうして行動を共にしているの」 それを聞き、少女は一度びくりと震えるが、少し間をおいてからそれに答えた。 「あの人が、私の力が必要だって……。御母様を……」 声には嗚咽が混じり始めていた。ミーシアは、自分の中に沸き起こってくる黒い意志を感じていた。そして、それを沸き起こす元凶となる人間が、後ろに立っていることも解っていた。 「あれだけの精気を収束させれば、気付かない方がおかしいよな」 ジュレンは笑っていた。それがミーシアの怒りに火をつける。 ミーシアは無言で立ち上がると、少女に言った。 「あなたは、どうしたい。このまま彼に従いたい。それとも……」 「それを選ぶ権利はお前らにはないな。邪魔物を消して、俺は力を手に入れる。深緑樹の能力なんてちゃちなものじゃない。黒影帝シェイディアの力だ」 「なるほどね」 黒影帝シェイディア、それは二十数年前に世界を巻き込んだ戦争を起こした龍帝の臣下の一人だ。確かに、彼も影法師だったと聞いている。この少女はその血縁者なのだろう。 「でも、私はあなたを倒すわ。私には道があるの。あなたにその邪魔はさせない」 振り返って、ジュレンを見る。ミーシアは彼の顔を睨みながら、そのまま右腕を水平に振った。 荒れ狂う精気が、その場に渦巻いた。次の瞬間、ミーシアの背中には漆黒の艶を帯びた光の翼が現れる。そして、その瞳は金色に染まっていった。 「もう一度聞くわ。あなたはどうしたい」 「私は……あなたと行きたい」 彼女のその言葉に、ミーシアは小さく笑った。 「は、はははははっ。か、カーズか。影法師に堕天使、伝説種の揃い踏みじゃないか」 ジュレンは笑いながら力を展開する。さすがにマスターを名乗るだけのことはある。その力は確かにバーグ教室の生徒ですら、幼く感じるほどのものだ。しかし―― 『ミーシア。師父の弟子の力は、まだ萌えていない。特にお前と、お前の妹、そしてラーシェルの三人はな。いつか奴と戦うときが来るかも知れない。その時、お前が共に戦ってくれるというのであれば、その力を目覚めさせてくれ」 クリフはミーシアにそう言ったのだ。立ち止まる暇などない。ミーシアは、彼と歩く道を選んだのだ。 「馬鹿が。力が強くなっても、それだけの力扱いきれるものかよ。そもそも当たらなければ意味があるものかっ」 そう言って、ジュレンは掛けだした。確かに彼が言うように、今のミーシアが集めた精気は尋常ではない。そうなると、逆に細かな魔術が使いにくくなるのだ。しかし、ミーシアは動揺していなかった。 「あなたは、私の力を見誤った」 呟いた後に、ミーシアの背中から黒い翼が消える。そして、彼女の姿が消えた。 「なっ」 ジュレンの攻撃は間違いなくミーシアを捉えていたはずだった。もしミーシアがその場にいたならば、彼女の命は失われていただろう。だが、ミーシアはジュレンの後ろにいた。 「破邪滅法」 大気が震えているのが、ジュレンには解った。まるで闘気が練り上げられているような感覚――それが魔導闘気だと理解するよりも先に、ジュレンはその力の殆どを防御に回していた。 「龍神、滅麒貫っ」 爆音が森に響き渡った。ミーシアは自動収束によって集めた精気を、全て魔導闘気に変換したのである。それによってジュレンよりも速い瞬発と、自身の最強の一打を放ったのだ。 その一撃は無数の森の木々をなぎ払っていた。そしてその破壊された森の向こうに倒れ込んでいるジュレンの姿があった。 生きてはいるようだった。しかし、その両腕は醜く折れ曲がり、ミーシアは彼の戦闘能力が失われていることを理解した。 「さて、と。それじゃ、一緒に行きましょう」 その時にはミーシアの瞳は黄金の色から、普段の赤い色へと戻っていた。少女は少し怯えていたようだったが、意を決したようにその手をとろうとする。 しかし―― 「だから素人だというのだ。自分の甘さを呪いながら、死ねっ」 ミーシアの後ろにはジュレンがいた。彼の右足には淡い光が灯っている。闘気である。これがマスターなのだと思った。戦いに対する意識の違い。負けは死なのだ。 防御は間に合わなかった。いや、それをする力がもう彼女にはなかったのだ。だがミーシアはその瞳を閉じなかった。 「瑠璃姫っ」 ミーシアの赤い瞳に映ったのは、巨大な剣に貫かれたジュレンの姿だった。身体から緑色の色素が消え、口からは赤い血が噴き出す。 「この人は、殺させないっ。この人は、力に負けない人だからっ」 ジュレンを貫いたのは見なれない鎧に身を包んだ女だった。それが少女が召喚した影だと気付いたのは、その女がすぐに消えていったからだ。 「こ、れが、瑠璃、姫……。シェイディアの力。俺の……ちか……」 「お前のものじゃない。これは、彼女の力だ」 聞き慣れた声がミーシアの耳に入ってくる。その声を聞いて、ミーシアはようやく事が終わったのだと理解した。その安堵感は、ミーシアを深い眠りへと誘っていった。
魔導学院は正式運用より二年目の年を迎えようとしていた。 始業式の日、ミーシアは学院の片隅にある公園で寝そべっていた。 「お姉様っ、始業式始まっちゃいますよ」 「んー。アーシアもどう、気持ち良いわよ」 「お姉様ぁ」 マイペースな姉に、困ったようにアーシアはその名前を呼んだ。 「そういう奴には、こうすれば良いんだよ」 そんな言葉が聞こえるのと、ぱこーんという乾いた音が聞こえるのはほぼ同じだった。 「いったーい。先生、何するんですかっ」 「あー、お姉様を殴ったっ。何てことをっ」 物凄い険相で怒ってくる二人の姉妹に、クリフは苦笑を浮かべながらそれに答えた。 「あのなぁ、うちのクラスリーダーのお前がちゃんと始業式に出ないと、俺の立場が悪くなるだろうが」 「そんなことでお姉様を殴ったんですか。職権濫用です」 「いや、職権にはそんな権利はないと思うが……」 「じゃあ止めて下さい」 「ま、まぁまぁ、アーシア落ち着いて」 いつの間にかクリフ側に移っているミーシアを恨めしく見ながら、アーシアは「お姉様ぁ」と呻いた。 「もういいですっ。私、先行っちゃいますからね」 本当は二人が一緒にいるところを見たくないのだろう。ふてくされながら、アーシアは講堂の方へと歩いていった。 アーシアが去った後、ミーシアはクリフに寄り添うようにもたれ掛かった。クリフは一度だけ小さくため息をついたが、すぐに微笑んで彼女を受け止める。 「私達、これからどうなるのかな」 ジュレンに対し、自分には道があるとは言った。しかしそれがどこに続いているのかは、ミーシアにも解らない。少し不安になって、ミーシアはクリフに尋ねた。 「どうだろうな。色々と訳ありの生徒も入ってくるし、いつまでもこの生活が続けられるとは限らない」 いつかは動き始めなければならない。いや、時間がクリフが止まっていることを赦してはくれないだろう。それがクリフの道だ。 「でも、私はあなたと一緒に行くから。どんな事があっても、どんな場所にいても、私はあなたと一緒に……」 言い終わるよりも先に、その唇は優しいぬくもりに塞がれていた。その時間は僅かだけだった。ミーシアは名残惜しそうにクリフから離れると、彼の手をとって駆け出し始めた。 「さあ、いきましょう」 満面の笑みでそう言ったミーシアに、クリフは小さく微笑んでしっかりと頷いた。
そして彼らは二人の道を歩んでいく。
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