魔導学院物語 番外編

彼と共に歩む道 第三話
再び交わる運命


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 魔導学院は試験運営が始まって四年目を迎えていた。

 運営当初は四人だった生徒も、学院の実用性が認められ、その数は八名へと増員されていた。そのうちバーグ教室には二名が、新たに設立されたウィンディア教室には二名の生徒が加わり、魔導学院の正式運営の話もようやく本格的なものになってきていた。

「それにしても、長かったわよね。学院がここまでになるのにも」

 不意にそんな言葉を掛けられ、ミーシアは少し驚いたようにその声の主を見た。彼女の紅玉の様な瞳に映ったのは、黒髪と黒い瞳をした褐色の肌の女だ。

「ジェシカ」

 ミーシアは流れるような黒髪を右手ですくい上げると、小さく微笑んで彼女の名を呼んだ。ジェシカ=コーレンはミーシアの親友であり、頼れる姉のような存在だ。もっとも彼女自身、少し子供っぽいところもあるので、普段はその立場は逆転しているが、それでもいざというときに最も頼りになるのは彼女だった。

「今日はサーシャと一緒じゃないの」

「ああ、あの子はシェーラちゃんのところでお泊まりよ。ほら、今日はテューズちゃんとヒノクス君も来ているから、凄くはしゃいじゃってね」

「そういえば、ランフォード様達がいらっしゃるっていう話だったわね」

 ミーシアは納得したように頷くと、名前が出てきた四人の子供達のことを思い浮かべた。

 サーシャというのはジェシカの娘だ。ジェシカによく似た娘で、活発という表現が似合う娘だ。そんなところもジェシカの血を受け継いでいるのだなと思えるところだが、母親とは明らかに異なる金色の髪と蒼い瞳は亡くなった彼女の父親の事を思い出させた。

 次にシェーラは魔導学院学院長クリームの孫娘で、サーシャの幼なじみだ。生まれた年も近く、共に親が魔導学院の教員であるので、交流も深く、親友と呼べる間柄だろう。実際、何かと無鉄砲な所があるサーシャを、大人しい彼女が程よく宥めているという感もある。

 テューズとヒノクスは聖国の特別司祭オーグ=ランフォードの双子の子供だ。サーシャ達とは少し年は離れているが、ランフォードはシェーラの母、ベルーナの戦友だったこともあり、まるで兄姉のような関係にある。性格は弟の方がとにかく騒がしく、流されやすい姉のテューズも巻き込まれて、一部の人間からは、彼らは騒動双児(トラブルツインズ)と呼ばれていた。

「しばらく滞在するって言っていたから、騒がしくなるわね」

「そうね。でもシェーラもサーシャも喜ぶし、いいんじゃない。私は賑やかなの、好きよ」

 そう言ってミーシアは小さく笑った。その微笑みは凄く楽しそうでいて、どことなく淋しそうなものだった。

「ジェチナが、懐かしい」

 寂しさを含んだ微笑みの理由を、ジェシカは知っていた。それはあの時間が特別だったからだ。それはミーシアだけではない。ジェシカにとっても、そしておそらくは、弧扇亭という場所で同じ時を過した全員にとって、それは特別な存在だった。

 その中心にいたのがミーシアと、行方をくらましてしまったヴァイスだ。そう、ミーシア一人ではないのだ。

「今が、幸せじゃない訳じゃないの。でも――」

 ミーシアは否定しなかった。今、彼女の周りには大切な人たちがいる。その人達との絆も深めあっている。しかし――

「彼がいないの」

 それが彼女の本音だった。親子でもなく、姉妹でもなく、師弟でもない。友人であるジェシカにだけ言える、ミーシアの言葉だった。

 人との別れが当然であることはミーシアにも解っている。しかし、ヴァイスだけは彼女にとって特別なのだ。

『比翼の鳥は、片割れだけでは飛べない』

 それは弧扇亭のかつての仲間が、二人の関係を危惧した時の言葉だった。一度彼女がはぐらかしたのを、後で問いつめて聞き直した言葉だ。

 ジェシカと再会した後も、ミーシアは変わっていった。強くなったと言い換えても良い。少しずつではあるが、不安定な精神を制御できるようになり、戦士としての能力を高めていった。

 しかし、その一方で彼女のヴァイスを求める渇きが強まっていっているのを、ジェシカは感じていた。

「ミ……」

「ミーシア」

 ジェシカがミーシアの名を呼ぼうとした刹那、場には高く美しい声が響き渡った。声の主が誰であるかはすぐに解った。だが、彼女がそこにいる事実が、ジェシカを動揺させた。

「どうしたの、アーバン」

 横で不意をつかれた友人とは異なり、ミーシアはすぐにその声に対応した。声の主はジェシカの思ったとおりの人物だった。

 レーナ=シュナイダー、それが彼女の名だ。ジェシカが愛したカイラス=シュナイダーの妹であり、ジェシカの娘サーシャの叔母にあたる娘である。年はミーシアよりも四つほど年下で、彼女と同じバーグ教室で能力を磨く者の一人だった。

 もっとも、その条件の一つとして、彼女は自分が女であることを隠し、アーバン=エーフィスと名乗っていた。

 アーバンは感情のない表情で言葉を続ける。

「先生が呼んでいる。護衛を頼みたいそうだ」

「護衛。外にでも出られるの」

 ミーシアは不思議そうに尋ねた。アーバンの説明はいつも言葉足らずだ。用件だけを正確に伝えればいいという考えの持ち主だからなのだが、同教室のラーシェルなどとは、よくそのことで衝突することがあった。

 それはともかく、アーバンはまたも表情を変えることなく言葉を付け加えた。

「ああ。王城に招かれていると言われていた。私も同行するが、王城ではお前の方が動きやすいだろう」

 動きやすい。その表現に苦笑しながらも、ミーシアは頷いて立ち上がった。

「解ったわ。支度をしてくるから、先生と正面玄関で待っていて」

「ああ」

「それじゃ、ジェシカ、悪いけれど失礼するわね」

「了解」

 ミーシアが自室に戻っていった後、そこにはジェシカとアーバンが残された。ジェシカは彼の側へ足を進めると、優しい口調で話し掛けた。

「レーナ、ちゃんとご飯食べてる。また痩せたんじゃない」

「必要最小限の栄養は採っている。突然倒れて、迷惑などかけないよ」

「そういうこと言ってるんじゃないわよ。妹の心配くらいしても、いいでしょう」

「……すまない」

 一瞬だけ、アーバンの表情に感情のようなものが浮かび上がった。ジェシカはアーバンにとってこの学院で唯一、楽しかった頃の過去を思い出させる人間だ。彼女と話すときだけ、時折アーバンはレーナに戻ることがあった。

 しかし、それを彼は望んではいなかった。

「ジェシカ。私をもうレーナと呼ぶな」

「それは絶対に嫌」

 言い終わるよりも先に、ジェシカははっきりと彼の望みを拒絶した。アーバンの表情に、今度は苛立ちが映る。

「あなたのやろうとしていることには口出ししない。だけど、これだけは譲れない。そう言ったはずよ」

 そう言ったジェシカには答えず、アーバンは彼女に背を向けた。

 ジェシカには罪悪感があった。それは、ジェチナの騒乱の後、すぐにレーナを探しだせなかったことだ。そのために彼女は心を壊して、現在に至っている。

 おそらく自分では彼女を元に戻せないとジェシカは感じていた。だから、彼女が本当に心を壊すことのないよう、彼女の名だけは呼び続けようと決めていたのだ。

 だが――その想いも虚しく、アーバンは人形としての道を進み始める。

***

「邪な理想に荷担する愚かな英雄よっ、正義の怒りをその身に受けよっ」

 それは学院から王城へと向かう道での出来事だった。ミーシアが暴走した時と同じように、今度はガルシアに暴漢が襲いかかったのである。これは事件の後で知ったことだが、大国と亜種族能力者を繋ごうという赤珠国の考えは、その両方で受け入れられない事も多く、それに反発した勢力がある。

 今回の悪漢達も、その類の連中だった。ガルシアは大戦の英雄である。だからこそ力をつけつつある赤珠国に荷担することを、彼らは快く思わないのだ。そして、連中は身体を壊しかけているガルシアを狙ったのである。

 ミーシアは事件からの年月で、再び魔術を扱えるようになっていた。それほどジェシカが学院に来た影響は大きかったし、加えてガルシア=バーグという男は人を育てることに優れていたからだ。

 しかし、状況が悪かった。そこは街中だったのだ。周りには一般の人間が数多く居た。むしろ敵は能力者が扱う魔術を防ぐためにそれを狙っていた。昔よりも強く、そして繊細に魔術を使う自信はある。が、この人混みの中で関係のない人間を巻き込まない自信は、彼女にはなかった。

「戦えないのなら、下がっていろ」

 それはアーバンの声だった。ミーシアの背筋には悪寒が走る。彼が動くことの意味を、知っているからだ。

「駄目、アーバンっ」

 ミーシアは叫んでいた。しかしそれよりも速く、彼は閃光のように、悪漢達の横を通り過ぎていった。

 赤い飛沫が、まるで雨のように降り注いだ。続いて場の至る所から叫び声が響き始める。無理もない。突然、悪漢が現れ、彼らが瞬く間にその首筋を切られたのだ。

 首の動脈が的確に切り裂かれていた。悪漢達は五人いたが、アーバンはそれを一人も逃すことなく、一瞬にして葬り去ったのだ。

 彼の姿が、初めてであった頃の彼にかぶった。ミーシアにはそれが悲しかった。そして――

「よくやったな、アーバン」

 ガルシアのその一言が、ミーシアの心に追い打ちを掛けた。

 人を殺すことを褒める人ではなかったはずだ。しかし、彼には時間がなかった。ガルシアは病に犯されていたのである。医療にも通じている彼が、自身の命があと一年ももたないだろうと診断しているのを、ミーシアは知っている。

 ガルシアは自分の信念を曲げてでも、その後継者を育てなければならなかった。その焦燥が、彼を変えた。

 全ては死霊使いと呼ばれた男を倒すために、だ。

 しかし、運命は彼の全く想定しなかった方向へと動き始めることになる。それをミーシアが知ったのは、それから数ヶ月が過ぎた時の事だった。

***

 ミーシアはその日、ガルシアの寝室にいた。

 その時には彼はもう、病床に伏せることが多くなっていたのだ。そのガルシアに、ミーシアは彼の後任を紹介されることになっていた。

 その日のガルシアは、先日までの険相は無く、まるで憑き物がおちたように柔らかい笑みを浮かべていた。

「御爺様の全てを受け継いだ、ですか」

 それは意外な言葉だった。ガルシアにそんな人間がいたならば、彼はこの学院で教職に就くことなどなかったからだ。

「まぁ、待ちなさい、ミーシア。私も会うのは久しぶりなのだ。彼に全てを任せることが出来るのかは解らんよ」

 そう言いながらも、ガルシアの表情には確信めいたものがあった。部屋の扉が開かれたのは、そんな時だった。

 外にいたのはクリームだった。そして――

「るー、く」

「リニア、なのか」

 初め、ミーシアは呆気にとられていた。しかし男のその反応を見て、彼女は思わず駆け出していた。彼女はまるで弾丸のように男に飛びついた。男は彼女を受け止めるが、勢いあまって廊下の壁に激突する。

「ルーク、ルーク、ルーク、ルークっ」

 ミーシアは泣きながら何度も彼の名を呼び続けた。男の方も訳が分からず、あたりをきょろきょろと見回していた。

「し、師父。どうしてリニアがここに」

「それは、まぁ、私の孫で、お前に後任を任せたいと思っている生徒の一人、だからかのう」

 笑いを堪えながら言ったガルシアの言葉に、男は驚きの声をあげた。

「じゃあ、リニアがリィシアの娘……」

 そこで何かが繋がったらしく、男は胸の中で泣きじゃくる少女を、優しく抱きしめた。

「すまないな、リニア。心配を掛けて」

 その言葉にミーシアは首を小さく振った。言いたい言葉はたくさんあったが、それを声にすることは出来なかった。

 その中で、かろうじてミーシアは一言だけを呟いた。

「おかえりなさい」

 と。

 そしてそれから一ヶ月後、彼はガルシア=バーグの後任として、エーヴンリュムス教室の担任となった。


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