魔導学院物語 番外編

赤毛の創師 後編




 薄暗い倉庫のような場所の中で、カエデは息を潜めていた。  彼女には疑問があった。どうして自分がこんな真似をしているのか、ということだ。

 咄嗟に逃げては来たものの、良く考えてみれば、捕まったとしてもそれほど悪い状況になるとは思えない。何しろ彼女は招かれたのだ。とはいっても、正確には招かれたのは彼女の夫だ。

 彼女の夫はその道では結構名の知れた創師だ。カエデ同様、学院長夫妻とは縁があり、恒星と呼ばれる大型魔導器の修理を頼まれたのは、実際には彼である。

 だが色々と事情があり、まだ見習いのカエデが遣わされたのだ。

 しかし見習いとはいってもカエデの腕は確かである。師でもある夫曰く、『まぁ、お前なら大丈夫だろ』とのことだ。

 まぁ、確信がないのに人任せにするほど無責任な男でないことを知っているし、カエデも創師としての腕を試してみたいとは思っていた頃った。

 少し話はずれたが、とにかく代理で来たからと言って、卑下にするような学院長夫妻では無い。

(逃げない方がよかったかなぁ)

 そんな事を思いながら、はぁっとカエデはため息をついた。

 そんなとき、カエデは背後から、奇妙な感覚を覚えた。

「そこかっ!!」

 感覚の正体は恐ろしく荒々しい気配。カエデがそれに気付き、咄嗟にその場を離れたとき、その声は聞こえてきた。そして同時にそれまでカエデが背中を付けていた壁が、ドガァッという音をたてながら、まるで弾けるように吹き飛ぶ。

(敵……)

 瞬間、彼女は自分の身に近づいている危険に気付く。そしてそこには、ひどく精神が落ち着いていく自分がいた。彼女は慌てることもなく、破壊された壁の向こう側を見た。

 そこには、大柄の男が立っていた。逆光により顔などは見えないが、彼が発する気配から、彼が熟練した戦士であることを確認する。具体的な能力は解らないが、さっきの青年と同じ質の持ち主。

 だが、彼よりも圧倒的に強い。

(能力云々じゃない。本当の戦士だ)

 目の前にいるのは『本当』の戦いを知っている人間……。カエデの身体がぶるっと震える。一つは恐怖のため、そしてもう一つは、戦士としてのさがのため……。

「何の、用かしら?」

 相手は戦うことは望んでいる。そんな事くらいは、カエデも解っていた。男はにぃっと笑うと、軽快な口調でカエデに言った。

「一応、建前は息子の仇討ちに来た、ってつもりだったんだが……。思わず血が騒いじまったぜ」

 可笑しいほど単純な理屈、その言葉にカエデも小さく微笑む。

「面白いじゃない。後悔、しないでよ」

 その言葉をきっかけに、カエデも自分の力を解放した。


 魔導学院副学院長、クレノフは呆れていた。彼の目の前に広がっているのは、全壊した食糧倉庫である。そこには二人の男女がいた。どちらとも、彼が良く知る顔である。

(まぁ、この二人がまともにやりあったんだ。この程度の被害で済んだ、っていうのは、奇跡に近いことなんだろうが)

 大体、この程度の被害なら、クリフ教室の連中が起こす事件で、慣れきってしまっている。だが、それよりも、腹立たしいのは、

「あはははっ。ガゼフ、あんただったんだ〜。強い訳よね〜」

「何言ってやがる。てめぇも化け物みたいに強くなりやがって」

 二人が和やかに語り合っていることであった。クレノフは、彼にしては珍しく、湧き起こる怒りを抑えることをせず、その怒りを躊躇わず言葉として吐き出した。

「お前らはいったいなんなんだぁぁぁぁ」

 滅多に見せないクレノフの怒鳴り声には、その場にいた観衆皆が驚いたという。

★☆★

「それにしても、貴女が一人で来るとは思わなかったわ」

 学院長ベルーナ=ヴァルギリスは久しぶりに会う友人に、苦笑しながらそう言った。

「そぉ? まぁ、いつもは私が子供達と留守番してるんだけどね」

 カエデは軽く微笑を浮かべながら、彼女にそう答えた。それを見て、ベルーナも小さく笑う。二人が会うのは本当に久しぶりだ。

「それはともかく、どうしてダンナが来なかったんだい? まぁ、見たところあんたでも十分だったみたいだけどねぇ」

 そんな二人に、水を差すように話しかけたのは、初老を迎えた程の女性だった。クリーム=ヴァルギリス。魔導学院元学院長にして、魔導同盟の盟主である。

「ふふふっ。おば様、それには色々と訳があるのよ」

 含み笑いをしながらそう言うと、ベルーナとクリームは不思議そうな表情を浮かべる。カエデは何か言いたそうに、にこにこしている。

「何かあったのかい?」

 とりあえずそう聞くと、カエデはにこぉと笑みを浮かべながら答えた。

「あの人、ちょっと前に長めの行脚に出てたのよ。それで下の子の誕生日に帰って来られなくて、怒った下の子に、帰って来早々こう言われたのよ。『誰?』って。そしたら、すっごく落ち込んじゃって、今回は絶対に行かないって、駄々こねたの」

 カエデの話を聞いて、クリームとベルーナはひどく可笑しそうにお腹を抱える。

「くくくっ。あんな化け物みたいな男にも、弱点はあるんだねぇ」

「お、御母様っ、そんな言い方悪いわよ」

 そう言いつつも、ベルーナも笑いをこらえきれないようである。それにつられるように、カエデも可笑しそうに笑った。

 そしてそんな和やかな話がしばらく続いた後、クリームは少し真面目な表情に戻って言った。

「まぁ。懐かしい話はちょっと中断して、一応立場上、報酬の件に移りたいんだけど、いいかい?」

 彼女は魔導同盟の盟主だ。恒星の修理という莫大な金額が動く話になると、立場上プライベートの関係で話し合うわけにはいかない。

 だがカエデはきょとんとした顔をしながらこう答えた。

「別に良いわよ。何だか恒星の方もほとんど直ってたみたいだし。それに、うちは別にダンナの収入だけで十分やっていけるから」

「元御嬢様の言いそうなことだねぇ。だけど、一応私達の建前って言うのもあるのよねぇ」

 苦笑しながらクリームがそう言うと、カエデは再び明るい笑みを浮かべて答えた。

「本当に良いの。逆にそんな大金持つと馬鹿になるわよ。それに、同盟だって結構苦しいんでしょ?」

「それはそうだけど……」

 反論しかけたクリームに、カエデはすっと人差し指を差し出し、彼女の言葉を止めた。カエデの表情も、真面目な物に変わっている。

「忘れないで、おば様。同盟には、御父様の夢もつまっているの。それに私達が戦ってきたことの意義も。私が紅華隊を率いて戦ったのもそのため。もっとも、その他にも理由はあったんだけどね」

 そう言って、彼女は小さく微笑んだ。

「うちのダンナだってそう思ってるわよ。ヴァ……、じゃなかったクリフだって、借金まみれだって聞いてるし」

「いいんだよ。あれは結構あの状況好きみたいだから」

 笑いながらクリームが答える。

「まぁ、気が引けるって言うのなら、もしうちの子供達が学院に入るような事があったら、しっかりと面倒見て。もちろんタダで」

「それじゃ、それで手を打ちましょ」

 二人の会話にベルーナが割り込んでくる。「ベルーナ」とクリームが顔をしかめるが、彼女はゆっくりと首を振って言った。

「御母様、これは学院で起きた事よ。私に任せて。ちゃらんぽらんに見えて、結構頭固いんだから」

 ベルーナの言葉に、クリームは苦笑をする。

「ちゃらんぽらんは余計だよ。でも、ま、そんなものかねぇ」

「そうそう。そんな物よ、おば様」

 そう宥められて、クリームはようやく納得したように頷く。

「でもっ。その代わり、今日は騒いでいきなよ。宴会分はクリフの給料から差し引いておくから」

「あと今回の倉庫の修理費や、学院の施設改装の費用もクリフの給料から引きませんか? どうせ年給がないって宣告しているんだし」

 突然、部屋の中にクレノフが入って来、そう言った。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべている。カエデはまるで珍しい物を見るような目で、しばらくの間、彼の顔を見ていたが、すぐに笑みを浮かべると、笑いながら言葉を吐く。

「鬼ね〜。ま、いいんじゃない? クリフも楽しんでるみたいだし。あ、他のみんなも呼ぼうよ。昔の同窓会みたいに」

「いいねぇ」

「それじゃ決まりね」


 こうして、クリフが聖国に生徒を送りに行っている際に、クリフの給料は彼の知らないところで踊らされていった。

 そして、最後に、カエデは帰る際にこう言ったのだという。

「クリフに会えなかったのは残念だけど、元気そうで良かったわよ。あ、それとこれ、うちのダンナの新作。あいつに渡しておいてって」

 クレノフに渡された一つの置物は、後々、クリフの金策に使われることになるのだが、とにかくこれは、クリフの居ない間にあった、小さな話の一つである。


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御伽の間