赤毛の創師 中編
ガラフが選んだ場所は、学院の第三修練場だった。他の修練場に比べ、いくらか狭い場所ではあるが、一対一の勝負をするのには十分な場所だといえるだろう。 「負けてもぴーぴー泣かないでよね」 「黙ってろ! で、エモノは使わなくいていいのかよ」 エモノというのは当然武器のことだ。それはもちろん魔導器も含む。魔導学院では体術が必修とされており、武器を用いた科目はないが、教室に入ればそれを教えられることもある。 どうみても目の前の女性は、身長に対して並程度の体つきである。どうみても体術向きの身体ではない。だがカエデは「別に良いわよ」とぷらぷらと手を振る。 「後悔すんなよ」 と、ガラフが一言言うと同時に、二人の戦いは始まりを告げた。
(腹に一発入れて、それでおしまいだっ!) 体術、それも闘気による破壊力だけを見れば、ガラフは学院生徒の中では最強である。まだそれを十分に活用できるだけの経験はないが、勘が鋭い分、それを補えるだけの能力があるといえた。 だがカエデはまるで見切っていたように、その攻撃の軌道を左腕でずらすと、ガラフの腹部に手を当て、一度腕を引いた後に、加速をつけた掌打を一気に打ち込んだ。 「げほっ」 意外な一撃を浴び、ガラフが呻く。だが闘気が込められていないようで、それほど強いダメージではない。ただ、あまりにカエデの動きが速かったために、闘気で防御をする前に、攻撃を打ち込まれたのだ。 「ちぃっ」 このままでは相手にペースをとられる。そう思ったガラフは、軽い拳を放ち、カエデと間合いを取ろうとする。だが、カエデはそれすら難なくかわすと、左手に闘気を込め、強力な一撃を、ガラフの顔面に向かって放った。 だがガラフとてそうそう馬鹿ではない。油断していた先程の攻撃とは異なり、その攻撃は予測していた。右腕に闘気を込めると、それを縦に立てその一撃をガードする。そしてその衝撃を利用しながら、後ろにわざと流され、カエデとの間合いをとった。 間合いがとられた事で、カエデはそれ以上の追撃を試みようとはせず、二人の動きが止まる。そして数瞬がたってようやく、その攻防に見とれていた観客達から、まるで堰をきったように、「をををっ」と感嘆の声があがった。 「へぇ、結構やるじゃない」 カエデは、軽い微笑を浮かべると、小さくそう言った。その顔には余裕が見られる。一方、ガラフの方はかなり際どいところだ。 腕力や闘気自体の破壊力に関しては、間違いなくガラフの方が上だ。それは初めの掌打や、ガードした一撃からガラフはそう確信していた。速さも、闘気能力による筋肉の加速を用いれば、ついていけない速さではない。 だが、問題は経験の差だ。速さで、いくらか劣っている上に、まるで自分の心が読まれているかのように、全てが見切られている。 (冗談じゃねぇぞ!) 内心、ガラフはそう呻いた。まさか、少女にも見える目の前の女が、これほどの手練れだとは思わなかったのである。 だが、突然「何をしている!!」という怒鳴り声が、その場に響いた。ガラフには聞き慣れた声だ。学院警備隊……、おそらくクリフ教室生徒が事務部の次にお世話になっている連中である。 「なに?」 不意に、カエデの注意もそちらの方に向いた。まぁ、それが普通の反応だろう。周りのギャラリーの大半の注意もそちらの方にいっているのだ。振り向かないのは、それに慣れている自分と、一部の観客だけ。 (かなり嫌な手だけど、余所見する方が悪いんだよっ!) そんな事を考えながら、可能な限りの最大の瞬発を以て、ガラフは跳躍する。闘気という加速を受け、ガラフの身体は一瞬でカエデを捕らえるだけの距離に入った。そして、彼はその加速を利用して、強力な右の拳の一撃を放った。 だが次の瞬間、信じられないことが起こった。その一撃は、確実にカエデを捕らえたはずだった。しかしそこに、彼女の姿はなかった。そして、ガラフは突然首に強い圧迫感を受けた後に、目の前が真っ白になっていくのを感じていた。 それは一瞬の出来事だった。それこそ、目で追えないほどの凄まじい速さで突進したガラフの攻撃を、彼女は見もせずに、これまた凄まじい速さで避けたのだ。 そして続けてガラフの死角になった位置から左腕を伸ばし、そのまま彼の首を掴み、その勢いを利用してガラフを地面に叩きつけたのである。この間が一瞬だ。 おそらく、その場にいた皆が、何が起こったのか理解できなかっただろう。一部始終ずっと見ていたゼラでさえ、ガラフの動きは確認できても、カエデの動きは確認できなかったのである。 学院でも、戦士として名の通った(もちろんそれ以外でも名は通っているが)ガラフが、一撃のもとにのされたのだ。その異常な光景に場がしんと静まり返る。 「あ”っ」 意外にも、その沈黙を破ったのは、カエデだった。 「不意打ちなんてかけるから、思わず本気になっちゃったじゃない!!」 かなり動揺した様子で、カエデはそう叫んだ。この事態は彼女にとっても意外なものだったのだ。 (昔、これと同じ様な事やらかして、酷い目にあったことあるのよね……) それは、それこそ彼女が小娘だった頃の話だ。だがその時と、同じ雰囲気を、彼女は感じていた。あの時は確か、その辺にいた憲兵と乱闘になったのだ。 いくらか年をとって、自制はできるようになったつもりではある(目の前の現状はおいておいて)。乱闘ということにはならないだろうが……。 「お、女っ! そこを動くなっ!!」 間違いなく、自分は加害者にされる。駆けつけた男達の様子を見れば、それは一目瞭然である。 (お互いの承認を得てやったことなのに……、私だけ悪者になるのよぅ) そう心中で叫ぶよりも先に、カエデはその場所から逃げ出していた。よく考えてみれば、逃げなくても良かったのである。ここには幾らでも彼女の知り合いがいるのであるから……。そして、証人、もとい見物客が幾らでもいたのだから……。 だが、過去の嫌な想い出に似た環境が、彼女の判断力を鈍らせたのである。 とにかく彼女はまるで脱兎の如く速さで、その場から逃げていった。
|