魔導学院物語 番外編

赤毛の創師 前編




 夏という季節は嫌いではない。そんなことを思いながら、彼女は街道を歩いていた。

 赤く長い髪に、黒い双眸、背の丈は大陸の女性としては平均的な方だろう。顔立ちは整っているが、目元が柔らかく、凛々しいというよりは、和やかな雰囲気を漂わせている。彼女の年齢よりもずっと幼く見える顔立ちだ。

 服装は長袖と季節にしては多少厚着ではあるが、通気性が良く、それほど苦にはならないものだ。そしてそのセンスは悪くない。

 彼女は今、照りつける太陽の下、赤珠族の王都ディレファールにいた。約十年前に創設された魔導同盟、その中枢を担う街である。

 彼女は昔何度かこの街に来たことがあったが、その頃とは比べ物にならないほど街は賑わっていた。

「同盟の設立ってやっぱり大きいのね」

 まるで田舎から出てきた娘のように、彼女はきょろきょろと周りを見回しながら、街のメインストリートを歩く。その間、何度か街の露店の男などに引き留められたが、彼女はそれを軽くあしらうと、そのままその道を北上していった。

 彼女はとある場所を目指していたのである。その場所の名前は魔導学院、彼女――カエデ=ヴァリシアはそこに招かれた創師だった。

☆★☆

「それにしても……、何で夫婦そろっていないのよぉ」

 カエデは魔導学院南棟二階ラウンジで、そう愚痴っていた。招かれたのはいいが、招いた当の本人、魔導学院学院長夫妻が留守だというのである。魔導学院の南棟の一部は一般解放されているために、カエデはここで暇を潰していたのだった。

「あと二時間は帰らないって言ってたし、ここでお茶飲んでるのも暇よねぇ」

 一般開放されているだけあって、ラウンジの雰囲気が明るく、客受けしそうな場所ではあったが、はっきり言って一人でいてもつまらない場所である。

(暇よねぇ)

 とカエデは小さくため息をつく。

 しかしそんな彼女の耳に、突然若い男女の怒鳴り声がはいってきた。

「ふん。笑わせないでよ。ちょっと一年早く学院に入ったからって、先輩面? やめてちょうだいっ!」

「なんだとぉ! もう一度言ってみやがれっ!!」

(何? 喧嘩?)

 カエデの瞳は、途端に輝き始める。元々彼女は好奇心の強い人間だ。その彼女に騒動を見逃せ、という方が酷な話ではあった。

 見ると、そこには大柄な黒髪の青年と、カエデと同じ背丈くらいの黒髪の少女が激しい言い争いをしていた。それは学院で騒動教室の異名をとるクリフ教室のガラフ、そしてクリフ教室とは犬猿の仲であるミーシア教室のゼラの二人であった。

(うわ〜、面白そうっ。痴話喧嘩ならなお良しねっ)

 不謹慎ながら、そんな下らない事を考える。だがその反面で、カエデはこうも考えていた。

(やっぱり止めなきゃいけないわよね〜、人として。うちの子供もあんな風に兄妹喧嘩して欲しくないし〜)

 と考えている間に、彼らの言い争いは、既に限界までヒートアップしていた。

「面白いじゃない! 今日こそ決着をつけてあげるわっ!」

「それはこっちの台詞だ!」

 そして二人が動こうとしたとき……。

「ちょっと待ちなさいっ!」

 そんな声をあげながら、カエデが二人の間に割り込んだ。突然出てきたカエデに、二人は驚きの表情を浮かべる。

 無理もないだろう。彼らにとっては日常茶飯事である行為に、突然訳の分からない仲裁が入ってきたのだ。彼らにとってはそれは意外なことでしかない。第一、彼らが決着を付けるのは殴り合いでではないのだ。

 だがそんな事を知らない人間にとっては、その光景は危ない物にしか見えないだろう。

「悪いけど、邪魔しないでくれる!!」

 と、いかにも邪魔者を押しやるように、ミーシア教室に所属する女――ゼラはそう言った。

(ま、まぁ、若い子なんてこんなものよね〜。私は大人なんだから……)

 あからさまに敵意剥き出しの、ゼラの言動に、不愉快さを覚えながらも、カエデはそうやって自分の精神を制する。自分でも年寄りじみている考え方だなぁとは思ったが、それは取りあえず無視することにした。

「まぁ、どうして喧嘩しているのかは知らないけど、やっぱり良くないと思うわよ」

 カエデは、引きつりながらも、出来る限り優しげな笑みを浮かべながら、そう言葉を加える。が、

「五月蠅いガキだな」

 と、いうガラフの言葉に、カエデの頭の中で何かがぷちっという音をたてた。

「がきぃ?」

 確かにカエデの身長はガラフよりもかなり低い。だが、ガキと呼ばれるほど小さくもないはずだ。ガラフにしてみれば、自分よりも年下の人間ならば皆ガキだ、という事なのであるが、彼女はそうは受け取らなかった。

 第一、そう受け取ったとしても、大きな間違いが一つあったのだ。

「誰がガキよっ! 私は27よっ!!」

「え?」

 熱くなったカエデの言葉に、二人は驚きの声をあげた。

 ゼラはきつい目付きをしているので、多少老けて見られることがあるが、それを差し引いても、目の前の女はゼラと同年代といった程度だ。

 ガラフにしてみればいつも言い争っているゼラを基準に、年上かどうか、というのを見比べているので、彼女を年下だと思ったのも無理はないことだった。

 だが、ガラフとゼラには信じられないだろうが、彼女は人妻で、さらに子持ちの27歳なのだ。もう一つ加えると、彼女にとって、『ガキ』という一言は言ってはいけない禁句だったのである。

「15の時頃から、身長も伸びて、ようやく言われなくなってたのにぃぃぃっ。こんな精神的お子様に言われるなんてくやしいぃぃぃっ!!!」

 そう言うと、カエデはヒステリックに手足をじたばたさせる。その行為によってさらに容貌が子供じみて見えるのだが、彼女は怒りのためにそれに気付いてはいなかった。

 そして一方、『精神的お子様』という言葉は、ガラフにとって禁句だったのだ。それはいつも彼の師であるクリフに「お前は精神的に幼稚なんだよ」と言われているからなのだが、それはこの際どうでもいいことである。

「誰が精神的お子様だっ!! それはてめぇだろっ!!」

「なんですってぇぇぇぇぇぇっ!! 年下のくせに! 年下のくせに!! 年下のくせにぃぃぃぃっ!!!」

「うるせぇガキぃぃぃ!!」

 こうなると、もはや子供の喧嘩だった。ただ一人取り残されたゼラは、その光景を唖然と見ており、大声で展開されている二人の拙い口喧嘩は、次々とギャラリーを増やしていった。

「埒があかねぇ! 着いて来やがれっ!! 勝負だっ!!」

 どうなったらそういう展開になるのかは、場のギャラリーには疑問だったが、激論? を展開していた二人は何故か同意済みのようだった。

 カエデは「上等よっ!」と一言返すと、ガラフに連れられ、学院の奥へと入っていった。

 もちろん、その場にいたギャラリーがこぞってついていったのは言うまでもない。


中 編   御伽の間