−三度目の正直 後編−
ディレファールが、国家に大きな影響力を持つようになったのは、赤珠国に魔導同盟というものができてからだ。
現在では魔導同盟の中枢として世界的にも大きな力を持ったディレファール、だがそれは万民には幸福をもたらさなかった。少なくとも、当時6歳にも満たなかったアーシアにとっては……。
円形の巨大なドームの中を、強い意志が込められた声が響きわたる。同時に、ドームの中央に立っていた少女の右手の手袋に、溢れんばかりの光が灯った。
「ファイアランス!」
そして少女がそう叫ぶと同時に、その右手は炎に包まれ、即座に真っ赤な二本の炎の槍が形成される。そしてそれは、彼女の目の前にいる、黒髪の男に向かって放たれた。その男――クリフはすっと右腕を前に差し出すと、ゆっくりと呟く。
「我が前に光の壁、ライトカーテン」
すると瞬時に彼の前に薄い、光の幕が出現し、向かってきたその二つの槍をかき消した。だがその時には、少女はクリフの真上に飛んでおり、すでに構成した魔術を放つ。
「スプレットレザーっ!!」
言葉は、場の空気を鋭い、無数の風の刃に変え、クリフに直進していく。それらは凄まじい勢いを持ち、地面に触れると同時に、大地をえぐっていく。そして瞬時に場には、けたたましい砂埃が舞い上がった。
(これならっ)
今の攻撃は、自分でも満足のいくものだった。いかに強靭な守護壁を繰り出そうとも、あの無数の刃ならば……。浮遊感に身を任せながら、彼女はそう思った。
だが突然アーシアは背後に重苦しい威圧感を感じる。そして後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「勝利を確信するのは、相手の戦意が失われたのを確認してからだ」
振り向くよりも早くに、アーシアは背中に激しい痛みを感じる。そして彼女はそのまま地面に激しく叩きつけられた。
(いったぁーっ)
アーシアは、思い切りそう叫びたかったが、それよりも先にしなければいけないことを、彼女は心得ていた。この場から離れる。それがそうだ。アーシアは身体をよじると、転がりながら、その場を離れた。
瞬間、その場には丸い光弾が飛んで来、ドゴォという音をたて地面に穴を作る。もし動かなければ、それは自分に降りかかっていた状況である。
(とにかく、相手の姿を見つけないと……)
そう思いながら、手に精気を収束させる。これだけ場が荒れていると、クリフの起こしている精気の収束を見つけることは困難だった。とにかく、先程の光弾が放たれてきた方向に、同じように光弾を放つ。が、やはり手応えはない。
起きあがると、アーシアは神経を集中させ、相手を探す。だがクリフの姿はどこにもない。
(上っ)
気付いたのは、不意に鋭い殺気が上空から感じられたからだ。アーシアはそれを確認する前に、その場所を離れ、体勢を整える。同時に、クリフの放った炎の槍が地面を穿った。だがその姿は確認できた。
アーシアはその間に精神を集中し、手袋のサテライトの制御を変える。
プラネットの補助装置であるサテライトは、基本的にプラネットにその能力を依存している。しかし四種類あるサテライトの内、一度にプラネットが制御できるものは二つまでだ。そして制御を変えるのには、多少時間がかかる。だがそれを上手く使いこなすことができれば、多くの能力を有することが出来るのである。
「風よっ!」
アーシアは言葉に強い意志を込める。本来なら魔導器を介した魔術は、発動時にその魔術の名前を口にする以外は詠唱を必要としない。しかし詠唱を唱えることは、決して無駄ではない。魔術の媒体となる精気は、思念に左右されやすいからだ。言葉は様々な意味で精神に影響を与えるのだ。
少女の言葉に引き寄せられるように、彼女の右手に精気が収束していく。そしてクリフに手を向けると、彼女はそれまで溜めたものを吐き出すように叫んだ。
「エアブラスト!」
叫び声とともに、周りの空気が一気に収束していく。そしてアーシアが右手に力を込めると、その圧縮された空気の球はクリフに直進していく。
だがアーシアはその時、信じられないものを目の前にしていた。アーシア=サハリン、彼女の特技は、誰よりも早く魔術を構成することである。しかし眼前の男は既に魔術を完成していた。
瞬く間に一筋の閃光が彼女の頬をかすめる。刺すような痛みが、頬に感じられた。
一方アーシアが放った気圧の球の方は、クリフがそれを避けたことによって、そのまま壁に激突し、轟音をたてて霧散する。
(これが、実力の差?)
アーシアはぎりっと歯ぎしりをする。それほど今の一撃の差は明確に今の二人の差を表していた。
まず一つは術式の構成能力の差、確かにセイントマークよりもエアブラストの方が幾分か術式構成速度、術式発動速度が速い。だがクリフはアーシアよりも後に術式を構成し、そして先に発動させていた。
そして二つ目、クリフの攻撃が当たったのにも関わらず、自分の攻撃は当たらなかった。かすった程度ではあるが、それは重要なことだった。同じ魔術であれば、それほど深刻でもない問題……、クリフは使うべき時に使うべき魔術を使ったのである。しかもアーシアはサテライトの回路を切り替えるという、時間的ロスまでしている。
それは多少の時間の消費だ。だが高い能力を持った戦士の戦いであればあるほど、緊迫した戦いであればあるほど、それは致命的なものとなる。
しかもそれらはアーシアが師ガルシアから学んだ、彼女が最も信頼している自分の能力なのだから尚更だ。彼女はガルシアから素早く魔術を構成することを学び、それを最大限に活かせるよう、的確な判断を導き出す術を学んだ。
以前の試合でも彼女はそれで負けた。だがあの時はまだ自分の心に迷いがあった。精神に左右されやすいのが魔術だ。だから完全なる実力の差ではないと思っていた。だが……。
(完全に負けたの? 先生から受け継いだこの力で?)
次第に心が乱れていくのが、自分でも手に取るように分かった。制御しなければならない。彼女はまるでそれが使命であるかのように強く精神を集中する。だが一度崩れた集中力は、簡単に整理されることはない。
その間にもクリフの魔術は次々と完成していく。度重なる閃光の奔流、何とかそれをかわすものの、動揺は収まらない。それどころか焦燥は段々とひどくなっていく。
一際大きい閃光が、地面をえぐると同時にけたたましい砂埃がアーシアの視界を遮った。先程までの閃光の連射により、場の精気が乱れ、相手が収束させている精気が感じられない。無論、魔術を発動させていないことも考えられるのだが、今のアーシアにはそんなことすら気付けなかった。
そして相手の姿が見えないことは、彼女の焦燥をさらに募らせる。
(何処? 何処に?)
「……今の君では見切れんよ」
不意にアーシアは背後に凄まじい威圧感を感じた。全身から汗が噴き出す。戦闘でこんな感覚を味わったのは初めてだった。殺気にも近いそれは、途端に彼女の身体を恐怖という名の戒めで縛り付ける。
「今の君はただガルシアとクレノフの真似をしているに過ぎない」
冷たい声色でクリフはそう言った。
(真似?)
ズキン
突然鋭い痛みが、アーシアの胸を駆ける。
「真似は所詮真似でしかない。本人から他人に伝わった時に、それは既に新しいものになるんだ」
(それは、先生達のだけ?)
ズキン、ズキン
痛みは次第に激しいものになっていく。
「しかも下手に二人の師の技術を真似ているために、その本質を掴んでいない。それが君の……」
(私が真似ていたもの、それは、何?)
そして痛みに耐えきれなくなったとき、ぷつんという音が頭の中に響いた。
だが魔導同盟が創設した翌年、一つの事件が起こった。二人の姉妹を乗せた馬車が、赤珠国から虎国に向かう途中に、黒い装束を纏った男達に襲撃されたのだ。目的は王女の誘拐だった。黒装束のリーダー格の男が、しきりに王女を探していたことでそれは分かった。
護衛の兵達は次々に殺され、捜索の手が馬車にさしかかろうとした時、ミーシアは意外な行動に出た。
彼女は自分の腕を短刀で刺すと、アーシアの服に振りかけながら、怯えている妹にむかって言った。
「アーシア、貴女は倒れた振りをしていなさい! 私があの人達を引き付けるから!!」
ミーシアの肩は震えていた。十歳の子供に耐えることの出来るような状況ではなかったのだ。だがそれでもミーシアは凛とした表情で、アーシアにそう言った。
アーシアは大きくかぶりを横に振った。だがミーシアの瞳はそれを許さなかった。
「貴女は王家の人間でしょう! 生き延びなくては駄目!! 大丈夫、私も絶対に捕まらないから……」
ミーシアは出来る限りの笑顔でアーシアに微笑みかけた。アーシアが涙をいっぱいに溜め、頷くと、ミーシアもゆっくりと頷いて、馬車から飛び降りていった。
それからのことは、伏せていたアーシアにはわからなかった。ただ男達の声が次第に小さくなっていき、しばらくして赤珠国の警備隊が襲撃された馬車を見つけ、アーシアは無事保護された。だがミーシアは帰っては来なかった。彼女が戻ってきたのは、事件から一年半がたったある日のことだった。
だが姉が戻ってくるまでの一年半、アーシアは苦しんだ。姉を失った喪失感、そして彼女は姉を失った原因が、自分であると思ってしまったのだ。もちろんまだ六歳である彼女に、自分の苦しみ全ての理由が理解できたわけではなかったが……。
だがそのために、アーシアは姉を失ったという事実を埋めるために、自分を姉の替え玉へと変えていった。それが彼女の不幸の始まりだった。
言動、素振り、人に映る全てを彼女は記憶の中の姉と真似た。それがアーシアの逃避だった。幼いアーシアが導き出した、ただ一つの心の穴を埋める方法。だがそれはアーシアという人間の個を捨てることに他ならない。そして個を捨てたとき、彼女はミーシアという人形になったはずだった。
だがミーシアとして形成した人格は失われることはなく、彼女はミーシアに依存しなければ、自己を保てないようになっていた。姉との相違点により、自己を形成する。そうしなければ、彼女は自分を確認できないようになっていたのだ。彼女は自分を失ってしまったのである。
その叫び声はアーシアのものだった。アーシアは足に魔導闘気を込め、後ろに一蹴する。目では確認できなかったが、なぜかクリフが後ろに飛んだのがわかった。
そして彼女は瞬間的に魔術を完成させる。信じられないほど速くにだ。ひどく感覚が研ぎ澄まされているのがわかる。混乱しているはずなのに、逆に落ち着いているような感覚。今ならば、相手の動きが目で見なくても理解できるような気がしていた。
「エアブラストっ!!」
言葉を吐き出すと同時に、収束した空気の球がアーシアの前に出現する。そして彼女はそれをクリフに向かって放つと、それは蛇行しながらクリフを捕らえる。
クリフは眼前に光の壁を展開させ、それを防ぐが、その時には既に、アーシアの次の魔術は完成していた。
「スプレットレザー!!」
無数の真空の刃が、多方面からクリフに襲いかかる。そしてそれはクリフを覆う光の壁を、少しずつ、えぐり取るように削っていった。
だが、人形としての戒めから解き放たれたアーシアは、失った力を取り戻し、二人の師から学んだ戦いの術を、一つにまとめ上げようとしていたのである。
そして、身動きのとれないクリフに対し、アーシアは今度はゆっくりと術式を編んだ。それはクレノフから学んだ制御の能力、そして彼女は編み込んだその事象を、一気に放った。
「クリムゾンフレアっ!!」
深淵の、朱の炎が、周囲の空間を飲み込みながら、クリフに向かって突き進んでいく。先日の試合でも使った、アーシアの切り札の一つである。しかしその威力は先日の物とは比べものにならなかった。完全なる構成により編み上げられた、完全なる魔術。そしてそれは確実にクリフを捕らえた。
「それでよく直撃を受けなかったな」
「直撃を受けて欲しかったような顔だな」
眉をひそめながら、クリフは目の前の男にそう言った。灼熱の魔神
クリフの隣では、長い栗色の髪をした、褐色の肌の女性が、さもおかしそうにクリフの右腕に包帯を巻いている。
クレノフは、小さく苦笑いを見せると、軽く首を振った。
「まさか。ただ興味があるだけだ。どうやってお前が生き延びたのかな」
生き延びた。確かにその表現は正しいようにクリフは思った。あの時足下に、アリエスの金色の毛皮がなければ、彼は間違いなく死んでいただろう。運だけの男
「冗談事じゃないぞ! ったく。運良くアリエスが落ちていたから良いようなものの、直撃を喰らったら怪我じゃすまんだろうがっ!!」
クリフは興奮気味に、その場を立ち上がろうとするが、それは横にいた女医に遮られた。
「はいはい。わかったから、じっとしてなさい。火傷、結構ひどいんだから。あ、しみるわよ」
そう言うと、その女医は近くにあった瓶から、ドロッとした塗り薬を取り出し、左腕の焼き爛れた部分へと無造作に塗る。
「!”#$%&……」
声にならない悲鳴が、診療所の中を駆ける。が、二人ともそんなことには、全く構わないような表情をしている。クリフは半ば涙目になりながら訴えた。
「……ジェシカ、それ、右腕の時に使わなかっただろ?」
涙ながらに訴えるクリフ。だがジェシカと呼ばれた女医は、あまり気にした様子もなく、言葉を返した。
「あ、左手の方が酷かったから、少しきつめの薬を付けたのよ。ほら、痛いと効いてるって感じがするでしょう?」
「いや、薬の性能はおいておいて、その概念はちょっと間違ってると思うぞ……」
「うるさいわね〜。仮にも氷の閃光
「何と呼ばれてようが、痛い物は痛いんだっ!」
「も〜、我が侭ね〜」
どっちもどっちだなと、呆れながら見ているクレノフに構わず、二人は更に言い争いを続ける。が、突然診療所のドアがノックされ、二人の会話? は中断された。
「失礼します」
そう言って、診療所に入ってきたのは、先程までクリフと試合を行っていたアーシアだった。彼女は複雑そうな顔をしながら、クリフの顔を見た。
「あ、あの、大丈夫、ですか?」
しどろもどろにそう尋ねたのは、クリフの立場を考えてのことなのだろう。オンリーラックと呼ばれているとはいえ、教師が生徒に負けたというのは、あまり格好の良い物ではない。さらに大丈夫か、などという言葉は、とりようによっては、かなり相手のプライドを傷つけるものだ。
だがそれを気にしないのがクリフだった。クリフは苦笑いを浮かべながら、右腕を挙げると、冗談じみた口調で、彼女に言った。
「まぁ、直撃を受けずに済んだからな。何とか大丈夫だ」
「年下の女の子には甘いのよね〜」
「誤解を生むような言い方はやめれ」
また言い争いが始まりそうな雰囲気になるが、それはクリフが、アーシアの視線の先に気付いた事で、始まることはなかった。
「すみません。何だか、急に何でもできるような気がして……」
アーシアが見ていたのは、まだ包帯の巻かれていない、クリフの左腕の火傷だった。そう魔導障壁を生み出す、アリエスがクリフの足下にあったのは偶然でしかない。もしあの時にクリフがクリムゾンフレアの直撃を受けていたら、こうした馬鹿騒ぎも見る事ができなかったのだ。
しかしクリフはというと、呆れたような表情をしながら、彼女に言い返した。
「バーカ、お前が覚醒する事くらいは、予定の範疇にあったんだよ。まぁ、覚醒する時期と、覚醒したときの能力の高さは、ちょぉぉぉぉっと予想外だったけどな」
「かなりの予想外だったんだ」
あえて突っ込むジェシカ。クリフはジロッとジェシカを一瞬睨むと、視線をアーシアに戻し、話を続ける。
「とにかくだ。やろうと思えば、まだ一応逃げ道はあったんだ。まだ自惚れる程じゃないってことだ」
「そ、そんなつもりじゃ……」
否定をしようとするアーシアに、今度はクレノフがストップをかけた。
「そんなつもりじゃないっていうのも、こいつは分かってる。つまりだ、その力を自粛せずに、大いに振るいながら、自分の物にしていけってことだよな、クリフ」
そう言って、にやぁっと不適な笑みを浮かべるクレノフ。
「あ、ああ」
クリフは、その笑みに、少し嫌な予感を覚えながら、クリフは頷く。するとクレノフは、さらに笑みを浮かべて、話を続けた。
「というわけでだ。本人の許可もとった事だし、気兼ねなくクリフ相手に精進したまえ」
「は?」
クレノフの言葉に固まるクリフ。そういう事か、とジェシカも悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうよねぇ。許可したんじゃ仕方ないわよねぇ」
そう言ってジェシカは、ぽんとクリフの肩に手を置く。結局はこうなるのか……、と言うかわりに、クリフは、はぁっと深いため息をついた。
そんな光景を、アーシアは笑いながら見ていた。そして彼女は、今、一番言いたい言葉を、素直な気持ちでクリフに言った。
「先生、ありがとうございます。これからもよろしく御願いしますね」
と。
そこにあったのは、満面の笑顔だった。
もう梅雨は過ぎていた。
See you next Magic academy story
アーシア=ゼニア=サハリンという少女がいる。彼女は赤珠族王家ヴァルギリス家の分家にあたる、サハリン家の次女としてこの世に生を受けた。幼少期は特に大して特別な生活をしたわけではなかった。王家の分家だとはいっても、赤珠国ディレファール自体が、聖国から独立した、小さな国だったからだ。
「炎よっ」
姉という存在は、アーシアにとって大きなものだった。四つばかり離れている姉妹ではあったが、小さい頃のミーシアは大人びた性格をしていた。そしてアーシアにとってミーシアは、『誰よりも尊敬できる頼れる姉』だったのである。
しかし姉は戻ってきた。その事により、アーシアの人形としての意味はなくなり、彼女はアーシアという人格に戻った。
だがその戒めは今解かれた。
「うわあぁぁぁぁっ!!」
かつて、彼女が灼熱の魔女と呼ばれる前、アーシアは零秒
第二診療所、そういうプレートが貼られた部屋の中に、三人の人間の姿があった。一人は似合わない伊達眼鏡をかけたクリフ。もう一人は、赤いローブを纏った、長身の男。最後の一人は、第二診療所の担当医である女医だ。
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