魔導学院物語 番外編

−三度目の正直 前編−




 雨が降っている。ここ数日ずっとだ。エクセリオン大陸は、梅雨の季節を迎えていた。そしてそれは赤珠族の王都ディレファールにある、魔導学院でも同じだった。

 その魔導学院の、女子学生寮の一室に、ぼけーっと虚ろな表情で、窓から外を眺めている少女の姿があった。

 彼女は短めの黒髪を指で撫でながら、その雨を見ていた。特に雨が好きというわけでもない。どちらかといえば、じめじめとしたこの雰囲気は好きになれない方だ。

 誰に尋ねられた訳でもないが、彼女――アーシアはそう考えていた。

 灼熱の魔女バーニングウィッチ、それは彼女を形容する名だ。灼熱の魔神バーニングデヴィルと呼ばれた師の弟子の中で、彼女が最も近い性質を持ったということがその名の由来だ。その名には、高い能力を持った魔導師としての、彼女に対する敬意と畏怖の念も含まれている。

 だが今の彼女を見れば、彼女が灼熱の魔女と呼ばれていることなどは、大半の者が忘れ去るだろう。それほど紅の、珠のような瞳で、雨が降る外の景色を眺めている彼女の姿は、ひどく様になっていた。

 しかしそれで彼女の考えていることまでも、優雅なのかというと、そうでもない。

(むーっ、だから梅雨って嫌いなのよね〜。じめじめしてるし、蒸し暑いし。暑いなら暑いでカラッと晴れなさい!!)

 無茶苦茶な言い分である。もちろん天候に文句を言っても仕方のないことなのは、彼女も十分分かっている。だが、そんなことは彼女にはどうでもよかった。とにかく少しでも憂さ晴らしが出来ればいいのだ。

「はぁっ。大体、雨が止まなきゃクリフ先生との再戦、できないじゃない」

 愚痴るようにアーシアは呟く。そう彼女が今、一番気にかけていること、それは教師クリフとの再戦の事であった。

 先日、彼女は長い間、目の敵にしていたクリフォード=エーヴンリュムス教師と試合をしたのだ。結果は二度の敗北、一度目は迷いの隙をつかれ、二度目は実力で負けた。アーシアの切り札であった古代魔術すらも、彼には通じなかったのである。

(でも、私はまだ納得していない……)

 彼女は心の中で呟く。いつの間にか彼女の表情は真剣な物に変わっていた。あれほど鬱陶しかった湿気さえも気にならなくなっている。

(あの時の私には、あれが精一杯だったのは事実。だけど、今ならまだまともな戦いが出来る)

 これは確信だった。前の試合からそれほど時間が経っているわけではない。しかし気持ちが整理されたことで、彼女はより洗練された術式制御ができる自信があった。そしてそれこそが彼女の最大の能力なのだ。

 だがいかに彼女が充実していようと、試合が出来る場所がないのである。学院で唯一、学内の試合が許可されているのは、学院最小の闘技場である聖珠闘技場のみであるのだが、その闘技場の天井は開放型なのだ。つまり、現在は梅雨のために水浸しなのである。

 そういった時に行われる種の試合もあるが、それよりも彼女は、お互いにベストの状態で、もう一度クリフと戦ってみたかった。もしかしたら、いや、多分また負けるだろう。だが結果よりも今は、彼との戦いを通じて自分に足りない物を見つけたかった。

 どうしてかはわからない。だが何となくではあるが、クリフと関わり合いになることで、彼女はそれが見付かるような気がしていた。姉ミーシアや、友人アーバンがそれを見つけたように……。

「でも、ただ負けるのもしゃくよね」

 だが当然の事ながら、彼女はただやられるのを待っているようなたちではない。出来るときに出来るだけのことをする。それが彼女の性分だ。

 とにかく、彼女はクリフに対抗する術を見つけるべく、心当たりを当たってみることにした。


 そうなると彼女に思いつくのは、元同教室出身のフォールスだった。バーグ教室、そしてクレノフ教室の元クラスリーダーだった男である。取りあえず冷静な男なので、当たってみるのであれば彼だろうとアーシアは考えたのだ。

「フォールス、入るわよっ」

 第二魔導器研究所所長室、アーシアはプレートにそう書いてあるドアを軽くノックすると、返事を待たずにドアノブを回し、部屋に入っていった。部屋の中に入ると、すぐに目に入ってきたのは、おびたたしい量の置き物の数々だった。猫や犬を初め、狸や狐、狼や熊など哺乳類が中心の置物が、数百と並んでいる。

「また増えてるんじゃない?」

 アーシアは呆れるような目で、その部屋の主の姿を見た。金髪のその男――フォールスもまた彼女の方を見返す。

「アーシアか。何のようだ?」

 フォールスは相変わらず淡々とした口調で彼女に話しかけてきた。アーシアは小さくため息をつきながら、もう一度その部屋を見回す。趣味が悪いとは言わないが、はっきり言ってその数は異常である。

「いい加減、減らしたら? 部屋の半分がこれで埋まってるじゃない」

 実際、部屋の至る所に置物が置いてある。もしこれがなければ、かなりの広さなのだろうが、それがあるために、ひどく狭く感じられる。だがそれでも部屋が小綺麗に見えるのは、彼が整頓しているためだろう。結構几帳面な性格なのだ。

「そうもいかんのだよ。折角収集仲間が増えたところでな」

「収集仲間? そういえばあんたのお気に入りの白猫黒猫がないわね」

 何だかんだ言いながら、アーシアは彼の部屋の異変に気付いていた。北南双天白黒猫、確か以前フォールスが熱弁していた置物だ。確か一種の魔導器で、かなりの能力を秘めているのだと言っていたのを覚えている。

「ああ。あれはクリフ先生の金色招猫と交換した。これも凄いぞ」

 突然フォールスの目が輝き始める。こうなると後が長いので、とにかく彼が熱弁モードに入る前に、アーシアはフォールスの話を中断した。

「それはどうでもいいわよっ!! それより、クリフ先生もこんな物集めてるの?」

「いや。先生は愚弟子迎撃用に使うと言っていたな」

「はぁ?」

 意味が分からないフォールスの答えに、アーシアは訝しげな顔をする。が、フォールスは構わず話を続ける。

「で、結局は俺に何のようなんだ? 話がかなりずれているようだが?」

「あ、そうよ。フォールスに知恵借りに来たのよ」

「知恵?」

 怪訝そうな表情をするフォールス。

「そう。今度先生ともう一度試合するんだけれど、それまでに少しでもレベルアップしておきたいのよ。どうせやるのなら勝つ気でいきたいし」

「ほう」

 フォールスは納得したように頷いた。彼はアーシアの性分を良く知っている。つまりこの負けん気が強いところも知っているのだ。彼は小さな笑みを浮かべると、机の中から数個の小さな珠を取り出し、それをアーシアに向かって放り投げた。

「これは?」

 それを受け取ると、アーシアは不思議そうにそれを眺める。おそらく魔導器だ。しかしその大きさはプラネットよりもかなり小さい。だが確かに力を感じる。

「サテライト。第二研究所で開発中の魔導器だ。プラネットの拡張装置として開発していてな、数種の試作品を作ってある。まだ量産の目処はたっていないが、かなり完成に近い代物だ」

「借りていっていいの?」

 アーシアは意外そうな表情をする。未完成の物をフォールスが貸し出すことなど滅多にない。完璧主義者とまではいかないが、部屋を見て分かるように、かなり几帳面な性格なのだ。

 だがフォールスから返ってきた答えを聞き、アーシアは納得する。フォールスがアーシアの性分を知っているのと同じように、彼女もまたフォールスの性分を少なからず理解している。

「構わんよ。丁度モニターをしてくれる人間を捜していた所だ。クリフ先生に頼もうと思っていたのだが、丁度良い」

(人を実験台にしないでよ)

 とアーシアは心の中で呟くが、あえてそれを言わずにそれを受け取ることにした。取りあえず雨が降っている間にでも試してみればいい。それで気に入らなかったら使わなければいいのだから。

「じゃあ、借りて行くわよ」

「ああ。基本術式はお前のプラネットと同様の型だ。後で使い勝手を報告してくれ。これは簡単な説明だ」

「りょ〜かい」

 アーシアはフォールスの手書きのメモを受け取ると、手渡された四種類の珠とメモを見比べながら、彼の部屋を出ていった。そしてアーシアが部屋を出たのを確認すると、彼はゆっくりと椅子に座り、ため息をつきながら呟いた。

「ふうっ。全く、妹の面倒くらい自分で見ろというのに……。これで俺の役目は終えたぞ。ミーシア」

 フォールスは、先刻アーシアよりも前に、自分の部屋を訪れた学院教師を思い出しながら、もう一度ため息をついた。

***

 結局、アーシアとクリフの試合は、アーシアがフォールスからサテライトを受け取った日から数えて、三日目の日に行われた。相変わらず、聖珠闘技場は水浸しだったのだが、このままでは夏休暇にはいるまでに試合を消費できないという理由で、学院最大の闘技場にして唯一ドームである、赤天闘技場が試合に使われることになったのだ。

 赤天闘技場は、他の二つの闘技場に比べ極端に広い。収容客数が十万という事を考えても、その広さが尋常でないことが伺える。

 作られた当初は、領土の狭い赤珠国にあって、この広さは土地の無駄使いだとも言われていたらしいが、そんなことはアーシアにはどうでもよかった。

 周りが果てしなくだだっ広い分、存分に力を振るえるというものだ(聖珠闘技場で力を存分に振るっていないわけではないが)。

 アーシアが闘技場に来たときには、円形のドームの真ん中に、既にクリフが立っていた。いつも掛けている伊達眼鏡は、今日はつけておらず、相変わらずその表情は、面倒くさげで、本当にやる気があるのかすらも見た目では判断しかねるところだ。

 ただ、クリフは「一度引き受けた仕事は、なるべくやり遂げるようにしている」という信条を持っているということで、また彼は、間違いなく戦士としての、第一級魔導師の能力を持っている。

「それじゃあ、始めようか」

 アーシアがクリフの側に来ると、彼は面倒くさそうにそう言った。そしてアーシアが頷いたのを確かめると、試合開始の正位置まで歩いていく。今日のクリフからは、今までのような威圧感は感じられなかった。


 そこはひどく静かだった。観客収容人数が十万といっても、そこにはアーシアと、彼女の目の前に立っているクリフしかいない。今回の試合は審判すらもいないのだ。

 理由はほとんどの上級魔導師が、夏休暇前ということで、ひどく多忙だという点、そしてもう一つ、実はこれは正式な試合ではなかった。副学院長の独断で行われる試合だったのだ。

 もちろん普通ならば違法ではあるが、副学院長だけでなく、学院長も承認しているらしく、試合というよりも、修練の延長上という形で行われることになったのだ。

 とにかく、今回は誰の邪魔も、そして誰の助けもないということになる。その事に対しアーシアはひどく緊張していた。

 いくらバーグ教室の厳しい修練、そして特級魔導師クレノフの師事を受けたといっても、誰にも見守られていない戦いというのは、彼女にとっては初めてだった。いつも誰か側に止めてくれる人がいたのだ。相手を、または自分をだ。

「準備はいいかぁ?」

 少し離れた場所に立っているクリフから声が聞こえてきた。それほど長い時間、考え事をしていたわけではなかったが、アーシアはひどい汗をかいていた。だが彼女の性分は、それを許さない。

 アーシアは小さく頷くと、クリフに聞こえるように、「大丈夫です」と答えた。

 そして試合は始まった。


 先に動いたのはクリフだった。クリフは身体を覆った厚めのローブから、何かを取り出すと、思い切り振りかぶって、それを投げてきた。

(え?)

 アーシアは突然の出来事に、少し対応が遅れた。だが『それ』は信じられないほど物凄いスピードで彼女に襲いかかってきたのだ。それが相手の攻撃だと気付いたときには、既に身体が危険を察知し、動いていた。

 アーシアは『それ』を寸での所で避けると、『それ』が何であるかを確認した。その実体は、白い猫の置物。フォールスのお気に入りだった、北南双天白黒猫の片割れである。以前、あのフォールスが嬉しそうに話していたのを思い出すと、白猫には直線的に相手を強襲する能力がある、ということだ。無論その速さは使い手によって異なるらしい。

 そして白猫は、アーシアの後ろの地面を削りながら、かなりの距離を進んだところでようやくその動きを止めた。

(す、凄い……)

 以前フォールスが、これを使ったのを見たことがあるが、これほど凄まじいスピードで飛んでいくものだとは、その時は予想もしなかった。

(凄い、けど……)

 不意に彼女は何かに違和感を感じた。だがそれを確認する時間はなかった。クリフが続けて黒猫――フォールスによると、ある程度相手を追尾するらしい――を投げてきたからだ。

 その速さは先程の白猫よりも格段に遅い。アーシアはゆっくりと冷静にその黒猫の追尾から逃れる。

「そんなに簡単にやられてたまるもんですかっ! 風よっ!!」

 アーシアは、それを避けるとすぐに術式を構成する。同時に彼女の手にはめられたプラネットに精気が収束しはじめる。そして拳の部分に付けられた、サテライトの一つもそれに反応していた。

「スプレットレザーっ!!」

 彼女は収束した精気で無数の疾風の刃を作り出し、それをクリフに向かって放つ。以前クリフが見せたのと同じ魔術だ。フォールスから借りたサテライトの中の1つ、タイプスリーに込められた魔術である。

 サテライトは、プラネットをベースとし、プラネットにない魔術を発動させるための術式を追加する機能を持った魔導器である。例えればゲームのソフトのような物で、プラネットが本体ということになるのだろう。

 アーシアが放った疾風の刃は、クリフを切り裂かんと凄まじい速さで空間を突き進む。だが、クリフは懐から金色の羊の置物を取り出してきた。そして彼はそれに呼びかけるように言った。

「我を包めアリエス!!」

 クリフの呼びかけに、その羊の置物は瞬時に金色の毛皮に変化する。そしてそれはクリフの周りに、薄く、そして淡い光を放つ幕を展開させた。魔導障壁マジックフィールドである。その精気の幕は、アーシアの魔術をかき消すと、次第にその光を弱めていった。

 アーシアは足を止め、その光景を見ていた。

(確かに凄い、けど……)

「どうして、今更そんな物を使うんです?」

 それは先程不意に浮かんだ違和感の答えだった。アーシアは疑問の目でクリフにそう尋ねた。

 彼女は今までに何度かクリフの試合を見てきた。そして自分自身、クリフと戦った。その中で感じたのは、彼が試合の中であっても、教師として戦っているということである。

 例えを変えると、彼は常に相手にあわせて試合をしてきたといことだ。しかし今回の試合では特殊な魔導器を使ってきている。アーシアにはそれが意味のあることだとは思えなかった。

 試合なのだから、それは別に疑問視することでもないのだろう。あくまでこれは戦闘なのだ。それはアーシアも十分承知をしている。だが何故かひどく彼女にはそれが引っかかったのだ。

 クリフは彼女の言葉を聞くと、持っていた金色の毛皮を地面に放り投げた。そして微笑を浮かべながら、彼女の疑問に答えた。

「ミーシアに頼まれてな。絶対に緊張をしているだろうから、いつもとは違う風に戦ってくれと言われていたんだ。ま、緊張もとけたみたいだし、これも必要なくなったわけだ」

 そう言うと、クリフは着ていたローブをも放り投げる。それは地面に触れるとごとりという鈍い音をたてた。よほど多くの物が入っていたのだろう(どうやって収納していたのかはわからないが)。

(とにかく、お姉様、ありがとうございます)

 アーシアは心の中で姉に感謝すると、目の前に立っているクリフに注意を向けた。クリフはすぐにアーシアの視線に気付き、小さな微笑を浮かべると、彼女に言った。

「それじゃ、今からが本番だな」

 台詞が終わると同時に、クリフの雰囲気がゆっくりと変わっていく。それはひどく重々しい物だった。今までの経験の中で、何度か体験したことのある感覚だ。そしてその威圧感は、クリフが第一級魔導師であることを、もう一度アーシアに強く認識させた。

 そして二人の三度目の戦いは、本当の意味で幕を開けた。





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