リ ニ ア の 日 記
第六章 始まりのための終幕

My name is...


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 ジェチナという街が産んだ闇がうごめく中、一人の女が漆黒のマントに身を包み、静かに時を待っていた。

 外観は二十代半ばといったところだろう。どことなく幻想的な雰囲気を纏い、全てを吸い込むかのような漆黒の双眸は、それを強く引き立たせている。

 彼女はかつてこの街でディーア=スノウと名乗っていた女だった。リニア達と共に弧扇亭で僅かな時を過ごし、とある事件の後、自らが冥貴族であることを告げ去っていった女だ。

 そのディーアがジェチナに戻ってきたのは、僅かに前のことだった。

「よろしかったのですか、ヴェリス様」

 女の声が闇の中に響いた。不意に後ろから声を掛けられ、ディーアはその声の主に意識を向ける。

 ヴェリス、それは幾つかあるディーアの名の中で、冥貴族としての名だ。そして、彼女が龍帝の反乱の際に用いた名でもある。

「それは私が彼女たちを助けた事を言っているのかしら。サリア」

 ディーアはまるで声を掛けた少女を試すかのように、含みのある口調でそう言うと、すっと彼女の方へと振り向いた。

 まず黒い瞳に映ったのは金色の長い髪と黒いマントだ。続けて僅かに不安げな青い瞳を確認する。それを見て、ディーアはいかにも彼女らしいと小さく笑った。

 彼女の名はサリアという。数年前にディーアが力を授けた娘で、冥貴族の力を手に入れながらも、外界の人間の中で生きることを望んだ女だ。気位の高い傾向のある冥貴族としては異端な方ではあるが、そんな彼女をディーアは酷く気に入っていた。

 彼女は少し躊躇いながらも、ゆっくりと言葉を続ける。

「はい。赤珠の捜索隊があの娘達を助けに入っていたのは、気付かれていたのでしょう。ならば、彼らに気付かれる危険を冒してまでヴェリス様が力をお使いになる必要は無かったかと」

 彼女が言っているのは弧扇亭の一同を、ディーアが助けたことだった。

 レイシャ、ジェフ、ハムス、ジェシカの四人がワームに攻撃を仕掛けた後、レイシャとジェシカは未だ生きていたワームに攻撃を受けそうになった。その時、彼らを助けようと動いたのは赤珠国の戦士達だけではなかった。

 まず最初にワームの動きを止めたのは他の誰でもない。ディーアだったのである。

「それは私も聞きたいね、あんたにどういう意図があるのか」

 突然の声にサリアは咄嗟に身構えた。顔つきが瞬時に戦士のそれに変わる。その一連の動作に、ディーアは顔を僅かに曇らせると、右手を挙げサリアを制した。

「大丈夫。私の友人よ」

 そう言うと、ディーアは視線を声の主に向ける。そこに立っていたのはふくよかな体型の女性だった。忘れもしない、弧扇亭の女将である。彼女の手には愛用フライパンが握られていた。

「そんな物まで持ち出して。貴女も戦うつもりだったのでしょう。それが答えよ」

 ディーアの言葉に、女将は顔を歪めた。彼女にはディーアの言葉に含まれている意味が解ったのである。女将の持つフライパンはただの調理道具ではない。とある創師が作り出した強力な魔導器なのだ。一方でサリアは訳が解らない様子で、視線でディーアに解答を求めた。

「弧扇亭の女将マリア=エストラの使命は、全てが終わった後、皆が戻ってこれる場所を護り続けること。その名を継いだ者はどんな悲劇に巡り会おうとも、寿命をまっとうするまで生き続けなければならない」

 それは初代マリア=エストラから、その名を賜る際に女将が言われた言葉だった。それを何故ディーアが知っているのかは彼女には解らなかったが、女将は悔しそうに言葉を吐き出した。

「だけど、戻ってくる人がいてこそそれは成り立つことだろう。あの子達だけに、業を背負わせることは私にはできないよっ」

 それは女将がずっと背負い続けてきた痛みだった。ディーアが言うように、マリア=エストラの名を初代より賜ってから、彼女は一つの自由を失った。自分の死にたいときに死ねないという自由である。愛する者達の死が解っていても、彼女はそれを護るための戦いには赴くことが出来ないのである。

 女将の思いの丈を聞き、ディーアの瞳には優しげな色が浮かぶ。彼女はすぐにそれを言葉に変えた。

「安心なさい。それを護るために私が来たのだから。ジェイクやカイラスは間に合わなかったけれど、これ以上あの男に私の仲間を踏みにじらせない」

 そう言うと、ディーアは女将に掌大の紙の箱を渡した。

「これは」

 受け取った小さな箱に、マリアは目をぱちくりとさせる。中身はどうやら何らかの粉らしく、揺らすたびに砂がこすれるような音が聞こえる。

「冥貴の子を出産するときに使う薬よ。冥貴の胎児はその力故に母胎と共鳴し、融合をしようとするから。ジェシカに使ってあげて」

 言い終わると、ディーアはゆっくりと歩き始めた。リニア達のいる西の関所へと向かって。

「急ぐわね。リニアの覚醒が始まったようだから」

「覚醒」

 意味が解らなかったのだろう。女将はその言葉を反芻する。

「そう。あの子は大きな力を持っている。アレスが狙っているのはその力。そして、彼女の力はもう一つの力を呼び覚ます」

 ディーアが護らなければならないのは、その力だった。彼女自身がその片鱗を確かめた力。彼女がこの地に戻ってきた本当の理由は、それを護るためだった。

「それじゃ、また会いましょう。コリア=イレイド。いえ、マリア=エストラ」

 そうしてディーアはサリアという娘を引き連れてその場を去っていった。マリア=エストラの名を継ぐ者を残して。


☆★☆


 リニアの背中に現れたのは漆黒の二枚の翼だった。

 まるで烏を思わせるようなそれは、彼女が息を吐き出す度に律動的に淡い影を作る。そしてそれに併せて、周囲の精気は激しい集束を起こしていた。

「貴方に、これ以上ルークを傷つけさせない」

 激しく渦巻く精気の流動の中、リニアはルークを抱きしめながら小さく呟いた。小さく細々とした声であるにもかかわらず、それには強い意志が込められている。ルークははっとしながら彼女の瞳を見た。

 それは金色の瞳だった。いつかディーアや、ルーク自身が見せたことのある、憎しみに染まった危険な色。

 止めなければならない。ルークは咄嗟にそう判断する。今の彼女の状態は酷く危険だったためだ。

 精気は感情に左右される媒体である。そのために激しい想いが力になることは決して少ないわけではない。しかし、それは力の暴走という結果を招く原因ともなる。感情に任せ、力が制御出来なくなったとき、それは身を滅ぼす凶器となるのだ。

 更に、今のリニアが纏っている力は、今までルークが出会ったどの魔術士よりも大きなものだった。少なくとも制御能力が未完全なリニアに扱いこなせる物ではない。

(駄目だ、リニア)

 ルークは何とかそれを声に出そうとする。だが彼の身体を巡る虚脱感は、その意志を嘲笑うかのようにルークの力を奪っていった。完全なる敗北、それによって気付かされる圧倒的な力の差。それがルークの精神を打ち砕いていたのである。

「成る程、それが貴女のカーズとしての力ですか」

 ルークの苦悩を余所に、アレスはリニアに起こった変化をじっくりと観察していた。彼の瞳には、リニアとは対称的に好奇の色が浮かんでいる。それは、まるでこの事態を待っていたかのようにも感じられた。

 カーズというのは黒い翼をもった天使種族のことである。本来、彼らの翼は純白のものであったという。だが中には黒い翼を持つ天使がおり、彼らは呪われた天使という意味で堕天使――カーズと呼ばれたのだという。それは、ルークの師が半ばお伽噺として彼に教えてくれた話であった。

 しかしアレスにとってはそれはお伽噺などではないのだろう。彼は顎に手を当てながら言葉を続ける。

「だが、まさかその年で領域の力に覚醒するとは。決して皆無だった訳ではないが、素晴らしいことです」

 その言葉が言い終わるよりも早く、リニアを包んでいた精気が集束し、弾けた。刹那、アレスの後方から激しい轟音が響く。それは関所の壁が砕かれた音だった。まるで何か重い球体に潰されたように、壁には円形のくぼみが出来、粉砕された壁の欠片が風に吹かれて宙を舞う。

「そんな話、興味なんてない」

 淡々としながらも、感情に満ちた激しい声だった。それは普段のリニアからはとても考えられないものだ。しかし確かにそれは彼女の気質としてあったものである。

 ルークと心を通わせた際、リニアはその感情を思いのまま吐き出したことがあった。彼女の気質は決して大人しいものではない。むしろ、ルークは彼女に激しい感情が秘められていることに気付いていた。

「貴方さえいなければっ」

 その言葉にあわせるかのように、リニアの背中の双翼が大きく開いた。そして同時に彼女の背後には、黒い光を帯びた輪のような物が出現する。それは激しく回転を始めると、場の精気を取り込みリニアの力へと変えていった。

「ハイロウまで発動させたか」

 アレスの嬉々とした声がその場に響く。漆黒の戦闘服に身を包んだ魔術士は、それに対抗するためにすかさず魔術の術式を構成した。彼の魔術が完成するのと、再びリニアから何かが放たれるのはほとんど同時だった。

 目に見えない何かがアレスに向かって放たれていくのが、その場にいた全員に感じられた。それは高密度に圧縮された精気の塊だった。リニアは収束させた精気を魔術として発動させることなく、攻撃に用いたのである。

「確かにその能力は素晴らしい。だが、派手なのは見た目だけだ」

 しかし、アレスはその欠点をすかさず見抜いていた。彼はその両腕を左右に広げると、言葉と同時にその力を解放する。

「パーサーズレイ」

 刹那、アレスの両手から数十という光の筋が放たれる。それは、リニアが放った精気の弾丸を貫きながら、進行方向を変え、リニアに向かって突き進んでいった。

「――っ」

 リニアは自分の攻撃が無効化されていくのに驚愕しながらも、半ば反射的に魔導障壁を展開した。淡い光を放つ精気の障壁が彼女の前に展開するが、それはアレスの攻撃に貫かれ、リニアの周囲に突き刺さっていった。

 場にはけたたましい衝撃音が鳴り響き、大量の砂埃が舞い上がる。しかし、不思議な事に、アレスの攻撃は一つもリニアには触れていなかった。それが意図的であることは、誰の目から見ても明らかだった。

「制御されていない力をいくら振るおうが、私には通じない」

 アレスはリニアのすぐ側にまで歩み寄っていた。リニアは彼の姿を確認し、黄金色に染まったその瞳で彼を睨み付ける。再びリニアの周囲には精気が集束していくが、それはアレスによって制された。

「止めた方が良い。これ以上抗おうと言うのなら、ルーク=ライナスを殺さねばならなくなる」

 突然出たルークの名に、リニアの周囲の精気が揺らめく。それは彼女自身の動揺の表れでもあった。だが、それでもリニアは瞳に憎しみを込め、その精気を制御しようとする。

 しかし一度解れ始めた意識の紐は止まることはなかった。

 場に集束した精気が、リニアの意志に反してうごめき始める。それは精気の暴走だった。もしそれが僅かなものであれば、リニアの優れた制御能力を持ってすれば、制することもできただろう。

 だが場に集った精気は、竜がブレスを吐くときに生じるそれにも匹敵するものなのだ。本格的な訓練を受けていないリニアに扱いきれるものではなかった。

 身体の中から熱い物が込み上げてくる。それはすぐに激しい痛みとなってリニアを襲った。リニアの中に吸収された精気が、暴走によって一気に外に出ようとしていたのである。

「あああああああっ」

 身体を走る激痛に、溜まらずリニアは悲鳴をあげた。視界が涙で歪み、ルークを抱きしめる両腕に力が入る。噴き出していく力に、もはや抗う術はリニアに残されていなかった。

 しかし――

「ごめんな、リニア」

 激痛の中、優しい温もりが頬に触れる。ようやく涙をぬぐい、見ると、それは下から差しのばされたルークの手だった。彼は酷く悔しそうな表情を浮かべながら言葉を続ける。

「気付いてたはずなのに、認めたくなかった」

 リニアにはルークが何を言っているのか解らなかった。ただ、彼女はルークの身体に変化が起こっていることには気付かされていた。彼は強く、そしてしっかりと言葉を紡ぐ。

「だが、お前を護るために必要なら、いくらでも認めてやる」

 ルークは立ち上がると、激痛に喘ぐリニアの身体をしっかりと抱きしめた。彼の口からは強い意志が込められた言葉が吐き出された。

「俺の名はクリフォード。クリフォード=グランザムだっ」

 ルークが口にした言葉に呼応するように、場には銀色の光が満ち溢れた。まるで何もかもを包み込むように。


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