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ワーム=エイザー。 人外の力を求めたその男は、既に人の姿を保ってはいなかった。 レイシャ達がルークと別れてからまだ僅かな時間しか流れていない。だが、攻撃を加える度に彼は再生を繰り返し、その肉体を異形なる物へと変えていた。身体は傷があった場所を重点に赤い鱗に覆われ始め、その臀部には尾のようものが出現し始めている。 レイシャはその異形となったものを眺めながら、自分達の置かれた状況が悪いものであることを理解していた。延々と再生を続けるワームに対し、レイシャの体力の消耗は激しい。そして、それは彼女とともにそれと戦う二人の青年も同じだった。 「レイシャさん、どうするっす。いくら叩いても効果無いっすよ」 「弱音を吐くな、ハムス」 不安を最初に言葉に変えたのは緑色の体毛で体を覆った青年だった。そんな彼を、もう一人の黒い体毛に身を包んだ青年が、半ば反射的に激昂する。 「ジェフ、ハムス、もう少し頑張って頂戴。絶対に突破口を見つけるから」 レイシャは額に浮かぶ珠のような汗を拭いながら、ハムスと呼ばれた青年にそう答える。だが、彼の吐いた不安を一番明確に体感しているのは彼女だった。 (確かにこのままじゃ埒があかない) 沸き起こってくる焦燥を何とか抑えながら、レイシャは心中でそう呟く。実際に限界に最も近づいているのが自分であることを彼女は理解していた。戦士としての技量はともかく、レイシャには他の二人ほどの体力がないのだ。 黒色と緑色の体毛を纏った青年達、ジェフとハムスは獣人という戦士の一族の末裔だ。基本的に彼らは常人よりも高い運動能力を持つ。特に半獣化と呼ばれる能力を発動させたときの彼らは圧倒的な力を手に入れる。緑色の鼠の獣人に変化したハムスは戦士の家系の出ではないが、その彼ですらレイシャに並ぶ程の戦闘力を発揮している。 (認めるのは癪だけど、二人の力を宛にしてるのは事実。でも) それだけでは足りない。先程から感じているように、状況は最悪なのだ。 (勝算は二人が獣人であることだけだった。そして、二人の強さは予測通りだった) そこまではレイシャの計算通りだったのだ。誤算があるとすればただ一つ。ワームの意志の強さ、それが現状を最悪にしている最大の要素だった。 レイシャ達がアサシンギルドに参加する前からワーム=エイザーはそこにいた。彼に対する評価はアサシンギルドの中でも酷いものだった。勝利の為には手段を選ばない男。どんな汚いことにも手を染めることが出来る男。なぜセイルが彼を腹心に置いているのか、それはレイシャにとって大きな疑問だった。 『セイルは、自分の甘さを無くしたいのだよ』 そんなレイシャの疑問に対して、彼女の父、キースはそう答えを返したことがあった。その時のレイシャには返答の意味は解らなかったが、今ならば解るような気がした。 (マスターセイルが欲していたのは、意志を貫く強さだった。微塵の甘さも許さない、修羅としての強さ。確かに、彼はそれを持っている) 最も嫌悪すべき相手だった。少なくとも、人としてのワームに惹かれた者などギルドにはいなかったに違いない。彼の周囲にいたのが、常に媚びを売るだけの俗物達だけだったことがその良い証明だろう。レイシャは、ワームのそんな生き方を軽蔑してきた。 だが、その執念だけは別だ。今も彼はルークへの復讐を果たすためにここにいる。魔物の力を受け入れ、おそらくは人に戻ることが適わないであろうことも理解して。 これがセイルが求めた強さだったのだろう。そして、ワームを側に置くことで彼はその強さを手に入れたのだろう。揺るがない信念を手に入れたセイルだからこそ、このジェチナを半ば統一に近い形までにすることが出来たのだろう。 (どうやったら勝てる) 見つかりそうにない答えだった。足りないの絶対量としての力だ。相手が強力な意志を持ち、再生を続ける以上、レイシャ達の攻撃は通じないのも同じだ。あるいは魔物の心臓とも言えるべき核を探し当てれば話は別であるが、それを見つけるだけでも困難であるし、よしんばそれが解ったとしても、龍の鱗を貫き核まで攻撃を届かせるのは不可能に近い。 (せめてもう少し高度な魔術を使えたら) レイシャはそう思いながら自分の魔導器を見やる。それはお世辞にも程度が良いとは言えない物だ。虎国で量産されたものの中でも型の古い魔導器、技量のある者ならばそれでもある程度の魔術を使うことが出来る。だが、レイシャは魔術を専門に扱う戦士ではない。闘気と魔術、両方を扱えるだけあり汎用性には優れるが、魔物ほどの耐久性を持つ相手に対して決定的となる攻撃は有していないのである。 そして、それはハムスも同じだ。唯一、ジェフの攻撃の威力が高いのはこれまでに仕掛けた攻撃で理解はしたが、それでもやはり竜に対して決定的にはならないだろう。 (決め手が足りない) ワームの攻撃を避けながら、心中でそう叫んだときだった。レイシャは微かに精気が奇妙な流れをしているのに気付く。いや、それは本来なら明確なものなのだろう。魔物がこの場に存在し、精気の流動を激しく乱していなければ、もっと早くにそれに気付いていたに違いない。 そう理解するよりも早く、細長い、二つの棒状の炎がワームに衝突する。それほど難しい魔術ではないが、その威力は明らかにレイシャのそれを上回っている。動揺しながらも魔術が放たれた場所を見ると、そこには褐色の肌の女が立っていた。 「ジェイク妹ぉ」 ワームが吼える。彼が言うように、そこいたのはジェシカだった。彼女は右手に銀色の珠を握りながら、その腕を力無く突き出していた。表情からも精気が失せ、仮に彼女が病人だと言っても信じない者はいなかっただろう。ただし彼女の瞳に籠もる強い意志を見なければだ。 「お前も苛つくんだよぉ」 攻撃を仕掛けられたことがワーム怒りを喚んだのだろう。彼は口内に精気を集束し始める。竜の必殺の攻撃、ブレスを放とうというのだ。炎のブレス、ワームが放つのはそれだ。いかにジェシカの守護魔術が高度であろうと、ブレスを防ぐことなど出来るはずもない。ただし、それは発動すればの話であった。 「馬鹿がっ」 「がら空きっすよっ」 ブレスを放つには膨大な量の精気を必要とする。それは同時に発動の為に時間を要するということでもある。しかもほとんど無防備に近い状態でだ。ジェフとハムスはその隙を見て、素早い瞬発を以てワームの懐に入り込んでいたのである。 「引き裂けっ」 黒い虎の獣人に変化したジェフの右手には、鋭い五本の爪が並んでいた。それらはジェフのかけ声と共に淡い光を放つ闘気を纏う。そしてジェフは研ぎ澄まされた爪でワームの胸を切り裂いた。 竜の鱗が高い硬度を持っているのと同様に、闘気もまた絶大な威力を持っている。闘気をの威力を高めるにはそれなりの時間が必要であるが、攻撃がこないのが解っていればそれをするのはそれ程困難な事ではない。少なくとも、闘気に慣れた者にとっては。 「噛み切るっす」 続いてハムスがジェフがつけた傷痕に三本の指を付き入れ、抉るようにそれを引き抜く。それによってワームの胸の傷は深まり、そこからは赤い鮮血が噴き出すように流れ出る。 「図に乗るなぁ」 ワームは口内に集束した精気を、ハムスへと向け直す。近い間合いにいる彼を狙うことで、邪魔者の数を減らそうと考えたのだろう。 確かにその間合いでは、常人にはどうすることもできないに違いなかった。だが―― 「お前こそ僕の逃げ足をなめるなっす」 そう言うのと同時に、ハムスの姿はワームの視界から消える。ハムスは信じられないほどの加速でワームとの間合いを広げていたのだ。それもまたハムスの獣人としての能力だった。紅蓮のブレスは全く見当の違う方向へと放たれ、地面を焼いた。 それがワームの最大の隙となった。 (決める) 獣人の青年達によって作られた好機に、レイシャは初めて勝機を見いだした。たどり着けなかったのはこの域までだ。ワームの隙と防御の穴を作り出せるこの一瞬。彼女はこの機会を欲していたのである。 レイシャはすかさず懐から小刀を取り出した。それは彼女が愛用する赤い小刀ではない。全てを包み込むような漆黒の一振りだ。確か宵重という創師が作った物だと聞いている。 だが、この状況でそんなことはどうでも良かった。意味があるのは、それが強い武器であるということだけだ。 彼女は小刀に闘気を込めると、普段よりも早く、そして正確にそれを水平に投げた。黒い影はまるで吸い込まれるようにワームに突き進んでいく。ワームが小刀の接近に気付くのと同時に、黒い刃は彼の胸につけられた傷を抉った。 「うげっ」 最初に聞こえたのは、空気を吐き出すようなそんな声だった。だがすぐにそれは絶叫へと変わる。 「があぁぁぁぁぁぁっ」 突然、ワームは狂ったようにその場に転がり始める。頭を地面に叩きつけられたときも、身体を斬られた時も、瞳に狂気を抱き続けた彼がだ。その光景にレイシャはにやりと嗤う。 「その再生力が仇になったわね、ワーム。それは貴方の心臓に打ち込まれた。つまりどれだけ再生力が高かろうが、貴方の心臓は再生されない」 レイシャが勝ち誇ったように言葉を続けている間も、彼の絶叫は止まることなく続く。それは、再生力が高ければ高いほど、痛みを増す拷問だった。もし、彼が完全に竜に変化していたのならば、結果は変わっていたのかも知れない。なまじ人の意志と身体を保ち続けてしまった為にワームは不完全な再生を続けなければならなかったのだ。 しかしそれでも彼の狂気は止まらなかった。 「はぁっ、こ、殺してやるっ」 怨念の言葉が発せられたのと同時に、再生のために集束していた精気が突然流れを変えた。続いてワームの身体中からまるで血のように無数の閃光が噴き出す。 「な、何これ」 あまりにも異常な光景に、レイシャはさすがに動揺した。これはワームの足掻きなのだろう。多方向に放たれて続けるそれは、無人の家屋を次々と破壊していく。照準が定められていないために、それには精度がない。しかしその数が半端でないために、いつ弧扇亭の仲間に命中してもおかしくはなかった。 (このままじゃ、全滅だわ) 堰き止めていた焦りが一気に噴き出す。一度切れてしまった緊張の糸は、そう易々と繋ぐことは出来ない。レイシャの心は石が坂を転がるように落ちていく。 それは必殺の一撃を放ち、力を出し切っていたジェフとハムスも同様だった。 しかし―― 「灯火は消さないっ」 凛とした声がその場に響く。見ると、ジェシカが上空に跳んでいた。それは丁度ワームの真上に位置している。彼が放った閃光は、真上には放たれていなかったのである。 ジェシカは右手に銀色の珠を掴んでいた。それはカイラスが父親から受け継いだ意志の象徴だった。彼女はそれを差し出すと、大声で叫ぶ。 「カイラス、私に力を貸してっ」 その瞬間だった。ジェシカの背後に見慣れた男の姿がぼんやりと映る。それはもしかしたれ幻影だったのかも知れない。だが、その場にいた三人は確かに見たのである。カイラス=シュナイダーの姿を。 「大地よ、重力の戒めとなりて彼の者を圧し潰せ」 それは確かにカイラスが使っていた魔術だった。その扱いの難度においてはクリムゾンフレアを凌ぐという、天使の魔術。本来なら、ジェシカが使えるはずのない魔術。 「グラビゲーション」 ジェシカがワームの頭に手を乗せるのと同時に、大気の密度が変わった。ジェシカとワームの接触点から、異常なほどの重圧が迫ってくる。二人からかなりの距離があるレイシャにもそれは感じられていた。 弾力のあるものが切れる嫌な音がその場に響く。肉が引き裂かれる音だ。竜の因子によって筋肉の質が強靱になっていたためだろう。その音ははっきりと聞こえてくる。何とか原型は保っているものの、ワームの手足は本来曲がらない方向へと湾曲し、その胴体もくの字に折れ曲がっていた。 しばらくして、ジェシカの魔術の効果が切れると、彼女は力無く後方へと倒れていった。 「ジェシカ」 レイシャは急いで彼女の元へと駆け寄った。疲弊、それ以外には考えられない。ジェシカがそれを使えたことすら奇跡なのだ。褐色の娘の身体を抱きかかえると、レイシャは真っ先に生死を確かめようと、胸に耳を当てる。 「ば、馬鹿なこと、やってるんじゃないわよ。縁起でもない」 酷く弱った声であったが、それは確かにジェシカの声だった。レイシャの瞳から涙が溢れ出す。彼女はジェシカの身体をしっかりと抱くと、大声で叫んだ。 「馬鹿はどっちよっ。突然出てきてっ。身体だって本調子じゃないって言ってたのに。あんな馬鹿みたいな魔術まで使えたりして。あー、もう訳解んないわよっ」 自分でも何を言いたいのか、レイシャには解らなかった。ただはっきりと感じられるのはレイシャのぬくもりと、そして大きな安堵感だけだった。 ジェシカは赤ん坊をあやすようにレイシャの頭を撫でると、静かに言葉を紡いだ。 「カイラスがね、導いてくれたの。もう感じられなくなっちゃったけど、この珠の中に、確かにあの人の意識があったのよ」 それを見ようと、レイシャがジェシカの身体を離すと、彼女の表情は突然固まった。レイシャの青い瞳には肉の塊が映っている。赤い血に身を包んだ、悪鬼の姿が。 「こ、ころ、す」 それはワームの声だった。最早、そこに明確な意識はないのだろう。復讐という意志を除いては。人であることを拒絶したその姿に、レイシャは動けなかった。奇妙な形に折れている右腕が振りかざされる。 ジェフとハムスが駆け出すが、弱り切った彼らでは間に合うことは不可能だった。 その時、一陣の風が流れる。何もかもを凍り付かせるようなその風は、ワームの身体の動きを完全に停止させる。 そして、二つの影が物凄い速さでワームに向かって迫っていった。まず一同が見たのは二つの刃から放たれる煌めきだった。それは一瞬にして肉の塊を深く斬り裂く。そしてもう一つの影は、ワームの頭であった場所を左手で掴むと、凄まじい勢いでそれを地面に叩きつける。 「その強靱な意志は認めてやるが、いい加減楽になりな」 闘気が一瞬にして集束するのがその場にいた全員に解った。次の瞬間、その場には大きな破裂音が響き渡る。そこに残ったのは、幾らかの肉の欠片と、まるでクレーターのように穿たれた地面だった。 「あ、貴方達、誰」 レイシャには何が起こったのか解らなかった。理解出来たのは、ワームを斬り裂いたのが小柄な少年であることと、その止めを刺したのがバルクよりも大柄な男であると言うことだけだ。 「う、嘘だろ」 「な、何でこんなところに」 一方で、ジェフとハムスは、大柄な男の方を見て驚嘆の表情を浮かべていた。大柄な男はそれに気付くと、にやりと不敵な笑みを浮かべ「よっ」と右腕を挙げる。二人は同時にその男を指差し、何かを叫ぼうとするが、それはあるものに遮られる。 「がーちゃん、ふぇーちゃん、ごくろうさまぁ」 場に似つかわしくない、酷く甘ったるい声。レイシャは唖然としながら、その声の主を見る。 にこにこと満面の笑顔を浮かべた、可愛らしい女の子がいた。そして、その後ろにはおどおどとした様子で少女に付き従うような青年の姿も見える。その青年の瞳は、赤かった。 「さてと。あなたたち、みーちゃんのいるところをおしえてくれるかしらぁ〜」 そして、細めていた目をゆっくりと開いたその少女の目もまた、宝石のように美しい赤色だった。
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