リ ニ ア の 日 記
第六章 始まりのための終幕

Berserker


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 見慣れない男の首を右手で吊り上げながら、バルクは浅い混乱に陥っていた。

 キースに指示され、レイシャ、ジェフ、ハムスの三人とアサシンギルドの本部を出たのが少し前のことだ。それから彼らは二手に分かれ、バルクはこの西の関所に、ほかの三人はルークの支援へと向かったのである。

 目的はリニアを護ること。ヴァイスがルークに戦いを挑み、赤い法衣の男にリニアが連れ去られたことまでは、キースがリニアたちの動向を探るためにつけた暗部の男によって聞かされていた。

 そのため、四人はキースの判断により、それぞれリニアとルーク、彼らが訪れるであろう場所に向かってきたのである。大恩あるセイルと戦うことになるだろうとある種の覚悟を抱いて。

 だが――

「あー。これはどういう状況なんだ、リニア」

 予測していなかった状況に、バルクは間の抜けた声でリニアにそう尋ねる。彼には現状が全く理解できなかったのである。

 場の雰囲気からフォボスを敵とみなし、奇襲をかけて彼を倒したところまでは間違っていないという自信がバルクにはあった。

 だが、敵であるはずのアサシンギルドの戦士達がほぼ全滅状態にあり、それを行った見知らぬ男達にリニアが敵意を向けている。その状況にバルクは困惑していたのだ。

 バルクは、掴んでいたフォボスを鬱陶しそうに投げ飛ばすと、ゆっくりとリニアに視線を移した。

「え、えと、あのね」

 しかし、現状に困惑しているのはリニアも同じだ。

 バルクがここにいるのはまだ理解できる。ギルドの戦士である彼が、セイルを救いにここに来たとしても不思議ではないし、弧扇亭の仲間である自分を助けに来たのだと考えることも可能だ。

 実際、バルクの目的は後者であり、リニアも彼の態度からそれを理解したが、それよりも問題となっている彼の姿だ。彼の身体は灰色の体毛に覆われていたのである。

 獣人、初めに思いついた単語はそれだ。身体が獣のそれに近づけることによって驚異的な力を発する種の総称である。しかし、半獣化ライカンスロープと呼ばれる彼らの能力は、確かに獣そのものにはならず、顔形や、体毛の量が増える程度であるが、今のバルクはそれよりも人に類似していた。獣に変化するというよりは、獣の毛皮をかぶった人間だという印象の方が正しいようにリニアは感じていた。

 バルクはリニアの困惑の原因に気付いたようで、何かを言葉にしようとするが、それは不意に掛けられた言葉によって遮られた。

「やはり、ギルドを去るか」

 静かな声がその場に響く。セイル=フィガロ、それがその声の主だ。セイルもまた、バルクがギルドを離反したことに気付いていたようだった。

 出血のためだろう。顔色は酷く青ざめていたが、その眼光はアレスと対峙していたときから寸分も変わっていない。だが、不思議なことではあるが、バルクに向けられたその瞳の中には、どことなく暖かいものが含まれているようにリニアには感じられた。

 バルクはそれに気付いてはいなかったが、迷わずにセイルに答える。

「世話になったあんたには悪いが、俺は連中との道を行く」

「バルク、貴様っ」

 バルクの言葉を聞き、ギルドの戦士の一人が声をあげる。だがセイルは先の無くなった腕を彼の前に出し、それを遮った。

「ギルドは滅びる。お前がここにいるということは、キースも動き出しているのだろうからな。あれは優しすぎる男だ。被害が大きくなるのを恐れて私に従っていたのだろうが、奴がこの街を統一する機を見つけ動いたのだ。もう止まらぬよ」

「マスター」

 セイルの言葉の意味を、ギルドの戦士達は理解できなかったのだろう。この場にあって平静でいるセイルを信じられないというような表情で見ていた。セイルは言葉を続ける。

「だがバルクよ。最後に一つだけ私の命を受けてもらうぞ」

「最後の、命令」

「そうだ。リニア=パーウェルを護れ。彼女はこの街の灯火だ」

 最後の命令。セイルの言うそれにバルクは大きく目を見開いた。嬉しかった。何よりも、セイルが自分の道を認めてくれていることが。バルクはセイルに大きな恩を感じると共に、彼に父親に対する敬愛のようなものを抱いていたのである。

 セイルは強かった。戦いに関する強さではなく、精神的なそれがだ。彼は常に信念を持ち続けた男だった。そして、例え大切な何かを失うとしても、自分の信念を貫き通せる強さを持った男だった。迷いを持ち続けたバルクがセイルの強さに惹かれたのは当然のことだったのかも知れない。

「あんたに、言われるまでもない」

 バルクは自分の感情を悟らせまいとそう言うと、表情を隠すために顔を背けた。その彼の瞳に赤い法衣を纏った男の姿が映る。

「話は終わりましたか」

 その男の持つ雰囲気にバルクは咄嗟に身構える。

「なるほど。お前がさっきの奴の親玉ってわけか。何者だ」

 アレスの危険さに気付いたのは戦士の直感という奴なのだろう。段々とバルクの戦闘意識が高まっていくのがリニアにも解った。アレスはそれを嬉しそうに眺めていた。

「私の名はアレス。目的は、そうですね。リニア=パーウェルを連れ去り、虎国にでも引き渡すことにしましょうか。それが最も舞台が栄えるでしょう」

 おどけながら言ったその言葉に、バルクはあからさまに怒りをあらわにする。彼はバルクが一番嫌いな種の人間なのだ。アレスに対する嫌悪と同じものを、ギルドの戦士であるワーム=エイザーに抱いたことがあった。

「ただの愉快犯なのか、他に目的があるのかはしらないが、リニアは渡せねぇな」

「ほう。ならばどうします。私と戦いますか。ベルセルカー」

 ベルセルカー、その単語にバルクは明らかに反応をした。アレスは言葉を続ける。

「獣人の中でも完全なライカンスロープを行えない希少種。だがその能力はあまりにも強力すぎ、更にはその力に支配され、狂人と化すこともあることから、古き時代から仲間である同族からすら忌み嫌われてきた種。もっとも、見たところ貴方は狂気の支配からは逃れられているようですがね」

「獣人……」

 リニアは呆気にとられたように、アレスが口にした種族の名を反芻した。獣人を知らないわけではない。それどころか彼女は獣人とも面識があるし、ライカンスロープという彼らの戦闘形態も見たことがある。彼女が驚いているのは、バルクがその獣人であったことと、バルクの今の姿がリニアが知るライカンスロープの状態ではないためだ。

 バルクが獣人であったことに驚いたのは、彼が今まで一度もライカンスロープを見せたことがなかったためである。全ての獣人が使えるわけではないが、ライカンスロープは戦士の力を飛躍的に高めるものだ。しかし、バルクはこれまでの戦いで一度もそれを使用しなかったのである。ルークとの戦いにおいてでさえだ。

 そして、もう一つリニアには理解できないことがあった。ライカンスロープは獣の属性を身体に宿すことによって外観を獣のそれに変え、発動する能力だ。半獣化と呼ばれるのは、その際に能力者の身体が人型の形状を保つためなのだが、バルクのライカンスロープは普通の獣人のものとは違った。

(一目見ただけじゃ、ライカンスロープなのだと解らなかった)

 リニアはバルクの姿を見ながら心中でそう呟いた。いや、彼が獣人だと聞いた今でも、それがライカンスロープであるという事実に、違和感を覚えていたのだ。それは、バルクの姿は外観すらも人に酷似しているためだ。

 それがベルセルカーと呼ばれる特殊な能力者だと彼女はアレスの言葉で気付く。

「知っているのなら話は早い。退かないと言うのなら、さっさと決めさせてもらう」

 バルクはそう言うと、重心を僅かに下ろし、戦闘態勢に入った。

「いいでしょう。折角の希少種との手合わせの機会です。私が相手になりましょう」

 一方でアレスは纏っていた赤い法衣をゆっくりと脱ぎ捨てる。次の瞬間、リニアの目に映ったのは黒い戦闘服に身を包んだアレスの姿だった。リニアはその光景に得体の知れない違和感を覚える。

(なに、このざらつきは)

 それは漠然としたものだったが、確かな抵抗だった。以前にもこれと同じ違和感を感じたことがあるのを彼女の感覚は覚えていたのである。しかし、リニアがそれを思い出すよりも先に、彼らの戦闘は始まっていた。

 先に仕掛けたのはバルクだった。バルクは全身に強力な闘気を纏い、魔術を駆使するアレスに対し、バルクが遠距離戦を不得意とする闘気使いであることを考えれば、当然の判断であると言えた。

 実際、バルクの動きの速さは今までの彼を明らかに上回っている。それこそ接近戦に特化したルークですら、その第一撃に反応することはできても、まともに対応することは出来なかっただろう。

 もっとも、リニアにそれを判断できるはずもないが、それでも今のバルクの強さが圧倒的であるのを彼女に知らしめるのにはそれで十分だった。

 そして、それは最悪の事実をも証明することになる。

 バルクは高速の動きで間合いを詰めると共に、その速度を以て拳を放っていた。だが彼の攻撃の先にアレスの姿はなかったのである。アレスはバルクの左側面に移動していた。

「がぁっ」

 バルクの呻きが聞こえると共に、彼の身体は強い衝撃を受け、アレスが立っているのは逆の方向に弾き飛ばされていた。リニアには解らなかったが、それはアレスのアレスの左足の一蹴によるものだった。

 バルクの身体は激しく地面に叩きつけられる。

「どうしました、ベルセルカー。まさかこの程度で終わりではないですよね」

 しかし、バルクはアレスの言葉が終わるよりも先に立ち上がると、再びアレスに向かって疾走を始める。そしてもう一度瞬時に間合いを詰めると、何度かの攻撃を繰り出した。

 アレスはそれを難なく避けると、小さく嗤ってバルクに言い放った。

「確かに速い。だが、その溢れんばかりの力に、貴方自身がついていっていない」

 次の瞬間、バルクの胸に一本の筋が浮かび上がる。同時にそこからは赤い鮮血が溢れだした。

「ちぃっ」

 それはアレスの攻撃だったようだ。しかしバルクはそれに反応していたらしく、それほど致命的な傷ではないようだった。だが、それよりもアレスが繰り出したその攻撃にバルクは驚いていた。

「指二本の気刃だと」

 それは見慣れた光景だった。人差し指と中指の二指に高密度の闘気を込め、刃物のような鋭さを以て相手を切り裂く攻撃。それはルークが最も得意としている攻撃の手段だ。そこでリニアはようやくアレスに感じた違和感が何であるかに気付く。

(ルークに、似ているんだ)

 黒い戦闘服に身を包んだアレスは、ルークと同じ雰囲気を醸し出しているのだ。そしてバルクもまた、意外な事実に気付いていた。

(野郎、攻撃のタイミングがルークに似てやがる)

 だが、それは明らかにルークのものよりも洗練されていた。もちろんルークのそれが無駄があると言っているのではない。ルーク=ライナスがジェチナの戦闘の双頭と呼ばれたバルクやヴァイスを退け、ジェチナ最強と呼ばれたのも、その戦い方が酷く巧みだったからだ。

 しかし――

(その上を行くかよ)

 バルクは心中で毒づいた。技単体の精度ならばルークに軍配があがるかもしれない。しかし、読みの鋭さが格段に違うのだ。まだ大して攻撃を受けていないにも関わらず、そのダメージは大きい。

 酷く焦燥しているバルクに対し、アレスはあからさまに不満げな表情を浮かべていた。

「貴方の動きは確かに速い。だが、その溢れんばかりの力に、貴方自身が慣れていない。おそらく、ずっとベルセルカーとしての戦いをしていなかったのですね。出来ることならば、もう少し熟した貴方と戦いたかったものです」

 残念そうにそう言うと、アレスは二指に込められた闘気を強め、ゆっくりと駆け出そうとした。

 だが、リニアの目には、突然アレスの四方から幾つかの光の線が彼に向かって突き進んでいくのが映る。アレスはそれを避けようとするが、その数があまりにも多く、逃れることは出来なかった。それはアレスの身体に絡まると、彼の自由を奪う。

「言うほど楽に避けていたわけではないようだな」

 それはセイルの声だった。彼を含めたギルドの戦士達が一斉に魔術で作り上げた光の鎖を彼に放ったのだ。普段の彼ならば、それを構成する際の精気の流動に気付いたのだろうが、バルクの攻撃に気を取られていたのだろう。アレスは十近い光の鎖に縛られ、身動きを封じられていた。

「本当はこういう真似は好きじゃねぇんだが、今はリニアを護ることが優先なんでな。大人しく死んでくれや」

 バルクはそう言い放つと、その右腕に凄まじい量の闘気を集束し始める。途端に、彼の右腕は完全な獣のそれに変化していった。鋭いかぎ爪を持つ、灰色の熊の右腕に。

「行くぜっ」

 バルクは駆け出していた。動けない対象物を外すことはない。そして、集束された闘気の攻撃を防ぐことなど不可能に近いことだ。

 だが、アレスは嗤っていた。

(嗤っているだと)

 違和感があった。だが、ここで迷うことは死を意味していた。バルクは僅かに浮かんだ心中の不安を捨て去り、右腕に込めた力を一気に解放する。

「叩き潰せっ」

 熊の爪の属を込めた、バルクの必殺の一撃。それは灰色の閃光となってアレスに迸る。それは圧倒的な力でアレスの身体を引き裂いていった。

(何だ、この手応えは)

 はっきりと感じられる違和感があった。まるで中身がないものを切り裂いている様な感覚。そんなものしか感じることが出来なかったのだ。呆気にとられているバルクの前で、アレスの身体が光の帯に変わっていった。

「ジェミニ、それは物質の複写をする魔導器ですよ」

 声が、後ろから聞こえた。そして激しい痛みが背中に走る。気刃でで斬られたのだと理解したのは、倒れ行く中、アレスの二指に淡く光る闘気を見たときだった。

「ば、か、な」

 身体に力が入らなかった。ライカンスロープも解け、バルクは力無くその場に倒れ込む。

「さて、残念ですが終わりにしましょうか」

 アレスは倒れているバルクの肩を踏みつけると、闘気を込めた二指を振り上げる。まるで死に神の鎌のように。

 だが、それが振り下ろされることはなかった。

「来ましたか」

 アレスの嬉しそうな声が響く。彼が振り向いた先にいたのはアレスと同じく黒い戦闘服に身を包んだ青年だった。

 その青年の名はルーク=ライナスといった。


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