リ ニ ア の 日 記
第六章 始まりのための終幕

The friends of an Arc


<Back to a Page /Novel-Room /Go to next Page>


『焦燥に負けるな。それに負けたとき、私がお前に与えた技能は全て無意味なものになる』

 それはルークの師の言葉だった。破邪滅法はじゃめっぽう、それは大陸に存在する闘気法の中でも、最古の部類に入る闘気法の一つである。それをルークに授けてくれた彼はルークにとって父親のような存在でもあった。

 また、彼は戦闘の能力だけではなく、そのほかにも様々なスキルをルークに与えてくれた。ルークが使えるはずもない魔術の構成法、まるで書物のようにまとめられた知識、そして、精神を制御するための術。もし、彼から教わった全ての能力を使いこなすことが出来たのならば、ルークは今このような焦燥の中にいることもなかっただろう。

 しかし――

『焦れを嫌うな。むしろその中で見いだすことが出来る、己が精神の頂を見つめよ。それが出来たならば、お前はきっと――』

 次第に、心が落ち着いていくのが解る。今までの戦闘、特に追いつめられた状況で、師から耳にした言葉が幾度ルークを救ってくれた。それは精神を空虚化させるうつろを使っていた頃も同じだ。むしろ虚を使っていた頃の方が、なまじ死の共有を押さえていた分、その反動は大きかったかも知れない。

 とにかく、師の教えがなければ、ルークはこの場にはいなかっただろう。リニアを助けることもなかったであろうし、もっと遡るならば、母の死と共に命を捨てていたかも知れない。

「どうしたぁ、ルゥゥクゥ。時間が無くなるぜぇ」

 不意にルークの耳にワームの挑発の声が聞こえる。だが、ルークは酷く落ち着いていた。焦燥が無くなったと言えば嘘になるが、ざわめく感覚の中で、思考だけが静かだったのを彼は感じていた。

(魔物の因子を受けた人間を殺さずに倒すのは不可能だ。ならば、倒さなければいい)

 倒す術はあるのかも知れなかったが、ルークにそれを考える時間はなかった。ワームを倒すことが目的ではない。目的はリニアを救うことだ。必要なのは、時間だ。それがルークの答えだった。

 ルークの身体がぶれる。

「がぁっ」

 場に響いたのは、ワームの呻き声だった。凄まじい速さで突撃し、ワームの懐に入り込んだルークが、そのまま彼の腹部に突き上げるように拳を放ったのである。人間の力では有り得ない、闘気による衝撃を受け、ワームの身体は僅かに宙に浮いた。

「再生できても、痛みがなくなるわけではあるまい」

 ルークはそう言い放つと、右腕を突き出し、ワームの顔を鷲づかみにする。そしてそのまま彼の頭を地面に叩きつけた。

 激しい破壊音が場に響く。攻撃の威力を吸収しきれずに、地面が衝撃によって穿たれたのである。それは即ち、ワームの頭に同等の衝撃がかかっていることを意味していた。

 普通の人間ならば即死だっただろう。だが、ルークの手には確かに手応えが返ってきている。それはワームの頭蓋が砕かれていない証明だった。おそらく、ルークの攻撃に反応し、闘気を巡らせたのだろう。魔物の因子を受けていることが、その助けになっていたのかもしれない。でなければ、いくら闘気で護っていようとこの衝撃を受けて気を失わないわけがない。

 しかし、それもルークの計算の範疇だった。ワームが死んでしまっては、ルークも彼の死を共有してしまう。魔物の因子を取り入れた敵が、頭を砕かれただけで死ぬかはともかく、目的が他にある以上、ルークには危険な賭は出来なかった。

(だが、これでは足止めにはならない)

 それを理解していたルークは攻撃の手を止めなかった。ワームが以前デイモスと名乗った青年と同じ耐久力を持つのであれば、この程度では足止めのための時間稼ぎにもならない。ルークはその左腕により強い闘気を込めると、ワームの腹部にそれを置き、一気にその力を解放した。

 嫌な音がルークの耳に入ってくる。肉が潰れる音、ルークは闘気による圧力によって、ワームの身体を押しつぶしたのである。手に残る感触からもワームの内蔵が破裂したのが解る。

(よしっ)

 沸き起こる不快感を感じながらも、ルークは心中でそう呟いた。罪悪感はなかった。そして、死の共有も広がらない。それはすなわち、まだワームが生きていることを示している。

「複雑な器官の破壊だ。いくら魔物の因子を受けようがしばらくは再生できまい」

 ルークはそう吐き捨てると、身体に闘気を巡らせ、その場を駆け出す。だが、それは大きな判断の誤りだった。ワームに背を向けたと同時に、ルークは背後で凄まじいほどの精気が集束していくのを感じた。

「なっ」

 振り向くと、そこには両腕で上半身を持ち上げ、顔をルークの方に向けているワームの姿があった。そして、力が集束しているのは、明らかに彼の口内だった。

(ブレス)

 気付いたときには既に遅かった。ワームは今まさに竜の吐息を吐き出そうとしていたのである。竜の力は半端ではない。守護魔術を得意とする魔術士の防御壁でも防ぐのは不可能に近い。ルークは無駄と解りながらも、闘気を放出し、薄い光の膜を生み出した。

 だが、ルークの目には彼の予測にはなかった光景が広がる。赤い閃光、高速のそれが、ワームの首元を貫いたのである。刹那、凄まじい光の本流がルークのすぐ側を通り過ぎていった。赤い閃光の衝撃によってワームの顔が逸れ、ブレスの軌道も同じく逸れたのだ。

「あれは」

 赤い閃光には見覚えがあった。短刀に闘気を込めることで放たれる一撃。ヴァイス=セルクロードが愛用していた攻撃である。だが、彼が持つのは青い短刀だった。赤い短刀の持ち主は――

「感謝しなさいよ、ルーク」

 聞こえてきたのは間違いなくルークが予測したとおりの女性の声だ。振り向くと、そこには弧扇亭の仲間の一人、レイシャが金色の髪をなびかせながら立っていた。

「レイシャ、どうして」

 彼女はギルドに軟禁されていると聞いていた。その彼女がこの場に現れ、しかも同じくギルドの人間であるワームを攻撃する、ルークにはその真意が理解できなかった。

 一方でレイシャはルークのその表情を楽しむかのように小さく笑うと、それにゆっくりと答えた。

「父さんがジェチナの新興勢力として立ち上がったのよ。今のギルドのやり方に疑問を抱く人間や、エピィデミックの残党を取り込んでね」

「キース、レイモンドが」

 ルークは思わず声をあげた。キースが変革のために動いていたのはルークも知っていた。そして、それにジェイクが関わっていることも薄々は気付いていた。だからこそ今、キースが動くとは思わなかったのである。ジェイクはもういないのだ。彼には、明らかに手札が足りないはずだ。

「世間話はそれくらいにしておけよぉ」

 その声はワームのものだった。内蔵を潰され、喉を貫かれにも関わらず、彼は既にほとんどの再生を終えていたのだ。おそらくはブレスを放つために集束した精気を、いくらか身体に取り込んだのだろう。彼の瞳には怒りの炎が籠もっていた。

「よくも邪魔してくれたなぁ、レイシャ。てめぇら親子のことは昔から気にくわなかったんだ。ここでルークと一緒に死んでもらうぜぇ」

「その言葉、そのままそっくりと貴方に返すわ」

 レイシャはそう言うと、ワームの怒りを受け流すように笑った。そして、彼女が言い終わるのと同時にワームの左右の建物の影から彼に突撃していく二つの影が現れる。黒い虎と、緑色の鼠、ルークの眼にはそれが映った。

「引き裂けっ」

「噛みきるっす」

 二人の男の声、そしてその二つの影が突き出した腕は、凄まじい速度をもってワームの身体を切り裂いた。

「貴様らぁ」

 身体を裂かれながらワームが荒々しく吼える。刹那、彼は二つの影に向かって炎の魔術を放った。しかし二匹の獣は俊敏な動きで跳躍すると、ルークの両脇で着地し、その視線をルークに移した。

 ルークはその二匹を見て驚きの表情を浮かべた。それらは、確かに獣のような顔をしており、深い体毛に覆われてはいる。だが、身体は明らかに人型をしており、獣とは異なっていたのだ。

「獣人、か」

 初めて見る光景だった。獣人自体を見たことがないわけではない。獣に変化している獣人を見るのが初めてなのだ。

 獣人とは半獣化という特殊な能力を持った種族のことだ。彼らは、身体に獣の鎧を纏うことによって、獣に近い姿に変化することが出来るのだと聞いたことがある。もっとも、ライカンスロープと呼ばれるその能力を使えるのは、獣人の中でもそうそういるわけではない。

「ルークさん、助けに来たっす」

 獣人の一人――緑色の鼠の容姿をした男が、どことなく愛嬌のある表情でルークにそう言った。その口調にルークは彼が誰であるのかを理解する。

「ハムス。ということは、そっちはジェフか」

 声には聞き覚えがあったのだ。それがすぐに誰のものか判断できなかったのは、やはり彼らが異形の姿へと変化していた為だろう。ルークは未だ僅かに動揺を見せていたが、場の状況はそれを許してはくれなかった。ワームの感情の高ぶりにより、彼の再生が更に加速し始めたのだ。それはワームの魔物化が促進していることを意味していた。

「ルーク、行きなさい」

 その状況を見て、ルークにそう叫んだのはレイシャだった。彼女は懐から数本の赤い小刀を取り出すと、それらに闘気を込め、素早く腕を水平に振った。

 赤い閃光が再度煌めく。が、それらはすかさずワームが放った光の波に飲み込まれ、虚しくもかき消される。

(この三人じゃ戦力が足りない)

 それが即座にルークが導き出した判断だった。ルークは戦士としてのレイシャの力も認めているし、先程の攻撃を見てジェフとハムスの戦闘力がかなりのものであることは理解していた。

 だが相手が目の前の化け物となると話は大きく異なる。今のワームに生半可な攻撃は無意味だ。絶対的な再生能力がある以上、決定的な攻撃を極めることが出来ない限りワームを倒すことは出来ない。そして、レイシャ達にそれがあるとは思えなかった。しかし――

「俺達に構うな、ルーク。お前が何より優先させるべき事は、リニアちゃんを助けることだろう」

「そうっすよ。リニアちゃん、待ってるっすよ」

 ジェフとハムスはワームに向かって駆け出しながら、そうルークに言葉を吐いた。彼らの攻撃は、再生中のワームを次々と切り裂いていく。その間にレイシャはルークに近づくと、彼の右手を握り締めて呟いた。

「バルクがリニアを取り戻す為にあっちへ向かったわ」

 その言葉がルークの胸に強く響いた。ルークはようやく何故レイシャ達がここにいることができるか、その本当の意味を知った。

「バルクが、決断したのか」

 キース=レイモンドがアサシンギルドに対抗できる勢力を作り得る条件、それはバルクの裏切りだった。例えルークがキース側に着いたとしても、バルクがギルドにいればその戦力は均衡する。ギルドとの勢力争いには勝てるかも知れないが、外界からの圧力がかかっている今、戦力が均衡することが最もジェチナにとっては危険なことなのだ。

 ジェチナにとって最大の敵はアサシンギルドではなく、ジェチナを勢力下に収めんとする虎国などの国家なのである。アサシンギルドが今回のような大規模な革命を起こしたのも、外界の勢力に完全に立ち向かう為にジェチナを統率しようとしたに他ならない。

 その中でバルクの位置は酷く重要なものだった。彼がキースに着くということは、キース陣の勢力の強化と共に、ギルドの激しい弱体化を意味する為だ。しかし、バルクには仲間を保護するギルドを裏切れなかった。彼がギルドを裏切るということは、仲間達を危険にさらすことになる為だ。

 だがバルクは今まで護り続けたものを失う危険を伴いながらも、自分たちを選んでくれたのだ。

 ルークは迷わなかった。

「死ぬなよ」

「あんたもね」

 ルークは駆け出していた。リニアがいるであろう、西の関所に向けて。手遅れになる前に彼女を助ける為に。

「逃がすかよぉ」

 ワームは自分の攻撃を仕掛けている二人をなぎ払うと、背を向けたルークに向かって失われた右腕を突き出す。言ってみればルークへの復讐の証であるその右腕には、ブレスほどではないにしても、尋常でないほどの精気が集束していった。しかし、彼が構成した魔術は、レイシャが放った赤い小刀に腕を貫かれ、不発に終わる。

「邪魔はさせないわ。特に、あんたみたいな最低最悪の男にはね」

「ガキがぁ、生きてることを後悔させてやるぜぇ」

 会話が終わるよりも早く、レイシャは赤い小刀を取り出し、それに闘気を込め始める。そして、レイシャ達が戦いを始めた頃、リニア達がいる西の関所でも一つの戦いが始まろうとしていた。


<Back to a Page /Novel-Room /Go to next Page>

Copyright 2000-2002 Hiragi Kuon. All Rights Reserved.