リ ニ ア の 日 記
第六章 始まりのための終幕

A devilish trump card


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 リニアが西の関所に連れられてきたとき、そこには数十という人間が集まっていた。

 彼らは皆、黒い装束を纏い、口元を黒い布きれで覆っている。それがジェチナアサシンギルドの戦闘服であることは周知のことだ。黒一色に染められたそれは、街を支配し始めた夜の世界に意志を与えるようで、リニアに酷く重々しい威圧を感じさせた。

 しかし、その中に一人だけ他の人間達とは異なる雰囲気を纏った男がいた。青いマントを羽織った中年の男。着ている衣服が異なるという理由もあるかも知れないが、彼から発せられる威圧感は、他の連中の歯牙にもかけないものだ。服装だけの問題であるはずがない。

(セイル=フィガロ)

 リニアは心中で目の前にいるその男の名を呟いた。面識があるわけではなかったが、この街に住む人間で、彼を知らない者などいない。

「良く連れてきてくれたな、アレス」

 それがセイルの第一声だった。そう言うと、彼はリニアの真横に立っているアレスに視線を移す。敵意は込められてはいないが、明らかに警戒を含んだ瞳だ。彼もアレスという人間を完全に信用しているわけではないのだろう。

 アレスもそれに気付いていないわけではないだろうが、普段の笑みを浮かべながら「仕事ですからね」と軽く返した。

 セイルはこのジェチナという街で最も知名度が高い人間だろう。ジェチナの治安維持機関アサシンギルドのギルドマスター。十数年前、わずか数名の仲間達とともにその基盤を作り上げた、この街の支配者とも言うべき男だ。

 セイルはリニアに視線を移すと、ゆっくりと口を開いた。

「初めまして、リニア=パーウェル。いや、ミーシア=サハリン王女とお呼びした方がよろしいかな」

 リニアは自分の本当の名を、王女という敬称を付けられ呼ばれたことに顔を僅かに歪ませる。彼は余裕のある自分を見せつけることで、リニアよりも優位な立場にいることを彼女の心理に植え付けようとしているのだ。

 実際、リニアの心は僅かに揺れている。現状が芳しくないのは、彼女が一番良く理解しているのである。

 そう、現状は最悪だった。

「私をどうするつもりですか。セイル=フィガロ」

 あえてあからさまな敵意を瞳に込め、リニアは尋ねる。赤珠族特有の深紅の瞳は、その威圧に重みを増させた。まだ幼いとはいえ、並の相手ならばそれでいくらかはたじろいたに違いない。だが、セイルは違った。

「君は、自分の価値が解っていないわけではないだろう。ジェチナの滅亡はもう止まらん。いや、存亡の鍵は、君が握っていると言った方が正しいか」

 言葉に表すことの出来ない重圧がリニアにのしかかる。セイルからの威圧感からのためではない。自分という存在が酷く重く感じられたのだ。相手に先手をとられたことに、リニアは心中で呻いた。

(このままじゃ駄目)

 明らかにリニアは精神的に追いつめられていた。彼は暗にこう言っているのである。

『この街を救えるのはアサシンギルドだけだ』と。

 セイルはリニアがこの街の救済を望んでいることを知った上で、彼女の逃げ道を塞ぐための発言に出たのである。それは彼女の本意であるが、従うわけにはいかなかった。セイルに従うということは、ルークとの約束を違えることにもなりかねないためである。

 リニアは強く唇を噛みしめると、ゆっくりと息を吸った。闇の静かな鼓動を感じる。感覚が研ぎ澄まされている証拠だ。精神が落ち着いたのを確かめると、リニアは相手をしっかりと見据え、言葉を紡いだ。

「貴方が私をどう呼ぼうと勝手ですが、私の名はリニア=パーウェルです。赤珠の王女として、貴方の野心に付き合う気はありません」

 それがリニアの決意だった。恐らくセイルに従うのが最も賢いやり方なのだろう。こういった言い回しをする以上、素直に従えば彼はリニアを無下には扱わないだろう。街を救うという意味でもセイルはこの街最大のバックボーンを持っている。しかし――

(ルークは、彼らには従わない)

 ギルドがジェイクを暗殺したであろうことはルークから聞いている。そして、ジェイクを殺した以上、恐らくルークがギルドに付かないのは確実だろう。だが、彼女とて単純にルークと同じ意志を持とうと思っているのではないのではない。リニアもまた、彼らに強い怒りを抱いていたのだ。それが彼女の決意の理由だった。

(私だけが自分の心を偽ればいいのなら、彼に従ったかもしれない。でも、ルークと私の想いが同じである以上、私はそれを否定したくない)

 リニアの瞳に更に強い意志の光が灯る。もし相手が並の人間であれば、それに畏怖の念を感じたかもしれない。いや、実際にセイルも、この十歳を過ぎたばかりの少女に少なからず重圧感を感じているはずだった。

 だが、セイルは何事もないかのように、悠々とした様子で彼女の視線に自らのそれを合わせる。

「なるほど。強い娘だとは聞いていたが、ここまでとはな。だが、そうでなくては困る」

「え」

 返ってきた言葉に、リニアは思わず疑問の声をあげた。セイルの意図が掴めなかったためである。

 ギルドが彼女を交渉の道具として利用しようと考えているならば、道具である彼女が意志を持つのは彼らにとって好ましいことでは無いはずだ。道具が意志を持てば、交渉の上で予測し得ない事態が引き起こすことが考えられるためである。

 だが、セイルはまるでそれを望んでいるような台詞を口にしているのだ。しかも、リニアは彼に協力しないと明確に示しているにも関わらずにだ。違和感を感じないはずがない。

「それは、どういう意味ですか」

 意外にもリニアの疑問を口にしたのは意外にもアレスだった。相変わらずその表情に笑みは浮かばせながら、彼はセイルの回答を待った。

「彼女にはギルドの、いや、この街の象徴になってもらう。それだけのことだ」

「なるほど、つまり貴方は赤珠の王女ではなく、弧扇亭のリニア=パーウェルという人間を連れてきて欲しかったと。そういうことですか」

「当然だろう。今更、何のために外からの手を借りねばならんのだ。所詮虎国は一度はこの街を見捨て、赤珠国はその娘を見捨てた。奴らのとった行為を理解は出来るが、この街の人間として納得をするわけにはいかんな」

 セイルは忌々しげにそう吐き捨てる。

 意味がわからなかった。自分を象徴にしたいというセイルの言葉が。そして同時に意外だった。アサシンギルドの長として、多くの殺戮を繰り返した男。少なくともリニアはセイルのことをそう聞いていた。だが、今、彼女の目の前にいる男からは、そんな血生臭い話を連想させることは出来なかった。少なくとも、いたずらに街を混乱に至らしめるような行為を行うとは思わなかったのである。

「ちょ、ちょっと待ってください。私がそんな話にのるとでも。貴方達が私達の大切な人の命を奪ったことを、忘れたわけではないでしょう」

 セイルの印象が想像と異なるのには驚いたが、それよりも問題なのはそれである。彼らにとってこの場にいるのが『赤珠の王女』か『リニア=パーウェル』かで大きな違いがあるのかも知れないが、ジェイク暗殺の事実がある以上、リニアにはどちらであってもギルドに付く気はない。

 しかし、返ってきた言葉は酷く意外なものだった。

「私はジェイク=コーレンの暗殺を指示した覚えはない」

「なっ」

 でまかせかも知れない。リニアは初めそう思ったが、セイルの瞳には偽りの色はない。少なくともリニアにはそう思えた。しかし、そうなると矛盾が生まれるのだ。

「ですが、それならばエピィデミック壊滅のあの手際の良さはどう説明をつけるのです。あれは、ジェイクさんの死を事前から予期していなければ出来なかったことでしょう」

 仮にギルドがジェイクの死期を明確に察知していなければ、エピィデミック襲撃部隊をあれほど迅速に編成できたはずはない。それがルークが導き出した答えだった。

 ジェチナの双頭をなす治安維持機関同士のの衝突である。いくらエピィデミックの戦力が整っていないとはいえ、それを相手にするのに即席の部隊などを編成するわけがない。それは、セイルという男を見て確信に変わったことだ。

「それに関しては、私も知りたいところだな。アレス」

 だが、セイルは視線をアレスに移すと、ゆっくりと言葉を紡いだ。そして、彼が言い終わるよりも先に、リニア達を囲んでいたギルドの戦士達が突然戦闘態勢を取り始める。その手際はあまりにも良く、それが仕組まれていたものだと気付くのにそう時間はかからなかった。

「何の真似ですか。セイル=フィガロ」

 数十という戦士に標的にされながらも、アレスは笑みを崩すことはなかった。それがただの虚勢なのかどうかはリニアには解らなかったが、僅かにアレスを取り巻く気質が変化したことだけは感じられた。

 しかし、それはセイルも同じだった。静かながらも、明らかに声色に怒気を込め、彼は言葉を続けた。

「それは私の台詞だ。何故ジェイクを殺した。私が指示を出したのは彼の足止めだったはずだ。彼の死が、この街を崩壊へと導くということは、貴様にも解っていただろう」

 セイルの言葉に、リニアは驚愕した。そして、言葉には表せないような怒りに彼女は肩を震わせる。彼はカイラスの運命を狂わせただけでなく、ジェイクの命まで奪っていたのだ。許せるはずがなかった。

「貴方はっ」

 高まっていく怒りを抑えることもなく、リニアはその言葉を吐き出した。しかし、アレスは変わること無く涼しげな表情で言葉を続ける。

「私に彼の暗殺を依頼したのは、エピィデミックの老人どもですよ。確かに彼らは事態の先を見抜けなかった。ですが、そのお陰で舞台は楽しくなったでしょう」

 セイルの表情が歪む。そして、彼は迷うことなく、その右腕をすっと挙げた。

 それが合図だった。その場にいた戦士達が一斉にアレスに襲いかかる。ある者は武器を取り、ある者は魔術の術式を展開する。リニアに戦闘の知識はないが、彼らの魔術の構成を読んで、彼らがかなりの手練れであることは瞬時に理解することは出来た。

 だが――

「愚かな」

 アレスはくすりと笑うと、ゆっくりと目を閉じる。刹那、赤い飛沫がその場を埋め尽くした。

 それは一瞬の出来事だった。ギルドの戦士の一人がアレスの前に立ちはだかったと思うと、彼は両手を広げ、先行した戦士達に向かって拡散する風の刃を放ったのである。それはギルドの戦士達を切り刻んでいくった。

「なっ」

 目の前に広がる光景に、驚愕の声をあげたのはセイルだった。彼の瞳には、それは悪夢のように映っただろう。アレス対策のために招集したギルドの精鋭の大半が、一瞬にして倒されたのだ。それを行った男を除いては。

「切り札は、最後までとっておくものですよ。貴方のように、半端でない切り札をね」

 そう言うと、彼は今までとは違った妖艶な笑みを浮かべる。それは虐殺の始まりだった。残ったギルドの戦士達を、アレスを護った男が襲い始めたのである。

「いやあぁぁぁぁぁ」

 赤く染まっていく場の中で、リニアにはただ叫ぶことしかできなかった。しかし、彼女のその声も虚しく闇の中に消えていくだけだった。

 ジェチナの渇きは、まだ収まってはいない。


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