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闇がジェチナを漆黒に染め始める。 まだ黒に染まりきらないその空間の中で、ルークは静かにカイラスを見つめていた。 カイラスを殺す覚悟を決めて十数分、ルークは何度か攻撃を仕掛けていた。これまでよりも速く、そして正確にだ。ルーク自身の経験の中でも、これほど高い戦闘力を発揮できたのは稀だっただろう。しかし、その攻撃ではカイラスを死に至らしめることは出来なかった。 もちろん、戸惑いが全く無くなっていると言えば嘘になる。未だに彼を殺すことには抵抗はあるし、人の死と感覚を共有する自分が、身近な人間のそれに耐えられるのかも解らない。だが、少なくとも今は彼を殺さなければならないという使命感がそれを上回っているはずだ。 魔物に変わるということは、自我を無くし、破壊衝動しか持たないものに変わるということだ。そうなれば、彼は魔物と化してまでも護りたいと思ったものすら敵と見なしてしまう。それだけは、絶対にさせたくなかった。 しかし、そういった想いがあるにも関わらず、彼を殺すことが出来なかったのには理由があった。 (強くなっている。確実に) 正直、ルークは驚いていた。先程から攻撃を仕掛けること数回、それらは確実に致命傷を与えることを目的として放ったものだ。だが、致命傷を与えることはおろか、何一つとして有効となる攻撃は極まらなかったのである。 それは間違いなくカイラスの能力の向上を示していた。 (魔物化の影響……。いや、違うな) ルークは一度頭に浮かんだ答えをあっさりと否定した。理由は単純である。 彼の身体は両腕の変貌以来、全く変化は見せていない。魔物化にとって肉体の変化というものは大きく意味があるものだ。それは魔物化が内面から徐々に変化するわけではなく、突発的に変化するものであるといわれているためだ。言い換えれば、身体の変化が目に見えてないうちは、魔物化が促進している可能性は無いと考えていいのである。 加えて、ルークにそれを確信させたのは、自分に向けられているカイラスの闘志だ。それは明らかに戦士のものだった。 (オーヴァーリミットか) 不意にルークの脳裏にそんな単語が浮かぶ。 限界超過、それは精気によって持たされる現象の一つである。精気は非常に不安定な媒体だ。意志によってその流動は左右され、事象を変化させる力を持つ。そのために、極度に精神が高まる、もしくは統一されると、精気は激しい流動を起こし、大きな力を生む。 その典型的な例が魔導障壁、マジックフィールドだ。マジックフィールドは高度な魔術士達が、強力な魔術を展開した時に生じさせる精気の衣である。それによって魔術士は自らが駆使する強力な魔術に耐えうることが出来、逆に相手の魔術の威力を軽減させることが出来る。 もちろんそれは魔術士だけに言えることではない。今のカイラスのように、精気を多く取り込むことによって精神を鋭敏にさせ、更には肉体の活性化をさせることも可能だ。それがオーヴァーリミットという現象だった。 (考え方を改めなければならないな) 突然、ルークの気質が変わる。静かだったそれまでのものに比べ、極端に荒々しくなったのだ。それは彼の心情の変化を示していた。決してカイラスを侮っていたわけではない。それどころか、ルークはヴァイスとしての彼に一度敗北しているのだ。彼の強さは知っている。だが負けることはない相手だと思っていたのも事実だ。 負ける要素はなかった。以前、一度敗北しているとはいえ、ルークとカイラスの身体能力の差は雲泥のものだ。カイラスにとって有利だったのは、魔術による攻撃の多様さだけだった。しかし、それはお互いの能力の差を埋めきれるほどのものではない。以前のルークが敗北したのも、彼の精神状態と、彼の持つスキルに大きな溝があったためだ。人を制する力を手に入れ、精神が安定している今の彼に、カイラスの力が通じるはずはなかった。 だが、オーヴァーリミットによるカイラスの能力の向上は、ルークの予測を遙かに上回っている。今はまだ勝てないレベルではないが、今の彼が魔物に変わってしまったら、ルークにでさえそれを止めることが出来るかどうか解らない。 (結局、最後まで夢物語を望んでいたのは俺だということか) ルークの表情から感情が消える。そして次の瞬間、彼の身体がぶれた。刹那、カイラスの真横を閃光が通り過ぎ、同時に赤い飛沫が宙を舞った。 「くっ」 聞こえてきたのはカイラスの呻きだ。右手の人差し指と中指に闘気を込め、刃のような殺傷力を持たせる。それはルークが十八番とする技の一つである。それがカイラスの頬をかすめたのだ。僅かでもカイラスの反応が遅れたのならば、その首は闘気の刃によって斬り裂かれていただろう。 しかし、それを避けられることもルークの予測にはあった。ルークは踏み込んだ右足で大地を蹴り、身体の向きを反転させると、右の拳を握りしめ、未だよろけているカイラスに第二撃を放つ。闘気が込められた高速の突き、それは第一撃目の効果もあってカイラスに見切られることはなく、彼の胸に直撃した。そして彼はそのまま吹き飛ばされ、廃墟となった家屋の壁に叩きつけられる。 「かはっ」 カイラスの息が詰まったのが解る。如何に魔物化によって能力が向上していようとも、オーヴァーリミットによって精神が集中していようとも、彼はまだ人間なのだ。呼吸が止まるということは、動作の停止を意味している。それは僅かな時間ではあるが、戦いの中で勝機を掴むためには十分な時間だと言えた。 初めてルークが構えをとる。両足で大地を踏みしめ、ゆっくりと後ろに重心を移す。尋常でないほどの闘気が、彼の右腕に集束していくのが半ば傍観的に見ていたカイラスの瞳にも映った。 (終わるんだな) カイラスは酷く落ち着いた様子でそれを感じていた。ルークが次の攻撃移れば、間違いなく自分は死ぬだろう。それは彼も理解している。 (ジェシカ……) 死の覚悟の中で、浮かんできたのは彼女の顔だった。幼い頃から共に育ち、そして愛し合った娘。護ると言いながら、結局は彼女を悲しませることばかりしている自分に、カイラスは自嘲的な笑みを浮かべた。 (何がしたかったんだろうな) 静かに、目を閉じる。自分がルークと戦うことで、周りの人間が不幸になっていくことは解っていた。それは自分が護りたいと思ったジェシカを含めてだ。だが止まれなかった。彼には時間も、止まるための勇気もなかった。もしかして、誰かに止めて欲しかったのかもしれない。そんなことさえ思う。 そして、それは今実現されようとしていた。 だが―― 「やめてぇぇぇぇぇぇぇ」 聞こえてきたのは女の絶叫だった。聞き慣れたその声が、カイラスを現実に引き戻した。 目を開くと、驚きの表情でカイラスの背後に視線を送っているルークの姿があった。彼の視線の先に誰がいるのかは見なくても理解することが出来た。カイラスが彼女の声を間違えることはあり得ないことだ。 カイラスが後ろを振り向くと、そこには予測通りの女――ジェシカが俯きながら肩を震わせて立っていた。カイラスの胸にざわめきが生じる。 「ジェシカ、どうして」 どうして……、カイラスはそこで言葉を切った。言葉の続きが、それを口にした彼自身にも紡ぐことは出来なかったためだ。決して言葉が見つからなかったわけではない。そこから続ける言葉があまりにも多すぎて選ぶことが出来なかったのだ。 しかし、ジェシカにそれを口にする必要は無かった。彼女はカイラスの声色から、その言葉に続く想いの大半を理解していた。ジェシカはゆっくりと顔をあげると、今にも涙があふれ出しそうな漆黒の瞳をカイラスに向けた。 「ずっと前から気づいてた」 気づかないはずはなかった。カイラスがヴァイスであることも、兄と共にこの街を変えようとしていたことも、そして、それに対して彼が大きなリスクを背負っていたことだ。、二人に最も身近にいた彼女が気づかないはずはなかった。 「だけど、カイラスがそれを望んでいるならそれでいいと思ってた。貴方が、私達を護るために大きな力を望んでいたのは知っていたから」 瞳に溜めていた涙が、こらえきれずに頬を伝う。 見守っていたかった。彼がこの町を変えようとしている姿を。例えそれによって自分やカイラスにどんな悲劇が起ころうとも、彼を信じていたかった。輝いている彼を止めたくなかった。それは今でも変わらない。けれど―― 「私達のエゴの道連れに、リニアとルークを巻き込むのはやめて。二人は、この街の希望なのよ」 道連れ、その言葉にカイラスは衝撃を受けた。確かに、このままルークに自分を殺させれば、人の死に影響を受けやすい彼の精神はどうなるか解らない。しかもそれが身近な者となるば尚更だ。 「だが、俺はっ」 証が欲しかった。何かを護ったという証、何かをしたという証、何かを残したという証、それは何でもいい。彼はヴァイス=セルクロードとしての名ではなく、カイラス=シュナイダーとしての証が欲しかったのだ。 それが独りよがりなエゴだということも解っている。だが、ヴァイスとしてこの街を変えることも出来ず、カイラスとしてジェイクを護ることも出来なかった。挙げ句の果てには、目の前にいるこの娘すら悲しませようとしている。彼は何も残すことが出来なかった。 ならばせめて、彼は戦士として死にたかった。自分の証を、ルーク=ライナスという友人に覚えていて欲しかった。今の彼には、それくらいしか思いつくことはなかった。しかし―― 「証ならあるっ」 ジェシカは下腹部に手をのせてそう叫んだ。同じ事を望んでいた二人の、たった一つの行き違い。死にゆく彼にジェシカは伝えなければならないことがあった。 「子供が、いるの」 「え?」 カイラスは意味が解らなかった様子で、そう言葉を返した。そんな彼にジェシカは続ける。 「貴方の子供が、私のお腹の中にいるの」 その言葉に、カイラスの瞳が大きく見開かれる。彼の胸に熱い物が込み上げ、同時にそれが形となったように、一筋の涙が頬を伝った。 もう、カイラスに戦意は無かった。ただ、涙を流しているカイラスに、ジェシカが寄り添う。そしてルークはその光景を複雑な心境で見ていた。 取りあえずこの場は収まったものの、まだ何も終わっていないのだ。ジェチナという街の迷走、カイラスの魔物化、そしてギルドがリニアを狙っていること、問題は山積みなのだ。 そんな事を考えていたルークに、ふと違和感が生じた。 (リニアはどうした) 彼女の気配が感じられないのだ。決して忘れていたわけではない。彼女のことだから、静かにこの状態を見守っている。そう思っていただけだ。だが、それならばジェシカが現れた時に何かしら反応を見せているはずだ。ルークは慌てて彼女がいた方へ目を移した。 そこにはリニアが酷く悲しげな表情を見せながら立っていた。そして、その横に見慣れない男が不敵な笑みを浮かべ、こちらを眺めていた。 何よりも先に恐怖が走った。その男は朧のような男だった。そこに立っているはずなのに、まるでそこに存在していないかのような錯覚。それをルークは感じたのだ。それは敏感な感覚を持つルークの不安を酷く駆り立てた。 「リニア、その男から離れろ」 ルークの勘は理由もなくその男を敵だと訴えていた。もしかしたら理由はあったのかもしれないが、それは本能的なものだろう。ルークは再び戦闘態勢に入る。だがリニアはとまどったような仕草をするだけで、そこから動くことはなかった。 「どうした、リニア」 彼女の行動に怪訝を覚えルークがそう声を掛けると、男はその笑みを更に強め、代わりに言葉を返した。 「彼女の声を、カイラス=シュナイダーの魔物化の発動条件にしたのですよ」 それが彼の第一声だった。その声にカイラスが大きく反応した。彼は強い憎しみの眼差しを男に向けると、ギリッと歯を噛みしめた。 「アレス、貴様、リニアにまで業を背負わせるつもりかっ」 「リニアにまで、だと」 カイラスが口にした言葉にもルークは違和感を覚えた。そして、そこからルークは一つの答えを導き出す。 「この状況を作ったのは貴様か」 ジェイクの死、ギルドの暴走、カイラスの魔物化、全てが一つに収束していくような気がした。ルークに確証はなかったが、確信だけはなぜか強く感じられた。そして彼はそれを否定しなかった。 「運命を加速させたのは確かに私です。傍観者を気取っても良かったのですが、何分あまりに結末が気にくわなかったので、少し事象をいじっただけですよ」 「気にくわないだと」 ルークの中に怒りが込み上げてくるのが解った。そしてそれを更にかき立てるように、彼はその笑みに皮肉を込めて再び強めたのだ。 「ええ。私は赤珠が嫌いなのですよ。そうですね、今回の目的はこの少女に絶望を与えるといったところでしょうか。それとも」 アレスはそこでいったん言葉を止め、ジェシカの方へと目を移した。 「新しく生まれくる命を弄ぶというのに、標的を移すのもいいかもしれないですね」 その言葉が、カイラスの憎しみを最高潮へと高めた。沸き起こる怒りがカイラスにも止められなくなったとき、それは起こった。 「ガアァァァァl」 突然カイラスが苦しげな呻きをあげる。そしてそれを引き金とするように、彼の身体には鱗のようなものが現れ始めた。 「なっ」 ルークが驚愕の声をあげる。それは明らかに魔物化の始まりを意味していた。それを一番驚いた様子で見ていたのはリニアだった。彼女は全く声を発してはいない。アレスはそれをあざ笑うかのように、リニアに言葉を掛けた。 「貴女のせいではありませんよ。元々貴女の声を封じるための虚言ですからね。それと彼の両腕の変化も魔物化とは関係ありません。全ては、アースを持つ彼の魔物化を発動させるための演出ですよ」 アレスの言葉が言い終わるよりも先に、彼の身体は鱗に覆われた巨大な蜥蜴のような生物へと変化していた。だが、ルークは知っていた。それが蜥蜴などではなく、竜と呼ばれる存在であることを。 それは全てを滅亡させる邪な意志の象徴だった。
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