リ ニ ア の 日 記
第五章 滅亡への序幕

Fighter of Midnight town


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 街並みの中に日が沈み始めるが見える。バルクはアサシンギルド本部の屋上からそれを眺めていた。

 アサシンギルドの本部は四階建ての建物だ。周囲に特に大きな建造物もないため、眺めとしては悪くはない。だが今の彼にはその風景がひどく哀愁に染まったものに見えていた。

 彼は時間を持て余していた。この緊迫した状況の中でルークに会いに行く時間を作れたのもそのためだ。だが、決して気楽だというわけではない。机の上に頬杖をしながら、バルクは小さくため息を吐く。

 彼の今の任務は、レイモンド親子を見張ることだった。街の混乱状態にある現在、戦士である彼には不適当な任務であるが、彼にこの仕事が任されたのには理由があった。

 弧扇亭、それがその理由である。エピィデミックが陥落した今、ギルドにとって障害となり得るのはエピィデミックの残党、エピィデミック派のジェチナ住民、そして弧扇亭の三つだ。

 しかし、エピィデミックの残党とエピィデミック派のジェチナ住民はギルドにとって既に脅威ではない。エピィデミックは頭であるウェルズが捕縛され、実質上中心にいたジェイクも殺害されているし、彼らを支持していたジェチナ住民にしても、エピィデミックの庇護がなければただの烏合の衆に過ぎないからだ。

 それ以前に、彼らがエピィデミック側についていたのは過去のアサシンギルドの横暴な行動に嫌気が差していたからだ。今のギルドに対し、危険をおかしてまで抵抗しようとする者は少ないだろう。

 そこで問題になるのが弧扇亭だった。もちろん、組織的に完成されているギルドにとって、僅かな戦力しか持たない弧扇亭も危惧する相手ではなかった。ルーク=ライナスが如何に強いといっても、手練れが揃うギルドの総力をあげれば、決して叶わない相手ではないからだ。ただしそれは相応の犠牲を払ってという条件付きでの話になる。

 つまり問題となるのは弧扇亭、エピィデミックの残党、そしてエピィデミック派の住民が一つに集結することなのだ。ジェイクの妹ジェシカ、ジェチナ最強の戦士であろうルーク、そして強い求心力を持つリニアといったように、弧扇亭には散らばっている欠片を集束させる力がある。ギルドはそれを危惧し、弧扇亭を叩こうとしていたのである。

 だが、バルクは弧扇亭の雑用として働いていた経歴を持っている。そのため、ギルド上層はバルクが弧扇亭と戦う際に裏切ることを恐れ、彼をしばらく戦闘要員から外すことにしたというわけだ。

 そんなこともあり、当のバルクはひどく苛立っていた。戦闘要員から外されたことがその理由ではない。彼は未だに迷っていたのだ。

 ルークとの会話によっていくらかは気慰められたが、それでも迷いが完全に断ち切れた訳ではなかった。それに加え、弧扇亭で同じ時を過ごしたレイシャの監視だ。苛立ちもする。

(迷うな、俺には護るべきものがあるだろう)

 それでもバルクは自らの心にそう言い聞かせた。それは約束なのだ。彼が憧れた戦士と交わした約束。それは彼にとって何よりも優先されるべきものだった。

「バルクさん」

 考え事をしていたバルクに、不意に声がかけられる。その声に反応し、屋上の入り口に顔を向けると、そこには二人の青年が立っていた。どちらともバルクにとっては見慣れた顔だ。彼らはバルクの直属の部下である。長身の方がジェフ、背の低い方がハムスだ。彼らは子供の頃からの弟分であり、そして、最も長い時を共に過ごした仲間だった。

「どうした、お前ら」

 バルクは出来るだけ平静を装いながら返事をする。僅かに声のトーンは低くなったが、問題はなかったはずだ。少なくとも、普段のバルクしか知らない人間ならば誤魔化すことは出来ただろう。

 だが、彼らは違った。

「本当にこれでいいんですか」

 ジェフがゆっくりとそう尋ねた。声色こそ静かなものの、それには明らかに苛立ちが表れており、瞳にも不満が籠められている。

 そしてそれはハムスも同じだった。

「リニアちゃん達と戦うことになるかもしれないんっすよ。俺には耐えられないっす」

 ハムスはジェフとは対照的にありのままの感情をバルクにぶつけてくる。言い過ぎだとでも言わんばかりにジェフは彼を睨むが、想いとしては同じなのだろう。それを咎めることはなかった。

 二人の視線は再びバルクに向けられる。バルクはそれを受けながら小さく口を開いた。

「それがギルドとの契約だ。そして優先されるべき事項だろう」

 返ってきた言葉に、ジェフはギリッと歯ぎしりをした。それが正論であることは彼には解っている。そして、そのことでバルクが苦しんでいるのも解っている。だから自分が感情的になってはいけないことも彼は理解していた。

 だがジェフは心の中に浮かんでくる感情を押し留めることが出来なかった。

「俺達はそんなことを聞いているんじゃない。あんたがどうしたいのかを聞いているんだ」

 突然、ジェフが声を荒げた。彼がこれほど感情的になることなど珍しいことだ。もちろんバルク達との馬鹿騒ぎの時は例外であるが、ジェフは怒りによって感情を乱すことは少ない。だが今回だけは違った。

「多分、バルクさんの言っていることの方が正しいんだと思う。だけど、そんなのバルクさんらしくないだろ」

「そうっすよ。バルクさんがあの人との約束を果たそうとしているのは解ってるっす。でも、今のバルクさんには、あの人に追いつこうとしていた頃の輝き、ないっすよ」

 ジェフの高揚につられるようにハムスもバルクにそう訴えた。彼らの想いにバルクは顔を歪める。

 約束、それはバルクが一人の戦士と交わした大切なものだ。その人が護り続けた、大切な仲間達を護る。それがバルクがその戦士と交わした約束だった。彼は強かった。自分と同じく、種としての力を持たなかった戦士であるにも関わらず、いつしか仲間達全員から一目置かれる存在になっていた。

 その約束は、その戦士がバルクを認めてくれた証だった。

「じゃあ、俺にみんなを見捨てろって言うのかよ」

 バルクは思わず叫んでいた。心に押しとどめていた葛藤、彼はそれを吐き出していたのだ。もう止めることは出来なかった。

「前の大戦で龍帝様側についた俺達を、ギルドの他にどこが受け入れてくれる。大戦に巻き込まれた連中には今でも龍帝軍の残党を恨んでいる奴はいる。大戦を知らないガキ達であろうと、俺達の素性が解った時点で連中は掌を返すんだ。俺達が護らなくて、誰が護ってやれる」

 龍帝の反乱、それは二十年ほど前に起こった戦争だった。バルク達の種族の先人は、その戦いで龍帝に従った。だが、戦争は龍帝の死によって終結。そしてその戦いは深い傷跡を大陸中に残していたのだ。勝者にも、そして敗者にもだ。

 しかしアサシンギルドはそれでもバルク達を受け入れてくれた。もちろん、それはバルク達の力を利用するというギルドの思惑があったことは言うまでもない。だが、彼らにはそこしか安住の地は無かったのである。ギルドの人間として、納得できない仕事に手を染めたのもそのためだ。

 二人に

「確かに、俺はあの人の背中を追っている。だが連中を護るのはそれだけが理由じゃない。俺自身が、それを望んでいるからだ」

 それが偽ることのないバルクの想いだった。憧れが、仲間を護りたいという想いの大きな要因になっていることは事実だ。しかし、それはあくまで想いに使命感を加えるものでしかない。弧扇亭の連中を敵にしたくないのと同じくらいに、彼は仲間を護りたいと思っているのだ。

 長い付き合いである。彼らにもバルクの気持ちなどはわかっていた。それでもバルクに対し批判を浴びせたのは、迷う彼の姿を見たくなかったためだ。バルクに憧れた戦士がいたように、彼らにとってはバルクこそがそんな存在だったのである。

 バルクに言える言葉などもう無かった。例え望まなくても、従うしかない。二人がそう諦めかけたその時だった。

「でも、貴方は弧扇亭の仲間も助けたいんでしょう」

 それは女の声だった。聞こえてきたのは当然のことではあるが、屋上の入り口の方からだ。そして、聞き慣れた声だった。

「なっ、姉貴」

 実姉の姿を確認して、バルクは驚きのあまり大きく目を見開いた。驚いたのはそこに姉がいたためではない。彼女の後ろに、三十程度の人間が並んでいたためだ。

「みんな、どうして」

 彼らは同族の仲間達だった。もちろん一部ではあるが、その中の面子は老若男女を問わず、中にはバルクの知らない顔まである。もっとも、相手はバルクのことを知らないということはないだろうが、とどのつまりはそれ程親しいわけでもない人間もそこには含まれているということだ。

 一同を率いていたのはバルクの姉だった。髪は同族の中でも珍しい灰色が混じった黒、それはバルクと彼女が同じ血を引いていることの証明でもある。一方で背の丈はそれほど高くはなく、同族の他の女と比べるのならば小柄な部類に入るだろう。

 だが、彼女はそんなことを微塵も感じさせることはなく、むしろその場にいる他の誰よりも存在感のある様子でバルクに言葉を掛けた。

「私達に構わないで貴方の思うようにしなさい。それを伝えにきたのよ」

「何を言って……」

「弧扇亭の仲間とやらに付くのもお前の自由だということだ」

 話を理解できなかったバルクに、言葉を付け加えたのは姉の横に立っていた女だった。背は高く、髪の色も同族では標準的な、少し黒の強い茶色だ。整った顔立ちをしており、きつい目元が無機質な美しさえを引き立たせている。

「レ、レナ姉」

 バルクは僅かに顔をしかめながら、彼女の名を呼ぶ。レナ=イクシュリ、彼女はジェフの姉で、同族をまとめる役を引き受けている女だ。バルクの姉とは幼なじみであり、バルクがもっとも苦手とする相手だった。

「何か勘違いをしているようだから言っておく。お前は自分が戦わなければ私達が護れないと思っているようだが、思い上がりもいいところだな」

 レナの言葉に眉をひそめたのはバルクではなくジェフだった。彼は剣幕を変え、実姉に対し言葉を吐き出そうとするが、バルクの姉がそれを遮る。

「バルク、お前がが私達のために戦っていることには感謝してる。だが、私達は戦士の民だ。護られているだけの存在だと思われるのは侮辱でしかない。あの馬鹿でも、それくらいのことはわきまえていたぞ」

 あの馬鹿、それはバルクが憧れた戦士のことだ。自分の生き方に正直で、後先考えずに突進する彼を、レナが嫌っているためにそういう呼び方をしているのだが、その中に敵意は込められていないのはバルクにも解っている。

 そして、レナが言っていることが的を射ていることも解っていた。

「でも、やっと手に入れた場所なんだぜ。本当にいいのかよ」

 バルクは視線を落としながら、小さくそう呟いた。安住の地、それは龍帝の反乱が起きる前からの種族の念願だったはずだ。一族の一部とはいえ、彼らはようやくそれを手に入れたのだ。バルクが弧扇亭の仲間として戦うということは、それを捨てることにもなりかねないのだ。

「これは、私達みんなの総意よ」

 バルクの姉がはっきりとそう言った。続けて、その両脇にいた小さな少年と少女が口を開く。

「バルク、戦ってくれよ。大切な仲間なんだろ」

「そうだよ。仲間は助けなきゃ駄目だってママも言ってたもん」

 それは姉の息子と、レナの娘だった。まだ、目の前の存在しか知らない、新しい世代。彼らに今の自分を見せるわけにはいけなかった。

「そうだな、ガー坊、ゼラ坊」

 バルクは顔を上げ、小さく笑う。幼い頃、あの戦士が自分に見せたように、そして強い戦士というものを彼らに見せるために。

「わりぃ、みんな。俺の我が侭を、通させてもらうぜ」

 彼のその一言に、場の人間達は一斉に歓声をあげた。皆が、その一言を待っていたのだ。

「やっとてめぇらしくなったじゃねぇか、バルク」

「私達の誇りってやつをギルドの奴らにも見せてやってよ」

「負けんじゃねーぞ」

 胸に沸き起こる喜びを噛みしめながら、バルクは強く拳を握る。ようやく、吹っ切れたような気がした。バルクはジェフとハムスに目を移すと、静かに彼らに尋ねる。

「ジェフ、ハムス、力を貸してくれるか」

 その言葉に、彼らは小さく笑った。聞く必要など無かったのである。彼らはずっとバルクとともにあったのだから。

 バルクは自分の意味のない言葉に苦笑すると、ゆっくりと前へと踏み出した。自分の道を歩み始めるためにだ。

 彼はそのまま本部の二階にあるレイモンド親子の部屋へと足を進めた。

☆★☆

「バルク、一体、何の用よ」

 レイシャは突然現れた訪問者に対し、不機嫌な声でそう訪ねた。彼が戦えない理由は解っているのだが、苛立ちがそれで収まるわけではない。しかしレイシャの父であるキースは、彼女を諫め、バルクに対応する。

「いいのかね。これまでの君の努力が、無駄になるのかもしれんのだぞ」

 まるで事を見透かしたように、キースはそう訪ねた。バルクは心中で彼のことを改めて感心する。監視されている状況でありながらも、いや、身動きのとれない状況であるからこそ、彼は事態の動向に目を光らせていたのだろう。さすがであるとしか言いようがない。

 バルクは迷うことなくキースに答える。

「ああ。情けない話だが、みんなに背中を押されたんだ。お陰で、吹っ切ることができた」

「そうか」

 それ聞いて、キースは納得したように頷く。そして、すぐに顔をあげると、真剣な眼差しでバルクに言った。

「ならば、私も立たねばなるまい。君達の参入があれば、勝機も同時に生まれる。君の仲間達にも、力を貸してもらうぞ」

「え」

 意味が解らなかったのか、バルクは疑問の声をあげていた。キースは小さく微笑むと、バルクの肩を軽く叩いた。

「共に戦う仲間ならば、共に生きることを拒む者も多くはいまい。何も、安住の地を諦めることもないだろう」

 それは、覚悟の確認だったのだろう。キースの表情が明るくなっていくのを確かめながら、彼は大声を張り上げた。

「ラーヴェンはギルド内にいる我が同胞達を招集、シーフェンは北に行き、エピィデミック残党と接触せよ」

 キースの言葉に、隣の部屋から物音が返ってくる。

 それは合図だった。第三勢力として立つために、キースとジェイクが考案した計画の発動、そのための合図だったのだ。

 そして、同時にジェチナを夜の闇に引き込んでいくための合図だったのかもしれない。

 ジェチナの闇は再び街の人間を引きずり込もうとしていた。


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