リ ニ ア の 日 記
第五章 滅亡への序幕

Transfiguration


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 彼らの戦いを予測していなかったといえば嘘になる。だが、こうならなければ良いと思っていたのも事実だった。

 辺りはまだ夕方前だというのに、ひどく薄暗い。先程までは僅かに風は強かったが、陽の光も程良く射していた。おそらく、突然太陽が雲に遮られたのだろう。だがリニアにはそれを確認する余裕はなかった。

「もう一度聞く。それは、どちらのお前の意志だ」

 凛とした声が辺りに響き渡る。ルークの声だ。人気がない場所であるだけに、それはより一層際だつ。

 場の静けさに相反して、リニアの胸は激しく鼓動していた。動揺、そう表現するしかないだろう。彼女は目の前に広がる光景に驚愕していた。

 リニアの赤い瞳に映っているのは一人の若い青年だった。それは見慣れた顔だ。カイラス=シュナイダー。彼はジェイクお抱えの情報屋であり、ジェシカの幼なじみである。多少軽い性格ではあるが、包容力があり、リニアにとってはまるで兄のような存在だった。

 いや、だと思っていたと表現した方がいいかも知れない。少なくとも、リニアには今のカイラスを判断することは出来なかった。その青年が、もう一つの名を持っていることを知ってしまったからだ。

「どちら? 解っているだろう。これは、俺の意志だよ。ルーク」

 カイラスは僅かに寂しげな笑みを浮かべながらルークの問にそう返す。そして同時に彼を中心に、周囲の精気がゆっくりと流動し始めた。

「カイラスとヴァイス、元よりその意志に何ら違いはない。ただ、同じ目的を、異なる方法で実現するために、俺は二つの顔を持った」

「それが、もう必要ないということか」

 カイラスを取り巻く精気が変わったのと同じく、ルークから感じられる気質も、また今までとは異なる物に変わる。それまで荒かったルークの呼吸は、いつの間にか静かに整い始めていた。

 リニアを置き去りにして、二人の会話は続く。

「必要なくなったというよりは、手段を選べなくなったと言った方が正しいな。ギルドの計画には、リニアが必要だ」

「だから俺を誘いだしたのか」

 ルークの口から出た言葉に、リニアは大きく目を見開く。

「どういうこと」

 驚愕の声が漏れる。カイラスの目的は自分だと思っていた。カイラスとヴァイスが同一の人間だと信じたくなかったのはそのためだ。だが、それは違った。

「リニア、君をを捕らえること自体はそう難しい事じゃない。数さえ揃えれば、ギルドの人間にも出来ることだ。ただし、ルークという邪魔な存在がいなければな」

 カイラスの言葉が意味するのは、彼と、ルークの戦いだ。リニアはそれを止めようと声をあげようとする。しかしそれはルークによって遮られる。

「無駄だ。ヴァイスとしての、奴の意志の強さはリニアも知っているだろう。こうなったら止まらんよ」

「でもっ」

 二人の戦いが熾烈なものになることは必然だ。リニアに、そんなことが耐えれるはずがなかった。

 しかしルークは落ち着いた様子でカイラスを見据え、言葉を紡ぐ。

「止まらないのならば、止めるまでだ。如何に強い意志を持っていようが、身体が動かせなければどうすることも出来まい。荒いやり方にはなるが、悪く思うな、カイラス」

 ルークに余裕があるのがリニアには解った。

 当然と言えば当然である。一度、敗北を喫した事があるとはいえ、今のルークはその時の彼とは違う。彼は人を殺す術ではなく、人を制する術を手に入れた。というよりも、取り戻したと言った方が正しいかも知れない。

 それはともかく、ルークの強さは明らかにヴァイスを上回っている。ヴァイス自身、それは解っているはずだ。しかしカイラスには動揺している節はなかった。リニアはそれを訝しげに思うが、それよりも、リニアには言わなければならないことがあった。

「ちょっと待って、二人とも。ギルドが私に何を望んでいるのかは知らないけど、私に出来て、この街のためになることなら私、するよ」

「それが、赤珠国にとって不利益になることだとしてもか」

「え……」

 ルークが返したその言葉に、リニアは言葉を詰まらせる。

「ギルドがリニアに望んでいるのは、この街の生け贄になることだ」

「どういう意味……」

 声が震えているのが自分でも解った。自分の予測よりも、事態が大きく展開していることに、リニアは徐々にではあるが、気付き始めていたのだ。

 ルークは僅かに間を置いた後に、言葉を紡いだ。

「赤珠国は今、魔導同盟という機関を設立し、大陸にとって重要な位置を占めようとしている。だがそれを快く思わない連中もいる」

「大国、ね」

 それはリニアにも理解できた。大陸には大国と呼ばれる国家が三つ存在する。もし同盟が大国に肩を並べることになるとすれば、確かに赤珠国は彼らにとってひどく鬱陶しい存在になるだろう。

「でも、私に何の利用価値があるの」

 リニアにはそれと自分に何の関係があるのか、それが解らなかった。確かに彼女は王家に名を連ねていた人間だ。しかし王族ではない。更に、彼女は赤珠国では既に死んだことにされているはずなのだ。いくら王妹であるリニアの義母が彼女を捜しているからといって、政治的な利用のために死んだ人間を使えるわけがないし、赤珠国がリニアの生存を認めるはずがない。

 だがそんなことはどうでも良かったのだ。

「必要なのは赤珠の王妹がリニアを捜している事実だ。赤珠の連中は既にリニアの死を表明しているんだ。王女の死を確定的な情報もなく伝えるはずがない。それであるにも関わらず、捜索隊が動いている。虎国が赤珠国を黙らせるには、その矛盾で十分なんだ」

「虎国……」

 リニアは驚愕の声をあげる。虎国は大国の中でも最大の勢力を誇る国家だ。そして、リニアがジェチナで襲撃されたのは、虎国からの帰路だった。

「まさか……」

「赤珠の王女死亡表明で一時途切れはしたものの、初めから虎国とギルドは繋がっていた。ジェチナは元は虎国の属領地だったからな。完全な自治を獲得するためにマスターセイルは虎国と組み、赤珠王女の誘拐を計画した」

 自分が政治的な問題で襲われたのは知っていた。だがその理由をリニアはこれまであえて聞かなかった。聞いてしまったら、ギルドの人間と普通に付き合えなくなると思ったからだ。例え、彼らが真実を知っていようが知っていまいがだ。

「解説はその辺にしてもらえるか」

 不意に掛けられた声に、リニアとルークの視線はその声の主、カイラスに向けられる。彼の瞳には強い意志が込められていた。ルークは小さく息を吸うと、リニアに言葉を掛ける。

「リニア、離れていろ。少し、荒い戦いになる」

「うん」

 会話が終わると同時に、リニアはゆっくりと駆け出す。心配ではあったが、この場に自分がいれば、足手まといになることは解っていた。ルークならば何とかしてくれる。その時の彼女は、それに縋るしかなかった。



 場所を移したリニアの瞳に、最初に映ったのは、突き出されたカイラスの右腕だった。その腕を軸に、パキパキと乾いた音を立てながら、無数の氷柱が構成されていく。

「アイシクルランス」

 そしてそれらの氷柱は、カイラスのその言葉をきっかけとして、一斉にルークに突き進んでいった。だが氷柱はルークに当たることはなかった。

 ルークは両手に闘気を込めると、向かってくる氷柱に拳を打ち込む。闘気能力者でなければ出来ない芸当ではある。だが、カイラスもそれが効かないことは解っていたのだろう。すかさず懐から青い小刀を取り出すと、それに闘気を込め、腕を水平に振る。ひゅんという音をたながら、それはルークの身体を貫いた。

 しかし、小刀がルークを貫くと同時に、彼の身体は水蒸気のように霧散する。

「しまっ」

 それが闘気による残像だと気付いた時には、ルークはカイラスの一歩前にまで接近していた。明らかにレベルの差だ。カイラスはヴァイス=セルクロードとして、一度ルークに勝利したことがある。だがそれはルークが迷っていたからだ。自分の本当の能力を取り戻した彼は、圧倒的だった。

 ルークはカイラスが言葉を口にしきる前に、闘気を込めた左腕を、彼の右脇腹に向かって打ち込んだ。異常な程の負荷が左腕にかかる。それは相手も闘気によってそれを防いだ証拠だ。しかし、ルークの闘気とカイラスのそれは質が違う。ルークの拳は難なくカイラスの闘気を打ち抜き、カイラスの身体は僅かに宙に浮く。

「かはっ」

 呼吸が詰まった音がルークの耳に入る。彼の予測では、これで終わったはずだった。あくまでヴァイス=セルクロードは特異な能力を持つ戦士であり、決して耐久力のある戦士ではない。その彼を動けなくするには、これで十分なはずだった。

 しかし、ルークの勘はそれが間違いであることを激しく訴えていた。

「だ、いちよ、重力の戒めとなりて、彼の者を押しつぶせ」

 次にルークの耳に入ってきたのは、途切れ掛けたそんな声だった。見上げると、カイラスは大きく目を見開きながら、右手に銀色の珠を握っていた。

「くっ」

 この状況で魔術が構成できるなど、ルークには信じられなかった。気を失ってもおかしくはない衝撃が、カイラスの身体にはかかったはずである。ルークは急いで間合いをとるべく、足に闘気を込める。しかし彼のそんな努力は虚しくも意味を成さなかった。

「グラビゲーション」

 体重が何倍にも膨れあがったような圧迫感がルークの身体にのしかかる。完全に虚ついたはずだった。そして普通の人間に、あれだけの衝撃を受けた状態で魔術を構成できるはずはないのだ。何よりもその異常性がルークの心を動揺させた。

 だがそれでも彼は生粋の戦士である。その重力の戒めから逃れようと、両足に込めた闘気で一気にその場から後ろに瞬発する。身体が千切れそうな痛みが走るが、とにかく、今は状況を立て直すことの方がルークには必要だった。

 重力の場から抜け、ある程度間合いが取れたところで、ルークはカイラスを見据える。そこには異常な光景が広がっていた。

「馬鹿な」

 思わずルークは声を漏らす。倒せないまでも、ある程度の戦闘力を奪ったはずだった。だが、カイラスは平然とした様子でそこに立っていたのだ。

「まさか……」

 最悪の予感が、ルークの脳裏をよぎる。おかしいとは思っていたのだ。いくらカイラスが有能な術者の血を引いているとしても、戦闘経験が少ないはずの彼が、闘気法を会得し、これほどの魔術を駆使する。常識では有り得ない。

 だがルークの知る技法の中に、それを可能とするものがあった。それは――

「カイラス、お前、グールパウダーを服用しているのか」

 グールパウダー、それは人に魔物の力を持たせるという秘薬である。それを服用すると、人間では有り得ないような力を手にすることができるのだという。ただし、一つの代償を払って。

「力が欲しかったんだよ。ルーク」

 カイラスはそれを否定しなかった。

「親父を止めるために、そして、仲間を護るために力が欲しかったんだ」

 カイラスの父親、それはかつてジェチナにあったブラッディファングという組織の総帥だった男だ。リニアが聞く限り、彼はヴァイス=セルクロードに殺されたという話になっている。

「お前にも解るだろう。大切なものを失っていくのに、自分ではどうすることも出来ない歯がゆさが。自分の肉親が、その元凶になっている苦しみが」

 その想いはリニアにも理解できた。そしてルークにも通じているはずだ。立場と状況こそ違うが、彼もまた、似たような境遇にいた人間だ。だが、ルークはカイラスに強く反論した。

「ならば、どうして今更ギルドに加担する。奴等のやり方では、犠牲者がただ増加するだけだということは解っているだろう」

「だが、リニアを贄とすれば、少なくとも虎国の脅威はなくなる。キース=レイモンドや貴様では、それをすることは出来ないだろう」

 二人は激しくそう言い争った。しかしリニアにはそれが理解することが出来なかった。今更、そしてキース=レイモンド、この二つの単語が、どうしてここで出てくるのかが、彼女には解らなかったのだ。今更もなにも、ヴァイスはギルドの戦士であり、キース=レイモンドもまた、ギルドの幹部であるのだから。

 しかし彼女の理解を待たぬまま、二人の会話は続く。

「だが、そのために時を待ったのだろう。弧扇亭を中心に、この街がまとまるように。時は、来ていたのではないのか」

 かつて、ヴァイスとしての彼は言った。今は流れがはやすぎると。しかし今は違うはずだ。確かに事態の流れは再び早くなりつつある。だが今ならば、ギルドに台頭する勢力を作ることは可能なはずだ。そのための手駒は、弧扇亭という存在を中心に揃っているのだから。少なくとも、ルークはそう考えていた。

「ジェイクが、死んだんだよ」

 しかし、そのカイラスの言葉はルークを黙らせた。確かに、手駒は揃っている。だがそれを扱える者がそこにはいないのだ。虎国と渡り合うための計画、それを実行するだけのスキルがあったのはジェイクだけだった。

「もう、何もかもが遅いんだ。ジェイクの計画も、それに俺も」

 突然、カイラスの右腕が明らかに異常に膨らみ始める。それは彼の袖を破り、隆々とした筋肉をリニア達に見せつけた。その腕には、まるで獣のような体毛が生えていた。

「もう、始まっていたのか」

 ルークは呻くようにその言葉を口にした。彼は知っていたのだ。グールパウダーと呼ばれる秘薬に付きまとう、一つのリスクを。

 それは魔物への変貌だった。そして、それから逃れる術を、ルークは知らなかった。


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