リ ニ ア の 日 記
第五章 滅亡への序幕

Hidden truth


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 エピィデミック本部陥落。その話が弧扇亭に舞い込んできたのは、ジェイクの葬儀が行われた翌日のことだった。

 昨夜、エピィデミック本部をバルク率いるアサシンギルドの精鋭が襲撃し、エピィデミックの長であるウェルズ=グレリアを捕縛したというのだ。ギルドとエピィデミックの決戦は誰もが予測していた事態の一つではあった。ただし、その時期を除いてはだ。

 全ては、時間が運命を左右した。

「エピィデミックには時間が必要だった。ジェイクの名を用いて、人心を集めるな。それが上手くいったのなら、ジェチナの均衡は危ういながらも保たれただろう」

 人気のない路地で、ルークは静かにそう言葉を紡いだ。そしてその言葉を掛けられているのは、長身の体格の良い男だった。

「それをギルドの犬に話しても、どうにもならんことは解っているだろう」

 男は自嘲をするようにそう言い放つ。バルク=ブラウ、それが彼の名だ。アサシンギルドの戦士であり、昨日のエピィデミック襲撃の際、指揮をとった男である。

「ジェチナがどうなろうが俺の知った事じゃない。ギルドさえ力を誇示し続けることが出来れば、それで構わんさ」

 バルクは僅かに顔を歪めながらそう答えた。無理をしているのがはっきりと解る。彼はそういうのを隠すのが下手だ。ルークは小さく溜息を吐くと、ゆっくりとバルクを見据えた。

 ルークがバルクに呼び出されたのは数分前のことだ。突然、外からの視線を感じ、それがバルクのものであると踏まえた上で、ルークは出てきたのだ。もちろんバルクも気付かれることを前提にそれをしたのだろう。現状が現状であるために、ルークも僅かに弧扇亭を出るか躊躇ったが、同じく気付いていたリニアに促されて、バルクの誘いに乗ったのである。

「ただ愚痴を言いに来たのなら、戻らせてもらうぞ。長い時間、弧扇亭をあけたくはないんでな」

 ルークの言葉にバルクは小さく頷いた。彼にもその意味は解っているのだ。

 弧扇亭はこのジェチナにおいて中立の立場をとっていた。だが中立といっても、弧扇亭はジェイク=コーレンを支持していた。そのためにギルドや民衆の目からはエピィデミックを支持しているような錯覚を与えていたのは事実だった。つまりギルドにとって弧扇亭は邪魔な存在なのだ。

 それでもルークがバルクの呼び出しに応じたのは、彼という人間を仲間だと認めているのに加え、彼の性質を知っているからだ。バルクがルークを呼び出し、無防備になった弧扇亭に何か仕掛けることも出来るだろうが、バルクという男はそれが出来ない男だ。

 そしてバルクもその意志が無いことを示すように、ゆっくりと言葉を発した。

「ルーク、ギルド側につけ」

 バルクの言葉を聞き、ルークは僅かに表情を強ばらせた。ルークはすかさず答える。

「悪いが、それは出来ない」

 あっさりと断られ、今度はバルクの表情が強ばる。そういった答えが返ってくることは、バルクにも解っていた。しかしこうもはっきりと即答されると、彼としても動揺せずにはいられなかった。バルクは足掻くように言葉を続ける。

「ジェイク=コーレンも死に、エピィデミックが落ちた今、ジェチナを支えることが出来るのがギルドだけだということは解っているだろう。それに、他の連中を危険にさらすこともない」

 その言葉が何の意味も成さないことも解っていた。だが、それでも彼はそれにすがるしかなかった。ルークは静かに目を閉じ、小さく答える。

「そうだな。それが、一番賢い選択なのだろうな」

 賢い選択、その通りだろう。彼らがギルドと手を結べば、ジェチナの民衆の大多数はギルドを支持するに違いない。特にジェイクの妹であるジェシカが兄の名をもってギルドにつくのならば、ジェチナの統一は成立するだろう。そしてジェチナの統一はジェイクの本願であったはずだ。

「だが」

 突然、ルークの雰囲気が変化する。それまで静かだった彼の気質が、ひどく荒々しいものに変わっていったのだ。それには明らかに怒気が含まれていた。

「奴等はジェイクを殺した」

 思わずバルクは言葉を詰まらせる。それはまだ正式にギルドが認知したことではない。だが、ギルドが行ったエピィデミック襲撃の手際を考えれば、それはそうと受け取るのが必然だろう。

 エピィデミック本部が陥落したのは昨日の夜のことである。たった一日で実行部隊を組織し、エピィデミックに仕掛けるなど、そうそうできることではない。

 しかも、この街には夜の戒めがある。夜の静寂を破るなというやつだ。それはギルドの戦士達にも根付いており、いくらギルドマスターの決定であっても、彼らがすんなりと納得するはずはない。

 だがギルドはそれを成したのだ。それは、彼らがジェイクの死を知っていたに他ならない。もちろん推測ではあったが、バルクが言葉を詰まらせたことが、それを確信へと変えた。

「ジェイクには借りがある。それに、ジェシカや女将にもな。ギルドが連中にした仕打ちがある以上、俺がギルドにつくことはない」

 バルクにはその答えが返ってくることが解っていた。彼自身、ジェイクを殺したギルドには強い憤りを感じているのだ。だが彼はギルドを見限れない理由がある。ルークが弧扇亭の人間を思いやるのと同じように、彼にも護るべきものがあるためだ。

「そうか」

 それ以上、バルクは何も言えなかった。言うならば自分は弧扇亭にとって裏切り者である。元々彼はギルドの戦士ではあるが、それでも弧扇亭の一員として大きな時間を共有したことに代わりはない。そして彼自身、それがひどく心地いいものだと感じていたのだ。しかし、彼にとって護るべきものは絶対だった。

 ルークはそんなバルクの心境を見透かしたように言葉を続ける。

「だが、お前がギルドに身を置くからといって、気にすることはない。お前が弧扇亭のこと気にしていることは解っている」

「ルーク……」

「ただ、優先すべきもの、それが俺にとっては弧扇亭であり、お前にとっては違ったということだけだ。俺とてリニアと弧扇亭、どちらを優先させるかと言われればリニアをとる」

 そうはっきりと答えたルークに、バルクは苦笑する。それを見て、ルークも僅かに顔を綻ばせた。

「俺から言わせてみれば、お前の方が苦しい立場にいるんだ。俺は護るべきものと、護りたいものが同じ方向にあるのだからな。だから、無理はするな」

「ああ」

 吹っ切れた訳ではない。だが少し気が楽になった気がした。バルクは仲間と呼べる目の前の青年を見ながら、伝えなければいけないことを思い出していた。

「言い忘れていたが、ギルドが嬢ちゃんを狙っている。気をつけてくれ」

「リニアを?」

 ルークは思わず驚きの声をあげた。それはギルドマスター、セイルが口にしていたことだ。だが今更リニアに何の利用価値があるのか、ルークには訳が解らなかった。考えられるとすれば、自分たちの動きを封じることくらいであるが、その考えはバルクの次の言葉によってうち消された。

「赤珠の王妹が、嬢ちゃんの捜索を極秘に行っているらしい」

 それはリニアに政治的な利用価値があることを意味していた。赤珠国は魔導同盟と呼ばれる組織を設立し、変動の時期を迎えている。勢いだけならば、大国と呼ばれる国家に並ぶところまできているのだ。

 そしてもう一つ、バルクはルークに重要なことを伝えた。

「それと、ヴァイスがキース=レイモンドの手を離れ、マスター側についた」

 その事実に、ルークは突然強い危機感を覚える。それだけは有り得ないと確信していたからだ。ルークがバルクの誘いに乗ったのも、彼さえ動かなければ弧扇亭に残った三人でもどうにかできると考えていたからだ。

「バルク、感謝する」

 ルークはそう礼を言うと、弧扇亭に向かって駆け出していた。

☆★☆

「リニアが狙われているって、どういうことだい」

 弧扇亭の中に、女将マリアの声が響く。

 ルークがバルクに呼び出されていた頃、弧扇亭にもギルドがリニアを狙っているという情報が伝えられていた。情報を伝えたのはカイラスだ。走ってきたのか、彼はひどく呼吸を乱しながら話を続けた。

「何でも赤珠国の諜報員がリニアのことを探しているらしくて、ギルドはそれを利用しようとしているらしいんです。ハムスから仕入れた情報だから、確かだと思います」

「ハムスが?」

 不思議そうにマリアがそう尋ね返す。ハムスはバルクとともに弧扇亭で働いていた二人の片割れである。カイラスと同じ情報屋で、ギルドの情報に詳しい男だ。だがギルドにも所属している彼が、情報を漏らすということが、彼女には意外だったのだろう。

 マリアのその疑問に、リニアが答える。

「ハムスだって弧扇亭が好きだったから。きっと、だからよ」

 リニアの返答に、マリアは納得したように頷くと、カイラスの次の言葉を待つ。

「それで、リニアを他の場所に移したいと思うんです。部屋はもう見つけてあります」

「今すぐにかい?」

「ええ。本当はルークを待った方がいいんですけど、何しろ今回の連中は動きが速過ぎる。それに加えて、ヴァイスまで動いているらしいんです。動くのは早い方がいい」

 カイラスの意見に、二人は同意する。

「確かにヴァイスまで動いているのなら、先手を打った方がいいねぇ」

「私も、みんなの足手まといにはなりたくないです」

 二人の意見を聞き、カイラスはゆっくりと頷いた。

「それじゃ、女将さん、ジェシカのこと、よろしくおねがいします」

 カイラスは二階の方を見やると、マリアに深く頭を下げる。

 ジェシカは葬儀が終わってらずっと二階の空き部屋で眠りについていた。ジェイクが死んでからため込んでいた疲れが、一気に出てしまったのだろう。カイラスはそれをひどく心配していた。

 普段、見せないカイラスの姿、だからだったのかも知れない。リニアは小さな違和感を覚えていた。それが何に対しての違和感なのかさえも解らない。けれど、リニアは確かにそれを感じていたのだ。

 それが何であるのか解らないまま、リニアはカイラスとともに弧扇亭を出た。



 ジェチナ南域、そこはアサシンギルドの勢力下となっている地域だ。ギルドの本部も、エピィデミックの本部も、中央街と呼ばれる場所にあり、互いの抗争はその場所が中心となって行われてきた。

 もっとも、両組織間に交わされた契約後は、主立った抗争はなく、平穏な日々が続いていたが、ブラッディファングと呼ばれる組織が存在した頃は、ジェチナ全土、全てが抗争の場だったのだという。

 それらの戦いは、ジェチナに多くの被害をもたらした。中には土地そのものを荒廃させた戦いまであったほどだ。北域に関しては、土地の需要もあったこともあり、それらはいつしか街として復興したが、支持する民衆が少ない南域に関しては、未だ無人地域となっている場所が多く存在する。

 カイラスが探してきた隠れ家はそんな場所の一つだ。

「カイラス、ありがとうね」

 中央街を抜けた頃、リニアは突然カイラスに礼を述べる。

「どうしたんだ、いきなり」

 いきなりだったためだろう。カイラスはひどく動揺しながら、リニアにそう尋ねた。リニアは歩く速さを変えずに、静かに言葉を続ける。

「本当は、ジェシカの側にいてあげたいんでしょう」

 ジェシカとカイラスの仲を知らない人間は弧扇亭にはいない。四ヶ月前、ディーアがこの街を去った頃から、二人の距離は短くなっていたような気はする。それでなくても彼らは幼なじみなのだ。心配でないはずがない。

 リニアの言葉に、カイラスの表情はひどく寂しげなものに変わる。

 彼はゆっくりと口を開いた。

「確かにな。でも、俺が今すべきことは、この街を護ることなんだよ。ジェシカや、ジェイクのためにもな」

「どういうこと?」

 彼の台詞に、何か引っかかるものを感じて、リニアはそう尋ねかえした。すべきこととしたいこと、彼にとってのそれが、まるで違うものように感じたのだ。

 その問に、カイラスは言葉を続ける。

「この街の人間は、この街を護りたいと思ってる。人じゃなくて、街を護りたいと思っているんだ。だからジェイクは死を覚悟していたし、ジェシカはジェイクの死に泣くことが出来なかった」

 それはリニアも感じていたことだ。もしこの街の住人が、街そのものに固執していないのならば、多くの人間はこの街から出ていっているだろう。だがジェチナはまるで魂を引き寄せる魔物のように、そこに住む人間達を離さない。それは街に宿った人々の意志だと言ってもいい。

「でもな、俺はジェシカやレーナを護りたい。そして、ジェイクを護りたかった。例え、それがどんな犠牲を払ったとしても」

 リニアは再び違和感を感じる。そこにいるのはカイラスのはずなのに、彼女の精神は、そう認識してはいなかったのだ。だがそれは確実に知っている人間のものだった。

「リニア、カイラスから離れろ」

 ルークの叫び声が聞こえてきたのは、そんな違和感を感じている中でのことだった。いきなり声がしたことに驚いて、後ろを振り向くと、そこには息を乱しながら立っているルークの姿があった。

 表情はひどく強ばり、その視線は確実にカイラスに集中していた。

「どうしたの、ルーク」

 彼のあまりの剣幕に、リニアは戸惑いながらそう言葉を掛ける。だが彼の視線はカイラスから反れることはなかった。ルークはそのままカイラスに質問を投げかけた。

「カイラス。リニアを連れ出したのは、お前のどちらの意志だ」

「本当にどうしたの、ルーク」

 訳の解らないルークの質問に、リニアは思わずそう叫んでいた。けれど、本当は気付いていたのだろう。そして認めたくはなかったのだ。

「何時から、気付いていたんだ」

 動揺のない、はっきりとした口調。彼も解っていたのだろう。ルークが、それに気付いていたことに。

「違和感は初めて会った頃からあった。確信に変わったのはお前と初めて戦った時だ」

「そうか」

「ねぇ、何を言っているの」

 現実がそこにあるのにも関わらず、リニアは振り返ってそう叫んでいた。だが真実は残酷に彼女の赤い瞳に映ることになる。

 そこには、いつもと変わらないカイラスが立っていた。ただし、その髪と瞳の色を除いてだ。それらは漆黒に染まっていた。

「ヴァイス……」

 絶望に満ちたリニアの声が、静かにその場に響いた。


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