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ジェイクの葬儀に、参列者の姿はほとんどなかった。 参列者はわずか十名と僅か、エピィデミック幹部であると同時に、この街の医者として活躍したジェイクの葬儀としては、ひどく人気のないものだった。 葬儀が行われたのが、彼の死が弧扇亭に通知された翌日だったこともあるかも知れない。だが、彼の死をジェチナの人間が知らないということは絶対にないことだ。彼の存在こそが、このジェチナという街の均衡を支えていたのだから。 「まったく、報われないねぇ」 それは弧扇亭の女将の台詞だった。彼女はふくよかな体格の女性で、普段は明るい雰囲気を醸し出しているが、その日ばかりは当然の事ながらそれを見ることは出来なかった。女将は苛立ちを隠さずに言葉を続ける。 「ジェイクがどれだけの人間を世話してやったと思っているんだい。それなのに、これだけの数しか集まらないって言うのかい」 もちろん、彼女の苛立ちはそのことだけに向けられているものではない。息子のように面倒を見ていた青年が殺されたこと、それに対しても彼女は強い怒りを覚えていたのだ。 だが、エピィデミックの幹部となることで、死と隣り合わせの人生を送ることを覚悟したのは他ならないジェイク自身だ。それを罵倒するのは彼の覚悟を否定することに他ならない。彼女にはそれが出来なかった。 「仕方ないわ。状況が、状況なんだから……」 そんな女将を諫めたのはジェシカだった。彼女自身、精神的に衝撃を受け、ひどく疲労しているのが見て取れたが、それでもジェシカは兄の葬儀を自らが中心となって執り行っていた。彼女も覚悟はしていたのだろう。 だがリニアには状況という単語の意味が話からなかった。あるいは普段の彼女ならば、持ち前の勘の鋭さで気付いたのかも知れない。だがジェイクの死を嘆いていたのは彼女も同じだった。 「荒れるな」 「え?」 リニアの困惑を感じてか、彼女の横に立っていたルークがそう呟いた。リニアは未だ意味が解らず、涙に腫れた瞳を青年の方に向ける。彼女の赤い瞳に映ったのは、強ばった表情でジェイクの棺を見ているルークの姿だった。 ルークは少し離れたところにいるジェシカに聞こえないように小声で続ける。 「ジェチナがだ。ジェイクが死んだことで状況が急変した。アサシンギルドが暴走する可能性がある」 そこまで話を聞いて。ようやくリニアは状況の意味を理解した。この街の人間は、ギルドの報復を恐れてこの場所に来れないのだ。 闇の契約人。ジェイクがそう呼ばれるようになったのは、数年前、彼が成したある功績によるものだと聞いている。 当時、アサシンギルドは、それまでジェチナの筆頭勢力だったブラッディファングを制し、実質上ジェチナの統治権を手に入れていた。だがジェイクはそのアサシンギルドに僅かな人数で向かい交渉を持ちかけたのだ。 ギルドにジェチナの統治権を認める代わりに、エピィデミックを存続させる。それが彼がアサシンギルドに提案した交渉の内容だった。優勢であるはずのアサシンギルドがそれを了承したのは、ジェイクがジェチナの民衆の支持を受けていたからだ。つまり、ギルドはエピィデミックを恐れたのではなく、ジェイクという個人が持つ影響力を恐れたのである。 「ジェイクという人間がいることで、ギルドはエピィデミックに手を出すことが出来なかった。ジェイクの人脈は、ギルド支持者の中にも広がっているからな」 「それじゃ、もしかして。ジェイクさんを暗殺したのは……」 不意にそんな考えが浮かぶ。だがルークはそれを肯定はしなかった。 「断言はできない。ジェイクを邪魔に思っているのは、何もギルドだけじゃない」 「え?」 「脚光を浴びれば、必ずどこかで疎みが生じるものだ。それにエピィデミックですら、ジェイクを目障りに感じていた節がある」 「ど、どうして?」 リニアは出来る限り声を抑えながら、驚愕の声をあげた。エピィデミックはジェイクが所属している組織だ。加えて、今までのルークの話から想定すれば、ジェイクが死んで最も状況がまずくなるのはエピィデミックのはずだ。しかし、ルークはそれも否定する。 「エピィデミックがジェイクの意志を代弁すれば、それが偽りのものであっても支持を得ることが出来る。ジェイクが暗殺された罪をアサシンギルドに被せれば、その効果はさらに伸びるだろう。だが――」 ルークは突然言葉を止めた。そして頭を振った後に、台詞を続ける。 「いや、止めておこう。今はここに来ることが出来ない連中の分も、ジェイクを弔ってやろう」 リニアには、ルークが何を口にしようとしたのか解らなかった。だがそれよりも、今の彼女にはその後に出た『来ることが出来ない』という言葉の方がひどく心に残っていた。 一般の人間がそこにいないことには、それほど抵抗は覚えていなかった。ジェイクが医者であることは知っているが、リニアは医者としての彼を良く知っているわけではない。知っているのは弧扇亭の内輪の一人としての彼だ。だから女将のようにそれに対して憤りを感じたりすることはない。 だが、そこには本来いるべき人間の姿がなかった。レイシャ、バルク、ハムス、ジェフ、そして、カイラス……。 レイシャ以下四名がここにいないのは仕方がないことだ。彼らはアサシンギルドの人間だ。立場上、ここに来ることが出来るはずがない。実際、レイシャ昨日、知らせが届いた時点で、アサシンギルドに強制送還されていた。 問題はカイラスである。彼はジェイクお抱えの情報屋であり、何よりもジェイクの幼なじみであったはずだ。街が大変なのは解る。それによって情報が激しく動いているのも解るのだ。だがそれでも、カイラスがこの場にいないことへの違和感は拭うことは出来なかった。 「私が頼んだのよ」 納得のいかない表情をしていたリニアに、ジェシカが静かに声を掛けた。彼女は弱々しい笑みを浮かべながら、言葉を続ける。 「カイラスも出席したがってたんだけどね。これ以上、街が混乱することを兄さんも望んでないって彼に言ったの」 「でもっ」 「この街は、多くの犠牲の上に成り立っている」 何か言葉を吐き出そうとしたリニアを、ジェシカはその言葉で制した。思い詰めたようなジェシカの表情に、リニアは沈黙する。 「数年前まで、この街はもっと酷い状況だったのよ。そんな惨劇の場にだけは変えちゃいけないの。兄さんを含めて、今までの犠牲を無駄にしちゃいけないのよ。だから、カイラスには行ってもらったの。全てを元に戻さないために」 リニアには、ジェシカのその想いが痛い程解った。彼女にも、何に代えても護らなければいけないと思った物があった。リニア、という存在になったことで、その束縛からは解放されたものの、その想いの強さだけは今でも彼女の心に残っている。 リニアはそれ以上何も口にすることが出来なかった。ただ、今の彼女に出来ることは、故人となったジェイクの冥福を祈ることと、ジェチナの街が迷走しないように祈ることだけだった。 だが彼女の祈りは虚しくも叶うことはなかった。アサシンギルドの、エピィデミック攻撃が始まったのは、それから数時間後のことだった。
☆★☆ 「何故、ジェイクを殺した」
カーテンで日光が遮られた部屋の中に、感情を押し殺したような重い声が響く。それを口にしたのは、黒い包帯のようなもので顔を覆った一人の青年だ。名はヴァイス=セルクロード、氷の閃光 そして、彼の前にいるのは、赤い法衣を纏った黒髪の男、アレスだった。アレスはにっこりと微笑むと、楽しげにそれに答えた。 「安定した結末を迎えるよりも、劇はその方が盛り上がるでしょう」 刹那、ヴァイスからは凄まじい殺気が放たれる。そして彼は迷うことなくその右腕を突き出し、意識を封じた言葉を紡いだ。 「刻め、アイシクルランス」 言葉を吐き出すと同時に、彼の周囲には破裂音のような音とともに、無数のつららが生じていく。だがアレスがそれに視線を移すと同時に、氷柱は硝子が砕けるような音をたてて崩れていった。
「無駄だ。君の邪眼 「くっ」
「確かに君は強い。何よりもその意志の力が。単純な戦闘力ならば私に勝つことも可能だろうが、邪眼 ギリッ。狂気に満ちたその男に正論を返され、ヴァイスは思わず歯ぎしりをする。アレスはそんな彼を見て笑みを深めた。 「ジェイク=コーレンが死んだ今、このジェチナを束ねられるのはアサシンギルドしかいない。キース=レイモンドならば勢力として台頭する事も可能だが、彼のやり方ではその後が続かないだろう。君が望んだジェチナの平定、そのために払わなければいけない犠牲は、解っているはずだ」 それは悪魔の囁きだった。だが考える限り、それしか手段が無いことはヴァイスにも解っていた。この街の内部を平定するだけでは駄目なのだ。ジェチナの本当の敵は、内ではなく、外にあるのだから。そして、その外の勢力に抗うための切り札が、この街にはある。 「さあ、行きたまえ。赤珠の王女を捕らえに。君には、その道しかない」 ミーシア=サハリン。一年程前、赤珠国で野盗に襲われ死亡したと伝えられた赤珠族王女の名だ。だが死が伝えられた後も、王女の行方を探しているという情報はあったのだ。そして、その王女は名を変え、この街にいる。 リニア=パーウェル。それがその王女の名だった。
☆★☆ レイシャ=レイモンドは苛立っていた。ジェイク=コーレンの葬儀に参加できなかったことにも、そして今自分が置かれている状況にもだ。彼女は、父親であるキース=レイモンドとともに、アサシンギルド本部にある会議室の中に軟禁されていた。強制送還を命じられた上に、この扱いだ。彼女でなくても苛立つのは当然だったかも知れない。 「何を考えているのよ、ギルドマスターは。こんな大事なときに父さんや私の動きを止めて何の意味があるって言うの」 「落ち着け、レイシャ。焦っても状況は良くならんよ」 レイシャを諫めたのは、金髪の中年の男だった。その男がキース=レイモンドだった。アサシンギルドの中でもギルドマスターの影響外で動ける権限を持つ唯一の男であり、穏健派の人間として通っている男だ。 キースはレイシャが落ち着きを取り戻したのを確かめると、ゆっくりと口を開いた。 「私は昨日から外界と情報を断たれ、状況が解らない。ジェイク=コーレンが死んだというのは本当の話なのか?」 父親の質問に、レイシャはゆっくりと首を縦に振った。キースは「そうか」と呟くと、大きく息を吐き出した。 「これで貴様の計画も無に帰した訳だな」 突然、会議室の扉が開き、そんな言葉が放たれる。声が発せられた方を見ると、そこにはキースと同年齢の中年の男と、長身の体格の良い男が立っていた。 長身の男は見慣れている男だ。バルク=ブラウ、ヴァイスと並ぶ、アサシンギルドの筆頭戦士の一人である。そして、もう一人の男はアサシンギルドのギルドマスター、セイル=フィガロだった。 「セイル、まさか貴様がジェイクを殺させたのか?」 突然、キースの瞳には怒りの色が籠もる。それを見て、セイルは小さく笑みを浮かべた。 「そうだ」 「解っているのか。彼が死んだことで、ジェチナがどういう運命を迎えるのかを」 「それは裏切り者の貴様が言う言葉ではあるまい」 ギルドマスターの言葉に、キースは言葉を詰まらせた。 「気付かれていないとでも思っていたのか? 貴様がジェイク=コーレンと結託し、ギルドやエピィデミックに台頭する勢力を作っていたことに」 キースの額に、冷たい汗が流れる。自分が動いていることに気付かれていないとは思っていなかった。だが、ジェイクとの繋がりまで、彼に気付かれていたとは思っていなかったのである。 「これでも貴様のことは信頼していたのだ。部下としても、友人としてもな。だが貴様はそれを裏切った」 「それはっ」 「この街のためだと言いたいのだろう? 解っているさ。だからこそ貴様も、貴様の娘も殺さんのだ。これ以上、下手に動いて俺を怒らせるな」 言い終わると、セイルは会議室を出ようと、キースに向かって背を向けた。だが僅かに立ち止まり、彼はキースにこう言い残した。 「ヴァイスが、俺達側についた。もう、貴様らにカードは残されていない。諦めるのだな」 セイルが去った後、バルクもそれに続こうとする。だが、彼はレイシャの言葉によって足を止められた。 「バルク、このままでいいの? 何もかもが変わっちゃうのよ」 彼がギルドマスターに服従しているのは知っていた。その理由まではレイシャは知らない。しかし、ヴァイスがギルドマスターについた以上、事態は最悪なものになるだろうと予測はついていた。余程のことがない限り、ヴァイスが裏切るなど有り得ないことだからだ。 だがバルクは振り返らずに言葉を紡いだ。 「お前がこの街を護りたいように、俺にも護りたいものがある。弧扇亭の連中も気に入ってはいるが、俺にはそれ以上に護らなければならない物があるんだ。だから、俺には頼るな」 絶望的だった。動くわけにはいかず、宛もない。このまま街が変貌していく様を見ているしかない自分が、ひどくもどかしかった。それから僅か後、レイシャ達にもエピィデミック攻撃の知らせは伝えられることになる。 ジェチナは確実に滅亡への加速を始めていた。
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