リ ニ ア の 日 記
第五章 滅亡への序幕

A notice


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 目を閉じ、精神を集中する。

 正面に感じられるのは炎の揺らめき。そして背後に暖かい鼓動。リニアは静かに流動する空間の中で確かにそれを感じていた。

 リニアがいるのは弧扇亭の裏庭だ。そこは普段、飲食店としての弧扇亭の一部にも使われているのだが、その日は弧扇亭は定休日であり、人の姿はほとんどなかった。いるのは精神を集中しているリニアと、その背後にいる青年ルーク。そして椅子に座りながら、それをお茶を飲みながら、じっと眺めているジェシカとレイシャのみだった。

 彼らはリニアに注目していた。そして当のリニアは、目を伏せ、両手を前に突き出しながら立っている。突き出された右手には赤い短刀が握られており、彼女はそれを水平に構えながら、左手を刃に添えていた。

 しかし注目の的となっているのは、その短刀のわずか前にあるものだ。そこには揺らめく小さな炎が浮かんでいた。魔術によって発動した灯火である。リニアは今、魔術の訓練をしていたのだ。

「そう。そのままだ。焦るなよ」

 不意に後ろから声を掛けられ、リニアはぴくりと反応する。同時に炎が大きく揺らめく。それは魔術の媒体である精気が、精神に左右されやすいからだという話だが、それを思い出す余裕はリニアにはなかった。その動揺を抑えるために、リニアは大きく息を吸い込む。

 それからしばらくの間は無言の状況が続いた。リニアが魔術を展開し続け、三人がそれを見守る。ただそれだけだ。だがそこには確実に強い緊張が走っていた。リニアが行っていることの危険性を考えれば、当然のことだ。

 魔術は扱うのがこれといって困難なものではない。リニアが持っている短刀のような魔導器と呼ばれる道具さえ持っていれば、少し教われば使えるようなものだ。もちろんその威力や精度は、使い手によって大きく異なるという条件の下でのことである。

 その魔術であるが、動的な現象を起こすよりも、同じ状態を維持するような静的な現象に留める方が難しい。それは魔術というもの自体が物質を加速させるからという理屈があるからなのだが、それは使い手にとってはさほど重要ではないことだ。問題は、それは暴走をする可能性があるということである。

「そろそろ限界かしらね」

 珠のような汗を浮かべているリニアを見て、そう呟いたのは金髪の髪の女、レイシャだった。

 リニアがこの状態に入って約十分、苦しい時間帯である。四ヶ月前、レイシャも一度試してみたのだが、そんな状態を維持したことが初めてだったこともあり、十分はもたなかった。魔術士としてもそれなりの技量を持っているレイシャでもだ。

「リニアがこれを初めて四ヶ月、体力的に私より劣るのに、これだけ持続できるようになったのは才能と努力よね」

「赤珠族の魔術構成能力は、天性の物だって言うものね」

 独り言のように言葉を口にしていたレイシャに、同意の言葉を掛けたのはジェシカだ。普段は些細なことで衝突する二人なのだが、リニアが修練中の時だけはそれを控えるようにしていた。

 理由は簡単である。リニアが危険だからだ。

「それにしても、あんなのよくやる気になるわよね」

「あれってそんなに危ないの?」

 ジェシカが不思議そうに尋ね返すと、今度はレイシャが「そうね」相づちを打った。ジェシカ自身は訓練を受けた魔術士ではないため、この状況を完全には理解していないのだ。そんな彼女にレイシャは頷いて答えを返した。

「疲れてくると普段は何でもない魔術の制御が出来なくなるのよね。貴方にだって経験があるでしょ?」

「ええ」

「魔術の発動中に下手に精神が途切れたりすると、構成した魔術が全く違う物になって暴走することがあるのよ。そうなると、術者が命を取り留めるなんて事はほとんど奇跡になるわね」

 レイシャの解説を聞いて、ジェシカはごくりと喉を鳴らした。だがそれでもリニアを止めないのには二つの理由がある。一つは彼女の後ろに立っている青年、ルーク=ライナスだ。

 初め、この修練を行うようにリニアに進言をしたのは彼だった。その前にリニアが魔術の修練をしたいと言い出した事が前提にあるのだが、それはともかく、訓練の内容をルークが口にしたときに、真っ先に怒鳴り声をあげたのがレイシャだった。

『貴方、リニアを殺す気! それがどれだけ危険か解ってるの?』

 それがその時のレイシャの言葉だ。彼女が怒鳴ることはそれほど珍しいことではないが、その時の彼女の剣幕には喧嘩相手のジェシカですら驚いたほどだ。だがルークはそんな彼女にこう言葉を返したのだ。

『リスクを恐れていては、リニアの覚悟に見合った力は手に入らない』

 覚悟。

 あの日……。ディーアがいなくなったあの日から、リニアは力を求めるようになった。それ以前から自分の戦闘的な非力さをどうにかしたいという想いがあったのは知っていたが、明確にそれを向上させようと動き出したのは間違いなくそれからだ。しかも、彼女が望んだのは戦士としての力だった。

『死んだら元も子もないでしょう!』

 だがそれでも、リニアの覚悟を知った上でも、レイシャはその言葉で引き下がろうとした。だが――

『それは俺が絶対にさせない』

 ルークのその一言に、彼女は黙らされてしまったのである。魔術というジャンルに対して彼が知識があるかはともかく、彼がただ危険なことをリニアにさせるはずがない。僅かでも危険性に対する危惧があれば、誰よりも率先して彼がそれをさせないはずだ。

 そして何より、レイシャはそれによってリニアの覚悟の強さを知った。ルークを介して彼女の心の内を知る。おかしい話ではあるが、この二人の距離はそれほどまでに無くなってきていた。

「まるで比翼の鳥ね」

 突然レイシャが口にしたその単語に、ジェシカはきょとんとした表情で彼女を見る。

「比翼の鳥って、二羽の鳥で飛ぶって言うあの?」

「そ」

 レイシャは机の上に置いてあったカップを取り、それを口につけた後に言葉を続ける。

「まるであの二人は一人の人間みたいってこと」

「それは、あるかもね」

「前々から感じていたことではあるけどね。ディーアがいなくなってから、それが強くなったような気がするわ」

 それはジェシカも感じていたことだ。初めの頃は、まるで年の離れた恋人のようだと思っていた。それで彼のことを幼女趣味だ何だと言ったこともあったのだが、最近ではそう言った意識は無くなってきていた。

むしろ、二人でいることの方が自然のような、それこそレイシャが言うようにさえ思える。まるで一人の人間のように、彼らは同じ存在であるような気さえするのだ。それ自体がが良いことなのか悪いことなのかはジェシカには解らない。だが――

「二人にとっては良いことなんじゃない?」

 その台詞にレイシャは反論しなかった。「そうね」と短く相づちを打ち、再びカップを口に持っていった。

 ジェシカは続ける。

「今の二人、凄く余裕があるわ。リニアが頑張れるのもそのためだろうし、ルークだって、昔みたいな刺々しい所もないし、多分、強さだって前までの比じゃないでしょ」

「あれは化け物って言うのよ」

 忌々しげに吐き出したレイシャの言葉に、ジェシカは苦笑する。ルークといつも戦闘の修練をしているのは彼女と彼女の同僚であるバルクだ。レイシャに関して言えば一度もルークに有効な攻撃をあてたこともないし、アサシンギルドの戦いの双頭と言われるバルクにしても、最近のルークの強さには全く歯が立っていない。ルークが言うには、相性の問題らしいが、素人の目には彼の強さはまるで完全のもののように映っていた。

「まぁ、話を茶化すようなことを言っちゃったけど、今の二人の状態に関しては私にも口を挟む余地はないわね。でも」

 言いかけて、彼女はそこで口を止めた。

「でも? どうしたの?」

 不思議そうにジェシカは彼女に視線を送るが、彼女はただ首を横に振るだけだった。

「やめておくわ。要らない危惧だと思うし、なぁんであんな幸せそうな連中の心配なんて私がしなきゃならないのよ」

「ひがみ?」

「そーよ」

 はっきりと言い返されて、ジェシカは堪らず、くくくっと押し殺したように笑う。レイシャはむぅっと唸るが、一方で話が流れた事に安堵していた。

 要らない危惧、そうは言ったが、本当は不安だったのだ。口に出してしまうと、それが実際に起こってしまうかも知れない。そんな不安が彼女にはあったのである。

 比翼の鳥は、片割れだけでは飛べない。今の彼らが完全であればあるほど、もし二人が離れるようなことがあれば――

 そう思いかけて、レイシャは考えるのを止めた。何が変わっても、この二人は変わるはずがない。どこかでそう信じていたかったのかも知れない。間違いなくこの弧扇亭の核となっているのは彼らなのだから。

 見ると、リニアの修練はそろそろ終わろうとしていた。



「楽しそうに何を話してたの?」

 修練を終え、ふらふらの状態でリニアは二人の座っているテーブルへと向かった。修練中、何度か彼女らの声が耳に入ったのだが、集中しているリニアの頭ではそれを理解することは出来なかったのだ。

「その前に。はい、タオル」

 そう言ってジェシカは一枚のタオルをリニアに向かって放り投げる。それは風に僅かに流されながらも、丁度リニアの頭の上に落ち、リニアの視界を遮った。

「ありがとう」

 それを取って、汗を拭くと、リニアはジェシカの隣に座る。そして、それに続くようにルークもレイシャの隣に座った。

「それで何の話をしてたの?」

「ん? 大した話じゃないわよ。ところで、リニア、確実にスキルアップしてるんじゃない? 今回の時間、今まで最長だったでしょ」

「うーん、自分じゃちょっと解らないかな。でも確かに結構余裕は持てるようになってきたよ」

 リニアはそう言うと、嬉しそうにその赤い瞳をジェシカに向けた。

「それで、貴方から見てはどうなの? ルーク」

 横に座っている青年に、そう尋ねたのはレイシャだった。もちろんルークが魔術士でないことは知っているが、知識は魔術を使えるだけの自分たちよりも上であることもレイシャには解ってる。

 魔術を使えるのと、魔導を知っているのでは全く意味が異なる。リニアに行うように指示した修練法など、レイシャには思いつかなかったことだ。魔術こそ使えないものの、彼は間違いなく魔導師だった。それを踏まえた上での質問だ。

「戦闘で使えるような技術はまだ教えていないから何とも言えないが、魔術を扱うための能力ならば、多分お前の上をいっているだろうな」

「でしょうね」

 レイシャはあっさりとそれを肯定する。先程の修練の様子を見ても、リニアの能力は年相応のそれではない。それに、どのような能力が長け、どのような能力が不足しているのかを正確に判断するのは戦士としての必須の能力だ。そういった能力に関しては、レイシャは優れた戦士だと言える。ルークは続ける。

「問題は彼女の魔力が人よりも高いことだ。赤珠族特有の制御能力の高さは、リニアにも受け継がれているようだが、彼女の場合、常人よりも高い魔力がそれを邪魔している」

「どう言うこと?」

 その質問はジェシカからのものだった。戦士でない彼女は、必然的に魔術を用いる絶対数が少ないため、そぼ意味が理解できなかったのである。ルークは少し言葉を考えた後に、それに答える。

「簡単に言えば、精気を集める力が大きすぎて、集め方や使い方にまで気を遣わなければならない分、疲れるということだな」

「……解ったようで解らないわ」

「とにかく、リニアの場合人よりも高い制御能力を身につけなければ暴走の可能性なども増えるということだ」

「なるほど」

 納得はしたのか、ジェシカはこくこくと頷いた。それを見て安心したのか、ルークはすっと立ち上がった。

「俺は明日の仕込みをするから、先にあがらせてもらう」

「ええ」

「りょーかい」

「頑張ってね」

 様々な声が掛けられる中、ルークはそう言って背中を見せるが、ふと立ち止まり、ジェシカとレイシャに向かって言った。

「それから、お前ら、リニアは疲れているんだからな。ちゃんと休ませてやれよ」

「解ってるわよ。でも、どうでもいいけど、過保護は嫌われるわよ」

「うっ」

 レイシャの一言に自覚があるのだろう。ルークは呻くと、そさくさと早足でそこを去っていった。そして彼がそこから去った後、一同は思わず爆笑する。

「あははは。やっぱルークをからかうと良い反応を見せてくれるわ」

「そ、そんな事言っちゃ駄目だよ、ジェシカ」

「そういう貴女だって笑ってるじゃない。リニア」

「だって、可笑しいんだもん」

 三人の笑いの声はしばらく続くが、ある程度過ぎるとそれも落ち着いたようで、ジェシカがふと言葉を口にした。

「それにしても不思議よね」

「何が?」

 尋ね返してきたレイシャに、ジェシカは苦笑を浮かべる。

「元々は敵同士の私達が、こうやって一緒に笑っていることがよ」

「確かに、ね」

 ジェシカの言葉に、納得したようにレイシャは頷いた。だがその表情に陰りはなく、それは満足そうな表情だ。

「正直言わせてもらうと、私、初め貴女のこと大っ嫌いだったのよね。あ、気にくわないのは今の変わってないけど」

「言ってくれるじゃない」

「でも、好きなんでしょ?」

 突然のリニアの台詞に、ジェシカは少し驚いたような表情を見せるが、ふっと小さく笑い、その問に答えた。

「そうね。好意は持ってるわね。でなきゃこんなこと言わないわよ」

 その言葉を聞いて、レイシャの頬はあからさまに赤く染まる。

「べ、別に貴女に好かれたって嬉しくはないわよ」

 そう言って頬杖をつきながらそっぽを向くが、その様子は滑稽でしかなかった。二人は思わず吹き出す。

「な、なによ。私となんかよりもいちゃつかない人がいるでしょ、貴女には」

「え?」

 返ってきた言葉に、ジェシカはきょとんとする。だがすぐに意味を理解したのか、その頬は僅かに赤く染まり、表情が緩んだ。

「その顔、何かむかつくわね」

「カイラスと上手くいってるみたいよ」

「むぅ、やぶへびだったわね」

 あてが外れて、レイシャはつまらなそうにそう呻いた。そんな光景をころころと笑いながら見ていたリニアだったが、突然何かを思いだしたようにジェシカに声をかける。

「そういえばジェシカ。あの件、どうだったの?」

「あの件?」

 理解できない会話にレイシャは怪訝そうに反応する。そして一方で、二人の目には、ジェシカの表情が更に緩むのが映った。彼女はにこやかな表情で、言葉を紡ぐ。

「昨日、兄さんに診てもらったんだけど――」

 だがその言葉は最後まで続くことはなかった。

「ジェシカっ、ジェイクが――」

 それは金髪の青年カイラスの台詞だった。突然弧扇亭の裏庭への扉が開き、彼の姿が現れたのだ。

 そして続けて彼が口にした言葉が、一同に衝撃を与えた。

 ジェイク=コーレンの死、その時には既にその話はジェチナの街に広がろうとしていた。


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