第四章 闇の領主
〜Vampire lord〜
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リニアとディーアはジェチナの街を南へ駆けていた。 初め二人は、弧扇亭から北にある、ジェイクの経営する病院へと向かっていたのだ。ルークがそこにいるという話は、ジェシカから聞いていたことで、彼に何とか救いを求めようとその場所に向かっていたのである。 だが、彼女らはその途中でカイラスに会い、彼からルークが南の繁華街に向かったという話を聞いていた。すぐに戻ってくるという話ではあるが、それは弧扇亭に直接ということで、このままジェイクの病院に行っても彼には会えないとのことだった。 「下手にジェイク先生の所に行くと被害が大きくなる可能性が高くなる。無差別に人を襲っているとは考えにくいが、最悪の事態だけは避けなきゃならない」 それはカイラスが口にした台詞だ。ルークがいない以上、彼の意見はもっともなことで、リニアはその言葉に頷いたのだ。 「俺がギルドの動きを調べるときに使っている場所、知っているだろ? そこに逃げるといい。あそこは半分廃墟だから、そうそう見付からないだろうから」 その場所については、リニアも聞かされていた。リニアがこの街に来た折に、隠れ場所の一つとして選ばれた場所だったはずだ。ギルドとの戦いの際、彼女とルークは途中でヴァイスと対峙しなければ、そこに身を隠すはずだったのだ。 「俺は弧扇亭に向かう。ルークが来たら、すぐに向かわせるから、それまでそこで大人しくしていてくれ」 「でも、カイラスは大丈夫なの?」 カイラスの話は理解したが、彼は身を危険に投じようというのだ。ジェシカ達の身の心配もあるが、同様に彼のことも気がかりになるのは当然のことだ。 だがそんなリニアの不安げな表情を見てか、カイラスはにっこりと笑うと、彼女の頭に手をぽんとのせた。 「まぁ、ルーク達みたいに化け物じみてはないけど、俺だってある程度は戦えるんだぜ。レイシャ達もいるんだし、ルークが来るまでの時間稼ぎくらいにはなるさ」 ある程度……、その言葉が正しくないのをリニアは知っている。カイラス=シュナイダー、戦士としての彼の能力が凡才でないことを、彼女は知っているのだ。 かつて、ブラッディファングという組織がこの街にあったのだとリニアは聞いている。その組織の中で、唯一、ヴァイス=セルクロードと互角の戦いを演じた男、その男の血が彼に流れているというのだ。 魔導能力は血によって受け継がれる。それはルークの言葉だった。須くというわけではないようだが、亜種族能力などの特殊な能力を含めて、それは確実であるのだという。 「無理は、しないでね」 深刻な顔つきでそう言ったリニアに、カイラスは笑みを苦笑に変えて答えた。 「無理できるほど強くもないって。とにかく、早く行かないと万が一ってこともあるからな。俺は行くぜ」 そこでリニアは初めてカイラスが焦っているのに気付いた。彼は二人では例の黒マントの男に対抗できないのを知っているのだろう。あのヴァイスとバルクでさえ手玉にとられたのだ。考えれば当然のことかも知れない。 「行ってあげて下さい」 カイラスの焦燥に先程から気付いていたのだろう。それまで口を挟まなかったディーアが突然口を開いた。 「リニアさんのことは私に任せて下さい。それよりもジェシカさんが気になるんでしょう?」 彼女の言葉はカイラスの心境を明確に示していたようで、カイラスは「頼む」と一言だけを言い残し、弧扇亭の方へと駆け出した。 普段、ののほんとした彼女であるが、時折、酷く鋭い洞察力を見せるときがある。それによって自分やルークも助けられたのだ。改めて不思議な人だなとリニアは思った。 「さて、それじゃ私達も行きましょう。私の持論ですけど、嫌な予感がするときは早く動けです」 「嫌な予感?」 不吉な言葉にリニアは不安を覚えるが、ディーアはにっこりと微笑んで、彼女に答えた。 「大丈夫ですよ。こんな予感がするときは、急ぐと何とかなるんです」 不思議と、そんな彼女を見て、リニアは心が落ち着くのを感じていた。 「だから、行きましょう」 そしてリニアの前にはすっと白い手が差し出される。リニアは迷わずその手を取ると、それを握りしめ、ジェチナの南へと駆け出した。
「なるほどね。それでリニアが南に向かっているのね」 弧扇亭での一戦を終え、ルーク達は傷の手当をしながらカイラスの話を聞いていた。 一同の怪我、特に古代魔術を受けたジェシカとレイシャの怪我は酷いもので、その手当に時間をとられていたのである。 二人の怪我を診ていたのはルークだった。怪我人であるジェシカの他には、医療の心得があるのはルークしかいなかったのである。だが、ルークは火傷を負っていたジェシカの腕に包帯を巻き終えると、すっと立ち上がった。 「怪我人を置き去りにするようで悪いが、俺はリニアを追わせてもらう。ジェシカ達の話では男はリニア達の位置を特定できるようだからな。彼女を死なせるわけにはいかない」 「同感ね。私達のことはいいから、さっさと行ってきなさい。カイラス、貴方もよ」 ルークの言葉に答えたのはレイシャだった。その彼女の台詞に当のルークよりも、カイラスの方が驚嘆の表情を浮かべた。 「俺も?」 カイラスの疑問の声に、レイシャは表情を変えることなく、淡々と言葉を返した。 「私がこんな状態である以上、ヴァイスにこの事を伝えれる人は貴方しかいないでしょう」 「けど……」 思わず、カイラスはジェシカに目を移した。この場所とて、まだ完全に危険が去ったわけではないのだ。それに加え、彼女は怪我人なのだ。彼には放っておくことは出来なかった。 「あ、あのねぇ。状況を考えなさいよ。今はリニア達を護る方が先決でしょう」 そう言いつつも、まんざらでもない様子で、ジェシカは褐色の頬を僅かに赤く染めながら、カイラスにそう言った。カイラスは返ってきた言葉に戸惑いながらも、小さくこくりと頷いた。 「それじゃカイラス、ヴァイスはきっと父さんの所にいるから、これを持ってギルドに行きなさい」 話がまとまったところで、レイシャは一枚の書類を彼に手渡す。それにはレイシャの名前と、ギルド本部に入るための許可申請が書かれていた。 「部外者の俺にこんなもの渡していいのか?」 「仕方ないでしょ、状況が状況だし。それに、今はギルドとエピィデミックは協力中なんだからそんなに問題にはならないわよ」 そしてレイシャは「追っているのがあの男なら尚更よ」と付け加える。 「了解。じゃあルーク、俺はギルドに向かうから、先に行っていてくれ。すぐにヴァイスを呼んでくる」 「あえて待つ気はないぞ」 以前の彼からは考えられないような台詞に、「その方がいいさ」とカイラスは言葉を返した。 「組織内部の人間じゃない俺達には、組織上の損得よりも事件が早く終わることの方が重要さ」 そして、カイラスがその言葉を言い終わるよりも先に、ルークは弧扇亭を出ていた。
静寂の中で、二人は息を潜めていた。 両方とも黒髪の女、片方は赤い瞳の少女で、もう一人は長い髪の女。リニアとディーアである。二人は、カイラスから教えられた家の中で、ルークを待っていたのである。 数分前まで、二人はジェシカ達のことを酷く気にしていたこともあり、気を紛らわせるために他愛もない会話を交わしていた。だが、状況が変化したのは、突然、家の扉が開かれたことからだった。 二人が身を隠した家は二階建てではあったが、それほど立派なものではなく、家と言うよりは本当に隠れ家というに近かった。リニア達は追われている身だということもあり、家の二階にいたのだが、突然に扉が開かれ、驚きながらも颯爽と近くにあったソファーの陰に隠れたのだ。 息を潜めている間、聞こえてきたのは、ギィ、ギィという一つの足音だけだった。ルークとも思えたが、ルークならば隠れている二人に声を掛けるであろうし、何よりリニアの知った歩き方とは足音とは違った。 そうなると考えられるのは、この家が空き家だと思って入ってくるような子供、もしくはわけありの人間か、それでなければ、彼女達にとって招かざる客であるというのが妥当だろう。そして、結果は後者だった。 「隠れても無駄だ。君達の居場所はこのアグリーメントによって捉えてある。逃げても、私にはすぐに解るのだよ」 ソファーから身体を隠しながら見ると、そこには黒マントのあの男が、胸にかけられた十字架を右手で弄びながら、不敵な笑みを浮かべていた。 おそらく、その十字架がアグリーメントという魔導器なのだろうとリニアは推測した。それは輝神教団が持つような十字架ではない。銀の装飾を受けた、十字が交差する箇所に丸い珠玉が埋められた十字架であった。 輝神教団の十字架には、穴を開けるという行為は許されていないのだ。それは十字架が輝神教団の主神レヴァを象徴するものであるからなのだが、それはともかく、重要なのは目の前の彼が自分たちの居場所を知っているということだ。 「それで、貴方は私をどうしようと?」 リニアが男の様子を探っている間に、突然、ディーアが立ち上がり、彼にそう尋ね掛かた。リニアは思わず立ち上がりそうになるが、それを右手をすっと前に差し出すことで遮った。 「おそらくこれが、貴方をここに導いたのでしょう?」 「ほう。解るのかね?」 男は意外そうに驚嘆の声をあげた。そんな彼に、ディーアはにっこりと笑顔を浮かべて答える。 「というよりも、これくらいしか私達の位置を特定させるような原因が思いつきませんでしたので」 酷く単純な理由に、男は突然大声で笑い出した。彼女を見上げているリニアでさえ、酷く呆れてしまうような理由なのだから、それは仕方がないのだが、リニアは気を取り直して、ディーアへの視線を真剣なものに変えた。 リニアにはディーアの行動の意味が解らなかった。いくら居場所を把握されているといっても、みすみす立ち上がるなど、彼女には考えられなかったのである。だが、その意味を、リニアはすぐに知ることになる。 「それで、先程の質問に答えて頂けませんか? 私の持論なんですが、死ぬ理由くらいは知っておくべきです」 場の状況とは不釣り合いの台詞に、再び男は笑い声をあげた。 「面白い女だ。まぁいいだろう」 だがそれで彼も気をよくしたのだろう。ディーアの雰囲気に巻き込まれたのだと言ってもいい。彼女の目的は、時間稼ぎだったのだ。それに気付かずに、男は彼女の質問に次々と答え始めた。 「君達は生け贄なのだよ」 「生け贄、ですか?」 「そうだ。トゥースは人の精気を吸い、それを眷属の力に変える。だが、トゥースの力を解放するには、高質、そして多量の精気が必要なのだ。そして、君はトゥースに選ばれた」 選ばれた、その言葉に違和感を覚えたのだろう。ディーアは手に握っている白い物体に視線を移した。男は、そんな彼女の意を酌み取ったように言葉を続けた。 「それは精霊を宿した精霊器だ。相手はいつもそれに選ばせている。自分の好みの獲物を喰らいたい、それは当然の性であろう?」 男は、言い終わると、場の精気を収束し始める。 「さて、おしゃべりは終わりにしよう。トゥースを、返してもらおうか」 そして、男は前に手を突きだし、そこから無数の氷柱を展開した。 「選べ。身体を貫かれ、それから精気を奪われるか。それとも苦しまずに自ら精気を差し出すか。余興の礼だ。選ばせてやろう」 そう言い放った男の前に、一つの影が不意に飛び出してくる。その影は手に棒の様なものを握りしめており、それを男に向かって振り回した。 「どちらとも、ごめんよっ!」 それはリニアだった。彼女は近くに落ちていた鉄の棒を拾い上げ、魔術を展開し、注意が反れていた男に殴りかかったのだ。それは男の頭に命中し、男は「くぅ」と呻いてその場に倒れ込む。 「ディーア、逃げよう」 振り向いて、リニアがそう叫ぶが、男は狂気を含んだ瞳で少女を睨み付ける。男の額からは、赤い血が流れ出していた。男はそれに気付くと、それまでとは豹変したように彼女に怒鳴りつけた。 「小娘がっ! ただですむと思うなっ!」 途端に、凄まじい量の精気が男を中心に収束していく。先程の氷柱の時とは比べものにならないほどの勢いでだ。リニアは、その精気の流動に恐怖する。 「リニアさんに、手を出させません!」 それをさせまいと、ディーアが背後から男に奇襲をかける。だが、男はそれを読んでいたようで、左手に力を巡らせると、迫ってくるディーアの腹部めがけて一気に突き飛ばした。 ディーアの身体は、凄まじい衝撃を受け、壁に向かって弾き飛ばされる。そして、無惨にも彼女は部屋に置いてあった机を巻き込んで、壁に叩きつけられた。 「貴様は後でトゥースに喰われるがいい」 「そんなこと、させないっ!」 一瞬、ディーアに注意が移った隙にリニアは男の腹部を蹴り上げる。だがリニアの蹴りでは男には通用せず、それは更なる男の怒りを買うだけだった。 男は怒りにまかせてリニアの頬を平手で打つと、左手で首を掴み、彼女を吊り上げる。リニアの口からは赤い血が流れる。 「ヴァンパイアに血を流させた報い、その身に受けてもらうぞ!」 男は、そう言うと、その右手に力を込め、炎を召喚した。それが、大した炎ではないことはすぐに知れた。だがその意味も、リニアには解っていた。 「貴様はすぐには殺さん。肉を焼き、皮をはいでくれる」 男の目は、それが本気であることを示していた。途端に、リニアの背筋に悪寒が走り、体中から冷汗が噴き出す。 だが、それは男から受けた感覚ではなかった。もっと違う存在。それは、圧倒的な存在だった。男の威圧など、全く問題にならないような、そんな存在感。男も、それを感じたようで、その方向を振り向く。 「残念だけれど、貴方にそれはできないわ」 ガラッという音をたてながら、それはゆっくりと立ち上がった。漆黒のマントを纏い、胸に銀色の十字架を下げた女。 それは、ディーアだった。 「もう少し、穏やかな気持ちで眠っていたかったのだけれど……。状況が状況だから、仕方がないわね」 ディーアは淡々とそう口にすると、静かに男を見据える。その視線に、男は恐怖に顔を歪めた。 「ば、馬鹿な。その瞳……、まさか……」 そして、彼はリニアを離し、ゆっくりと後ずさりながら、震えた声で、ようやく一言だけを口にする。 「ヴァンパイアロード……、なのか……」 男が口にした言葉に、ディーアはただ静かに、氷のような冷笑を浮かべた。 それは、リニアにとっては、酷く現実味のない光景だった。
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