リニアの日記

第四章 闇の領主
〜Contact〜


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 ジェチナ北繁華街は取りあえずの賑わいを見せていた。

 取りあえずというのは、それにどことなく緊張があるためだ。例の変死事件が一般に公開されたのはほんの一週間ほど前だった。それまでは混乱が生じるのを危惧したギルドとエピィデミックがそれを伏せていたのである。しかし両勢力ともに事件を阻止することは出来ず、結局事件を公開することで民への警戒を訴えたのだった。

 しかしそんな警報が出されても、街の人間の日常が変わるわけではない。彼らとて生活があるのだ。中にはその日暮らしの生活をしている者も多い。街の活動が停止することなどありえないことだった。

 そしてそれは弧扇亭の人間にも同じ事だった。

「ねぇ、あれ美味しそうだよね」

「そうですね」

 そんな会話を交わしながら、北繁華街の中を歩いているのは、リニアとディーアだった。彼女らは食事の買い出しのために繁華街に来ていたのである。いつもならば買い出しはルークの仕事なのであるが、ルークが不在ということで、リニア達がそれを引き受けたのだ。

 とはいっても、買い出しは自分たちの食事の分だけであるし、日中忙しい彼女達にとって、昼間から繁華街に来れるというのは、一種の娯楽のようなものでもあった。

 二人は繁華街を歩くのを楽しみながら、買い出しを進めていた。

「それにしても、レイシャも来れば良かったのにね」

 その最中、不満というわけでもないのだが、リニアはそんな言葉をこぼした。レイシャはいつギルドからの連絡が来るか解らないということで、弧扇亭に残っていたのである。

 ディーアはつまらなそうにそう言った彼女に、にこにこと優しい笑みを浮かべながら、宥めるように言葉を返した。

「仕方ないですよ。お仕事なんですし。それにレイシャさん、北繁華街に来るのはあまり好きじゃないみたいですしね」

「そうだね」

 それはリニアも気付いていたことだった。おそらくは自分がギルドの人間だということを意識しているのだろう。レイシャが北繁華街に来ることは稀だった。

 北繁華街はあくまでエピィデミック派の人間が中心に開いた商店街である。アサシンギルドの人間である彼女がそこに行きたがらないのは、仕方がないことだっただろう。何よりも、彼女の父親はギルドの幹部であり、事実上アサシンギルドの組合長に次ぐ実権の持ち主なのだ。彼女が色々と考えを巡らせるのも解る話だ。

「まぁ、人それぞれってことです。それより何を食べましょうねぇ。今日はジェシカちゃん達も来るんでしょう?」

「あ、そういえばそう言ってたね。夜は女将さんも戻ってくるって言ってたし。でも、カイラスやジェイク先生、どうするのかな?」

「取りあえず、大目に作っておきましょう。ルークさんも帰ってくるかもしれないですし」

「そうだね」

 二人はそんな打ち合わせを済ませると、お互いにこくりと頷きあい、繁華街の奥へと進んでいった。



 久しぶりの外出ということもあって、リニア達が買い物を済ませたのはかなり時間が経った頃だった。

 時刻はお昼時、しかし結局、弧扇亭に余った食材を利用するということで、荷物はそれほど多くはならなかった。一人片手に買い物袋を下げるといった様子で、二人は帰路についていた。

「料理はディーアとレイシャ、御願いね。私は食器出しと、後かたづけやるから」

「ええ。解りました」

 帰路を歩く最中、二人はそんな会話を交わしていた。弧扇亭で料理を習いだして四ヶ月、ディーアとレイシャの料理の腕は酷く上達したのだが、リニアの腕が上がることはなかったのである。

「私、不器用だから。ごめんね」

 苦笑混じりでそう言うリニアに、ディーアはいつもの暖かい笑みを彼女に見せて、言葉を返す。

「人には得手不得手というものがありますよ。リニアさんの場合、それがお料理だってだけです。それに、いつかきっと上手くなりますよ」

「そう言ってくれると、嬉しいな」

 リニアは少し気慰められたように、小さくそう微笑む。料理がいつまで経っても上達しないことに、彼女は少なからずコンプレックスを抱いていたのである。

 ディーアに慰められ、彼女の方を振り向くと、何故か彼女は前屈みになっていた。

「どうしたの?」

 意外な光景に、リニアがそう尋ねると、ディーアは何かを拾い上げ、それをリニアに見せた。

「こんな物が落ちてたんです」

 ディーアが見せたそれは白い獣の牙のようなものだった。

「それって、魔導器、だよね」

 リニアはそれを見て、すぐさまその言葉を口にする。

 魔導器、それは魔術を発動させるための鍵となる物である。それに込められた術式によっては能力も大きく異なるが、その牙のような物から感じられるのは、酷く禍々しい感覚であった。

「多分そうだとは思いますけど、私には良く解らないです。でも、確かレイシャさんが、例の事件の首謀者が牙のような魔導器を持っているらしいと言っていたんです」

「じゃあ、ひょっとして、これが?」

 二人はお互いの顔を見合わす。自分たちの目の前にあるそれが、どのような形で事件に関わっているのかは解らなかった。それどころか実際に事件に関わっているのかも解らない。

 だが、もしそれが何らかの手がかりだとするのなら、それを放っておくことはできなかった。

「とにかく、レイシャに相談してみよう。事件の調査隊に関わっていなくても、レイシャなら何か知っていると思うし」

 それに、状況が状況ならばルーク達にもそれを伝えることが出来る。リニアはそう考えたのである。

「そうですね」

 ディーアの同意の声もすぐに返って来、リニアは自分の判断に自信を持つ。そしてゆっくりと相づちをうちあうと、二人は弧扇亭へ向かって走り出した。

 しかし二人は気付いていなかった。二人に注意を向けている男がいたことに。男は走り去った二人の姿を見送り、にやりと不敵な笑みを浮かべていた。



「ギルドからの報告書に書いてあった物には似ているけど、私には解らないわね」

 リニアとディーアが持って帰ってきた牙のような物を見て、レイシャが言ったのはそんな言葉だった。

「術式を読む限りでは、凄く特殊すぎて、どんな魔術が込められているのかさっぱり解らないっていうのは解るんだけどね」

 理解できない術式、それはリニアも感じていたことだった。弧扇亭の帰路、リニアも何度かこの魔導器に込められている魔術がどんなものなのか読もうとしたが、彼女にもそれが何を構成している物なのか理解することは出来なかったのである。

 魔導器の術式は、そのままどのような魔術が込められているかを示す物である。それが理解できなければ、まともにその魔導器を使うことは出来ないのである。

「やっぱりレイシャでも解らないの?」

「私が使える魔術なんて並程度だしね。魔導能力そのものなら、多分赤珠の貴女の方が高いわ」

 レイシャの台詞に、リニアは戸惑いを見せるが、彼女はそれを無視して話を続ける。

「それはともかく、一番いいのはヴァイスに見せる事よね。あいつの魔導能力はギルドでもトップクラスだし、何より彼は邪眼を使うことが出来るわ。多分、この術式も理解できるとは思う」

「じゃあ」

「ルーク、もうじき帰って来るんでしょう? その時にでもヴァイスに言うように言ってみましょう。今、彼に接触できるのはルークくらいなものだから」

「うん」

「何の話?」

 丁度話が一段落したところで、弧扇亭に入ってきたのはジェシカだった。

「あ、ジェシカ、いらっしゃい」

 リニアはにっこりと微笑みながら彼女を招き入れると、今までの一通りの話を彼女に伝えた。

「へぇ、お手柄じゃない」

 初め、驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに彼女は表情をぱぁっと明るくし、そう言った。

「これが本物ならだけどね。それに、見つけたのはディーアだし」

 そう言って苦笑を浮かべるリニアの頭を、ジェシカは軽く撫でる。そしてレイシャに視線を移した。

「お昼、今から作るの? 私も手伝う?」

「いいわよ。貴女、仕事あがりでしょ。休んでなさいよ」

 リニアはそんな二人のやり取りを見ながら、にこにこと微笑みを強める。

 最近になってだが、彼女らの会話に棘が無くなってきたのをリニアは感じていた。おそらくエピィデミックとギルドの仲が徐々に修正され始めたことも理由にあるのだろうが、お互いに性格を解ってきたというのも、その理由の一つなのだろう。

(悪くないよね)

 そんな事を考えながら、ゆったりとした空気に身を任せていたが、突然、彼女は凍り付くような感覚に襲われる。

(なに? これ?)

 身体の底から湧き起こってくるような、気味の悪い感覚に、リニアは激しい寒気を覚える。そしてそれと同時に、弧扇亭の扉がキィと不気味な音をたてて開かれた。

「ごめんください」

 それは若い男の声だった。見ると、そこには黒髪の男が立っていた。歳は二十代後半と言ったところだろう。中肉中背という感じで、一見優男という感じのする男だったが、リニアは彼に強い警戒を覚えた。

 しかしレイシャとジェシカにはそれは感じられないらしい。二人はその男が客に見えたのだろう。レイシャはすたすたと男に近づいていくと、営業スマイルを見せながら、その男に話しかけた。

「申し訳ありませんが、今日は定休日なんです」

 そんなレイシャの対応に、男は糸目に近い目を更に細めながら、にっこりと微笑んで彼女に言葉を返した。

「いえ、食事に来たんじゃないんです。落とし物を、頂きに来たんです。生け贄も含めてね」

「え?」

 レイシャが疑問の声を揚げるのと、リニアの寒気が膨れ上がるのは同時だった。

「レイシャ、危ないっ!」

 自分でも訳が解らなかったが、リニアは叫んでいた。刹那、一筋の閃光がレイシャの目の前で煌く。男の手には、一本の剣が握られていたのである。

「くっ」

 だがレイシャもそれには反応していたらしい。男のそれが放たれる前に、彼女は僅かばかりであるが、身を引いていたのだ。だがさすがに完全に避けることは出来ず、男の剣がレイシャの肉を裂き、血飛沫が舞う。

「レイシャ!」

 叫びながらリニアが駆け寄ろうとするが、それを制したのはジェシカだった。

「こいつが狙っているのは、あの魔導器よ。リニア、ディーア、それを持って裏口から逃げて」

「ジェシカ!」

「仕方ないでしょう。戦えるのは私とレイシャしかいないんだから。兄さんの所に向かっていけば、運良ければルーク達にも会えるわ」

 ジェシカの言葉に、リニアはこくりと頷く。自分たちがここにいても、何もできないことを知っているのだ。リニアはジェシカの言葉に従い、目の前の光景に唖然としているディーアの手を引いて、裏口を出た。

 ジェシカはリニアが出ていったのを確かめると、首に掛けていた首飾りを握る。そして、それを媒体に魔術を展開する。

「レイシャ、まだ動けるわよね」

「当たり前でしょう。かすり傷よ」

 リニアとジェシカの会話の間に間合いを取っていたレイシャが、ジェシカの言葉に反応する。服の右肩の部分が血で赤く染まっていたが、出血の割にはそれほど大した怪我ではないようで、彼女は愛用の赤い小刀に闘気を込めると、彼女は男に対峙した。

「ほう、私に挑むつもりかね」

 二人の行動に、男はにやりと不敵な笑みを浮かべる。そしてそれを期に、彼の身体から黒い、蒸気のような物が放出された。それは次第に男の身体を覆っていくと、黒いマントのような形に姿を変える。

「面白い、と言いたいところだが、君達と遊んでいる暇はない」

 そう言うと、男は懐から卵のような物を取り出し、何か詠唱のような物を唱える。すると、それはまるで生き物のように蠢き始め、次第に獣の様な物へと形を変えていった。

「来い、シード。奴等を食い尽くせ」

 そして、その獣は男に命令されるままに、二人に向かって襲いかかっていった。



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