リニアの日記

第四章 闇の領主
〜Talk〜


<Back to a chapter /Novel-Room /Go to next chapter>



 ルークがヴァイスの依頼を受けた翌日の昼、彼はジェイクの営む病院に来ていた。

 依頼を受けたといっても、ヴァイスとの契約は夜限定のものだったのだ。理由は主に二つある。

 一つは二人の名自体が情報収集に向いていないのだ。死神ルーク=ライナスに、氷の閃光ヴァイス=セルクロード、その名は違いにジェチナを震撼させた程の名だ。それに対して、一般の人間がまともに応対できるとは考えにくいというのである。

 また何よりそれによってヴァイスの半ば神格化した存在を劣化させるまいというギルドの意志があったのである。

 そして事件は夜に起こっているのがもう一つの理由だ。もちろん何らかの手がかりがあれば昼にも動くことにはなるだろうが、ほとんど情報が無く、夜にしか事が起こっていない以上、夜に警戒を敷くのは当前で、どうしても受け身にならざるを得ないというのが現状なのである。

 そういった事情もあり、ルークは昼間は単独で調査を進めるべく、ジェイクの病院に足を運んでいたのである。

「貴方、ヴァイスと組むんですって?」

 病人に入って初めに掛けられた言葉はそれだった。もちろんそれはジェイクの妹であり、この病院の見習いの医者であるジェシカの一言だ。ジェチナの中でもルークに話しかけようという人間はあまりいないし、彼がルークだと知る人間もそう多くはない。褐色の肌のこの娘は、その少ない人間の一人なのだ。

 それはともかく、ジェイクに会いに来たはずのルークは、病院内でジェシカに捕まっていたのだ。

「仕方がないだろう。弧扇亭が休業中である以上、何か仕事をしないとな。それに、この事件を早く終わらせれば弧扇亭も早く運営再開できる」

 加えて、ヴァイスと共に戦うということに興味もあったのだが、それはあえて伏せておくことにした。

「確かにね。この事件だっていつまで続くか解らないものね」

 しかしジェシカはそんな事には気付くこともなく、そう言葉を返した。ただ単に興味がなかっただけかも知れない。その代わりに彼女は更に言葉を続けた。

「でも、何で弧扇亭、休業させられたの? 事件って夜しか起こってないんでしょう?」

 彼女の疑問はもっともだった。実際、今回の事件が起こって休業させられているのは弧扇亭だけだ。基本的にジェチナは夜には機能していないために、事件自体に対して商い等があからさまな被害を受けたということはなかったのである。

 ルークはその質問に、小さく溜息をついて答えた。

「女将さんだよ。事件に凄まじく怒りを覚えてな、自ら指揮とってる。実際、今回の調査がエピィデミックとギルドの共同で行われているのは、女将さんが両方に怒鳴り込んだからだって話だ」

「そ、それは初耳だわ」

「カイラスから聞いた話だから、実際にどうかは知らないけどな。俺としては核心をついていると思う」

「あの人ならやりそうよね」

 弧扇亭の女将、マリアの性格を知っている二人は、そんな勝手なことを言い合いながら、互いに苦笑しあう。

 しかしこんな話を冗談混じりで言うことは四ヶ月前では有り得なかっただろう。

 エピィデミックとアサシンギルドの緊張が解け始めたのは、四ヶ月前の故神祭以降のことだ。それまでジェチナの両勢力は強い警戒をお互いに敷いていたのだ。

 だがあの日、弧扇亭には敵や味方を超越した特別な空間があった。そしてそれは確かにジェチナを変えていったのだ。そんなこともあり、今では、お互いの組織が度々接触する機会も増えていたのである。

 そしてもう一つ、ルーク自身がこの四ヶ月間でまるで別人のように変わっていたのである。雰囲気が丸くなったというのだろうか、リニア以外の人間とも接触をするようになり、良く笑うようになったのだ。彼の戦い方が変わったのは、その一端なのだろう。

(まぁ、どっちも良い傾向よね)

 実際、ジェシカはそう思っていた。明確に絆を感じられる生活、それをジェシカは感じていたのである。幸せなことを当たり前のように感じていられる時間、彼女はそれをありがたいと思っていた。だが……

「よぉルーク。来てたのか」

 不意にその場に響いた声に、ジェシカはびくっとする。ルークがそれを不思議に思って、声の主を見ると、そこには思った通りの男がいた。カイラス=シュタイナー、ジェシカの兄、ジェイクのお抱えの情報屋である。

「最近忙しそうだな。やはり事件絡みか?」

 ルークがそう尋ねると、その金髪の青年は「ああ」と小さく頷いた後に、言葉を続けた。

「エピィデミックも本格的に動いているからな。それで俺がジェイク先生との連絡係を引き受けているんだ。お陰で走りっぱなしだよ」

「大変だな」

「まぁな。でも、基本的に定刻に本部に足を運ぶのが主だからな。それ以外はここでゆっくりとしてるよ」

 そう言って、カイラスはいたずらっぽくはにかんだ。ルークはやれやれといった様子で苦笑する。

 そこでルークはふとジェシカが会話に参入してこないのに違和感を覚えた。普段、余計なことにさえ突っ込んでくるのは他ならない彼女なのだ。ルークがそれをおかしく思って彼女を見ると、彼女の姿はそこにはなかった。

「ジェシカの奴、どうしたんだ?」

 明らかにカイラスを避けているとしか思えない。そう思ってカイラスを見ると、彼は苦笑を浮かべていた。彼が苦笑を見せるのはそれほど珍しいことではないが、この場でとなるとさすがに気になるところだ。

 ルークが理由を尋ねるように視線で促すと、彼は誤魔化すのを諦めたように答えた。

「ちょっと昨日言い争ってな。それで機嫌悪いんだろ」

「お前らがそこまでこじれるのも珍しいな」

「まぁな」

 カイラスは苦笑を強めながら頷く。

 だが確かにジェシカとカイラス、というよりもカイラスが他人といざこざを起こすことは酷く珍しいことだ。今までに彼が他人と激しく争っているのを、ルークは見たことがなかった。

「ま、しばらくすれば機嫌も治るだろ。で、お前もジェイク先生に用事なんだろ?」

「ああ」

「じゃあ、さっさと行こうぜ」

 カイラスの言葉に頷くと、ルークはカイラスについてジェイクの部屋へ向かった。

***

 ジェイクの部屋は本で埋まっていた。そのほとんどが医療には関係ない物で、彼の趣味によるものだ。『奇術大全』や『天然との接し方』など意味の解らない本も見ることはできたが、ルークはあえてそれを無視することにした。

「これで報告終了です。それじゃ、俺はちょっと用事があるんで失礼させてもらいますね」

「ああ。カイラス、ありがとう」

「こっちも仕事ですよ」

 カイラスはジェイクとの会話を早めに切り上げると、ルークに挨拶をしてそのまま部屋を出ていった。ルークに気を遣ってくれたのだろう。仮にも、ルークは現在ギルドの人間と手を組んでいるのだ。エピィデミックお抱えの情報屋が聞いて良い話ではないと考えたのだ。

 ルークはカイラスに感謝しつつ、目の前にいる、褐色の肌の優男――ジェイクに話しかける。

「推測になるが、女達に掛けられているのはマリオネットという魔術だ」

 突然出された聞き慣れない単語に、ジェイクの目は怪しく光る。彼は医療だけでなく、魔術にも通じている人間だ。そして何よりもそれは彼の探求心からくるものなのである。

「それで、その魔術は何なのだね?」

 子供のように目を輝かせ、彼はそう尋ねた。ルークは呆れたように小さく溜息をつくと、その問にも答える。

「俺も実際にどんな物かは見たことがないから良くは解らないが、人の精気を抜き、特殊な力を込めた精気を代わりに身体に注入することで人を操る魔術らしい」

「そんなことが可能なのか?」

「さあ。おれも人伝いで聞いただけだからな。実際それが俺が思っている魔術だという確信はない。だが、実際にそのような魔術があるのは確からしい」

 そう断言した後に、ルークは言葉を付け加えた。

「もっとも、闇の眷属と呼ばれる連中に伝わる能力らしいがな」

 闇の眷属、その名を聞き、ジェイクの表情に陰りが生じる。

「ギルドと交換した情報にもあったが、本物だと思うか?」

「だからどうしてそういうことを俺に聞く。実物を見ていないのに解るわけがないだろう」

 彼がルークに意見を聞いてくるのは今に始まったことではない。だが、こうも自分が全く関わっていないことにも意見を尋ねられると、鬱陶しい以外の何物でもない。大体、そんな状態で尋ねられても、自信のある解答など返せるはずもないのだ。

 だがジェイクは全く表情を変えずに彼に答えた。

「実物を見ていないというのは私も同じだよ。だが闘気や魔術といった類の物に関しては私よりも君の方が知識が豊富だ。別にそれが正確でなくてもいい。私にアドバイスをして欲しいのだ」

「…………、部外者に口を挟ませて……、知らんぞ」

「プライベートな話だ。構わんよ」

 にこやかな顔でそう答えたジェイクに再び呆れたような表情を浮かべた。だが一方で自分が信頼されていることに対する喜びのようなものを覚えながら、ルークは話を続けた。

「ヴァイスの反応から見ても間違いないとは思う。奴は闇の眷属のようだからな」

「ほう」

 ルークの言葉に、ジェイクは驚きの表情を見せるが、ルークはそれを一瞥した。

「見え透いた芝居は止めろ。奴に関してはエピィデミックも色々と探っているのだろう。お前が知らないはずはあるまい。今度そんな真似を見せれば、本当に契約を切らせてもらうぞ」

「わかった。気を付けよう」

「まぁ、それはともかくだ。俺はその男が闇の眷属であることには間違いないと思う。何より邪眼という力を使っていたのだからな。邪眼という力は、眷属の血を受けた者しか使えない能力らしい」

 言い終わると、「ふむ」と考え込むようにしてジェイクが相づちを返した。

「参考になったよ。感謝する」

 ジェイクはそう礼を言うと、ルークににっこりと微笑んだ。ルークは何となく騙されたような感覚を受けながらも、彼に言葉を続けた。

「ところで、エピィデミックには新しい情報が入ってきていないのか?」

 元々、ルークにしてみればそれが本題だったのだ。先程までの話はジェイクから知恵を借りたいと言われていたために話したことだ。ここに来た目的ではない。

 その問に、ジェイクはゆっくりと首を振った。

「残念だが、今のところはないな。その代わり、前の検査結果は出ているぞ」

 検査結果というフレーズに、ルークの表情は強ばる。

「どうだった?」

 酷く深刻な様子で、ルークはそう尋ねる。検査というのは、ルークの身体についてのものである。ルークは自分が魔術が使えない体質だと思っていたのだが、最近になって自分の体質がおかしいことに気付いてきたのだ。そこで一週間前にジェイクの診察を受け、ようやくその結果が出てきたというのだった。

「結論から言うと、君は魔導不能力者じゃない。診たところ、精気も君に反応したからね。それに何より君が魔術の構成を読みとっている。魔導不能力者にはできない芸当だよ」

 魔導不能力者というのは、魔術の元となる精気に対して、反応を起こさない人間のことである。魔導という技法は精気の循環によって行われる。そして精気は人の意志を伝えやすい媒体であるために、魔術士には相手がどのような魔術の術式を構成しているか、それが解るのである。

 ルークの場合、術式を構成することは出来ないが、相手の術式を読むことができるというのである。だが術式を読むことが出来る以上、ルークは確かに精気に順応していることには間違いないのだ。

「解らないが、何かが君の魔導能力を封じているのかもしれない」

「封印、ということか?」

「予測だがね」

「俺はお前と違って当てずっぽうな予測は嫌いだ」

 ルークのその一言に、ジェイクは苦笑を見せるが、それほど気にした様子もなく話を続けてきた。

「とにかくだ。一度暴走のようなものも見せているわけだし、気を付けるに越したことはない。魔導能力の暴走は、自らを滅ぼすからな」

 その忠告に、ルークは軽く相づちをうつ。現実味のない話だが、確かにルークは一度魔導能力の発動を見せているのだ。

(だが、どうして俺は精気を使いこなせた? 初めて使う力だったはずなのに……)

 自覚はないが、いや、自覚がないからこそ募る疑問だった。魔導能力の制御は、それこそ統率された精神が必要となる。だが、あの時ルークは不安定な精神だったのにも関わらず、力を操っていたのだ。もっとも、使いこなしていたというレベルではないが、それでも圧倒的であることには違いなかった。

(まぁ、出せるか出せないか解らないような力をあてにしても意味がないな)

 気になることではあったが、そう強く思い、ルークは頭の中からその考えを消した。

 そして丁度その頃、ジェチナの別の場所では、事件が再び幕を開こうとしていた。



<Back to a chapter /Novel-Room /Go to next chapter>