リニアの日記

第四章 闇の領主
〜Request〜


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 戦いが楽しいと思うようになったのはつい最近のことだ。

 黒髪の青年は、そんなことを考えながら、迫り来る女の刃を、それが握られている彼女の右腕を掴み、静かに受け流す。

 そして彼はそのまま一歩前に踏み出すと、すぅっと一呼吸だけして、身体に巡った力を右腕に集めた。次の瞬間、彼はそれを瞬発に変え、右腕を一気に彼女の腹部に向けて突き出した。

「ぐぅっ」

 刹那、女は苦悶の声を揚げた。青年の拳は彼女の腹を捉えていたのである。闘気という、絶大な破壊力を有した力は込められていないが、それを筋肉の瞬発に用いたために、その威力は通常の一撃よりも速く、強いものとなっていた。

 だが女もいくらかの経験を積んだ戦士である。瞬時に腹部に闘気を巡られていたために、それほど致命的なダメージにはなってはいなかった。もし少しでも反応が遅れていれば、彼女の内蔵は酷い被害を受けていただろう。

(冗談じゃないわよ、全く)

 心中でそう呻きながら、女はぐったりと青年の肩にもたれかかった。確かに防御はしたものの、彼女が大きな打撃を受けたことには代わりはなかったのだ。闘気の防御を貫くほど、青年が繰り出した一撃は強力なものだったのである。

 それはともかく――

「ルーク、貴方ねぇ、少しくらい手加減しなさいよ!」

 ようやく痛みも収まってきたところで、女は顔を上げ、目の前の男に向かって怒鳴りつけた。ルークと呼ばれた男は意外そうに表情を驚きのものに変え、その黒い瞳を青い彼女のそれに向ける。

「手加減は十分している。ヴァイスやバルクなら簡単に避けるぞ」

「私を貴方達みたいな化け物と一緒にしないで頂戴っ!」

「レイシャ、それは結構酷いよ」

 くすくすと笑いながら、二人のやり取りに入ってきたのは、幼い少女の声だった。その声にレイシャと呼ばれた女は少女の方を振り向く。

 見ると、そこには赤い瞳の少女がいた。リニア=パーウェル。それが彼女の名だ。

 歳は確か九歳だと聞いている。面立ちはどことなく大人びた雰囲気を見せるが、身体は年齢の割りには小柄な方だろう。短く切りそろえられた黒髪は、数週間前に目の前の青年――ルークによって整えられたものだ。

 レイシャがそんな事を考えている間に、リニアは、それまで座っていた椅子から立ち上がり、家の中からレイシャ達のいる、弧扇亭の裏庭にまで出てくる。

 彼女はにこにこと明るく微笑んでいた。

「いくらなんでも化け物、はねぇ。せめて奇人くらいにしておかないと」

 リニアはにこやかな表情で、何の悪気もなくそう言い放った。彼女にしてみれば、人である分、幾分かましだということなのだろうが、聞いている二人にはそう聞こえなかったらしい。

「リニア、それ、あんまり変わってないわよ」

 レイシャは更に「意味の取り方によっては酷くなってる」と付け加えた。

「え? 嘘?」

 赤い瞳を大きく開き、驚きながらリニアはそう呟くと、慌てながら「ごめんなさいっ」とルークに謝る。ルークはその様子に苦笑をしながら、「気にするな」とだけ答えた。

「まったく、リニアには甘いのよね」

 レイシャは呆れたようにそう呟くと、一度だけ溜息をついて、ルークに対し言葉を続ける。

「でも実際、自分の力が脅威的だって事は自覚して欲しいわよね。私が知る中では、貴方と互角に戦えるのはヴァイスとバルクくらいのものよ」

「それは違うな」

 まるで暗記しているかのような、流れるような口調のレイシャの言葉を中断したのは、彼女にとっては聞き慣れた男の声だった。

(珍客だな)

 その声にルークは一瞬だけ眉をひそめた。それはレイシャも同じだったらしく、彼女は言葉を遮られたことに苛立ちを見せながら、その男を見た。

「何よ、仕事じゃなかったの? ヴァイス」

 そこにいたのは、黒い包帯のようなもので顔を覆っている男だった。場とは異質な空気を纏い、他人を近づけさせないような雰囲気を持った男、ヴァイス=セルクロード、それが彼の名だ。

 ヴァイスはルークの方を流す程度に見ると、すぐにレイシャに視線を移す。彼女は酷くあからさまに不機嫌そうな顔をしながら、ヴァイスを睨み付けていた。

「進行中だ。ここに来たのもそのためだ」

 彼はあしらうように彼女にそう言うと、再びルークに視線を戻す。レイシャはそれを無視されたとでもとったのか、ふんっと鼻で息をし、顔を横に振って視界からヴァイスを消した。

 レイシャが機嫌を損ねるのはそれほど珍しいことではない。それに、彼女が不機嫌な理由もルークは知っていた。ルークも彼女のことは気にせずに、自分に視線を移したヴァイスに対応する。

「俺に何か用か?」

 ルークは落ち着いた様子でヴァイスにそう言うと、ちらりとリニアを見る。横では、彼女も不思議そうにヴァイスの方を見ていた。レイシャが機嫌を損ねることよりも、ヴァイスが訪れることの方が稀なのだから、当然と言えば当然だろう。

「ルーク=ライナス、君に、仕事を依頼したい」

 不意にヴァイスの口から出た言葉は、酷く意外なものだった。正式にはエピィデミックにもギルドにも所属していないルークにとって、それは特別意外なことでもない。事実、彼は弧扇亭に来た頃は、エピィデミック幹部、ジェイク=コーレンの依頼を受けていたのだ。だが、それがヴァイスからとなると、意外としか言いようがなかった。

「お前が、俺に? ギルドからの指令なのか?」

「いや、ギルドとは関係がない。個人的な依頼だ」

 その答えに、ルークは一層顔をしかめた。そして彼よりも酷く高揚した姿を見せたのは、レイシャだった。

「どういうことよっ! 今回の事件から私を引かせておいて、ギルドとは関係のないルークに仕事を依頼するわけ?」

 彼女は突然そう怒鳴り声を揚げると、庭に置いてあった丸いテーブルをバンっと叩いた。そうなのだ、ギルドは今、とある事件に対して調査員を派遣しており、ヴァイスもその中の一人だったのだ。彼女が気にくわないのはそこだ。

 レイシャは普段は弧扇亭のウエイトレスとしているが、彼女はあくまでジェチナアサシンギルドの戦士であり、事実上唯一のヴァイスのパートナーなのだ。だが今回彼女は仕事から外されていたのである。プライドの高い彼女にとって、それは屈辱だった。

 ヴァイスは、彼女のあまりの興奮に、何か言葉を返そうとするが、その前に、澄んだ女の声がそれを制した。

「まぁまぁ、お茶が入りましたし、取りあえずお店の中で話をされてはどうです? 私の持論ですけど、ぽかぽかしたところで話をすると、頭もぽかぽかしますよ」

 お茶が乗せてある銀色のトレイを持って、庭にいる一同にそう言ったのは弧扇亭のウエイトレスの一人であるディーアだった。

 彼女は四ヶ月前、レイシャと同時期に弧扇亭で働くようになった女だ。彼女の持論は相変わらず意味が解らなかったが、この四ヶ月で一同はそれに慣れていたし、レイシャの興奮を鎮める方が先だと考え、一同はディーアの提案に平然と同意をした。



「それで、俺に何を依頼したいんだ?」

 人気のない弧扇亭の中で、ルークはテーブルの対面に座ったヴァイスにそう尋ねた。時刻は昼頃で、普段ならば客で賑わっている時間なのだが、この一週間ほどジェチナでは警戒態勢が敷かれており、弧扇亭も休業させられていた。

 そういった意味もあり、仕事の依頼は特に迷惑でもないのだが、それがヴァイスからとなると訝しげにならざるをえない。彼が人に頼み事をするのだ。一筋縄でいく仕事であるはずがない。

 ヴァイスは隣のテーブルで、ふてくされたようにそっぽを向きながら座っているレイシャをしばらく眺めていたが、小さく溜息をつくと、ルークに三度視線を戻した。

「今、ジェチナで起こっている事件については、知っているな」

「ああ」

 知らないはずがない。その事件のせいで、ジェチナには警戒態勢が敷かれ、弧扇亭は休業中なのだ。それに加え、バルクとジェフ、ハムスもギルドの調査隊に駆り出されている。

 それにはギルドだけでなく、エピィデミックも参加しているという話で、ジェシカやカイラスが最近、弧扇亭に来れないのもそのためだった。

「若い女だけを狙った変死事件なのだろう?」

 若い女を狙った事件ということで、レイシャは仕事から外されているのだが、それはともかく、その事件についてはルークはジェイクから色々と相談を受けていた。

「まさか俺にその調査隊に加われって言うんじゃないだろうな」

 それは冗談混じりではあったが、ジェイクに言われた一言だった。もっとも、ルーク=ライナスという人間はエピィデミックにも、アサシンギルドにも名を連ねていない。組織性のない人間が、組織的な捜査の場に加わったとしても、邪魔になるだけという理由で、ルークはそれを断ったのだ。ジェイクもそれは解っていたらしく、その時は冗談ですんだのだが……。

「そうだ。俺のパートナーとして、調査に加わって欲しい」

 ヴァイスはあっさりとそう答えたのだ。ルークは思わず驚愕の表情を彼に見せた。エピィデミックならまだしも、ギルドにそれを正式に依頼されるとは思わなかったのである。

 ジェイクとの話も、彼がエピィデミックという組織を通じて依頼してきたのならば、おそらくルークはそれを引き受けていただろう。だが一時期は敵対していたときもあるギルドから、よもやそんな依頼を受けるとは思っていなかったのである。しかも、ヴァイスのパートナーとしてだ。驚くなという方が無理な話だろう。

 だがそれよりも、明確に感情を見せたのは――レイシャだった。

「ふ、ふざけるんじゃないわよっ! 何でギルドとは関係のないルークをパートナーにするのよ。貴方、自分の立場解ってるの!」

 彼女は湧き起こる怒りを抑えようともせず、そうヴァイスに向かって怒鳴りつけた。ヴァイスの立場、それは彼のジェチナでの影響力を意味している。

 ヴァイスは特別な事情がない限り、その姿を見せることはない。それはギルド内外に対し、彼を神格化させるためだ。ジェチナ人民の支持を得ているエピィデミックに対し、ギルドはヴァイスの得体の知れない強さと、バルクの明確な強さを以て人心を掴んだのだ。

 この質の違う、双頭の戦士の存在によって、ギルドはジェチナ最大の治安維持機関としての権威を掌握しているのである。

 そして、ヴァイスの存在は、もう一つジェチナにとって重要な意味を持っていた。それはアサシンギルド内部の監視である。他のメンバーとの接触を可能な限り断つことで、ヴァイスはその強さの神格化を進め、さらにジェチナ内部でも脅威になったのである。ギルドに絶対の忠誠を誓う彼が誰であるか解らないということで、ギルド内部の裏切りを防いだのであった。

 ともかく

「そんなこと、私が許さないわよっ!!」

 レイシャは席を立つと、ヴァイスの胸ぐらを掴んでそう言い放った。だが彼はその手を引き離すと、小さく溜息をついて言葉を返す。

「キース師の了解はとっている。それに、これはギルドからの依頼ではない。俺の、個人的な依頼だ」

「なっ」

 ヴァイスの答えに、今度はレイシャが絶句した。ヴァイスがギルドの指令を越えた事を行おうとするのは初めてのことだ。何が彼をそうさせるのかはレイシャにも解らなかったが、彼女はそのまま何も言わず、ふんっと鼻を鳴らして、不機嫌そうに調理場の方へ歩いていった。

「どういうことだ?」

 しかし、彼のその言葉に違和感を持ったのはレイシャだけではなかった。ルーク、そしてその傍らにいるリニアも、彼の言葉には驚きの表情を見せていたのだ。

 ヴァイスは正面と、右隣に座っている、兄妹のような二人を見ながら、それを答える。

「昨晩、バルクと共に事件の首謀者を追いつめ、逃げられた」

 言いにくそうに話すわけでもなく、彼はただ淡々と事実だけをルークに伝える。ルークは黙って彼の話に耳を傾けていた。

「おそらく、俺の力ではそいつを倒すことは出来ない」

「倒せない?」

 それまで黙って聞いていたルークも、その一言にはさすがに声を揚げた。仮にもヴァイスはこのジェチナの最強の戦士の一人である。彼と互角に戦うどころか、それを圧倒する戦士となると、ルークには予測が付かなかった。

「相性が悪すぎる。奴は、邪眼能力者だ」

「闇の、眷属か」

 ルークの言葉に、ヴァイスはこくりと頷いた。

「俺の邪眼能力は、奴の邪眼能力とは相性が悪い。それに、戦士としての質もな」

 昨晩の戦い、それにおいて明らかにヴァイスは相手に翻弄されていた。相手を自分のペースに持ち込んで、相手を制するのがヴァイスの戦い方だ。実際、彼の邪眼能力はそれを活かすための布石に過ぎないのだ。だが――

「奴の邪眼能力は明らかにそれ自体が戦いの質を持っているものだ。俺の能力では奴を制することは出来ない」

「ふむ」

 納得したようにルークは頷く。大方の理由は理解したが、それで何故自分がそのパートナーとして選ばれたのかはまだ解らない。

「で、どうして俺がパートナーなんだ? 部外者の俺と組むよりも、バルクとか、そういう連中と組んだ方がいいんじゃないのか?」

 それは体裁という意味も含めてだ。個人的にルークを雇うというのだから、ギルド内部からの批判も多いはずだ。それを押し切ってまで自分をパートナーに招くという意図がルークには解らなかったのである。

 ヴァイスは、落ち着いた様子でそれに答えた。

「俺とバルクでは戦いの質が違いすぎる。対集団戦には有効かも知れないが、優れた一人の戦士と戦うのには適さない。その点、レイシャからの話では、君は多くの状況に対応できる能力者ということだ」

「俺が?」

「ああ。はっきり言わせてもらえれば、今の君は俺やバルクより明らかに強い」

 きょとんとした表情をするルークに、ヴァイスははっきりとそう答えた。

「以前、俺と戦った時の君からは感じられなかった強さだ。人を殺す力ではなく、人を制する力……。それが、君の本当の能力なのだな」

 前に戦った時に、ヴァイスは違和感を感じていたのだ。ルークの技量に、彼の肉体がついていっていないような違和感、そして先程の戦いの時、ルークはその二つに見事なまでの統一感を見せていた。

「俺の目的はギルドの覇権ではない。このジェチナを護ることだ。そのために必要ならば、外部の人間の力も借りることも躊躇わない。もう一度、君に頼みたい。俺に、力を貸してくれ」

 ヴァイスの瞳には強い意志が込められていた。そんな強い視線を受け、ルークは困ったようにリニアの方に視線を移す。するとリニアはにっこりと微笑みながらこくりと小さく頷いた。

(協力してあげたら?)

 というのが彼女の言い分なのだろう。別に協力するというのが嫌なわけではないのだが、こうも真剣に頼まれると、逆にやりにくいものだ。

(でも、まぁ、俺達にとっても他人事じゃないしな)

 そう思いながら、ルークは弧扇亭の中を眺めた。自分の居る場所、居られるその場所も危険でないとはいえないのだ。

(仲間、か)

 気恥ずかしくなるようなそんな言葉を思いながら、ルークは微笑んだ。

「その仕事、引き受けよう」

 彼の言葉にヴァイスは目元を綻ばすと、すっと右手を差し出した。ルークは、それをゆっくりと握りしめた。



 ルークとヴァイスが握手を交わした頃、調理場では二人の女が昼食の用意をしていた。ディーアとレイシャである。弧扇亭従業員の昼食を作るのは彼女らの仕事だ。

「それにしても、変わりましたね、ルークさん」

 仏頂面で調理をしているレイシャに、にこにこと微笑みながらディーアがそう話しかけた。レイシャは彼女の顔を見ずに、「そうね」と素っ気なく言葉を返す。

「まだ、拗ねてるんですか?」

「べ、別に拗ねてなんかないわ」

 図星を指されて、レイシャは顔をかぁっと赤く染める。だが、すぐに彼女の表情は暗く沈んだものになった。

「解ってるのよ、この性格が、他人を不愉快にさせていることくらい。でも、治らないのよね」

 そう言って、彼女が溜息をつくと、彼女の頭にすっとディーアの手が回される。そしてディーアはそのままレイシャを抱きしめた。レイシャは座っていたので、丁度、頭を抱きしめられるような格好になったのだ。そしてディーアはまるで子供をあやすように彼女に言った。

「いいじゃないですか。少しずつでも、変わっていけば。みんな、貴女が優しい人だって解ってます。それに、ここに来た頃に比べれば、凄く丸くなりましたよ。前の貴女だったら、さっきだって引かなかったでしょう?」

「そう、かもね」

 救われるようなその言葉に、レイシャは心地よさを感じながら、ディーアの胸に顔をうずめる。

「私がここに来て、皆さん、凄く変わっていってます。きっと、それは成長ですよ。それが良いことなのか、悪いことなのか、それを決めるのは結局は自分なんです。どうせなら、良い方に変わってみましょうよ」

 そう言って、ディーアはレイシャの頭をゆっくりと、優しく撫でた。レイシャは早くに母親を失い、母親の温もりの記憶はないが、ディーアの抱擁を、彼女は酷く懐かしいと感じていた。

 しばらくして、ディーアはレイシャを解放すると、にっこりと微笑んで彼女に言った。

「さ、早くお料理作りましょう。きっと、皆さんお腹を空かせてます」

「そうね」

 レイシャは、ディーアにつられるように暖かい微笑みを浮かべると、調理の手を再開した。



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