リニアの日記

第四章 闇の領主
〜Strange case of murder〜


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 夜はジェチナにとっては聖域と同じものだ。確かに四ヶ月ほど前に行われた故神祭のイベント以来、ジェチナの夜も変わりつつはあった。

 変革の時――。あえていうのならばそういうのだろう。

 だが、その安息を破ることは誰にも許されない。住民の安息……、この地の掟は姿を変えつつはあるが、その掟の原点は未だ変わっているわけではないのだ。それが掟が暗黙の中で作られた理由であり、そして意義でもあった。



「いい加減に観念するのだな」

 聖域の静寂の中に、澄んだ男の声が響きわたった。声の主は黒い装束を身に纏った男だ。

 ヴァイス=セルクロード、このジェチナで彼を知らない者はいない。顔を漆黒の布で覆い、ジェチナアサシンギルドの切り札として恐れられるその男は、あまりにも有名である。

 だがその素性を知る者はおらず、その本質を掴んでいる人間がいるのすらかも解ってはいない。アサシンギルドにおいて、本当の意味で唯一のアサシン。それが彼だった。

 彼はジェチナの一角にある袋小路にいた。そしてその黒い双眸が見つめる先には黒いマントに身を包んだ男が立っている。大陸の住人にしては珍しくもない、黒髪に黒い瞳。何の変哲もなく、体つきはそれほど良くはないが、明らかに彼は異質な雰囲気を放っていた。

 そしてそれはヴァイスも同様だった。明らかに戦闘態勢に入っていたのである。ヴァイスは、獲物を追いつめていたのだ。

「1ヶ月前から、この街の娘を襲っていたのは貴様だな」

 強い威圧感を声に込め、ヴァイスはそう言い放った。彼の黒い瞳に込められたのは、明らかに敵対の意である。彼は静かに右手に握っている、青い刀身の小刀に、闘気という名の力を込める。

 事の始まりは1ヶ月前だった。ある日、ジェチナ南部の民家で、若い娘の変死体が発見されたのだ。

 初め、誰もそれが死体であるとは気付かなかった。それも仕方がなかったろう。彼女は、まるで時を止められたように、空虚な眼差しをしながら倒れていたのだから。

 外傷はなく、あえていうのなら、首元に二つの針穴のような傷だけがつけられていた。だがそこからは出血はしておらず、結局その時は死因が解らなかったのである。後で医者に見せたところ、ようやく死因が出血多量だということが解ったのだ。

 そしてそんな死体がこの1ヶ月の間に5人分も発見され、ついには、ギルドの切り札であるヴァイスがその調査に乗り出したのだ。

 そんな中で見つけだしたのが、この男だった。

「君は、桜は好きかね?」

 突然男から投げかけられた言葉を、ヴァイスは相手にしなかった。だがそれを気にする様子もなく、男は淡々と言葉を連ねていく。

「私は好きでね。だが、ただ桜を見るのでは少し趣が足りないと思ってね。だから仕方がないだろう? どうしても余興が欲しかったんだ」

 余興。その一言にヴァイスはぴくりと眉を動かす。そして彼の瞳には明らかに怒りの炎が籠もった。

 同時に次第に彼の周りには、普通では有り得ない、異質な空気が収束していく。

「下衆が」

 その言葉に紡がれるように、ヴァイスの目の前には、パキパキと乾いた音を立てながら、無数のつららが出現した。そしてそれらは徐々に男の方めがけて加速していく。

「ほう。君は、眷属の者か」

 だがその男は、目の前の光景に驚くことはなく、そして慌てることもなくそれを避けると、皮肉を込めたように、ふっ、と鼻で笑った。

「だが、気付かなかったのか? 追いつめられたのは君だよ」

 そう言った男の瞳に、漆黒の闇が宿った。そして場にはもう一つ異質な重圧感が広がる。それが何であるか、それが解らないヴァイスではなかった。なにせ、その力はヴァイスが持つそれと同じ力なのだから――

 不意に、ヴァイスは背後に不気味な気配が生じる。しかもそれはひとつではない。瞬時の感覚では、その数が5、6程度だということを感じるのが限界だった

「ちぃっ」

 後ろから襲いかかってくる何かに対応すべく、ヴァイスは手に冷気を収束させる。冷気は周囲の水分を巻き込みながら、ヴァイスの左腕を軸につららのように固まる。が――

「なっ」

 迫ってくる影にヴァイスは絶句する。それは全て女――、しかも生きているはずのない、変死体で見付かった女達だった。

 その表情は真っ青で、まさに生気がなく、だがその瞳にだけは異常な光が宿っている。

邪眼か……。だがっ)

 人間を甦らせることなど、邪眼の能力をもってしても不可能だ。もっとも、彼女らの状態が生きているといえればの話だが。

「ぐっ」

 ヴァイスの右腕から、赤い鮮血が流れる。女の一人が持っていた短刀が、ヴァイスのそれを貫いたのだ。

 一瞬の躊躇い、それがなければそれを制することができただろう。それも彼女たちを傷つけずにだ。そして彼女らがこの街の女でなかったのなら、ヴァイスは躊躇わなかったに違いない。だが、彼にはそれが出来なかったのだ。

(躊躇うな。彼女たちはもう死んでいるんだ!)

 そう自分に言い聞かせ、彼は平常心を取り戻そうとする。だが――

「その娘達を傷つけない方がいい。彼女たちはまだ生きているぞ」

 男が言ったその言葉に、再びヴァイスの動きは鈍る。そして男は懐から尖った白い物体を取り出すと、きざな笑みを浮かべながらヴァイスに言った。

「このブラッディトゥースの力でな。彼女たちの身体の中には特殊な精気が宿っている。それはこの魔導器に反応するもので、その影響によって私の命に従っているのだ」

 実際にそんな事が可能なのか……。そんな疑問がヴァイスの脳裏に浮かぶが、確かに彼女たちについて疑問であったことが一つあったのだ。

 彼女たちは大量の血が抜かれ、脈がなかったにも関わらず、死体が綺麗すぎたのだ。まるで生きているように……。それによって彼女らの身体は解剖されなかったのだが、何日たっても彼女らの身体が腐食する気配を見せなかったのである。

 それがもし何らかの、未知なる魔術だったのだとしたら……、疑問には決着がつく。

「それと、彼女たちに残留している精気は、当然のことながら時間が経つにつれ失われていく。もちろん激しく動けば消費量はそれに比例するから、娘達のことを思うのなら、大人しく死んでやるのだな」

 男の言葉に、ギリッとヴァイスは歯ぎしりをする。男はヴァイスの弱点を見切っていたのだ。『ジェチナの住民に手を出せない』それがヴァイスの弱点だった。

 ヴァイスが戸惑っている間にも、女達はヴァイスをじりじりと囲んでいった。

 絶体絶命というしかないだろう。『敵』に対しては脅威的な能力を示す彼も、『護るべき者』である彼女たちには無力だったのである。

 そして女達がヴァイスに襲いかかろうとした瞬間、場の状況はいきなり変化を見せた。

 ドガァァッ

 突然、ヴァイスの目の前に上空から一人の人間が落ちてくると、彼は地面を穿ったのだ。そしてその時に生じた力の場によって、女達は弾き飛ばされる。

「何やってるんだ。ヴァイス」

「バルクか」

 ヴァイスの前に現れたのは、ジェチナアサシンギルドに置いてヴァイスと双頭を成す戦士、バルクだった。彼もまた、今回の事件の解明班として加わっていたのである。

「こんな人形みたいな連中相手に、何を手こずってやがる。最近戦ってなかったから不抜けたか?」

「貴様と一緒にするな」

「んだとっ!」

 ヴァイスの一言に、バルクは怒鳴ろうとするが、ヴァイスの真剣な表情によってそれは止められる。

「で、何なんだ? あの女達は」

 まるで人形のように無表情のままむくりと立ち上がる女達を見て、バルクは気持ち悪い物を見るように、顔をしかめながら尋ねる。

「例の事件の被害者だ。皆、あの男に操られている」

「んなのぶっ倒していけばいいじゃねぇか」

「それは出来ない。生きている以上、彼女らは俺達が護るべき者だ。それを無視するのなら、ギルドの人間であろうと排除する」

 それはバルクも含めてのことだ。バルクはそんな、ヴァイスに顔を更にしかめた。

「ったく、面倒くさい野郎だな。てめぇの命の方が優先だろうが」

「ならば、貴様にそれが出来るのか?」

 そう言葉を返され、バルクは言葉を詰まらせる。彼にも護るべき者がいる。バルクがギルドにいる理由は、対象こそ異なるが、ヴァイスと同じなのだ。

「解ったよ。ったく」

 痛いところをつかれ、酷く不機嫌そうにバルクはそう答えると、彼は言葉を続ける。

「じゃあ、邪眼ででも連中の動きを封じろよ」

「無理だ。心のない者には邪眼の魅惑は通じない」

「使えるのか使えねぇのか解らねぇ力だな」

 三度顔をしかめながらバルクはそう呻くが、彼は何処かで高揚感のようなものも感じていた。こうしてヴァイスと共に戦うのは、三年前のブラッディファングとの抗争以来だ。あの頃はお互い無名だった。だがいつの間にか彼らはジェチナの筆頭戦士と呼ばれるほどになっている。

「とにかく、あのすました野郎をぶちのめせばいいんだろう? 俺とお前が組めば、そんなに難しい話じゃないぜ」

 『ジェチナ』を護るために戦っているヴァイスに、『他のもの』を護っているバルク。組織は同じとは言え、全く異なるものを護るために戦っている二人が、共に戦うという運命を酷くおかしく感じながら、バルクはヴァイスにそう言った。

「そうだな」

 ヴァイスは否定せずにそう返すと、黒マントの男に向けて視線を戻す。そこでは変わらず、男が不敵な笑みを浮かべている。

 二人は、ゆっくりと戦闘態勢に入った。


 先に動いたのはヴァイスだった。彼は懐から数本の青い小刀を取り出すと、それに淡い光――闘気を込め、腕を水平に振る。刹那、小刀は凄まじい速度を以て、男に吸い込まれるように直進していく。女達はそれを遮ろうと動くが、彼女らが動き始めたときには既にそれは男がいた場所へと届いていた。

 しかし、男はそれに反応していた。小刀が届くよりも先に、彼は右手を差し出すと、その場に空気の盾を形成していた。

 邪眼――、ヴァイスは彼のその力が、自分と同質のものであることを悟っていた。発動言語、すなわち魔術の名を必要としないのは魔導器の力を必要としないためだ。人の力では、それを行うのはほとんど不可能に近い。

(ちぃっ)

 自分の攻撃が通じなかったことに、ないしん舌打ちをするが、一方で彼は自分の役目を終えていたことにも満足していた。

 ヴァイスの攻撃と同時に、バルクが動いていたのである。バルクはヴァイスの攻撃に反応した敵の視界に入らぬように上空に跳び、そこで腕に闘気を込めていたのである。もちろん相手に防御をとらせる時間を与える気など毛頭ないが、仮に敵が反応したとしても、彼の渾身の力を込めた一撃は、並の魔術の防御など容易くうち砕くことができるものだ。

「もらったあっ!」

 バルクは完全に男を捉え、男の顔面に拳を放つ。しかしそれが直撃する瞬間、男の身体は突然霞のように朧になり、弾ける。

「なっ!」

 バルクは驚きの声を揚げると、そのまま彼の拳は地面を穿った。

「上だっ!」

 ヴァイスの声がバルクの耳にはいるのと同時に、彼の身体には烈風の刃が降りかかる。バルクは全身に闘気を巡らせると、上を見上げ、両腕を目の前で交差させてそれに備える。刹那、バルクの腕には激しい痛みが走った。

 一方、ヴァイスは男の姿が消えるのと同時に、彼の姿を探していた。そして、それは途端に収束し始めた精気の流動によってすぐに見つける。バルクの真上、横にそびえ立つ家の屋根の上にに男はいた。

 おそらくはそれまでヴァイス達が対峙していたのは、邪眼の力で作り出された幻影だったのだろう。しかも、魔術を発動させることすらも出来るような。

(それほどの能力者……。冥貴族か)

 不意に、ヴァイスの頭にそんな考えが浮かぶ。もし彼の予測が当たっているとすれば、それこそ冗談ではない話になる。

 ヴァイスは、周りにいる女達にも気を配りながら、男に目をやる。目で確認したわけではないが、バルクも魔術に耐えきり、敵に意識を移しているようだ。

 明らかに男の方が優位だった。単純なバルクだけでなく、ヴァイスまでも相手に翻弄されているのだ。さらに二人は両脇を家で封じられた状態にいるのだ。今、バルクが受けたような攻撃を連射されれば、彼らの敗北は明らかだ。

 だが優位であるはずの男は意外な台詞を吐いた。

「何者かは知らないが、確かに君達二人を相手にするのは骨が折れそうだ。それに、ようやく人形がこれだけ集まったのだ。なるべくなら無傷で残しておきたい」

 男は、そう言うとそのまま二人に背を向ける。

「野郎、逃がすかっ!」

 そうバルクが呻くが、バルクの身長の3倍はある高さを跳躍することなど不可能に近い。加えて、男が去った後、彼に操られていた女達が、まるで糸が切れた操り人形のようにその場に倒れていった事で、男を追うどころではなくなってしまったのだ。

 他のギルドの人間を呼び、取りあえず一通り事が落ち着いたところで、ヴァイスは懸念を覚えていた。

冥貴族、本当にあの男がそうならば、俺の力では足りない)

 ヴァイスのそんな不安に呼び寄せられるように、ジェチナには、再び風が吹こうとしていた。



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