第三章 許されざる罪
〜Past〜
夜が明けるのを弧扇亭で待っている者達がいた。数は四人。彼らは正方形のテーブルの前にそれぞれ座り、何か難しそうな表情を浮かべている。ただ一人、長い黒髪をなびかせた長身の女だけがにこにこと微笑んでいるのが、その対面に座っている褐色の肌の少女には気にくわなかった。 「何吹き込んだのか知らないけど、本当に大丈夫なの?」 褐色の肌の少女――ジェシカの苛立ちの代弁をするように、彼女の左側に座っていた金髪の少女が口を開く。もちろんその言葉は長身の女に対して放たれたものだ。 「レイシャさん、それは私にも解らないですよ。結局は本人同士の問題ですし」 彼女はそう言うと、テーブルの上に置いてあったティーカップをとり、それを口に持っていく。紅茶の芳醇な香りが辺りに漂うが、機嫌を損ねているジェシカにとっては、それすらかんに障る物でしかなかった。苛ついているときの彼女は、何もかもが気に入らなくなるのだ。 「どういうつもりよ」 ついには我慢ができなくなったのだろう。ジェシカはバンッとテーブルを両手で叩くと、キッとそれでも表情を変えない彼女、ディーアに向かって怒鳴りつける。 「どうしたんです? ジェシカちゃん」 ディーアはティーカップを持ったまま、ジェシカに変わらない笑顔を見せる。もちろんそれが更に彼女の苛立ちを高まらせたのは言うまでもないことだった。彼女にしてみれば馬鹿にされているようにしか思えないのだろう。それにこれは前々からなのだが、自分だけがちゃんと呼ばれるのは、ひどく気に入らない。 「どうして貴女はそんな無責任なことをするのっ!!」 とりあえず後者の話は置いておいて、ジェシカは敵意を露わにしたまま彼女の顔を見る。 「無責任、ですか?」 それがさも意外な言葉であるように、ディーアは驚くように大きく目を見開いた。どうでもいいことだが、まだ数日の付き合いの、ディーアの瞳をこれほどはっきりと見たのは初めてだった。 「もしかしてリニアさんをルークさんの所に行かせたことを言っているんですか?」 彼女はしばらく顔をしかめ、本気で悩みながら、ようやく思いついたようだ。それでもディーアの顔から驚きは消えていない。 「無責任ですかねぇ」 「無責任よ」 ディーアの問に間髪入れず答えが返ってくる。 「だってそうじゃない。責任も何も持てない人間が、傷つくかも知れないと解っていて行かせたのよ。無責任じゃ無いって言うなら、何て言うのよ」 「よせジェシカ」 明らかに過剰な興奮を見せているジェシカに、諫めるようにカイラスが口を挟む。だがジェシカは止まらなかった。キッとカイラスを睨み付けると、彼に向かって怒鳴りつけた。 「あんただってレーナが苦しむのが解っていたら怒るでしょう! 私にとってリニアは妹も同然よっ!!」 妹の名前を出されては、カイラスはそれ以上何も言うことが出来なかった。カイラスにとって妹は残された唯一の肉親でもあるのだ。何にも代え難い存在であるのは確かである。そしてジェシカがリニアに対して同じ思いを抱いているのなら・・・・・・。そう思うとカイラスは他に何も言うことが出来なかった。 「私はあの子が苦しむのを見たくないのよ。大切な人を失って、傷つく姿を・・・・・・」 彼女の脳裏には、幼い自分の姿が浮かんでいた。両親や、友人を失った時の自分の姿。それと同じ思いを、リニアにさせたくなかったのである。 「それは、私も同じですよ」 カイラスの代わりに、そう答えたはディーアだった。彼女は変わらず微笑んでいた。 「多分、リニアさんは強いですから、今を耐えれると思います。時間さえあれば自分で答えを出せるとも」 時間さえあれば・・・・・・。その言葉がジェシカには妙に引っかかる。 「でも、ルークさんは、今を耐えれるでしょうか?」 「え?」 驚きの声をあげたのは、ジェシカだけではなかった。もう一人、カイラスの顔もひどく驚いた物を見るような物に変わっている。 知り合って日の浅いレイシャはともかく、もう付き合いが一年ほどになるジェシカやカイラスには、その言葉は意外だったのだ。 「る、ルークが、壊れるとでも言うの?」 戸惑うように、ジェシカは言葉を吐いた。疑いもしなかった。彼の心が崩れることなど。自分たちが理不尽な関わり方をする時以外は、彼は常に平静であろうとしていたのだ。そんな強い心を持った彼が壊れる様など、思うはずがない。 (でも――) 考えられないことではなかったはずだ。現に、リニアを救いに来た時の彼は、非常に不安定だった。あの時のことは気を失いかけて、ほとんど覚えていないが、その様子だけはジェシカの頭に強く刻まれている。 「私はルークさんのことを良く知りませんから何とも言えませんけど、私の知っている子に良く似ているんですよ。本当は凄く傷つきやすいのに、それが許せないためにそれを隠そうとする。そんなことをすれば、傷がどんどん広がって行くだけなのに・・・・・・」 そう言ったときの彼女の顔は、僅かではあるが曇っていたようにジェシカの瞳には映った。 言い終わると、ディーアは冷めかけた紅茶を飲み干す。その時にはジェシカには、ディーアに言えることがなかった。
「・・・・・・」 廃墟の中は、沈黙に包まれていた。毛布にくるまりながら、リニアとルークが廃墟の壁に寄りかかっている。 リニアはその場所をジェイクから聞き出し、ここに来たのだ。それからずっとこの状況は続いている。 毛布があるとはいえ、冬の夜にを越すには十分とはいえない防寒手段ではある。だが、ルークが側に寄っているためだろう。リニアにはそれが苦にはならなかった。むしろ苦になるのは、勝手にルークを追ってきたことで、彼に不快な思いをさせていないかということだけだ。 「ごめんね」 「どうして謝る」 「だって、本当は一人でいたかったんでしょう?」 不思議そうに聞き返してきたルークに、リニアはそう言葉を返す。だが向き合ったルークの瞳は脆く、ひどく頼りなさそうだった。本当に一人にしておいていいのか・・・・・・。と、そんな疑問が湧くほどに。 そしてそれを肯定するように、彼は小さくそれに答えた。 「いや。自分で勝手に出ていって身勝手な言い分なんだが・・・・・・。リニアが来てくれて、凄く安心している。ありがとう」 意外なルークの言葉に、リニアの頬が、ぽぅっと赤く染まる。彼の心を自分が埋めていることは、彼女自身自覚していた。だがこうもはっきりと、それを思わせるような言葉を彼の口から聞くのは初めてのことだ。嬉しさが込み上がってくるのを強く感じる。 だがそれと同等の危惧を彼女は抱いていた。今の彼は、あまりに脆い存在であるようにリニアの目には映ったのだ。触れるだけで崩れ去ってしまうような、そんな不安さえおぼえる。リニアは、きゅっと自分の身体を覆っている毛布を掴む。不安を少しでも紛らわすように。 「すまない」 「え?」 唐突なルークの台詞に、今度はリニアが疑問の声をあげる。それがリニアに心配を掛けたことに対する詫びの言葉だというのはすぐに解ったことだった。リニアの不安を読みとったのだろう。こういうことにルークは敏感だ。 「本当は、もう少し心配を掛けないように出て来るつもりだった。でもそれだけの余裕がなかったんだ」 余裕。それが何の余裕と言われれば、当然ながらルークの精神的な余裕をさすのだろう。だがリニアが知りたいのはその先のことだ。どうして彼がこんなにも心を乱しているのか、それが彼女には気になっているのだ。 もうそれを我慢することは、リニアには出来なかった。 「どうして、突然いなくなったの?」 責めるわけではなく、懇願するようにリニアはその言葉を吐いた。それがかえってルークを苦しめることも彼女には解っている。 だが自滅を待っているようなこの状況を変えられるのならば、それでも良いと思ったのだ。 きっと彼の心の傷口にある異物さえ取り除くことができれば、時間がきっとルークを癒してくれる。自分が、この街で癒されたように。それがリニアの想いだった。 例えそれでルークが自分を嫌悪するようなことがあっても、そして彼を失うようなことになっても、あの痛みを彼に抱き続かせるよりはましだと考えたのだ。 それがリニアがディーアとの会話で得た決意だった。 同じ痛みを知る者だから解る苦しみ。リニアはルークをそれから解放したかったのである。 だがリニアの強い決意を余所に、その答えはすぐに彼自身の口からこぼれた。 「今日は俺の母親の命日なんだ」 おそらく、それを打ち明けたのは罪滅ぼしという意味も含められていたのだろう。聞き分けの良いリニアがここに来たということで、彼女がどれほど心配していたかというのはルークにも解っていたはずだ。 そして、もしかしたらルーク自身、誰かに話したかったのかもしれない。リニアがルークにそうしたように。 「御母様?」 「ああ。俺を、女手一つで育ててくれた人だ。誰よりも、護りたい人だった。そして、」 一度言葉を躊躇った後、彼は苦汁を舐めるような、ひどく辛そうな様子で、彼は言葉を続けた。 「俺が誰よりも苦しめた人だ」 リニアは、何も言わなかった。ただ、ぎゅっとルークの手を握りしめて、彼の次の言葉を待った。ルークの手は、リニアのそれを強く握り返してくる。彼が苦しんでいる証拠でもあった。 だがしばらくして落ち着いたのだろう。ルークはゆっくりとではあるが、確かに自分の過去を言葉で紡ぎ始めた。
ラインティナは戦時、古代遺跡であり、龍帝の居城であったノーザンキャッスルから放たれた『神の裁き』と呼ばれる光によって街の8割が崩壊したのである。 更にその街は国力の低下した国からも見捨てられ、ジェチナと同じように混迷の危機を迎えたのだ。だがラインティナはジェチナとは異なり、混迷の道は歩まなかった。当時ジェチナに滞在していた輝神教団の司教が、生き残った街の人間に呼びかけ、街を復興させたのである。 そして、ルークはそんな街の中で生まれたのだ。
そんな事情や、更に母親がルークを溺愛したこともあるのだろう。ルークにとって母親が何物にも代え難い大切な存在になったのは、当然のことだったのかもしれない。 だが、その母親も身体を壊し、ついには勘当されたはずの生家に身を委ねることになったのである。元々、身体の強い人ではなかったのだ。 しかし身体を壊して戻った母親はともかく、誰の子かも解らないルークへの風当たりが良いはずはなかった。 またルークは気付いていたのだ。母親が自分に消えた父親の姿を見ていたことに。ルークは母親を置いて街から消えた父親が嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。母親が、そんな男の面影を自分に見ていたことは、苦痛でしかなかった。 ルークはそんな二つの苦しみの中で、次第に心を壊していったのである。 だがそれでも構わなかった。最愛の母親さえ、微笑んでいてくれたのなら、幸せでいてくれたのなら、それで良かったのである。どんなに心が壊れても、母親の前では笑顔でいたつもりだった。美味しい物を食べさせようと、料理の勉強までした。 でも―― 心の何処かで、彼は恨んでいたのである。最も憎い、あの男の面影を自分に映している母親を。自分をこの家に縛り付けている、母親を。 いつでもその呪縛から逃れることはできた。でも彼にはそれが出来なかったのだ。誰よりもあの人を大切に想っていたから。その場所から逃げ出せば、あの男と同じになると解っていたから。ルークは心を壊すしなかったのである。 それでも、母親が笑っていてくれることだけが彼の支えであった。しかし13度目の、ルークの誕生日に、あの人は逝ったのである。愛していた息子の名を呼び、彼の頬に細くなった手を当て、そして最後に『ごめんね』とだけ言い残して。 それまでの想いが、全て打ち崩されたような気がした。彼女は気付いていたのだ。ルークが隠し続けてきた想いに。 彼女は笑ってなどいなかった。ずっと苦しみ続けていたのである。愛していた息子の心を壊していたという、自身の罪に悩み続けていたのだ。 あの男と同じにだけはなるつもりはなかった。だが結局は彼も母親の心を傷つけていただけなのである。 それに気付いたとき、ルークの心の中で何かが弾けた。そして彼はラインティナを出たのである。自分自身が許すことの出来ない罪を背負って。 そして数年の後、ルークはジェチナに辿り着いたのである。
ルークの右手は、血で滲んでいた。あまりに強く握りしめたためだ。現にリニアの手を掴んでいる左手にも、かなり強い力が込められている。 「そんなことない」 リニアはその左手を強く握り返すと、強い意志を込めた声でそう答えた。 「ルークは、ずっと御母様の側にいたんでしょう? きっと、幸せだったはずよ。どんなに辛くても、ルークがそうであったように、御母様はきっと本当に笑っていたのよ」 「だが、あの男と同じ血を引いているということにはかわりがない」 結局の根底には、それがあったのだ。ずっと許せなかった。自分の中に、母親を苦しめた血が混じっていることが。 その言葉を聞き、リニアは押し黙ってしまう。しかし何か意を決したように目を見開くと、ルークの正面にまわり、彼の瞳を見つめる。 「じゃあ、私も許されることはないの?」 「リニア?」 「私、ルークに、まだ言っていないことがあるの」 彼女の言っていることの意味が、ルークには解らなかった。だが彼女の目は真剣そのものだ。ルークは静かにリニアの赤い瞳を見返す。 「私が、サハリン家の血を引いていないっていうのは、前に話したよね」 「ああ」 ルークはゆっくりと頷く。リニアの話では、現在の母親――とはいっても、リニア自身すでに死亡したことになっているのだが――は彼女とは血が繋がっていない。父親の再婚相手だと聞いている。 「その時、御父様は、病気で亡くなられたって言ったけど、本当は、殺されたの」 そこでリニアは言葉を一度止めた。数瞬、次の言葉を吐くのを戸惑ってはいたが、それでも言葉を続ける。 「私の本当の御母様に」 リニアの赤い瞳から、涙がこぼれる。 「でも、レーミア御母様は私を娘だと言ってくれた。それは、許されたことにならないの?ルークの御母様だって、ルークを愛していたはずよ。それじゃ駄目なの?」 堰き止めていた想いを吐き出す様に、リニアは言葉を続ける。 「私には難しいことは解らない。だけど、私達は生きているんだよ。ジェシカも、カイラスも、ジェイクさんも、バルクも、ジェフも、ハムスもいる。それにレイシャやディーアにだって巡り会えた」 リニア自身、自分が何を言っているのか解らなかった。ただ、頭に浮かんだ言葉を吐き続けているのだ。そんな彼女の姿に耐えられなくなって、ルークは彼女を両腕で抱きしめた。 「一緒に、生きようよ。同じ時間を、過ごそうよ」 泣きじゃくりながらそう言うリニアの頭を、ルークは優しく撫でてやる。心の靄が晴れていくような気がした。 「ああ。そうだな」 かげりのない表情で、ルークは小さくそう言った。 本当に自分を許せるのかは、まだルークには解らない。全てのわだかまりをなくせるとは思っていない。だが、その時ルークは確かに思ったのだ。 この街で、彼女たちと生きたいと。 自分の胸の中にいる、その少女を見つめながら。
故神祭のパーティーは、弧扇亭女将の、その言葉を始まりの挨拶として幕を開けた。 会場は当然弧扇亭なのだが、どういう流れからか、その近所の家々も巻き込んで、弧扇亭の前にあるメインストリートまで会場は広がったのである。 そしてその集まった面々は、一同にとって意外なものであった。 「驚いたわね。いつもの常連連中だけじゃなく、幹部連中の顔まで見れるわよ」 レイシャは来客の人間の顔ぶれを眺めながら、隣に腕を組んで立っている太り気味の女性――女将にそう話した。 「爽快じゃないかい。これを私達がやったんだよ」 「確かにね。何だか革命でも起こしたって感じよね。もしかして女将さんって結構凄い人?」 「今頃気付いたのかい、って言いたいけどね。みんなで頑張った結果さ。特に、あの子らがね」 女将はそう言って人混みの中で食べ物をつまんでいる、ルークとリニアの姿を見る。二人が戻ってきてからの約10日間、ここまでイベントが広がったのは二人の役割が大きかった。 二人は女将の『ギルドとエピィデミックの力をあわせて何かをやり遂げる』という言葉を真に受けたのかどうかは解らないが、街道宣伝などを行って、人を集めたのだ。元々それほど広くはない街である。噂が伝わって、ここまで多くの面子が集まる結果となったのだ。 「あれからルークも変わったわよね」 レイシャの一言に、女将は「そうだね」と答える。人付き合いが良くなったというのだろうか。何となくではあるが、接しやすくなったのだ。 「やっぱり、ディーアの一発が効いたのかしら?」 そんなことを言いながら、レイシャは可笑しそうに笑う。あの日、リニア達が帰ってきたのは、もうほとんど明け方近くだった。そして帰ってきたルークに、ディーアはにこにこといつもの笑みを浮かべながら近づいて、いきなり彼の頬を平手ではたいたのだ。 彼女曰く 『本当は私がすべきことじゃないんですけど、リニアさんだと出来ないでしょうから』 そして、 『リニアさんがどれだけ心配したかは、解ってますよね』 とのことだった。そしてリニアの方に近づいて、今度は彼女に言葉を掛けた。 『で、リニアさんは私を叩いて下さいね』 訳が解っていないリニアに、ディーアは彼女の肩を優しく掴んで、にっこりと微笑んだのだ。 『ルークさんのこと、大切なんでしょう? その意気込みついでです』 その理論は解らなかったが、何故か納得して、リニアは多少戸惑いながらも、彼女の頬を叩いた。そして叩かれた後に、ディーアはルークを見て、 『これで差し引き無しですからね』 そう言い残して、ディーアは眠そうに弧扇亭に入っていったのだった。 「でも、変えたのはきっとリニアだよ。ディーアがそのきっかけを作ったには違いないんだろうけどね」 「そうね」 納得した様子で、レイシャは頷く。人混みの中に目を向けると、ルークがバルクと言い争いをしていた。周りではリニアや、ジェフ、ハムスらがあたふたと戸惑ってる。いつもの馬鹿をやっているのだろう。 (飽きない連中ね) と心の中で苦笑して (この任務を与えてくれたお父さんに、感謝よね) そう心の中で呟いた。 「あんたも行っておいで」 そして女将に背中を押され、レイシャもリニア達の方へと向かっていった。
付き合いが長いはずの自分が、仲間の異変に気付けなかったことに、ショックを受けていたのだ。さらにそれを新参者のディーアが見切っていたのだから、尚更である。 「そんなに気にすることないんじゃないか?」 テーブルに伏せている彼女に、慰めの言葉を掛けたのはカイラスだった。いつの間にかジェシカの横に掛けていた彼は言葉を続ける。 「誰も絶対なんかじゃないさ。ディーアだって、今回はたまたま良い方向に転がっただけだって言ってたぜ」 「ディーアが?」 意外そうに顔をあげたジェシカに、カイラスは小さく頷く。 「こうも言ってたな。確かに自分は無責任かもしれないって。でも、全ての責任を背負おうとするのは、それは傲慢だと思うって。いつもの彼女の持論らしい」 持論、という言葉が出て、ジェシカは苦笑する。 「そうかもね」 素直に、それを認めた彼女を見て、カイラスはもう一言だけ続けた。 「あと、強いて言うなら、年の功だってよ」 「何それ」 苦笑するジェシカに、カイラスは立ち上がり、手を差し出す。 「行こうぜ。みんな、待ってるから」 ジェシカはその言葉に頷くと、カイラスの手を取って、弧扇亭を出た。
リニア、ルーク、カイラス、ジェシカ、ジェイク、女将さん、ディーア、レイシャ、バルク、ジェフ、ハムスらが写っている写真。ヴァイスがいないのは、少し残念だったが、確かにそれには彼女らの時を刻んだものだ。 「リニア、開店の準備に入るぞ」 部屋の外から、ルークの声が聞こえてくる。 「はぁい、今行くね」 そう返事をして、リニアはその写真を机の中にしまった。彼女が、見つけた居場所の大切な時間。 リニアはいつものように、開店の準備を手伝うために、部屋を出ていく。 窓の外には、白い雪が静かに降っていた。
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