リニアの日記

第三章 許されざる罪
〜Cooking〜




 ジェチナ中央街にある有数の宿であり、食事所である弧扇亭。その入り口にはこんな立て札が掛けられていた。

『現在店内半壊により臨時休業』

 本来なら訝しげに思う者も多いだろうが、それを見た連中は「とうとうやったか〜」というような会話をしながら、店の前を何事もなく通り過ぎ去っていく。元々、弧扇亭は普通でない傾向にはあったのだ。

 こんな場所で宿を開く弧扇亭の女将に加え、死神とまで言われるルーク=ライナス。エピィデミックと呼ばれる組織の中では、ある意味死神よりも有名であるジェシカ=コーレン。そして更にはここ半年はギルドの連中まで加わり、ついにはギルドの最強戦士の一人、バルクの名まで連ねられるようになったのである。この状況で何も起こすなという方が難しいということは、誰もが理解していた。

 だが、彼らの予想は大きく裏切られていたことを、その時は誰も知らなかった。今回の事件については、その異常である連中が全く関わっていなかったのだから・・・・・・。



「おかしいわね〜。何でうまくいかないのかしら?」

 弧扇亭の店内の中で、訝しげにそう唸っていたのは、先日弧扇亭に住み込みをすることになったレイシャだった。その横には赤い瞳の小さな少女と、黒髪の長身の女が立っている。

「やっぱりレシピの調味料適当というのは、できるだけいっぱいいれなさいということだったんですよ」

「ええっ、そうなのかなぁ?」

 とんでもない事を口走りながら、満面の笑顔を浮かべる長身のディーアに、赤い瞳の少女――リニアは驚いたように言葉を返した。

 彼女らの目の前には黒こげになったフライパンが置いてある。おそらく料理に失敗したのだろう。そして事の内容は彼女らが共同で作っていた料理にあったのだ。つまりその料理こそが、弧扇亭を休業に追い込んだ理由だったのである。

「あのねぇ。あんたたち、根本が間違ってるわよ・・・・・・」

「え?」

 意外そうな表情を浮かながら振り返る一同を、呆れたように見ていたのはジェシカだった。彼女はテーブルの上に頬杖をつき、先程から一同の行動を見ていたのだ。

「第一、『適当』って言葉をどう考えたら『できるだけいっぱい』っていう理屈になるのよ」

「でも大は小を兼ねるとも言いますし」

「限度って言葉知ってる?」

「人並みには」

「・・・・・・。まぁいいわ」

 彼女は昨日この弧扇亭に来たばかりであったが、彼女の独特の雰囲気には、さすがのジェシカもそれ以上突っ込む気にはなれなかった。

 とりあえず、にこにこ微笑みながら言葉を返すディーアを無視して、ジェシカは言葉を続ける。

「火が強すぎるのよ。焦げるんだからそれくらい解るでしょ」

「でもさっきよりかなり火力落としたよ」

 これはリニアの言葉だ。先程も火力が強すぎて、何度か失敗したのだ。そんな失敗もあり、初めの頃に比べ、火力は大分落とされていた。

「あれは・・・・・・、強いって問題じゃなかったでしょ」

 だがジェシカは疲れたようにそう言うと、彼女らが立っている場所の天井を見上げる。そこには黒い焦げ跡が見られる。天井まではかなり高いのだが、火力を調整する前はここまで炎があがっていたのだ。

「大体、何で料理作るのに火柱まであげなきゃいけないのよ」

「だから大は・・・・・・」

「それはいいから・・・・・・」

 もう一度ジェシカはディーアの言葉を制すると、もう一度辺りを見回した。

「よくここまで壊したわねぇ」

 店の中の至る所に、おそらく食材であったであろう残骸が散らばっていた。これは先程鍋を完全に密封したときに爆発して飛び散った物である。そこにはその残骸をいそいそと片づけているバルクの部下の姿があった。名前は思い出せないが、それはこの際どうでもいい。

(それにしても、どう鍋を塞いだらこうなるのかしら?)

 そんなどうでもいいような事を考えながら、ジェシカは大きくため息をついた。

「リニアが料理下手なのは知ってたけど、あんた達までそうだとは思わなかったわ」

 自らの黒髪をくしゃっと掴むジェシカの顔には、明らかに疲労の色が見られる。今日は彼女が手伝う、兄――ジェイクの病院での仕事が非番だったのだ。というのに、昨日に続いて弧扇亭の都合に付き合わされているのだ。たまったものではない。

 だがあからさまなジェシカの態度に、レイシャはむっとした表情を浮かべる。それほど親しいわけでもない彼女に失敗の指摘をされたことが気に入らなかったのだろう。レイシャは躊躇うこともなくその怒りをジェシカに対してぶつける。

「どうして失敗するのか解っているのなら、それを何度も見ていないで、助言してくれても良いでしょう。それをしないでそんな言い方しないでくれる?」

 レイシャの敵意の籠もったその言葉は、ジェシカの気分を著しく害した。元々ジェシカも気の短い性格なのだ。今まではあえて彼女とぶつかろうという相手がいなかったから、彼女が衝突することはなかったのだが、そういう意味では気位の高いレイシャは最悪の相手だといえた。

「最初に口を出すなって言ったのはあんたじゃなかったかしら?」

 確かにレイシャは一度目の失敗の時にそう言っていた。

「限度を考えろっていったのは貴女よね」

 これはジェシカが先程ディーアに言った言葉だ。

 瞬時に二人の間に激しい火花が散る。リニアは次第に険悪になっていく場の雰囲気にただ慌てるが、一方でそれを悠々と見ている男達の姿もそこにはあった。

「おーおー、血の雨が降りそうな予感だなぁ」

 彼女らとは離れた席に座りながら、カイラスは暢気にお茶を飲んでいた。そして彼の対面には同じくお茶を飲んでいるバルクが座っている。

「止めなくていいのか」

 そう言いながらも、彼自身止める気は毛頭ないようで、ゆったりとお茶を啜っている。バルクの問に、カイラスはゆっくりとかぶりを振って答えた。

「俺は命が惜しいからな。あの二人のやりとりに口を出そうとは思わないよ」

「それが賢明だな」

 納得したようにバルクはこくこくと頷く。彼らは解っているのだ。この二人のいざこざに巻き込まれることがどういうことか。ただでさえ理不尽な連中なのだ。下手に止めて、もし二人の怒りの矛先が共同でこちらに向けば、それこそ本当に命の保障はない。

 怒りの方向性が別々の場合は、まだ命がどうこういう問題までには発展しないだろうというのが二人の見解だった。彼らが動くのは万が一、彼女らが本気でやりあう気になったときだけだ。ただ気に入らない、という程度の話であれば彼女に任せるのが一番だ。

「二人ともっ、喧嘩はそこまでっ! これ以上店を滅茶苦茶にするわけにはいかないでしょう」

 思った通り、二人を制したのはリニアだった。こういう場面を諫めるのはいつの間にか彼女の役目になっていた。というよりも彼女以外の人間が諫めようと務めると、巻き込まれるか話がさらにややこしくなるために、必然的にそうなったのだ。

「それに、これ以上散らかしちゃ、ジェフさんとハムスさんが大変でしょう」

「そう思うんなら手伝って下さいっす」

「それは置いておいて」

「あううっ」

 ハムスの言い分を無視して、リニアは話を続ける。

「とにかく、行事を成功させるにしても、みんなが一致団結しないと出来るものも出来ないわ。故神祭の日まであと2週間しかないんだから」

「そうさっ、さすがリニアっ! 良いこと言うじゃないかっ!!」

 みんなをまとめるべく、リニアが強く言い放つと、弧扇亭の扉が突然開き、その向こうから弧扇亭の女将がそう言ってきた。彼女の後ろには多くの荷物を持ったルークが、相変わらず無愛想な顔をしながら立っている。二人はリニア達の尊い犠牲となった食材の代わりを買いに出ていたのだ。

「喧嘩するためにここに集まった訳じゃないだろ? ギルドとエピィデミックの力をあわせて何かをやり遂げる。それに意義があるんじゃないのかい?」

「そんな崇高な使命だったかしら・・・・・・」

 何故か堂々と聞き覚えのない使命を語る女将に、レイシャは納得がいかない様子で首を傾げる。だが女将はあえてそれを無視した。

「まぁ、とにかくリニアさんや女将さんが言うように頑張ろうと言うことですよ。私の持論なんですけど、一人よりみんなの方がたのしいです」

「それって持論なの?」

 またも怪しい持論を持ち出すディーアに、ジェシカは苦笑する。

「取りあえず、話がまとまったのなら店の中を片づけようぜ。連中だけじゃ明日までに終わらないからな」

 話が一段落したところで出たカイラスの提案に、一同は同意する。店の中はひどく散らかっていたが、全員が共同で片づけを行ったことで、夕方頃には一応人を招けるほどには片付いたのだった。



「疲れた〜っ」

 ほとんど休まずに数時間掃除をしていたためだろう。一同は皆ぐったりとテーブルの上に横たわっていた。だが、ただ二人だけその場にはいない人間がいる。ルークとディーアだ。

 ルークは厨房で一同の夕食を作っている。そしてディーアはルークの料理をじっと横で見ていた。

「ディーアは何となく解るにしても、ルークってタフよね〜」

 ジェシカはおかしな物を見るような目で、ルークを眺めながらそう言った。体力馬鹿のバルクでさえ、女将さんにこき使われてぐったりとしているのだ。同じように扱われていたルークがああも動けるのは、ジェシカだけでなく、その場にいる人間には異常な光景に映ったのだろう。

 ルークが平常でいられるのは彼の体力のせいではなく、独特の呼吸法であるのをリニアは知っているたが、それを説明するだけの元気の無かった彼女はそれを説明するのは止めた。

「ルークさん、お料理上手ですね」

「ああ」

 一方、厨房にいるルークとディーアはそんな会話を交わしていた。

「どうやったらそんなに美味しく作れるんですか?」

「取りあえず慣れだとは思うが・・・・・・」

「へぇ」

 どことなく噛み合わない二人の会話を聞きながら、リニアは小さな違和感を覚える。

(料理と、慣れ?)

 確かにルークの料理は美味しい。そして半年くらい前から、彼はこの弧扇亭で女将の手伝いで料理を作っていた。だが問題は、初めから彼が料理が上手かったということだ。

(じゃあ、ここに来る前からずっと料理を作ってたのかな?)

 それは素朴な疑問だった。だから、リニアは尋ねてしまったのである。部屋に戻った後、彼女の同居人に、その何気ない疑問を。多分、最近日を追う事に寡黙になっていく彼が心配だったということもあったのだろう。

「料理?」

「うん。ルーク料理上手だし、いつ頃から料理をやってたとか、誰に習ったのかとか、気になるから・・・・・・」

 リニアの問に、ルークは暫く何も答えなかったが、やがて彼はゆっくりと口を開いた。

「料理はほとんど独学だ。知り合いが色々と本を持っていてな。学ぶには苦労しなかった。だが、始めた頃は今日のリニア達みたいに失敗続きだったよ」

 ルークにしては珍しく、まるで昔を懐かしむように目を閉じてそう言った。リニアがこのジェチナに来て、そして彼と同じ部屋で暮らすようになって半年ほどの月日が流れているが、彼が自分の過去のことを話すのは初めてのような気がする。それが彼のどういう心境の変化を表しているのかは解らなかったが、リニアにはそれがひどく嬉しかった。

 だがもしこの時リニアがルークの変化に気付いていれば、それは起こらなかったのかも知れない。彼が過去を語ったのは一種の懺悔だったのである。

 間近まで訪れた、何度目かの罪の時・・・・・・。大切な物を失った、喪失の時・・・・・・。リニアが感じていたルークの異変は、それの前兆だったのだ。

 その晩、ルークは色々な事を語ってくれた。自分が生まれた街のこと、彼がこの街に住み着いた理由、そして今の状況をひどく気に入っているという事実。ずっとルークが自分から離れていくような感覚を受けていた彼女にとって、それは強い喜びだった。

 彼が心を開いてくれたような気がした。そして彼が身近に感じられたのだ。だが、それが錯覚であったことに彼女は気付くことになる。

 翌日、ルークは一枚の書き置きを残して姿を消した。




Back to a Page  Go to next Page  Back to novel-room