第三章 許されざる罪
〜Help〜
ディーア=スノウ。それが彼女の名前だった。 彼女は顔立ちはひどく整っているのだが、にこにことまるで太陽のように微笑んでおり、端麗というよりは明朗という雰囲気を漂わせる女だった。 髪と瞳が黒いのはこの大陸の現住種族である法族の証だ。その髪の毛は長く、そしてとても艶やかで美しかった。それは黒髪が普通だと思っていた、赤珠族のリニアでさえ、ひどく羨ましいと思ったほどだ。 彼女がジェチナの人間でないことはすぐに解った。それは彼女が十字の首飾りを首に掛けていたからだ。 十字架というのは、輝神教のシンボルとして使われている物だ。元々は天使という古代種族の流れをくむものらしいがそれはどうでもいいことだ。実際リニアはそれについて良く知らない。 だが輝神教徒であれば誰もが持ち歩いているアイテムの一つであるのは、輝神教徒である彼女が一番良く知っていることだった。 だがリニアはこのジェチナに来てから十字架を首に掛けるのはよすことにしていた。それはジェシカから、一番最初に禁じられた事だったからだ。 『ジェチナには輝神教徒を毛嫌いする連中がいるから、十字架を掛けるのはやめなさい』 それがその時彼女が言った言葉だ。何でも過去に輝神教徒による迫害を受けた種がこのジェチナにも流れてきているらしく、実際リニアも一度そんな連中に襲われたことがあった。 もっともその時は、側にルークとバルクがいたので、無惨な目にあったのは連中の方であったが、それからはリニアは十字架を持ち歩くこともよすことにしたのだ。 (首に十字架をかけているってことは、多分ここに来て間もない人なんだろうなぁ) それがリニアが導き出した答えだった。そしてそれは見事に的中した。 「そうなんです。私、一週間ほど前にここに来たばかりなんですよ」 ディーアはにこにこと明朗な笑みを浮かべながら、リニアの疑問に答えた。 「やっとお仕事もらったんですけどねぇ・・・・・・」 そして少し困ったように頬に手を当て、ふぅっと小さくため息をつく。というのも、彼女はたった今、このジェチナに来てようやく手に入れた職を無くしたためである。 ディーアがジェシカという牛の世話をするようになったのは三日前のことらしい。数少ない外の街から来る商人に頼み込んで、ようやく手に入れたのがその仕事だったのだ。 元々ジェシカ(牛)は今日行われる闘牛大会のために連れてこられた牡牛だったのだが、暴走を止める際にルークが放った一撃により大会を棄権、その責任がディーアに降りかかってきたのである。 「ごめんなさい。私達が余計なことしちゃったから・・・・・・。何か力になれることがあればいいんですけど・・・・・・」 「あ、リニアさん。気になさらないで下さいね。私がジェシカちゃんを逃がしたのが大本の原因なんですから」 沈んだ顔を見せるリニアに、ディーアはその黒い瞳をさらに細めながら微笑みを深めた。 (不思議な人・・・・・・) リニアはディーアの微笑みを見て、落ち着く自分がいることに気付いていた。彼女は誰かに似ているのだ。誰なのかは良く解らないが、何かが誰かに似ている・・・・・・。それだけはひしひしと感じることができたのである。 だからこそ力になれないことが心苦しかった。 「何なら、弧扇亭に連れていけばいいだろう」 不意にそう言ったのはルークだった。ルークは先程からじっと二人のやりとりを見ていたのだ。話に参加しなかったのは、ジェシカ(牛)を倒したのが自分だという罪悪感があるためだろう(元々話に乗り気で参加してくるような性格でもないが)。 「手加減を出来なかったことには少し負い目がある。来る気があるのなら、女将に口添えをしても良い。それに女将も人を集めたがっていたしな」 「で、でも弧扇亭は中央街にあるのよ」 ルークの言葉は意外なものだった。中央街は言ってみれば、ジェチナの最高危険地帯だ。勢力が均衡している今はそうでもないが、いつまたギルドとエピィデミックの抗争が始まるとも限らないのだ。だが 「弧扇亭は中央街でいま最も安全な場所だ。リニア、お前が来たときの事件で、ギルドも弧扇亭に負い目があるからな。それに、連中もあえて一般人を巻き込むような事はせんさ」 確かにルークの言っていることは正しかった。リニアがギルドに狙われたときでさえ、彼らはジェチナ市民を巻き込もうとはしなかったのだから。 「まぁ、本人が嫌だというのなら・・・・・・」 そうルークが言葉を続けるが、それよりもはやく・・・・・・ 「ほ、ほんとうですかぁ」 突然ディーアはがばっとルークに抱きついてきた。背丈がルークよりも少し高いために、調度良い具合に首に腕が回されたのだ。 「なっ」 それは当の本人であるルークだけではなく、リニアの口からも出た一言だった。 「本当は死活問題だったんですっ。あぁっ、良かったぁ〜」 「わ、解ったから離れろっ」 「ディ、ディーアさん、落ち着いてっ」 リニアもルークもかなり動揺した様子で、どうにか彼女を引き離そうとする。が、ディーアの腕力が凄まじいのか、彼らの努力が実ることはなかった。 結局ルークが解放されたのはディーアが落ち着いてからで、しばらくの間、一同は北繁華街の見せ物になっていたのだった。
リニア、ルーク、ディーアの三人は、女将さんからのお遣いを一通り終え、ようやく帰路についていた。もちろんディーアと出会ったことで予定はかなり遅れ、既に日が沈もうとしていた。 「今度からは気を付けてくれ」 「はい。解りました」 本当に解ったのかどうか解らないような笑顔で、彼女はそう返事をした。ルークはそれに少し不機嫌そうな顔をするが、本当に怒っているわけではないのは、リニアにはすぐに解った。 それにルークも男だ。女性に抱きつかれて嬉しくないわけはない、というのはリニアが密かに思ったことだ。 だがとりあえず場の雰囲気が崩れてくると、それを立て直そうとするのがリニアという少女である。彼女は場の気まずい雰囲気に苦笑を浮かべながらも、先程から気になっていたことをディーアに尋ねた。 「それにしても、力が強いんですね。足も凄く速かったし」 もっとも後者は足が速いですまされる問題ではなかった。どう見てもディーアの履いているスカートは、走るのに適した物だとは思えない物だ。実際、彼女のスカートの裾には、白い埃――おそらくは砂埃だろう――がついているのだ。黒いスカートであるために、尚更それが目立つ。 だがどこにも解れたような形跡がないのだ。あれほどの速さで走っていたにも関わらずだ。単純に足が速いだけなら、疑問は闘気法をもちだせば片がつく。だが、動きにくい服装で速く走る、ということの理由は闘気法だけでは片づけることができない。 「夢中になってると誰でもそんなものですよ」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 そう返されると思っていなかったリニアは、これ以上何を聞いても無駄だと言うことを瞬時に理解した。人の言葉を、全く当人の予想しなかった返答で、何の悪ぶれもなく返す。それができる人間のことを人は『天然』と呼ぶのだという・・・・・・。
そこには常連であるジェシカと、そしてこれは居ても不思議ではないバルク&その連れ二人(確かハムスとジェフだったとリニアは記憶している)、そしてここからが珍しいのだが、あと二人、ヴァイスと見たことのない女がそこにはいた。 「ちょっと! どういうことよヴァイスっ!! 何で私がこんな店のウェイトレスなんてしなきゃならないのよっ!!」 「何度も言わせるな。だからキース様からの指令だと言っているだろう」 そしてその二人は何故か弧扇亭の中で口論を繰り広げていたのである。ヴァイスの表情は、黒い包帯のようなもので口元などを覆っているので良く解らないが、女の人の方は物凄い剣幕で怒っているのが解る。 「いくら父さんの命令だからって、何で私がエピィデミックの連中や、こんな単細胞達と仕事しなきゃならないのよっ!」 「ひどいっす、レイシャさんっ! 単細胞はバルクさんだけっすっ!!」 「俺達まで巻き込まんで下さいっ!!」 「やかましいわっ!! てめぇらっ!!」 リニア達がぼけっと見ている間にも、その騒動は段々と熾烈なものになっていく。バルクなど今にも暴れ出しそうな雰囲気だ。そして更にヴァイスが一言・・・・・・。 「レイシャ、どうでもいいがルークもリニアもエピィデミックに所属しているわけではないぞ」 「そんなこと聞いてないわよっ!!」 更に泥沼化していく会話に、リニアは(この光景、どこかで見たことがあるなぁ)と思っていたのは別の話で、とにかくリニアがその訳の解らない状態を止めようとした時、彼女よりも先に行動を起こした者がいた。 「まぁまぁ、みなさん少し落ち着いて下さいな。見ている分には凄く楽しいんですけど、このままだと結論が出ませんので、取りあえずじゃんけんでもしてみては?」 「・・・・・・・・・・・・」 突然争いの場に入ったディーアの一言に、その場で激論?をしていた一同はおろか、リニアやルーク、そして全く無関係であったジェシカまで目を丸くしていた。 「じゃんけんと、結論と何の関係が?」 静まった場に、そんな正論を出してきたのは、珍しく弧扇亭にやってきたジェイクであった。するとディーアは変わらない笑顔で答えた。 「いえ、口論で感情的になったときは、挙手をさせて意見を言わせるか、じゃんけんでいさめよというのが、私の持論なんです」 「いや。だから、その理論の内容について聞きた・・・・・・んぐっ」 あえてディーアの持論に突っ込もうとしたジェイクの口をふさいだのはリニアだった。これ以上話をややこしくしたくないという彼女の配慮であることは言うまでもない。 「ところで、どうしてお前達がここにいる」 揃いも揃ったギルドの上層メンバーを前にして、ルークはゆっくりと口を開いた。氷の閃光ヴァイス、鉄の爪バルク、この場にいるのがその二名だけなら、ルークも驚かなかったのだろう。だが、もう一人の女の存在が彼にとっては意外だったのだ。 レイシャ=レイモンド。彼女は、ギルドの幹部の一人でありヴァイスの直属の上司でもある、キース=レイモンドの娘だ。ルークも一度も会ったことはないようだが、ギルドの戦士の一人としてリニアでさえその名は聞いたことがあった。 「貴方が死神ルークね。直接会うのは、初めてね」 相手を意識してか、レイシャの雰囲気が瞬時に変わる。それもそうだろう。二人は相対する組織の戦士なのだ。それだけでなく、純粋に戦士として興味があるのかも知れない。その辺のところは、リニアには良く解らないところだ。 「なるほどね、ヴァイスやバルクが興味を持つのも解る気がするわ」 しばらく品定めをするようにルークを見た後に、彼女は軽く微笑を浮かべる。そして彼女はルークの疑問に答えた。 「私達がここにいるのは、キース=レイモンドからの指令だからよ。私、バルク、ジェフ、ハムスの4名に弧扇亭の臨時従業員になるようにって。エピィデミックとの休戦表明と、貴方達の監視という意味を含めてね」 「任務の内容をぺらぺらと話して良いのか?」 「どうせすぐに気付くでしょうからいいでしょう。それにこの程度のことが解らないような馬鹿だったら、警戒する必要もないわ」 「なるほど」 お互いの力量を確かめあっている。どういった駆け引きが行われているのかは、リニアには解らなかったが、それでも二人の緊迫した雰囲気だけはひしひしと感じることができた。 「本当はやる気無かったんだけど・・・・・・。ヴァイス、父さんに伝えて頂戴。面白そうだから、住み込みで任務にあたらせてもらいますってね」 そう言うと、レイシャは不敵な笑みを浮かべてルークの方を見た。 「ちょっと待て。住み込みって・・・・・・」 驚いたようにルークがそう言葉を言おうとするが、彼の言葉はいつものように、最後まで続くことはなかった。 「それじゃ私と一緒なんですね」 ひどく嬉しそうな声でそう言ったのはディーアだった。彼女は変わらない笑顔で、レイシャの手を取ると、ぎゅっと彼女の手を握りしめた。 「そういえば、貴女、誰?」 そこで一同がようやく抱いた疑問を口にしたのは、それまで沈黙をまもっていたジェシカだった。彼女は話の場に参加していなかったこともあり、先程からディーアの事が気になっていたのだ。 ディーアはジェシカの方を振り向くと、にっこりと微笑んだまま言った。 「ディーア=スノウといいます。これからこのお店にご厄介になれるといいなぁと思っています」 「何か変な文法ね」 そう言いながらも、ジェシカはつられたように微笑む。 「でも、女将さんが了解しないと、どうしようもないわよねぇ」 「大丈夫さっ」 ジェシカの心配を余所に、そう言ったのは当の本人である女将だった。 「どうせ人がいなきゃ始まらないんだ。誰でも歓迎するよっ。それにどうせやるんなら派手にやったほうがいいさね。この面子ならそれも可能だろ?」 女将さんは言い終えた後にその場にいる一同を見回す。 「まぁ、どこまで期待に添えるか解らないけど」 とジェシカ。 「面白そうじゃない」 これはレイシャの声だ。 「みんなで頑張ろう」 最後にリニアがそう言うと、一同はこくりと頷いた。そして場には笑いがこみ上げる。エピィデミックとギルド、敵対する両者が、何の隔たりもなく時間を共有している。それは信じられないような出来事だったに違いない。 だが確かにその空間は存在したのだ。この街の住人になりつつあるリニアには、それがとても嬉しかった。 しかし、だからこそ気付かなかったのである。その特別な空間の中にルークが居なかったことに。 そしてそのまま、始まりの夜は過ぎていった。
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