第三章 許されざる罪
〜New Face〜
「唐突ってのは、あの人のためにある言葉なんだろうな」 カイラスが言ったその言葉には、誰も反論しなかった。誰もがこの青い瞳の青年の言うことに同意しているのだ。 「まったく、何で私まで付き合わされなきゃならないのよ・・・」 愚痴をこぼしたのはジェシカだった。彼女はひどく不機嫌そうにそう言うと、怒気を込めた言葉を続ける。 「あの人は、いつもそうよ。人を理不尽にこき使って!!」 「それをお前が言うか・・・」 何か理不尽なものを訴えるように、ルークがその言葉に水を差す。 「どーゆー意味よっ!!」 ジェシカはその黒い双眸を、黒い服を着た青年に向ける。が、ルークはまるでそれを無視するかのように、そのまますたすたと街道の先へと進んでいった。 「まぁまぁ、落ち着いてジェシカ」 彼女を宥めるのはリニアの役目だ。あの人と同じ、理不尽な言動を貫き通すジェシカが相手では、どうしてもまともな慣性の持ち主だと抑えられないのだ。 もっとも、リニアの前を歩いている二人の青年が、まともな慣性の持ち主であるかどうかは疑問であるかもしれないが、それでも少なくとも理不尽ではないのは確かだ。 そうなると彼女を抑えるのに適しているのは、寛大な包容力があるリニアしかいなくなるのだ。もっとも、大人の女を諫める9歳の女の子、というのもおかしいかもしれないが、彼女と面識があるものならば、その表現で納得するだろう。リニアはそんな娘だった。 「とにかく、いつも弧扇亭ではいろいろと騒がせてもらっているんだから、たまには手伝ってもいいんじゃない」 リニアはそう言って、彼女の特長である屈託のない笑みを浮かべる。ジェシカはその笑顔を見ると、「仕方ないわね」と納得したように答えた。その言葉を聞いて、リニアはもう一度軽く微笑んだ。 (この子も変わったわよねぇ) それを感じているのはジェシカだけではなかっただろう。この半年でリニアからは他人行儀な態度は抜けていたし、笑いにも作り笑いのようなものがなくなっていた。弧扇亭に毎日すさまじい人数の客が来るのもそのためだろう。 そしてそれに誘われるかのように、彼女たちもよりリニアに親身になっていったのだ。 (でも、変わってないのは・・・) ジェシカの視線は、先を歩いているルークに映る。そう。変わっていないのは、ルークだけだ。リニアがジェチナに来た当時の一時期だけ、彼がひどく身近に感じられた事があったが、今ではそれはなくなっている。 むしろ、リニアが自分たちに近づくに連れ、ルークが遠い存在になっていくような気さえする時があるのだ。 (このままじゃいかんわよねぇ・・・) ジェシカ本人にしてみれば、それはどうでもいいことだ。今の状況が気に入っている彼女としては、ルークが変わらなくても、それほど苦痛ではない。 だが可哀想なのはリニアだ。ルークが遠い存在になっていくのにリニアが気付いていないはずはないし、不安を抱いていないはずもない。 そしてその不安を、彼女の一番身近にいるルークが気付いていないはずはないのだ。 (あぁっ! この馬鹿を殴りたいっ!!) そんな衝動に駆られるがこれはジェシカが口を出すべき問題ではない。力を貸すことも必要かも知れないが、今はその時ではないと彼女は思っていたのである。 (とにかく、今は少しでもそのチャンスを作ってあげることよね!) ジェシカは一人でそう納得すると、前を歩いている三人に、提案を持ちかけた。 「ねぇ、何もみんな揃いも揃って行動することもないわよね? 買い物、二手にわかれない?」 彼女の提案に反論の声はなかった。分担して買い物をした方が早く済むというのは当然の理論だ。そしてこの場にいる誰もが、この『お遣い』を早く済ませたいと思っていたのである。 「ってなわけで、カイラス、行くわよ」 「え? おう」 突然名前を呼ばれて、カイラスは素っ頓狂な声をあげたが、特に意識はしなかったのだろう。彼はそのまま、その場を去ろうとしているジェシカに着いていく。 「ちょ、ちょっと、ジェシカ」 段取りもたてていないのに、その場を立ち去ろうとするジェシカをリニアは引き留める。彼女はくるりときびすを返すと、「はいメモの半分」と言って、リニアの手に弧扇亭の女将さんから受け取ったメモを握らせた。 「上手くやりなさいよ」 そして口をリニアの耳に寄せてそう囁くと、にっこりと笑ってみせた。初め、内容を理解できなかったのか、きょとんという顔を見せたが、すぐに顔を紅潮させ、小さく「ありがと」と呟く。 「じゃ。ルーク! あんまりリニアに面倒かけちゃいけないわよ!!」 「・・・・・・。ああ」 腑に落ちない顔をしながらもそう答えたルークを見て、ジェシカは小さく笑うと、カイラスを率いるようにしてその場を去っていった。 「そ、それじゃ、私達も行きましょう」 「そうだな」 連中がいなくなった後、少し照れながらルークの方を振り向いたリニアに、彼は頷いて言葉を返した。そして右手をすっと差し出して、リニアの手をとる。 「ここは人が多いからな。はぐれないようにちゃんと握っていろよ」 「う、うん」 ルークの、多少意外な行為に、リニアは頬を染めたままこくりと頷くと、二人はそのままジェチナの繁華街の中へと紛れていった。
「うるさいわね」 まるで茶化すようにそう言葉を吐いたカイラスを、ジェシカはキッと睨む。そして彼女はそのまま言葉を続ける。 「大体、あのままじゃリニア、可哀想でしょうがっ!! あの馬鹿のせいでっ!!」 「俺に言っても仕方ないだろ」 理不尽にも怒りの矛先を向けられ、カイラスが呆れたようにそう言うと、ジェシカは「むぅ」っと唸る。彼女自身、カイラスに怒鳴っても仕方がないのは解っているのである。言うならば、これは憂さ晴らしだ。だがそれは受けている方にはたまったものではない。 「それに、人のことを心配してる場合じゃないだろ」 「何のこと?」 ジェシカは心当たりがない、というような様子で、訝しげにカイラスの顔を見る。すると彼はすっとジェシカの肩に手を回して、小さく囁いた。 「いや。そろそろ俺達のことも・・・」 だがその言葉は最後まで続くことはなかった。その前にカイラスの左頬にジェシカの拳が飛んだのである。 カイラスはうげっと蛙がつぶれたような声をあげると、その場に仰向けに倒れた。周りを歩いていた人間達が、突然の出来事にざわめきながら注目する。 「じょ、じょーだんなのに・・・」 その注目の中でカイラスが殴られた頬をさすりながら、そう訴える。 「解ってるわよっ!! 私がそーゆー冗談が一番嫌いなの、知ってるでしょ!!」 「わ、悪かったって」 (気を紛らわせようとしただけなのになぁ) そう思うが、あえてカイラスは言い訳をしなかった。今の彼女には逆らわない方がいいというのは、長年彼女の幼なじみとして生きてきた彼の経験だ。 「解ったならいいわ。それより、さっさとこんなお遣い終わらせるわよ。早く兄さんの所にもどらなきゃいけないんだから。あんただって用事があるって言ってたでしょ」 「ああ」 「それじゃ、さっさと立つ!!」 カイラスの前に、ジェシカの褐色の手が差し出される。思ったよりも怒っていないことに、多少なり安堵を抱きつつ、カイラスはその手をとって、そのまま立ち上がった。 そして急かされるように、カイラスはジェシカに引っ張られながら、街の人混みの中へ進んでいった。その際に、ジェシカは小さく呟いた。 「冗談で言うから、殴ったのよ」 だがその言葉は、街のざわめきにかき消され、カイラスに届くことはなかった。
「故神祭の夜に、店をあけるよっ!!」 何故か拳を固めながら熱くそう言い放った彼女の言葉を、真に受けた人間は誰一人とていなかった。 「こらっ!! 何で無視するんだいっ!!」 「・・・・・・。まさか、本気で本気なの?」 初めに反応したのはジェシカだった。彼女は訝しげな顔をしながら、女将さんに対峙すると、呆れたように言葉を返した。 「夜に? このジェチナで? 大体、故神祭って輝神教徒の祭事じゃないの?」 次々と質問を投げかけるジェシカに、女将さんはふんっと鼻で笑うと、嘲るように反論した。 「故神祭は今や大陸全土で行われている行事さっ! それに、私は輝神教徒だよ。ちゃんとマリアっていう聖名も持ってるし・・・」 「マリア・・・・・・」 さも意外だというような顔でジェシカは女将さんの顔を見る。輝神教徒は大陸で最も信仰されている宗教なのであるが、その中でもマリアという名前はあまりにも有名な名前だ。その名前の由来は、輝神教徒ではないジェシカでさえ知っている。 (聖女グランマリーと同じ名前・・・。あんまりにも高名な名前だから、その名前をつけるのを許されるのは少ないっていうけど・・・) 「何で女将さんが・・・」 ジェシカはよろけるように、その場に座り込む。別に女将さんが高名な名前を聖名として賜っているというのに驚いているのではない。驚いているのは、女将さんが聖女と同じ名前を使っている事だ。 「似合わないわよっ! マリアなんてっ!!」 「人の名前にまでけちつけんじゃないよっ!! マリアは弧扇亭の女将が、名乗るのを義務づけられている名前なんだよ!!」 「どーでもいいけど、何でまた夜にそんなもんするんです?」 このまま話を続けさせていても時間の無駄だと思ったのだろう。そう言って会話に終止符を打ったのはカイラスだった。話の論点はずれたが、ジェシカが女将さんの話をまともにうけなかった理由は、『夜』にあるのだ。 「女将さんに、ジェチナで夜に行動を起こす、ってことの危険さがどれだけのものか、解らない訳はないでしょう」 ジェチナには幾つかの暗黙の掟がある。その一つに『夜の静寂を犯す事なかれ』というものがあるのだ。だが女将さんはその問にも得意げに返答した。 「ちゃんとエピィデミックの了承も、ギルドの了承もとってるさ。元々エピィデミックは夜の活動を推奨しようとしているし、ギルドだって前に起こした事件であんまり大きな事は言えないのさ」 事件、というのはリニアがジェチナに来た時に起こったものである。ギルドはその時に自らが掟を破っているのだ。そのことがジェチナの民のギルド不審に繋がっているのであり、エピィデミックに対する負い目になっているのである。 「で、人を集めなきゃならないんだけど、それはもう募集をしてるからいいとして、あんた達にはものを買ってきて欲しいんだよ。もう故神祭まで一月もないからね」 その言葉にはジェシカが色々と愚痴ったが、結局は上手く丸め込まれて、仕方が無く一同はジェチナの北の繁華街に来たのである。
中央街に勢力の中心が集中しているのは、街の人間に危害を加えることが掟によって禁止されているからで、彼らの戦いは、昔から中央街によって行われてきたのだ。 そんなわけで街の交流は中央街を境に、北と南で大きく裂かれており、それぞれの住民街にそれぞれの繁華街ができたのだ。 そして一同はエピィデミック派の人間であるために、こちらの北の繁華街に足を運んだのである。 「ジェチナって、こんなに人がいたのね」 リニアは繁華街に来るのは初めてだった。ほとんど毎日弧扇亭の手伝いをしており、来る機会がなかったのである。 「そうだな」 ルークは同意するようにリニアにそう答えた。彼自身、この繁華街にはほとんど来たことがないのだ。長くジェチナにいるようで、ルークとてリニアの来る半年程度前にジェチナに来たのだから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。 何よりルークが好んで人混みの中に身を投じるような真似をするような人間には到底思えない。 割合的に言えば、北の住民街にジェチナの約6割の人間が住んでいるので、実質上この北の繁華街がジェチナで最も賑わっている場所だと言えるだろう。 実際リニアの赤い目に映るのは何もかもが新鮮なものばかりだ。 「ねぇ、ルーク。あれ何?」 リニアは興奮気味に、近くの出店に置いてある水槽を指さす。その中には細長い生き物が、うにうにと水槽の中で動き回っていた。 「ああ、どじょうだな。何度かさばいたことがある」 「へぇ」 リニアの瞳は好奇に彩られ、きらきらと輝いている。こういうところを見ると、ひどく子供らしく見えるから不思議だとルークは思った。 「一匹、買っていくか?」 「・・・・・・。いいの?」 「役得、だからな」 そういってルークが薄く笑うと、リニアは嬉しそうに微笑んだ。どじょうが云々というわけではなく、ルークの笑顔を久しぶりに見たような気がしたからだ。いつもの場に合わせた笑いではなく、彼の本当の笑い・・・。 リニアがそんなルークに見とれている時に、それは起こった。 「とまってえぇぇぇぇぇ!!!」 不意に聞こえてきた叫び声に、二人は同時にその声のする方向を振り向いた。そして二人は目の前の異常な光景に一瞬固まる。 まず目に入ったのは、こちらに突進してくる黒い物体・・・。それが牛だと気付いたのは、それほど時間が経っていなかったが、それでも彼らから驚きが消えるわけではなかった。 それ自体は特別意外でもないのだ。何処からか逃げ出してくれば、牛くらいは暴走するだろう。驚きはするだろうが、それほど大したことでもない。 だが、それよりもリニア達を驚かせたのは、その牛の後ろにある一つの影だった・・・。 長い黒髪をなびかせながら、涙ながらにその牛を追っている女性・・・。歳は二十歳よりも少し上といったところだろうか? その女は、怒涛で迫ってくる牛のスピードについてきているのだ。 「な、何だあの女は・・・」 思わずそう呻いたルークの言葉に、リニアははっとしてルークに言った。 「ルーク、このままじゃ街が滅茶苦茶になっちゃう」 「了解したっ」 リニアの一言によって、ルークは自分がすべきことを見いだした。 ルークは牛の進行上に立つと、腰を落とし、牛の突進に備える。牛の方はルークが進行上に立ちはだかったことを、全く歯牙にもかけない様子で、そのまま唸り声をあげながら突っ込んできた。 ルークは一息を吐くと、全身に闘気を巡らせる。身体から力が漲っているのが、ルークには解った。そして、ルークは突撃してきた牛を正面から、角を掴んで力で押し止めようとする。腕に物凄い負荷がかかる。が、闘気のよって護られた身体にとって、耐えられないものではなかった。 ルークは牛の突進の勢いを止めると、一瞬腕の力を抜き、牛が体勢を崩したところに、顎をめがけて掌打の一撃を放った。闘気によって筋力を高められた上での一撃だ。牛の意識を刈り取るには十分すぎるほどの威力を持った一撃だった。 牛はそのまま脳しんとうをおこしたように、その場にずんと倒れ込んだ。 「あぁっ、ジェシカちゃ〜ん」 牛を追いかけてきた女が、ようやく追いついたのは、一連の出来事の後だった。 「あの〜。どうもありがとうございます」 女はジェシカ(牛)が大丈夫なのを確かめると、おっとりとした様子で、にっこりと微笑んでルークにそう礼を言った。 「この子、暴れん坊で手がつけられなかったんですよ」 リニアとルークは、名前というものの因果について、奇妙な縁を感じつつ、「はぁ」と言葉を返した。 それが彼女――ディーアとの出会いだった。
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