リニアの日記

第三章 許されざる罪
〜Everyday〜




 戒め、今まで自分はそれに捕らわれてきたのだと、彼女は思う。

(何の戒め?)

 そして自分に問う。自分を戒めていたのは何だったのか、それは解っている。

(私を戒めていたのは、自分自身・・・)

 誰も傷つけたくなかった。だから、自分が傷つくしかなかった。自己犠牲などと言うつもりはない。そうしなければ、自分が保てなかっただけだ。彼らと自分を繋ぐ物は、たった一人、自分の妹しかなかったのだから。

(ただ、怖かった・・・。だから自分を傷つけるしかなかった。でも・・・、どうして?)

 不意に、彼女は再び自問する。繋ぐ物がないから、怖かった。なのに・・・

(あの人と居ると、どうしてこんなにも安らぐの?)

 それが解らなかった。

(同じ痛みを持つから?)

 それが答えだろう。

(だから彼は裏切らない?)

 その通りだろう。

(だけど、あの人が持つ痛みって?)

 解らないのはそれだった。

(私は、彼のことを何にも知らない・・・。怖い・・・)

 ひどく安らぐからこそ、それが怖い。明確に温もりを感じているのに、ひどく虚ろなのだ。まるで全てが夢のように・・・。

 だからそれを確かなものにしたかった。彼のことを知る・・・。それがその方法であることも、少女は知っているのだ。

 でも聞けなかった。傷をえぐられる痛みも、少女は誰よりも知っているから・・・。

 もし、知りたいと思うことが罪であるならば、彼女にその罪を犯すことは出来なかった。




「女将さん、ランチセット3つですっ!」

 宿屋『弧扇亭』の食堂の中に、高い少女の声が響く。だがその声は人のざわめきにかき消されていった。

 しかしそれでも、少女の意図した人物には届いたらしく、「解ったわよ〜」という声が返ってくる。それを確かめると、少女は次の客のオーダーを取りに動いた。

「ルークっ! 皿洗いはいいから、こっち手伝っておくれっ!!」

「了解・・・・・・」

「返事が小さいよっ! 働く気あるのかいっ!!」

「解ったよっ!!」

 新しい客のオーダーを取る最中、少女はそんな会話を笑いながら聞いていた。

 少女の名はリニア。赤い瞳の一族、赤珠族の娘だ。

 リニアというのは本当の名ではないが、このジェチナでは既にこの名が浸透していた。弧扇亭のウエイトレス・リニアといえば、彼女がこのジェチナに来た際に起こった事件のこともあり、この半年でかなり有名になった名だ。

 だが彼女が有名になったのは、事件のせいだけではない。若干9歳でありながらも、何処か大人びており、それでいて屈託のない笑みを見せる。そんなリニアに会いに、昼食をとりに弧扇亭に来る者がおり、そんな連中の口コミで、いつの間にか弧扇亭は昼になると満員になる食堂に早変わりしたのだ。

 結果としてリニアが忙しくなり、世間話する暇もなくなったことで、初期からの常連連中には不評だったが、それでも人の足が絶えることはなかった。

 そんな生活が、もういくらか流れていた。

(もう、半年なんだ・・・)

 ふとリニアはそんなことを考える。彼女がこのジェチナの街に来たのは約半年前のことだ。この街に来て、時が経つのがひどく速く感じる。

(あそこは、嫌いじゃなかったけど、居るのが苦痛だったから・・・)

 昔の居場所は自分の存在を否定しなければ、居ることが耐えられなかった場所・・・。半端につなぎ止めるものがあったからこそ、抜け出せなかった場所だった。

(けど、ここは違う・・・)

 このジェチナという街は、リニアが自分でいられる場所だった。初めこそ、手荒い歓迎を受けたが、今ではそれに感謝すらしているくらいだ。でなければ、彼――ルークには出会うことは出来なかった。リニアが自分を狙っていたギルドの連中に、こうして接客できるのもそれがあるからだろう。

「リニアっ! ランチセット出来たよっ!!」

 しばらくだが、ぼーっとしていた彼女に、そんな声がかかる。

「はぁい。今行きますっ」

 リニアはそう元気良く返事を返すと、弧扇亭の厨房へと走っていった。

***

「リニア、御苦労様」

 結局、その日も人が姿を消したのは、食堂が閉店になる午後三時頃だった。他の街の飲食店を考えれば、店を閉める時間は早いだろう。

 ジェチナの街の人間は夜に出歩くことを嫌う。そのため大抵の人間は夜食を家でとるので、夜運営する店はないに等しいのだ。もっとも、でなければリニアの身体の方がもたない。

 だがそれでリニア達の仕事が終わるわけではなかった。店内の掃除はリニアの仕事であるし、明日の仕込みなどは女将さんやルークの仕事だ。それに加え、その時間以降に来る例外も、この弧扇亭にはいるのだ。

「よぉ、今日も忙しかったみたいだな」

 その筆頭が彼、カイラスだ。ジェチナの双角を成す、エピィデミックお抱えの情報屋であるらしいのだが、暇なのかこの時間になると彼はいつもここに訪れるのだ。

「いらっしゃいカイラス」

 リニアは笑顔でそう言って彼を迎える。これもいつものことだ。だが、その日は少しだけいつもとは異なることがあった。

「あれ? その子は?」

 いつもとは違うもの・・・、それはカイラスの背後に、隠れるようにしてこちらの様子を伺っている少女だった。髪も瞳もカイラスと同じブロンドに青い瞳だ。古い時代、この大陸に渡ってきた蒼族の証である。

「おう、俺の妹だ。普段は街の北の方にいる親戚に世話してもらってるんだけど、今日はその親戚がこっちに来ててな。久しぶりに会ったんで、ここに連れてきたんだ」

「へぇ」

 納得したようにリニアがそう言うと、その少女は身体をびくっと振るわせて、カイラスの後ろに隠れてしまった。

「こらこら、挨拶くらいちゃんとしろよ。レーナ」

 呆れたようにそう言うカイラスの言葉に、彼女はもう一度、半分ほどカイラスの後ろから顔を出す。それを見て、リニアはにっこりと微笑んで、レーナに手を差し出した。

「よろしくね、レーナ」

 するとしばらくは困惑したような顔で、おどおどしていたレーナだったが、薄く微笑みを浮かべると、すっと前に出て来、リニアの方に右手を差し出す。柔らかいリニアの微笑みに心を許したのだろう。

 だが、そのタイミングが悪かった。

「何だ? その子は?」

 丁度そこにルークが現れたのだ。リニアが言うのも何なのだが、はっきり言って彼の表情は無愛想である。彼を知る者ならば、それが地の顔だということを理解できたろうが、レーナはそうはいかなかった。

 レーナはびくっと、さっきよりも一段と大きく身体を振るわせた。そして間を置かずに、彼女の青い瞳からは大粒の涙が溢れ始める。

「う、うえぇぇん」

「な、何だ?」

 突然、レーナが声をあげて泣き始める。一方ルークは、場の状況が飲み込めていないのか、レーナが泣いている姿を見て、おろおろとあわてふためいた。こんな状況には慣れていないのだろう。

「駄目じゃない、怖がらせちゃ」

 その言葉に、ルークが密かにショックを受けたのは、どうでもいいことで、結局レーナが泣きやむことはなく、仕方が無くカイラスはレーナを連れて弧扇亭を出た。

 その間に、「大丈夫、取って食わないから」とか、「顔みたいに怖くないわよ」とか言うカイラスとリニアの台詞がさらにルークにショックを与えたというのも、またどうでもいいことである。

 それからカイラスが戻ってきたのは、いつものメンバーの一人であるジェシカが仕事を終え、遊びに来た七時頃だった。弧扇亭は二人の参入により、ひどく盛り上がっていた。

「ぷっ。そりゃ怖がるわよ。レーナ、物凄く恐がりなんだから」

 話の肴は当然、少し前にこの場所で起こった出来事だった。笑いのネタにすぐ飛びつくのがジェシカという人間である。こんな格好なネタを放って置くはずもなく、それを好んで、彼女に逐一話の内容を話すのがカイラスという人間だった。

「もう少し愛想良くした方がいいんじゃないのか?」

 その彼も、ジェシカに加わり、その場でにやにやと嫌らしい笑いを浮かべている。

(本当、嫌な性格)

 と思いつつも、レーナの顔もどことなくほころんでいる。ルークが彼らにからかわれるのは珍しいことではないが、今回のそれは、一部始終を見ていたリニアにも笑えるものだったのだ。あんなルークは初めて見る。

 一方、当の本人は多少平静を装っていたが、一同に言われた言葉がひどくひっかかっているらしく、内心ちょっと落ち込んでいるようだった。

「でも、それじゃ私の妹と同じ歳なのね」

 さすがにルークが可哀想だと思ったのか、リニアは話題を変えようとカイラスに話しかける。

「そうなるのかな? 兄妹の俺が言うのもなんだけど、可愛いだろ?」

「そうね、お人形みたいに綺麗な子だった」

 可愛いというよりは、綺麗という表現があうような子だったとリニアは思う。実際部屋の片隅にでもじっと座っていれば、人形と間違えたかもしれない。

「最近ずっと笑わなかったんだけどな。連れてきて良かったよ」

 そういってカイラスはゆっくりと微笑んだ。

 カイラスの父親はジェチナにあったもう一つの勢力、ブラッディファングの幹部で、2年前にヴァイスによって殺されたという話を聞いている。母親を物心着く前に失っていたので、レーナはその父親にべったりだったのだという。

「それで、ルーク。レーナがごめんなさいって言ってたぞ」

「・・・気にしていない・・・」

 少し照れながら、ルークがそう言うと、カイラスはにぃっと微笑み言葉を続けた。

「でもいくらレーナが可愛いからって言って、手ぇ出すなよ〜」

「出すかっ!!」

 思わずそう怒鳴ったルークの姿を見て、場の一同はひどく可笑しそうに笑った。自分がからかわれていることに気付き、ルークは頬を少し紅潮させながら小さく呟いた。

「子供は嫌いだ・・・」

 その言葉が、場を更なる笑いに誘ったことは言うまでもないことだった。

(やっぱり、いいなぁ)

 何の遠慮もないその笑いの中で、リニアはふとそんなことを思った。こんな状況がいつまでも続いて欲しいと思う。

(でも・・・)

 それでも満足できない、貪欲な自分がいることを、リニアは気付いていた。

(知りたいよ。貴方の痛みが・・・)

 何処かで、ルークは一線を張っているのだ。それにひどく強い抵抗を感じる。リニア自身が『ジェチナ』の一員になっていくのに、彼は『そこ』にはいない気がしてならないのだ。

(知りたいと思う事は、罪ですか・・・)

 誰に問うわけでもなく、リニアは心の中で小さくそう呟いた。

 彼の本当の笑顔は、まだ、日常の中にはない・・・




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