第二章 彷徨いの迷い子
〜Whereabouts〜
「どう? 落ち着いた?」 顔の所々に絆創膏を貼ったジェシカが、部屋から出てきたルークにそう話しかけた。彼女が目覚めた時には、すでにギルドとの争いは一応の終焉を迎えており、彼女は兄の経営する病院で目を覚ました。目覚めたジェシカは、急いでこの弧扇亭へ飛んできたのだ。 ルークはどことなく力無い表情を彼女に見せると、「泣き疲れて寝ている」とだけ言って、宿の階段を降りていった。 「悪い、ルーク」 ルークが食堂に降りてきて、初めにそう謝ってきたのは、先程戻ってきたカイラスだった。 「俺が、もう少し早く赤珠国に接触してれば・・・」 カイラスは結局赤珠国に接触できなかったらしく、ひどく落ち込んだ様子でルークにそう言ってきた。だが、ルークはゆっくり首を横に振ると、心配そうに見ている二人に向かって、小さく言った。 「少し、出てくる。リニアをしばらく頼む」 ルークは、普段の彼からは考えられないような、弱々しい笑みを浮かべると、そのまま弧扇亭を出ていった。
ルークの瞳には、怒りの炎が籠もっていた。その怒りは、リニアの祖国に向けられた物だ。 (あの娘は、お前達を信じていたんだぞっ!) 許せなかった。彼女が護ろうとしていた物が、彼女を裏切ったことを。彼女が何よりも大切にしていた物が、彼女を見捨てたことを。 (大儀や、理想がそんなに大切かよ) ルークは、ジェチナの外に対して目を配っていた人間だ。赤珠国が今、何を成そうとしているのかは解っているつもりだ。 虐げられていた亜種族の保護、赤珠族自体が亜種族と呼ばれた種であったために、ずっと彼らの念願であった事業だ。それが如何に重大なことであるか、どれだけ重要なことであるかは解っているつもりだ。 そしてようやく掴んだチャンスを、王女の誘拐騒ぎで台無しにしてしまう可能性があるということも解っている。 (それでも、あの娘はお前達を信じていたんだ) だが、それが頭の中で解っていても、納得できるかというと、話は別である。そして皮肉なことに、彼に一旦露出してしまった感情を制御させる術はなかった。無感情であることに慣れすぎたために、感情を抑えることができなかったのである。 「何処へ、いくつもりだ?」 ジェチナの外へ出る有数の道であるメインストリートで、ルークの前に立ちはだかったのは、黒い包帯のようなもので顔を覆った男だった。 「お前に答える必要もあるまい。ヴァイス」 明らかに、敵対する眼差しで、ルークは目の前に立つ男を見据える。いつも、彼は自分の邪魔をする。久方ぶりに、怒りの感情が湧きだしたルークの目には、邪魔をする全てが映っただろう。だが・・・。 「赤珠になぐり込みでもかけるつもりか? そんな事をすれば、傷つくのはまたあの娘だぞ」 「貴様が言う言葉かっ!!」 リニアを傷つける側に荷担したヴァイスが、その言葉を言うことも、ルークには許せなかった。 彼の周りに、荒々しい闘気が籠もる。だが、それは先程のように、爆発的な物ではない。だがそれはひどく洗練された感じがする。おそらく、ルーク自身の本当の能力だろう。ヴァイスにしてみれば、先程の暴れ馬のような力よりも、今の力の方が脅威的ではある。 「確かに、お前の言うとおりだ。だが、お前がどうしても行くというのなら、俺は全力でお前を止める」 そう言って、彼は静かにその瞳に力を宿す。邪眼、という力を発動させた証拠であろう。 「そんなことをして、貴様に利益があるわけではないだろう?」 訝しげに、ルークは彼にそう尋ねた。ヴァイスはその問に関しても、彼は静かに言葉を返す。 「それが俺が彼女にしてやれる償いだ。今、あの娘はお前を失うわけにはいかない。それに、この街も、お前を失うわけにはいかないんだ」 「どういう意味だ?」 ヴァイスの言葉の、最初の意味は解ったが、後の意味が彼には理解できなかった。しかも前者に対しても、何故彼がそんなことを気にしなければならないのかも、ルークには解らない。 「時が、満ちれば解る。今は、流れが早すぎるんだ。外の世界も、この街も、それに、人の出会いも・・・」 そして、一間をあけて・・・。 「とにかく、今は彼女はお前を必要としている。彼女を苦しめたくないのなら、赤珠には関わるな。少なくとも、頭に血が上っているお前よりは、俺の言葉の方が的を得ている」 何故か、ルークは自分の気持ちが落ち着いていくのを感じていた。だがそれでも彼には解らなかった。 「何故ギルドの人間であるお前が、そんなことを口にする・・・」 それが、一番の疑問だった。どちらかといえば、エピィデミック寄りのルークは、ギルドの人間である彼から見れば明らかに敵である。だが、その問に、ヴァイスは初めて苦笑のような物を浮かべて、こう答えた。 「ギルドであろうと、エピィデミックであろうと、人が苦しむのを見たいわけではないよ。こんな言葉を言える義理かどうかはわからんがな」 そう言って、ヴァイスはルークに背を向けた。ルークが落ち着いた事を理解したのだろう。感情的にならなければ、彼が無茶をするような人間でないことは、ヴァイスも知っていたのだ。 それでも、拭いきれないわだかまりを、ルークの胸に残したまま、その日の夜は過ぎていった。
「邪魔よっ! さっさと起きなさいっ!!」 ほとんど眠っていないルークをたたき起こしたのは、ジェシカのそんな声だった。その時のルークは、それこそ今までにはないほどの深い眠りに入っていた。 おそらく、自分でも信じられないほどの力が発動した結果なのだろうが、その力の意味は、ルーク自身にも解らなかったし、今ではその力も失せてしまっている。残っているのは、ひどい疲労と睡魔だけだ。 さらにルークが戻ってきたのは、既に日が昇ってきた頃だ。今がどれくらいの時間なのかは解らなかったが、そうそう時間が経っているわけではないのだけは解る。 「少しくらいは、眠らせろ・・・って何だこりゃ?」 ルークは目を開いて、思わずそう叫んだ。彼の目に映ったのは、全体がピンクのハートマークの壁紙で装飾された壁だ。そして更に昨晩バルクによって打ち抜かれた壁は、綺麗に打ち壊され、いつの間にか先日までルーク達が潜伏していた部屋と繋がっていた。 「な、な、な」 ルークは呆気にとられながら、ジェシカに何かを訴えようとするが、何から聞いたらよいのかすらも、彼の頭には浮かんでこなかった。 「何? この壁? これは女将さんが、どうせ壊れたからって、そのままつないじゃったのよ。どうせリニアもここにはいるんだから、広くて良いんじゃない?」 「あ、う、そ、そーじゃなくて、リニアの警戒が解かれたんだから、リニアはもう赤珠国に戻っても良いのでは?」 取りあえず、納得できるような解答が聞けた方から、ルークは話を片づけようとする。色々と話が組み合わさると、どうしても話がややこしくなってくる。 「それがねぇ、リニア、どうせならここに居たいって言い出してねぇ〜。どうせあんたも反論しないだろうからって、了解しておいたんだけど、まずかった?」 一応その事に関してはルークは大きく首を振る。 「だけど、お前ら、幼女趣味だとかなんだとか人をさんざん言っておいて」 「別に良いじゃない。相手も了解済みなら」 そう言ってジェシカはにっこりと微笑みながら、ルークの肩にぽんと手を置く。口元などに絆創膏が貼ってあり、その表情はどことなく痛々しい物であったが、そんなことはルークにはどうでもいいことだ。 「だぁかぁらぁ、俺は別に幼女趣味じゃないって言ってるだろ!!」 「別に良いって、私もあんまり細かいことには拘らないことにしたから」 ジェシカの微笑みは、さらに一層和やかな物になる。もはや、ルークに言い返す気力はなかった。 「で、何でこんな趣味の悪い壁紙を?」 半ば項垂れながら、ルークは部屋一面に貼ってある壁紙に目をやる。すると、またもやジェシカは顔を崩し、 「かぁいいでしょ? 一度こんな風に染めてみたかったのよねぇ。新婚さんだしいいんじゃない?」 (いつから新婚なんだ?) という疑問は、もはや口にする気力もなく、ルークはただ彼女の趣味の悪さに、顔を青く染めるだけだった。その後、さらにカーテンや家具なども同じ模様の物だと聞かされたときには、ルークはただ涙するしかなかった。 「もぉいい。それで、当のリニアはどうしたんだ? 姿が見えないんだが・・・」 ルークの言葉に、今度はジェシカは『にまぁ』という表現が似合うような、悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑みに、ルークは最大級の嫌な予感を覚えた。だがそれを気付くような様子もなく、ジェシカは彼に言った。 「下に行けば解るわよん♪ 大繁盛なんだから♪」 「は?」 彼女の言うことが、全く解らずに、ルークは相も変わらず間抜けな声をあげるしかなかった。
何故リニアがそんなウエイトレスのような姿をしているのかも、ルークには疑問だったのだが、何よりも彼を驚かせたのは、そんなことではなく、そこにいる客の面子だった。 (なんでこいつらまで?) ルークがそう思ったのも無理はないだろう。そこには、ジェイクやカイラスの他にも、バルクや、彼の部下1、2(名前をルークは覚えていない)を含めた、ギルドの連中までいたのだ。 「あ、ルーク、起きたんだ」 いち早く、彼に気付いたのはリニアだった。彼女はてくてくとルークに寄ってくると、唖然としている彼に、にっこりと笑って言った。 「これからお世話になるんだから、少しくらい働かなくちゃって思って、女将さんに仕事を貰ったの」 あくまでにこにこと微笑んでいる彼女にただルークはまな板の上の鯉のように、ただ口をぱくぱくとさせているしかなかった。 「何だ? 何か芸でもやるのか?」 そう、悪ぶれもなく話しかけてきたバルクに、ようやく正気が戻ったのか、ルークはきっと彼を睨み付けると、その時抱いていた感情をそのまま吐き出した。 「なんでお前までここにいるっ!! っていうか、この中の客、ギルド連中がほどんどじゃないかっ!!」 そんな怒声を浴びせるルークに、バルクは真剣な表情で返す。 「俺は私生活までお前にどうこう言われるいわれはないと思うぞ。安くて、上手い店があればそこにいく! 当然の理屈じゃないかっ!」 「てめぇは昨日までリニアを狙ってただろうがっ!!」 「仕事と私生活は別にすることにしている」 「そーいう問題なのか! ええっ!!」 そう言いながらバルクの胸ぐらを掴んで、揺するルークの頭に、不意に何者かの一撃が繰り出される。瞬間、それを避けて、その攻撃を放った主を見ると、そこには黒い愛用のフライパンを持った弧扇亭の女将が、不機嫌そうな顔で立っていた。 「ルークっ! あたしの店で商売の邪魔をするとは良い度胸だねぇ」 「あんたもかっ」 呻くようなそんな声をあげて、ルークは思わず泣きそうになる。前々からどこか頭のねじがどこか抜けているような連中だとは思っていたが、ここまで来ると自分が可笑しいのではないか、などという違和感すら浮かんでくる。 「大体、あんたには上の修理費、もとい改装費をもらわなきゃならないんだ! これ以上手間かけさせるんじゃないよ!!」 「は?」 修理費、さりげなく放たれたその言葉に、ルークは耳を疑った。 「修理費って、あれは俺が壊したわけじゃない。あんただって見てただろう。それはこいつが・・・」 と言ってバルクを指さそうとするが、そこには既に彼の姿はなかった。 「野郎・・・」 わなわなと手を握るルークの肩に、女将の手がポンっと置かれる。 「そんなことはどうでもいいんだよ。借りてたのは、あんたなんだから」 「ちょっと待て、借りたのはジェイクだろう!!」 「住んでいたのはあんただろう?」 普通の理屈がまかり通らないのを、不幸に感じつつ、ルークは涙ながらに「はい」と答えた。 「ってなわけで、ジェイクさんからの支援金は、改装費に回しておくからね。宿賃と、食費は自分で払っておくれよ」 などと言われても、ルークには職の宛もない。だがそんな彼に、リニアは下から顔を覗き込み、満面の笑顔を浮かべて言った。 「大丈夫よルーク」 妙に、にこやかな彼女の笑顔に、またもや嫌な予感を覚えつつ、ルークは彼女の言葉の続きを聞くことになる。 「私が養ってあげるから」 よもや自分の半分ほどしか生きていない子供に、そんなことを言われるとは思っていなかったルークは、とにかく、今までの人生の中で、最大のため息をつくしかなかった。
だがそれが偶然であるのかは、この時はまだ誰も知る由がなかった。 ただ、この時は皆が、訪れた安息の中で、ゆっくりとした時を過ごしたい。そう思っていた。
|