リニアの日記

第二章 彷徨いの迷い子
〜The Death〜



「諦めろ。もう、逃げられない」

 その声は、夜の静寂の中に響きわたる。ひどく静かに、そして、ひどく重々しく・・・。

 ルークは焦っていた。目の前の男の言葉を聞いてから、ひどく心が揺さぶられる。それは、ルークが気付いているからだ。彼が言っていることが事実だと・・・。

 汗が頬を伝う。そう、ルークは気付いているのだ。自分にリニアを護る力がないことに。

 だが彼はその焦燥を表に出すわけにはいかなかった。相手に悟られるとペースを掴まれてしまうというのもあるが、何よりもリニアを不安にさせたくはなかった。だが、

「戦ってもいいが、その娘の命は保証しない。巻き添えを食らったところで、原型さえ留めておけば、十分取引には使える。私達が欲しいのは、彼女の命では、ない」

 その言葉は、さらにルークの動きを制限させる。下手に動けば、ヴァイスは躊躇いなく力を振るうだろう。逆に、ルークの動きはリニアにあわせなければならない分、大きく制限される。

(駄目だ、どう予測をたてても、逃げきれない)

 心の中で、ルークは呻く。戦うにしても、リニアを護りながら戦えるほど甘い相手ではない。

(せめて、何かきっかけがあれば・・・)

 ルークがそう思ったその時だった。

「リニア! ルーク!!」

 不意に聞き慣れた声が、辺りに響きわたる。声のした方を振り向くと、そこにはジェシカが荒い息を吐きながら立っていた。彼女はキッとヴァイスを睨むと、まるで髪を逆立てるような勢いで彼を怒鳴りつけた。

「ヴァイス、夜に行動を起こすなんてギルドは何を考えているのよっ!! 夜の沈黙を破るべからず、それはこの街の最大の掟のはずでしょ! 何のために2年前、エピィデミックが兄さんを通じて和解を申し込んだと思っているの!」

 2年前、ジェチナの勢力図は、アサシンギルドに氷の閃光ヴァイスと、鉄の爪バルクの加入したことによって一気に崩れ去った。彼らの圧倒的な戦闘力により、当時最大を誇ったジェチナの勢力、ブラッディファングが崩壊したのだ。

 だがエピィデミックはジェチナの民に最も支持を受けていたために、総合的にアサシンギルドと均衡してしまったのである。それは、戦えばどちらも共倒れになることを意味していた。

 そしてそれを危惧して、両者から頭角を現したのが、アサシンギルドのキース=レイモンドと、エピィデミックの闇の契約人ジェイクだったのだ。

 彼らの交渉により、アサシンギルドが治安維持を牛耳り、そしてギルドが横暴を働いたときのための対抗勢力として、エピィデミックが存在し続けるという妥協案が成立し、長いジェチナの戦いは幕を閉じたのだった。

「掟を破る、ということは、契約を破棄するって事よ。そうなればエピィデミックも動かざるを得ないし、ジェチナの人間だって黙っていないわ。何より、このジェチナの治安が乱れるのよ。そんな事が解らない貴方じゃないでしょう」

 その交渉は、お互いがジェチナの掟を守るという条件で成立したものだ。どちらかがそれを犯せば、必然的に両者の関係は崩れ去る。

 ジェシカは、ヴァイスのことを知っているようだった。そして彼女は更に言葉を続ける。

「2年前、貴方は、私がエピィデミック関係者の身内だって知っていて、助けてくれたわよね。こんな下らない抗争のために命を落とすことはないって。その貴方がこんな小さな子を捕まえるために動くわけ? 今のギルドはただ横暴を繰り返しているだけよ」

 ジェシカはそう言うと、バッと右手を大きく振る。そして彼女はヴァイスの言葉を待った。だが、ヴァイスは一度ゆっくりと目を閉じると、変わらない中性的な声色で言った。

「その問に答える義務はあるまい。俺は、ギルドの決定に従うのみだ」

 ヴァイスのその言葉に、ジェシカは何かを言おうとするが、ルークがそれを遮った。

「ジェシカ、リニアを連れて逃げろ」

「え?」

 不意に出たルークの言葉に、リニアとジェシカは驚きの声をあげる。だがルークは二人の表情に構わず話を続けた。

「俺には、リニアを護りながら戦う能力がない。質自体が、そういう事に向いていないんだ。だから、奴は俺が抑える。お前はリニアを頼む」

「ルーク」

 不安そうにリニアがルークの名を呼ぶ。他に方法がないことも、リニアには解っていた。だが頭で理解していても、どうしても不安は拭えない。ルークに会う前のリニアならば、自分の心を偽ってでも納得することはできたはずだ。だが今のリニアにはそれが出来なかった。

 だがルークはリニアの頭をぽんと軽く叩くと、懐から水晶のような球状の玉を取り出し、それをリニアの手に握らせる。

「今は、一緒にいることではお前を護ってやれない。だから代わりに持って行け。お守り代わりだ」

 リニアは一瞬戸惑うが、前に彼が言った言葉を思い出した。

『俺が君を護ってやる。君が、大切な物を失わないように・・・。心を壊さないようにな・・・』

 ルークは、そう言ったのだ。今、自分が彼をどれだけ心の支えにしているかは、彼も知っているはずだ。死ぬ気であるはずがない。

「・・・・・・。気を、つけてね」

 リニアのその言葉に、ルークはゆっくりと頷き、ジェシカの方に目をやる。ジェシカはルークの顔を一度だけ見ると、彼女も強く頷き、リニアを連れてその場を離れていった。

 その間、ヴァイスは、まるで最後の別れを見守るように、リニア達には手を出さなかった。目の前にいる獲物をみすみす逃がす。それがルークには意外だった。

「何を、考えている?」

「娘はともかく、ジェチナの人間を巻き込むわけにはいくまい。貴様さえいなければ、連中はいつでも捕まえられる」

 彼は変わらない、冷淡ともとれる声でそう言葉を返す。ルークは、何となく腑に落ちない物を感じていたが今はそれを無視することにした。

(とにかく、時間を稼ぐ)

 ルークはそう考えると、全身に力を駆け巡らせる。

(だが、今でもできるか?)

 僅かばかりの不安がよぎる。時間稼ぎ・・・、数年前前ならばできた事だ。だが、ずっと必要としていなかった能力だ。師から教わった、人を制する力・・・。それを人を殺すこと以外で使うことができるのか、今の彼には解らなかった。しかし・・・

(やるしかない。まだ、死なせるわけにも、死ぬわけにもいかないんだ)

 今、カイラスがリニアを捜索している連中を捜しているはずだ。後何日かかるかは解らないが、それを乗り切ればルーク達の勝利なのだ。

「お前を、リニア達の所にはいかせない」

 そう言うと、ルークは右腕に闘気を込め、目の前の敵に向かって駆け出した。

***

(きっと、大丈夫・・・)

 リニアはジェシカに手を引かれながら、何度も心の中でそう呟いていた。あの場に、ルークを残してきたのは本意ではなかった。だが、非力な自分では、どうすることもできないのを、リニアは理解していた。

(もっと、私に力があれば・・・)

 それを彼女は悔いていた。戦う力がないわけではない。多少の力ならば彼女は振るうことが出来る。しかし小さな力では、ルークの邪魔になるだけなのだ

(私、護られて、ばっかりだ・・・)

 何もできない自分が悔しかった。

「気にしないの」

 不意に、リニアの手を引いていたジェシカが、短くそう言った。

「私達には私達の役割があるのよ。確かに私達には力がない。だけど、それが嫌なら今を乗り切って力をつければいいの」

「ジェシカ・・・」

「とにかく、私達の今の役割は逃げる事よ。逃げて逃げて逃げ切るっ! それとも、ルークのこと、信じられない?」

 リニアは、その問にはすかさず大きく首を振る。彼女はちらりと振り返ってそれを見ると、満足そうな顔をして言った。

「じゃ、問題なし。私達は私達の役割を果たす。いいわね」

「うん」

 正直、全てを納得したわけではなかった。だが強くならなければならない。リニアは強くそう思った。今までとは違う意味で強くならなければと。独りに耐える強さではなく、人を信じる強さ。ルークは、自分との約束を違えたりしない。そう信じようと。

 そして二人は路地裏を抜け、大通りに出た。ここを少し進めば目的地に着くはずだった。だが彼女らの思惑は、脆くも崩れ去ることになった。

「遅かったな」

 そこには数人の男達がいた。早目で相手の人数を確認する。

(8人・・・。しかも)

 そこにはバルクの姿まであった。しかし、その一同を率いているのは、その彼でもないようだった。一人、異質な雰囲気を放っている男がいる。

 その男は、周りにいるギルドの暗殺者と同じ黒装束を着ている。ただ違うところがあるとすれば、それは彼の服に引かれた幾つかの赤い線だ。

 歳は20代から30代といったところだろうか? 彼はひどく冷酷な目をしていた。血を好む。そんな目だ。そして痩せ気味である体質がそれをさらにひきたたせている。

赤梟っ・・・」

 ジェシカは、最悪だとでも言わんばかりに、顔をしかめる。赤梟、その名は、リニアもジェシカから聞いていた。

 まだ、ヴァイスやバルクがアサシンギルドに加わる前から、アサシンギルドのギルドマスターの側近として働いていた男・・・、ワーム=エイザー。事実上、アサシンギルドの中枢を担う男である。

 だが彼の通り名が示すのは、栄誉ではなく、彼の狂気である。梟は夜目の鳥だ。夜の静寂を嫌うジェチナの民にとって、夜に活動する梟は侮蔑と狂気の形容として扱われる。

 そして、手段を選ばないそのやり方と、血を好む性格から、彼はそう呼ばれるようになったという話だ。

「あんたが、動いていたのねっ」

 ジェシカは、重々しい口調でそう呻く。よく考えてみれば、夜襲という、ジェチナにおいては禁断の行為を行うのだ。アサシンギルドのメンバーとて、それをそうそう納得するわけがない。それ相応の指揮者がいるはずなのである。

 そしてそれを納得した上で、夜襲というタブーを行える人物はギルドの中でもわずか2、3人のみだ。その一人がこのワームなのである。

「ヴァイスは上手くやったようだな」

「え?」

 ワームのその言葉の意味が解らなかったのだろう。ジェシカは場違いな声をあげる。だが、一方リニアは、彼の言っている事の意味に気付く。

「まさか、囮?」

 思わず呟いた言葉に、ワームは下賤な笑みを浮かべる。

「赤珠のお姫様の方が解っているじゃないか。いくら部品だけでいい、っていっても、五体満足に越したことはない。それに、邪魔者のいないサシの勝負なら、ヴァイスに勝てる奴なんざ、そうそういるわけがない」

(どういうこと?)

 リニアは、ワームの台詞に強い疑問を持つ。

(足手まといの私達がいるよりも、ルーク一人の方が戦いやすいってこと?)

 ワームの言葉をそのまま鵜呑みにすると、そういうことになる。リニアは途端にルークのことが心配になった。彼がそうそう負けるとは思えない。だが、彼女はルークに制限を加えてしまったのだ。

『もう、自分を閉じこめるようなことをするのは止めて』

 それは、リニアが隠者生活の最中にルークに言った言葉だった。それは生気を失った様な、あの瞳のルークにならないで欲しいという意味だった。

 ルークが、死神になる瞬間、それが戦闘でどういった意味を持つのかは、リニアも知らない。だが、もしそれによって彼の戦いに制限が加わるのであれば・・・。

(私、余計な事をいったのかもしれない・・・)

 途端にリニアはひどい不安にかられる。だがあの瞳の時のルークは、ひどく痛々しかったのだ。まるで、心を封じることで、自分に出来ないことをやっているような、そんな感じがしたのだ。リニアの中で、不安だけが留まることを知らないように大きくなっていった。

 そして彼女にもまた、危険は迫っていたのだ。絶体絶命、リニアはそんな中にいたのである。

***

 闇の中で、煌めく白刃が舞う。そしてその刃が弧を描くと同時に、赤い飛沫が宙を舞った。

「ちぃっ」

 ルークの舌打ちが、辺りに響いた。彼は、すかさず右手の人差し指と中指に淡い光を宿すと、目の前の敵に向かって一閃を放った。だがそれは空しく空を切る。

(くそっ)

 彼は焦れていた。身体が思うように動かないのだ。そのせいで、彼は先程からヴァイスにいいように手玉に取られているのである。その証拠に、彼が着ている黒装束の所々に、目立たないものではあるが、幾つも赤い染みがこびりついている。

(身体が、敏感すぎる・・・)

 ルークは、自分の反応以上に、早く動くことの出来る身体に、違和感を覚えていた。自分が自分の身体を操りきれていないのだ。

 ルークが焦れている間にも、ヴァイスの攻撃は続く。

「彼の者を裂け、風の爪よ」

 ヴァイスはそれまで持っていた短刀を捨てると、ルークとの間合いを取りながら、ゆっくりと事象を紡ぐ。そして彼は一気に紡いだ事象を解き放った。

「ティアウインド」

 彼が手を一振りすると、風の刃が空間を切り裂きながらルークを襲った。

 だがルークはすかさず闘気のよる瞬発でその場を離れ、それを避ける。風の刃は、そのまま直進し、ルークの後ろにあった家の壁に三本の爪痕のような傷を残した。

(化け物、だな)

 ルークは心の中でそう呻く。闘気と、魔術とを、両方使いこなす人間がいることは知っていた。実際、ルークの師もその類の人間であったし、彼自身魔導技法のための修練を受けた事がある。

 だが、これほど両方の技能に長けた人間を、ルークは師以外には知らなかった。単純な戦闘力だけを言ってみれば、彼はルークが出会った中では最強の戦士だろう。しかし・・・

(くそっ、この鬱陶しいほどの反応さえ無ければっ!)

 更にルークは焦れる。もし、彼が4年程前の自分だったならば、今目の前にいる敵に五分の戦いを挑めたはずだ。身体機能自体は、その頃よりも向上しているのに、彼の反応が身体についていっていないのだ。

 そして彼はその理由も解っていた。

に頼りすぎた・・・)

 、それは精神を限りなく虚空にすることによって、半ば本能に任せた攻撃を繰り出す、精神の技法だった。

 これまでの戦いの時、ルークの瞳から生気を失われていたのは、この能力に戦いを依存させていたためだ。

 本来ならば本能に任せた攻撃は、無駄が多いものだ。だが機械的に人を殺す術を叩き込まれているとすれば、身体は教え込まれたその経験を反射的に実行させる。

 意図して得た能力ではなかったが、彼が師からたたき込まれた技法と、彼が必要とした技法が組み合わさったとき、この能力が生まれたのだ。

「どうした? あの攻撃は出さないのか?」

 ヴァイスも、ルークの能力事は知っているようだった。だが、ルークはを使うことは出来なかった。リニアに止められたこともあるが、それだけではない。その能力は、ルークの最強武器であったと同時に、最悪の弱点でもあったのだ。

「そうか、ならば、貴様の負けだ」

「――っ! 黙れっ」

 ルークは身体をぶれさすと、そのフェイントを利用してヴァイスとの間合いを詰める。そして闘気を込めた右手の二指で、彼の首を切り落とそうとする。

 しかしルークは突然酷い吐き気に襲われた。そして、彼の指に込められていた闘気も、空しくと霧散する。

 ヴァイスはそれを見逃さず、闘気を込めた右腕でルークを殴り飛ばすと、その瞬間を利用して、彼との間合いをとる。

 そして、ルークの様子を見ながら、今まで腑に落ちなかった事に納得する。

「そうか、貴様は人を殺さなくなったわけではない。人を殺せないのだな」

 戦いの最中、何度かルークの攻撃があまかった時があった。それまでは小さな物であったが、今の攻撃は、決定的だった。

(くっ)

 ルークは殴られた腹部を押さえながら、ヴァイスの言葉に呻く。彼の言った言葉は真実だった。ルークがによって心を虚空にしていた理由。それは彼が人を殺せないからだ。

 ルークには生まれつき魔力がなかった。それ故に初めて人を殺すまで気付いていなかったのだ。自分が、他人の死という感覚に共有しやすい体質だと言うことに。

 精気は感情に影響されやすい媒体である。それ故に魔力の高い人間は人の感覚を共有しやすい。

 だが魔力を持たなくても、ルークのように感覚を共有する人間というのは、極希にであるが、存在するのだ。それが天性の物であるか、環境によって作られた物なのかは解らないが、ルークの場合、それはおそらくその両者だったのだろう。

 そして彼が人を殺せない理由。それは、ルークが初めて人を殺したときに、その恐怖や憎悪の感覚を共有してしまったのだ。それがトラウマとなり、戦うことが出来なくなった。彼が力を振るえば、脆い常人など簡単に壊れる。彼の力は、例え殺傷力の低い力を用いたとしても、常人には十分死を与えてしまう力だったのである。

 だから彼はを使うことによって、人と戦う躊躇いを消したのだ。そして結果的に、その能力は、確実に人を死に至らしめる力になってしまったのである。

 そしてを使ったとしても、それが切れた後に、それまでため込んでいた死の感情が、一斉に噴き出してくるのだ。リニアを追わなければならないときに、そんなことで体力を削ることはできない。

 だがヴァイスは小さく首を振ると、強い口調でこう言った。

「無様だな。いきさつは知らないが、俺にはそれに構う義理はない。せめて安らかに死ね」

 ヴァイスがそう言うと同時に、場の精気は奇妙な形で収束する。そしてルークは、ヴァイスの瞳に力が籠もるような違和感を受けた。

「また邪眼かっ」

 忌々しげに、ルークが叫ぶ。ルークはヴァイスの次の攻撃に備えようとするが、ヴァイスはカッと目を見開くと、ゆっくりと右腕をルークの方に差し出し、そして重圧的な声で言った。

「俺の瞳は、貴様を精神を捕らえた。もう、お前は動けない」

「なに?」

 意味が解らず、ルークは攻撃に対する備えを解こうとする。だが、彼の身体は動かなかった。まるで、何か強い力で締め付けられているような感覚を受けたのである。

呪縛の瞳、我が戒めは、貴様を逃さない。彼の者を刻め」

 続けてヴァイスの周りに、パキパキという音をたてながら、無数の巨大なつららが出現する。最初にヴァイスが見せた能力だ。

「アイシクルランス」

 そして彼の言葉が武器となるように、その氷の塊は、ルークに向かって突き進んでいく。ルークはすかさず闘気を纏うが、十数本の氷の槍は彼の抵抗を打ち崩すように、彼の身体に纏われた闘気を打ち破いていった。

 だが闘気により、氷が削られたことで、身体を貫かれることはなく、氷の塊がルークの身体を殴打する。だがその威力は尋常ではない。ルークはその勢いに、身体をはじき飛ばされながら、その場所に仰向けに倒れ込んだ。

(負けた、のか?)

 そんなことが考えられるくらいだ。致命傷には至っていないのだろう。だが彼は完全なる敗北を悟っていた。

(でも、リニア達は、逃げられたよな・・・)

 せめてもの慰めは、彼女らが逃げられただろうということだ。ルークは目的を果たせた事に安堵していた。時間さえ過ぎれば、自分たちの勝ちであることには変わりはないのだ。だが・・・

「これで、後は連中が彼女らを捕らえているだろう」

 その言葉が、ルークの耳に入る。

「な、に?」

 自分耳を疑うような言葉に、ルークは呟いた。そんな彼にヴァイスは小さく言った。

「俺は貴様をひきつけるための囮に過ぎない。おそらく大丈夫だとは思うが、俺もいかなければな。貴様は、そこで無様に倒れていろ」

 そう言って、ヴァイスはリニア達が逃げていった方向へと足を進めていく。ルークはその足跡を聞きながら、ただ呆然としていた。

(やっぱり、護れないのか・・・)

 そう、ルークが思ったとき、不意に、あの声がルークの頭の中に響いた。

(お前に、人が護れるわけ無いじゃないか)

 その声はルークにそう罵声を浴びせる。

(だってそうだろう? お前があの人にした仕打ちを忘れたわけじゃないだろう)

(黙れっ)

 逃れるように、ルークは心の中で叫ぶ。だがその声は止むことはなかった。

(お前は護れなかったんだ。あの人を・・・)

(黙れと言っているっ)

(そしてこれからも誰も護れるはずがないんだ。そんな力も、そして覚悟もお前にあるはずがないっ)

(うるさいっ)

 それはもう絶叫に近かった。実際、ルークは苦しんでいた。いつも夢に出る『彼』が目覚めている今も出てくる。夢ならば目覚めれば済む。だが今の『彼』はルークを放すことはないのだ。それは拷問に近かった。

(結局・・・)

 ようやく終わりを迎えるのだろうか? その声は、ひどく静かな声になる。おそらく迎えるであろう苦痛の終焉に、ルークは奇妙な安堵を覚える。しかし・・・

(お前はあの男と変わらないんだっ)

 ギリッ

「黙れえぇぇぇぇぇぇ」

 ルークは叫んでいた。そして瞬時にルークの感情がピークに達し、その漆黒の双眸には、深く、憎しみの炎が灯る。

 突然のその声に、ヴァイスが振り返る。そしてヴァイスの漆黒の瞳には、信じられない光景が映っていた。

 ルークは立ち上がっていた。しかも、ヴァイスにから受けたダメージなど、微塵も感じさせないように、しっかりとだ。

「あの男とだけは、一緒にするなっ!」

 彼が吐いたその言葉は、当然の事ながらヴァイスには意味が解らなかった。だが、一つだけ解ることがあった。それは、今彼の目の前に断っているのは、今までのルークとは完全に異質の存在であるということだ。

「ヴァイス、どけ。そこを通るのは、俺だっ」

 そう言うルークの瞳には、凄まじいほどの殺気が籠もっていた。

 ジェチナの夜は、まだ生け贄を必要としていた。





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