リニアの日記

第一章 赤い瞳に映るもの
〜pain〜



 ジェシカという女性は元々おしゃべりなのだろう。聞かなくても、彼女は同じベッドに横たわりながら、リニアに様々な事を教えてくれた。リニアが今いる場所、自分を狙った連中のこと、ジェシカ自身のことをだ。

 ジェシカが寝息をたて始めた頃、リニアはゆっくりと身体を起こし、ジェシカの話から自分の置かれている立場を整理する。

(ここが、あのジェチナ・・・)

 自治都市ジェチナ、その名前はリニアも知っている。

 自分が生まれるより前に起こった龍帝の反乱・・・。それは大陸全土を巻き込んだと聞いている。そしてその戦いで荒廃した土地の中でも、特に酷い被害を受けた街の一つであるのがジェチナである。

(暗黒街・・・、無法地帯、そう聞いていたけど・・・)

 そんな感じを受けない、といえば嘘になる。ジェシカからアサシンギルドという、この街の治安を護る連中の話を聞いた今なら尚更だ。

 アサシンギルドは、その武力によって、人々を抑制し、一種の秩序を作り出している。野蛮とも思えるやり方だ。だがそこには確かに街の人間に容認された秩序があった。リニアが聞いていた話とはかなり異なる。

 もっともそれはジェシカの話から辿り着いた考えだ。ジェシカがギルドの人間でないという確証がなく、自分の目で確かめていない現状を含めれば、結論というには遠く及ばないものだろう。

 だがリニアはそこまでは考えないことにした。彼女は疲れていたのだ。如何に大人びていても、彼女はまだ8歳の子供だった。

 怒涛のように変化した周りの状況、そして命を狙われたという恐怖、自分がどうなるのかという不安。唯の子供であれば怯え、泣くだろう。

 だが彼女は泣くわけにはいかなかった。泣いてしまえば自分が脆く崩れさってしまうことを知っていたからだ。何も彼女は特別強い人間ではないのだ。

(気になることはたくさんあるけど、とにかく今は休もう)

 彼女はそう務めようとした。馬車に残してきた妹のことも気になったが、今はどうしても悪い考えしか浮かばないような気がしたらからだ。考えてしまえば、自分が壊れてしまう。そう思ったのだ。

 そして彼女は残してきた妹の名を、呟くように呼んだ。

「アーシア・・・」

 そう、彼女が残してきたのは妹だった。血の通った、唯一の妹・・・。そしてリニアという名は、妹が好きだった本に出てくる少女の名だ。それが少女がついた一割の嘘だった。

***

「・・・、言っている意味が解らないが・・・」

 翌日の昼下がり、自室に戻ってきたルークは、借り宿の一階にある食堂に来ていた。

 そしてルークはそこでジェシカのある台詞に、そう言葉を返したのだ。

「え? だから、ベッドもう一つ必要よねって」

「それは聞いた。だから、どうして必要なのかと聞いている」

 同じ言葉を繰り返してか、ルークは少し苛立ちながら、ジェシカにそう尋ねた。するとジェシカは何か不思議そうな顔をしながら、尋ね返す。

「何? ルーク地べたで寝るわけ? 」

「何故俺が地べたで寝なければならない」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 噛み合わない二人の会話に、ようやくジェシカも何かが違うことに気付いたのか、二人は同時に沈黙する。そしてその側には、少し遅めの昼食を取りながら、その光景を呆れてみているジェイクとリニアの姿があった。

 ジェイクから赤珠国の王女が無事保護されたという裏からの情報を聞いていたリニアは、落ち着いた様子でその光景を楽しんでいた。

「ジェイク先生、あいつら何やってるんです? 」

 そこに加わってきたのは金髪の青年だった。背丈はルークと同じくらいだろう。だが顔はルークよりも幼く見える(というよりもルークの方が年相応に見えないのであるが)。

「カイラスか。何だかジェシカがベッドがどうとか言い始めてな」

「へぇ。ところでこの子は? 」

 ジェシカとルークがこんな状態になるのは、今に始まったことではない。それよりも、彼の興味はリニアに移ったようだった。

「私も先程会ったばかりだが、ルークが連れてきた娘でな。リニア=パーウェル君だ」

 ジェイクに紹介され、リニアは「初めまして」と軽く頭を下げる。

「ルークが? 珍しいこともあるもんですね」

「私もそう思うよ」

 ルークは極端に人との付き合いを拒む。縁がない人間との接触は絶対と言っていいほどしない人間だ。

 それであるにも関わらず、このリニアという少女を助けた事は、二人には意外だった。そして二人は同時にリニアの方を見る。もちろん当の本人であるリニアは、突然二人が何故自分の方を見たのか理由が解らずに、きょとんとしていた。

 そう言った間にも、ルークとジェシカの話は続いていた。

「だから、人が増えるんだから、当然ベッドが必要でしょ! 」

「だから、何処に、誰が住むのかと聞いている」

 興奮気味のジェシカに、ルークはかなり苛つきながらも、なるべく平静に言葉を返した。

「リニアが、貴方の部屋に住むんでしょ? 」

「・・・・・・、そこだったのか」

 自分たちの会話がもつれた原因が、ようやく理解できたルークは、疲れたようにはぁっとため息をついた。それはひどく珍しい光景だった。見ていたジェイクとカイラスが、思わず吹き出してしまったのも無理はないだろう。もっとも、それはルークの一睨みによって中断させられたが・・・。

「どうでもいいが、俺が彼女を引き取るわけにはいかない。第一、いくら子供でも女の子だぞ」

「それじゃどうするのよ! 」

 自分の意見が却下されたことに、頬を膨らませながら、ジェシカはそう尋ねる。

「ジェイクの所にでも引き取ってもらう。あそこなら、お前がいるだろう」

 刹那ジェシカは兄の顔を見るが、話はついているのか、ジェイクはさほど驚いてはいなかった。だがジェシカはすぐにルークの方に顔を戻すと、「駄目よ! 」と一言怒鳴った。

「別に面倒を見るのはいいわよ。リニア可愛いし。でも、リニアは狙われてるんでしょ! うちは病院だからいざこざは困るし、それよりももしギルドが襲撃をかけた時に、私達じゃリニアを護る術はないわ」

 ジェシカの言葉に、一同は固まる。驚いたのは彼女がはっきりと筋の通った事を言っているからだ。しかしそんな事には全く気付かずにジェシカは言葉を続ける。

「大体、ルークが勝手に助けて、勝手に連れてきたんでしょ! 面倒くらい見なさい。傷物にまでして!! 」

 その意味をジェシカの意図とは異なる意味でとったのか、突然カイラスがいつの間にか頼み、飲んでいたお茶を吹き出す。

「ルーク・・・、お前・・・、幼女趣味だったのか・・・」

「ええっ、そうなの? 」

 軽蔑、というよりは何か納得したような様子で、カイラスはそう言った。ルークに女っ気が無いことを疑問に思っていた、というのはリニアが後から彼から聞いた言葉だ。

 そして当のジェシカは、自分が言った台詞が大本だと気付かずに、驚きの表情を浮かべる。もっともこちらにはかなりの侮蔑の色が浮かんでいたが・・・。

「・・・そんな訳ないだろう・・・」

 とんでもない方向に話を進められている事に、ルークはひどく頭を痛ませるが、もうどうでも良くなったのかルークはとにかく話を進めることにした。

「だが俺が人の面倒を見るような人間に見えるのか? 」

「見えない! 」

 とジェシカとカイラスがはもりながら答える。ルークは妙ないらつきを覚えるが、あえてそれは無視することにした。

「もちろんルークだけに任せる、って言っていないでしょ。時間が空いてる時は私も付き合うわよ。それにリニアしっかりしてそうだしね。案外、ルークの面倒見てくれるんじゃない」

「うぐっ・・・」

 またもや的確な言葉に、ルークは言葉を詰まらせる。自分が几帳面だとは言い難い性格だというのは、彼自身認めていることだ。

(全く、兄妹そろって弁舌が上手い・・・)

 もっともジェシカの場合は、滅茶苦茶な言動に、時折まともなことを言うから駆け引きができないという事なのだが・・・。

 それはともかく、それまで二人(時折三人)のやりとりを楽しげに見ていたジェイクが、ようやく口を挟む。

「おいおい、一番大切な事を忘れていないか? リニア君の意志を無視して決定させるわけにはいかないだろう」

 穏やかな表情でそう言うジェイクに、二人の視線は同時にリニアの方に向けられる。

「君に決断させるのは酷な話かも知れないが、これは君自身の問題だ。ジェチナでは自分の意志がない者は取り残されていく。たとえそれが子供であってもね」

 その言葉には優しげながらも強い意志が込められていた。リニアはこくりと頷くと、しっかりとした口調で言った。

「皆さんに御迷惑をかけるわけにはいきません。この街さえ出ることが出来れば、赤珠国の大使館があると思いますので、そこまで連れていってはもらえないでしょうか? 」

 先程から、その話題が出ない事にリニアは疑問を持っていた。それがおそらく最も効率の良い方法だと考えられるにも関わらずだ。彼女がいなくなれば、ギルドは目標を失う。

 だがその疑問についてカイラスが答える。

「それは無理だな、お嬢ちゃん。ジェチナの出入り口はみんなギルドの連中が見張っている。昨日なら、ルークが強行突破を仕掛ければどうにかなったかもしれないけど、今はきついな。多分、氷の閃光鉄の爪も駆り出されているだろうからな」

「誰です? 」

「アサシンギルド一、二を争う暗殺者よ。ギルドがエピィデミックを制して、ジェチナの覇権を手に入れた最大の理由が彼らにあるわ」

 エピィデミック・・・、確かジェチナの穏健派の勢力だとジェシカが言っていた組織だ。

「いくら死神ルークでも、奴等を相手にはしたくないだろ? 」

「俺は別に戦いを好んでいるわけじゃない。目障りな連中を片づけているだけだ。が、確かに連中が強いことは認める。特に氷の閃光ヴァイス=セルクロードはな。人を護りながら戦える相手ではない」

 ルークの解答にうんうんと頷きながらカイラスは相づちを打つ。

「というわけで、その選択肢は消えたわけだ。だが君が赤珠の要人というのは、連中の勘違いなのだろう? カイラスにそういった噂を流させるから、その噂が知れ渡るまでの間、どっちで暮らしたいか、好きにするといい」

 どうしても迷惑をかけなければならない、ということに多少気が引けたが、とにかくリニアは連中に捕まるわけにはいかなかった。リニアはこくりとジェイクの言葉に軽く頷くと、その議題に答えた。

「それじゃ、病院に迷惑を掛けるわけにはいきませんし、ルークさん、御願いできるでしょうか? 」

「あ、ああ」

 ルークにしてみればその答えは意外だったのだろう。どう考えても目の前で人を平然と殺した人間の所に厄介になると言うとは思わなかったのだ。そんなこともありルークは少し動揺した様子で頷く。

「ちぇっ」

 悔しそうに舌打ちするジェシカを、リニアはすまなそうに見るが、その視線は長くは続かなかった。それは和やかだったその空間に、異質なるものが現れたからだ。

「よぉジェイク先生。確か死神はあんたが面倒見てるんだったよなぁ」

 そう言って宿に入ってきたのは、二人の供を連れた体つきの良い男だった。身長はルークよりもかなり高く、目付きはお世辞にも良いとは言わないだろう。多少釣り上がり、どことなく狂気のような物が浮かんでいる。

「そうだが、何のようだね? バルク」

 あまり好ましい客ではないらしく、ジェイクの態度は一変している。そんなことを不思議に思っているリニアに、ジェシカが「あれが鉄の爪よ」と耳打ちする。

「カイラスがいるんだ。知らないはずはないだろ? ギルドがそいつを追っているのを。何処にいるのか、教えてもらうじゃねぇか」

「・・・何処にいると言われてもなぁ・・・」

 凄みながらそう言うバルクという男に、ジェイクは困ったような表情を浮かべる。それをじれったく感じたのか、苛立ちながらバルクは叫ぶ。

「あんたにはうちの連中も世話になっているから、穏便に話を進めようとしてるんだ! 隠し立てするのなら、容赦はしねぇぜ! 」

「隠し立てする気はさらさらないんだが・・・、なぁ」

 ジェイクは変わらない様子で、ルーク本人に相づちを打つ。

「誰だ? こいつは? 」

 それまで眼中にはなかったのか、ジェイクがルークの顔を見たことによって、初めて意識したようにそう言った。

「いや、だから、彼がルークなんだが・・・」

 一瞬、その場は奇妙な静かさに包まれる。これも後でリニアが聞いた話なのだが、ルークはまだジェチナに来て半年程度で、名前の割には顔は知られていないということだった。更に言うならば、ルークの外見の年齢が、戦闘中と戦闘以外でかなり異なるということらしいのだが・・・。

 それはともかく、バルクの連れの一人の含み笑いによって、その沈黙は破られた。

「う、うるせぇ。こんなガキが死神ルークだと? うちの連中はこんなガキ一人にいいようにやられてる訳か? 」

「仕掛けているのはお前らの方だろう。俺は目障りな物を消しているだけだ」

「聞いてねぇよ! ちっ、胸くそ悪ぃ。とにかくだ、てめぇがルーク=ライナスなら話は早ぇ。赤珠のお姫様を渡してもらおうじゃねぇか」

 そう言ってバルクはびしぃっとルークを指さす。が、見慣れないリニアの顔を見て、あからさまに嫌そうな表情を見せる。

「・・・まさかとは思うが・・・、そっちの小さいのが赤珠のお姫様か? 」

 彼が想像していた目的の少女とかなりイメージが違ったのか、冷や汗のような物を流しながら、バルクが尋ねる。

「お姫様じゃないわよ! リニアはそのお姫様の侍女よ! もうすぐのろまなあんた達のところにも情報が来るでしょ! 」

 そう怒鳴るジェシカをキッと睨み、バルクは怒鳴り返す。

「そんな事はどうでもいいんだよっ! そこらは俺が口出しする事じゃねぇからな! それよりもその娘が死神が連れてきた娘なのかと聞いている!! 」

「そーよ」

 堂々とそう答えるジェシカに、バルクは頭を抱え、一緒に連れてきた、アサシンの一人の胸ぐらを掴んで怒鳴った。

「なんでうちの連中はこんなにガキに執着するんだよっ! 大体お前らも先に言えばいいだろ! 相手がガキだって!! 」

 そんな横暴な事を怒鳴りながら、バルクは掴んでいる胸ぐらを前後に揺する。一同は、シリアスであるはずの場面なのに、妙に緊張感のない場に疑問を抱きつつ、更にこう思ったという。相手の特長も知らずに、人を捜す方が間違ってるだろ! と・・・。

 しばらくして、揺さぶられていた暗殺者がぐったりとしたところでようやく落ち着いたのか、バルクはルークを睨み付けると、彼に向かって怒鳴る。

「大体てめぇがうちの獲物を横取りするからいけねぇんだよ! 大人しくそのガキを渡しやがれ! 」

「滅茶苦茶な言い分に従う気はない。断る」

「初めから快い返事は期待してねぇよ」

 そう言ってバルクは嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ジェフ、ハムス、手を出すなよ。巷でヴァイスに並ぶと評判の死神様だ。期待してるぜぇ」

 そして言い終わると同時に、バルクはその巨体からは予想もできないほどの速さでルークに襲いかかってきた。

(闘気法・・・)

 そんな単語がリニアの脳裏に浮かぶ。魔術という自然の現象を発動させる魔導法に対し、闘気は主に身体機能や物質を強化するための術である。

 魔導器という特殊な媒体を使用すれば、大抵の人間がある程度には使いこなせるようになる魔術に対し、闘気法は修得することに並大抵でない素質と修練が必要となる。

 そのために闘気を体得しようという戦士は少ないのであるが、目の前の男は明らかにそれを使用していた。

「喰らいやがれっ! 」

 その気勢とともに放たれたバルクの拳には、淡い光のような物が込められていた。これも闘気である。闘気が込められた物質は、強力な力に包まれ、必殺の一撃となる。使い手のものとなれば、それこそ質量のある鈍器で殴られたと同じ様な威力を持つのだ。

 そしてその一撃はルークを捕らえた、かに思われた。だがバルクの拳はルークをすり抜けるように通過し、同時にルークの身体はまるで朧のようにぶれる。次の瞬間、バルクの首筋から赤い鮮血が吹き出していた。

「ちぃっ! 」

 それはバルクの舌打ちだった。咄嗟に『それ』に気付き、すんでのところで『それ』をかわしていたのだ。

 そしてバルクの首の皮を裂いた『それ』とは、いつの間にかバルクの隣に移動していたルークの人差し指と中指の二指だった。それには淡い光、闘気が込められていた。リニアがルークと出会ったときに、彼が暗殺者を斬り裂いたのと同じものだ。

「気刃だと、化け物かよっ! 」

 そう毒づきながら、バルクは闘気を込めた左拳をルークに浴びせようとする。だがルークの姿はまたも一瞬のぶれを生じた後、その場から消えた。

「バルクさん、左ですっ! 」

 暗殺者の一人がそう叫ぶと同時に、バルクは右側に跳躍した。ルークの斬撃が空を斬ったのは、それもまた同時だった。

「おもしれぇじゃねぇか」

 バルクはすくっと立ち上がると、不敵な笑みを浮かべる。純粋に戦いを楽しんでいるのだ。だがそんなバルクを目の前にしても、ルークの瞳に感情の色が灯ることはなかった。

「これが、死神ルーク・・・」

 そう呟いたのはジェシカだった。彼女の顔は青ざめていた。別に血を見たためではない。ジェシカもジェチナの育ちであるし、医者という職業である。血は見慣れている。が、彼女に恐怖を与えていたのは、見慣れているはずの男、ルーク=ライナスだった。

 彼の目はまるで感情が籠もっていないかのような空虚なものだった。おそらくジェシカはこの姿のルークを初めて見るのだろう。無表情で、躊躇い無く人を殺せる人形・・・、彼はまさく死神そのものだった。

(でも・・・)

 何故かリニアはその瞳の中にひどい寂寥感を感じた。まるで感情を殺しているかのような、そんな感覚・・・。同じ感覚を共有する彼女だからこそ気付いたであろうその感覚は、彼が戦闘を繰り広げるに連れ大きくなっていった。

「もうやめてっ! 」

 たまらずリニアはそう叫んでいた。明確な理由は彼女自身解らなかった。だがこれ以上ルークが戦っている姿を見たくなかったのだ。

 突然の叫び声に、ルークも、そしてバルクを含めたその場の一同がきょとんとした表情でリニアの方を見る。そしてリニアはそれまで溜めていた物を吐き出すかのように言葉を吐き出した。

「いい加減にして! 大体、王女はまだ6つよっ。そんなことも知らないで、命を掛けて戦うなんて馬鹿みたい! 王家の血なんて微塵も引いていない私を連れ去ってせいぜい喜んでいれば良いんだわっ!! 」

 叫び終えると、リニアはキッとバルクを睨み付ける。それを見て、バルクはチッと舌打ちをすると、くるりときびすを返して言った。

「ったく、興醒めだぜ。おい、引き上げるぞ! 」

「ば、バルクさん? 」

 バルクの意外な一言に、驚いたように暗殺者の一人がそう言った。だがバルクはひどく面倒くさそうに彼に言葉を返した。

「仕方ねぇだろ! やる気が無くなっちまったもんは! どうしても連れて帰りてぇって言うなら、てめぇらが戦いやがれ」

「そ、そんな無茶苦茶な・・・」

「うるさい! 」

 そんな滅茶苦茶な会話をしながら、バルクは振り返らずにそのまま宿を出ていこうとする。だが宿から出る前に、一度だけバルクは振り返ると、ビシッとルークを指さし、こう言った。

「死神、取りあえずてめぇとの勝負はお預けだ。だが、決着は絶対につけてやるからな! 覚悟しておきやがれ! 」

 それだけを言うと、バルクはそのまま宿を出ていった。そしてそれに続くように、彼の連れもその後を追っていった。

「・・・結局、あれ何だったの? 」

 まるで台風のように過ぎ去っていったバルクに、ジェシカは目を丸くしながら呟いた。

「まぁ、人それぞれってことだろ? 」

 とカイラスが解るような解らないような言葉を言ったところで、リニアは取りあえずその騒動が解決したことを理解した。そして突然極度の緊張から解き放たれたリニアは、ゆっくりと意識を失っていった。

***

 リニアが目を覚ましたとき、既に辺りは薄暗くなっていた。目覚めた場所はやはりルークの部屋、そしてルークは前と同じように、窓の下でうずくまるように座っていた。

「目を覚ましたのか」

 前と同じ台詞・・・、リニアは思わずくすりと笑った。

「どうした? 」

 突然少女が笑ったので、意外に思ったのだろう。ルークはきょとんとした顔で、リニアにそう尋ねた。リニアは苦笑しながら、訂正するように言葉を返す。

「ごめんなさい。ただ、前と同じ台詞だったから・・・」

「そうだったか? 」

 ルークにとっては奇妙な事を指摘されたように思ったのだろう。少し戸惑ったような表情を浮かべ、軽く頬を掻く。何となく悪くない雰囲気だ。

 今なら、聞ける気がした。ずっと気になっていたこと・・・。どうして気になるのかさえも解らないのに、抑えることが出来ない程、気になっていたことをだ。

「どうして、あんなに苦しそうに人を斬るんですか? 」

 意外に思っていた言葉はするりと出た。それは自分でも驚くほど簡単だった。聞くべき事ではないかもしれない。でも聞かなければいけないような気もしていたのだ。

 出会ったときにあれほど明確な反応を示した言葉・・・。だがルークはまるでその問を予想していたように・・・、いや実際予想していたのだろう。彼はしっかりと言葉を返した。

「多分、君が苦しみながら何かを護ろうとしているのと同じ理由だ」

「え? 」

 その答えは、リニアが考えてもいなかった物だった。まるで心を見透かされているような、そんな感じがした。だがそれは嫌ではなかった。それどころか、何か熱い物が胸からこみ上げて来る。

「だが、君は俺のようになるな。背負いきれないような業を、背負うんじゃない」

 ルークはリニアから顔を背け呟くようにリニアに言った。

「でも・・・」

 護らなければならない。リニアはそう返そうとするが、それはルークによって遮られた。

「どうしても護りたいというのなら、俺が君を護ってやる。君が、大切な物を失わないように・・・。心を壊さないようにな・・・」

 その言葉を聞いたとき、リニアはようやく何故ルークに対して憧れに似た親近感を感じているのか、その理由に気付いた。

(この人・・・、私と同じなんだ・・・)

 具体的な事を知っているわけではない。だがそれは直感だった。近似した運命を持つ物が共有できる共感のような物・・・、それをリニアはルークに感じていたのである。

 そしてそんな戒めに縛られながらも、強く戦っていられるルークに、彼女は憧れを抱いていたのだ。自分にはない強さを持つ彼に・・・。

(だから、助けてくれたんだ・・・)

 それに気付いたとき、彼女の紅い瞳からは大粒の涙が流れ出していた。決して泣くまいと心に誓っていた。泣いてしまえば、きっと自分は崩れ去ってしまう。もう二度と運命に耐えることが出来ない。だから泣けなかった。

 だが自分を解ってくれる人間に出会ってしまったから、そして自分を護ってくれる人間に出会ってしまったから、彼女は強くある必要が無くなってしまったのだ。

 ルークはそっとリニアを抱いてやる。自分の時には護ってくれる人がいなかったから、心を壊すしかなかった。虚偽の世界で生きるしかなかった。だから護らなければならない。ルークはそう思っていた。

 そして、青年の温もりを感じながら、リニアはその胸の中で泣いた。今まで溜めていた物を吐き出すように・・・。そして泣きじゃくりながら、彼女は叫ぶように言葉を吐いた。

「護らなくちゃって思ったの・・・。御母様には、あの子しかいないから・・・。私は御母様の本当の子供じゃないから・・・。だから・・・」

 リニアの言っていることはルークには理解できなかった。だがその痛みは彼には解っていた。だからこそ、彼は胸の中で泣いている少女を護ろうと思ったのである。

 出会いの時、少女の赤い瞳に映っていたのは、同じ痛みを知る、一人の青年の姿だった。





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