リニアの日記

第一章 赤い瞳に映るもの
〜falsehood〜



 目覚めたとき、少女は見慣れない部屋にいた。部屋は4畳程度のさほど広くない部屋だ。だが窓からは明るい日差しが降り注いでおり、自分が横たわっていたベッドもそれほど悪い物ではない。ベッド以外に物らしい物がないのは少し殺風景だったが、なかなか心地の良い部屋だと彼女は感じた。

 だが少女は、すぐに自分にそんな余裕がないことを思い出す。確か自分は追われていたはずだ。腕には包帯が巻かれており、取りあえず身には、危害を加えられていないようであるが、状況が全く解らない。

 もし、自分を追っていた連中に捕まっているのであれば、彼らに利用される前に死を選ばなければならない。それが自分の義務であると彼女は思っていた。

「目を覚ましたのか」

 不意に声を掛けられ、少女はびくっと身体を振るわせる。陽の光の陰になって気付かなかったが、窓の下には黒装束に身を包んだ青年が壁に背もたれするようにして座っていた。

(あの人だ・・・)

 その青年の顔には見覚えがあった。森で出会った、黒装束の男・・・。確か死神ルークと呼ばれた男だ。ただ、雰囲気のせいだろうか。彼はあの時よりも少し若く見えた。特にその瞳は、出会った時のように空洞ではなく、感情の色が籠もっている。

「どうした? 」

「え? な、何でもないです」

 不意に声を掛けられ、少女は動揺する。おそらく見とれていたのだろう。声をかけられなければ気付かないほどに。

 少女は頬を染めながら、慌てて首を横に振ると、もう一度その青年を観察した。

 顔立ちは整っている方だろう。多少乱雑ではあるが、短く黒い髪も、ひどく滑らかであるし、何よりも彼の瞳に、彼女は引き付けられた。

 それは出会ったときに見とれたときのように、心が吸い込まれるような感覚ではなく、純粋に綺麗だと感じられるものだ。

 彼女ら一族の瞳も、よく赤い宝石のように例えられるが、それを語る連中の言葉を借りるのなら、その瞳は黒い輝きを放つ宝石だろう。

 ただ、その宝石を輝かせているのは、何故かひどく寂しげなもののようにも、少女は感じていた。あの時・・・、彼が人を斬っていたあの時のように・・・。

「あ、あの・・・」

(どうして、そんな眼をしているの? )

 そう、彼女は問いたかった。本来なら、もっと尋ねなければならないことがあるはずだ。彼女は全うしなければならない使命を持っているはずなのである。だが少女は何故か何よりも先にそれを彼に聞いてみたかった。だが

「ルーク、新しい包帯持ってきたわよ」

 という言葉と共に部屋の扉が開き、突然、褐色の肌の女性が部屋に入ってきた。その女性は、少女が起きているのを見ると、上手く束ねられた黒い長髪をなびかせながら、優しげな笑みを浮かべて少女に話しかけてきた。

「良かった。目を覚ましたのね。腕の傷が酷かったから心配したのよ」

 突然の出来事に少女がきょとんとしていると、彼女は少女の態度に苦笑を浮かべながら話を続ける。

「あ、突然ごめんね。私はジェシカ、医者の見習いをやってるのよ」

「お医者、さん。じゃあ、これは貴女が? 」

 そう言って少女は左腕に巻かれている包帯を見る。そう言われてみれば、綺麗に巻かれているような気がしないこともない。

「そう。ところで貴女、名前は? 」

 下らないことを考えていた少女に、にこやかな顔でジェシカはそう尋ねてくる。少女は一瞬、その問にどう答えるか戸惑った様な様子を見せたが、だがすぐに少女は表情を控え目の笑顔に戻すと、ゆっくりと、そしてはっきりした口調で答えた。

「リニア=パーウェルと言います。」

 少女は静かにそう言うと、ぺこりと頭を下げ、小さく控え目に微笑む。

「怪我、看てくれたんですよね。ありがとうございます。それと・・・」

 リニアと名乗った少女は、そこで言葉を止め、ルークの方を見やる。

「あの人達から私を助けてくれた方、ですよね。どうもありがとうございます」

「助けた? どゆこと? 」

 リニアの言葉が意外だったのか、ジェシカも不思議そうな表情でルークを見やる。

「森で倒れていたところを連れてきたんじゃなかったの? 」

 その表情にはただ驚くといった物の他にも、何かおかしな物を見るような感じをリニアは受けた。

「ああ。そういえば鬱陶しいのが2、3匹いたな」

「いたな、じゃないでしょう。それじゃあの傷、その人達にやられたの? 」

「あれは自分でやったんだろう? 」

「は? 」

 ルークの言葉にジェシカの顔がまたも強ばる。

「傷の出来方から見て、多分自分で作った傷だ」

「そ、そうなの? 」

 ジェシカの見立てでは、それほどおかしい傷のようには思えなかった。だが彼がそう言うのならば、そうなのだろうと彼女は納得する。人の傷に関しては、彼の方が多く見てきているはずだからだ。

「その程度の見立てでは確かに、見習いだな」

「う、うるさいわねっ! 」

 ルークの台詞は別に皮肉ではない。彼は思ったことを率直に話すか、全く話さないという性格なのだ。

 ジェシカもそれは解っているのだが、その台詞に対して納得できるかどうかは、また別の話である。しかもそれが自分が学んでいる分野についてのこととなると、尚更だ。

「で、でもどうして自分の腕に? それに、貴女みたいな小さな娘が襲われるなんて・・・」

 と言った後に、ジェシカはリニアの服装に気付く。血や泥などで薄汚れ、ひどくいたんではいるが、上等の絹で織られているものだ。そうそう手に入るものではない。それはつまり彼女がそれ相応の身分のものだと言うことを表していた。

「襲われる理由は、あるわけか」

 納得したようにジェシカがそう呟くと、リニアは先程までよりも、更に真顔になる。

「私は、赤珠国王族分家サハリン家に仕える侍女なんです」

 リニアは、それをきっかけに静かに話を始めた。

「先日、姫様が虎国のパーティーに招待されまして、その帰りだったのですが、突然馬車が襲われたんです。襲撃の手際があまりにも良くて、逃げれそうもなかったので、腕を刺して、血を姫様の服に振りかけてたんです」

 その話し方は、少女の容姿からは考えられないほどしっかりしたものだった。目の前の少女はどう見ても10歳前後の少女である。その少女が、まるで場慣れした人間のように、ゆっくりとした口調でそう言っていたことに、ジェシカは正直驚いていた。

 しばらくの間、ジェシカは呆気にとられていたが、すぐに正気に戻ると、どうして血を? と聞こうとする。だが、それよりも早くルークが淡々とした口調で口を出した。

「それで相手を誤魔化そうしたわけか。馬車からは少女が飛び出し、更に中には血塗れの人間しかいないとなれば、自分をその王女と間違えさせられるだろうと思った」

 まるでジェシカが尋ねようとしたことの解答を言うかのように、ルークはそう言った。そして少女はルークの説明に、ゆっくりと頷く。

「そうです。それで追われていたところを、ルークさんに助けてもらったんです」

「ルークに? 」

 ジェシカはまたも何か珍しいものを見るような眼差しをルークに向ける。そして、その視線に気付いたルークは、小さくため息をついて、彼女に向かって言った。

「別に助けたわけじゃない。連中が目障りだっただけだ」

「ふ〜ん。ま、別にいいけどね」

 本当に納得したのかどうか解らないような口調でそう言うと、ジェシカは今度はベッドに座っているリニアの方を見て言った。

「とにかく、今はそんな話よりもリニアの腕の包帯を取り替えないとね。まめに取り替えないと化膿するから」

 そしてジェシカは「ルークは邪魔よ」と言って彼を外に追い出した。

「取りあえず今日はこの娘をゆっくりと休ませたいから、ルークは兄さんの所にでも泊まってよ。私がここで泊まるから」

 呆気にとられながら、ルークはそれを聞くと、彼は「ああ」と無愛想に返事をし、その部屋をあとにした。

***

 自治都市ジェチナ・・・。大陸でも有数の暗黒街として知られる街である。大国と呼ばれる国家の影響をほとんど受けず、他からは自治都市としても認知されていない街だ。だがそれでもその街には確かに秩序が存在した。

 閉ざされた街には閉ざされた街の法がある。そしてジェチナという街にも、二つの組織を基盤とした秩序が存在したのである。



「それで、ジェシカに追い出されてきた訳か」

 そう笑みをこぼしながらルークと話しているのは、褐色の肌の青年だった。彼はジェシカの兄で、ジェシカと同じく医者である。最も彼の方は本業であるが・・・。

 それはともかく、ルークは目の前にいる男を、観察するように見た。

 少し痩せ気味の身体、あからさまに人の良さそうな顔立ち、大陸特有の黒い瞳と髪・・・。そしてその髪であるが、鬱陶しいほどに長い。

 もちろん、鬱陶しいのは髪だけではない。

「ジェイク、何が可笑しい」

 追い出された事を結構気にしているのか、にやけ顔のその男に、不機嫌そうにルークはそう答えた。

「可笑しいに決まっているだろう? 巷では死神と恐れられている男がだ。娘一人にあしらわれてるんだぜ? 」

「呼ばれ方は関係ないだろう。結局そんなものは人の目から見た俺に過ぎない」

「それはそうなんだが・・・。可笑しい物を可笑しいと言わないというのも、また可笑しいことだろう? 」

「ふん」

 言葉では敵わないと思ったのだろう、ルークはまたも不機嫌そうに顔を背ける。さすがに罪悪感を覚えたのか、ジェイクは真面目に話を本筋に戻すことにした。

「で、正直どう思う? 」

 ジェイクの表情は、先程までの気楽なものとは一変し、急にひどく真面目なものになる。ルークはこれがジェイクのもう一つの顔であることを知っている。そしてこの顔をしているときの彼と自分の間にある関係についてもルークは理解していた。

「別にあの娘自身に、この街に関わろうとする意志はないな」

「どうして言い切れる? 」

「赤珠国の馬車が襲われていたのは事実のようだからな。ギルドの連中も赤珠国とはつるまんだろう。それに赤珠国も今は魔導同盟とやらが注目されている。大事は起こしたくないはずだ」

 閉ざされたジェチナの中にあるジェイクに、ルークは外の状勢を含めた見解を伝える。その情報は閉ざされたこの街においては非常に重要なものだ。

 今、大陸は魔導同盟という新しい勢力によって目まぐるしく動き始めていた。如何に閉ざされた街と言えど、その殻に籠もる状況ではなくなってきてしまったのだ。

 だが外の世界を知らないジェイクにとっては、そんなことはまるでお伽話程度にしか感じられていなかった。

「英雄ミカエルが提唱したというあれか? あんな夢物語が? 」

「知らんよ。それは俺の仕事には関係ない」

 怪訝そうにそう尋ねるジェイクに、ルークはそう答えた。そう、彼の仕事はジェイクに情報を提供することだ。その代わりにルークは彼にこのジェチナに滞在の間、衣食住の世話をしてもらっている。

 言ってみればギブアンドテイクの関係だ。仕事の間では、それ以上の事は関与しないというのが、彼らの間で交わされている一つの契約だった。

「了解した。では、ギルドの連中が、そのリニアという少女を狙った理由は? 相手は10歳前後の少女なのだろう? 」

 ジェイクは別に気を損ねる様子もなく、話を続ける。それが契約であることを彼も心得ているからだ。

「本人は、赤珠族の王族が馬車に乗っていて、自分はその影武者として襲われたと言っている」

「違うのかね? 」

「おそらくな。9割程度は本当の事を言っているとは思うが、彼女は明らかに嘘をついている」

「嘘? 」

 もう一度、ジェイクは怪訝な表情をする。9割というのも気になるのだろう。

「ああ。あの娘は自分が侍女だと言っていたが、おそらくもっと上の人間だ」

「何故? 」

「死のうとしたからさ。彼女に利用価値がないのなら、死ぬ必要がない」

 ルークはリニアと出会ったときの光景を思い出す。あの時、彼女は確かに死のうとしていた。

「辱めを受けるのを拒んだ、とも考えられるが? 」

「10歳の子供がか? それに目の前で何人も人が殺されているんだぞ? 自分だけが助かるとは思わんだろう。それに、もう一つ加えれば彼女は王家の人間一人を護ろうとしている」

「それが嘘だということも考えられるだろう」

「嘘ならば自分で腕を刺す理由がない。お前なら、俺が傷の見立てを間違えないことくらいは解るだろう? 」

 そこまで言われて、初めてジェイクは「なるほどな」と納得したように頷いた。

 彼がこのように執拗な疑問を投げかけるのは、ルークの考えが間違っていると思っているわけではない。自分の考えをまとめるために、少しでも具体的な内容を掴もうとしているのだ。

 そしてルークには正確にそれを嗅ぎ取る直感がある。だからこそジェイクは彼の能力を見込んでフィフティフィフティで契約を結んでいるのだ。

「報告はこれだけだ。俺は行くぞ。連中があの程度で獲物を諦めるとは思えんからな。あの娘の周りを張っておく」

 そう言って部屋を出ていこうとするルークにジェイクが重い声で彼を引き留めた。

「最後に一つだけ聞かせてもらいたい」

 今ひとつ掴めない事があるのだろう。ジェイクはもう一度真剣な眼差しでルークを見た。

「何故、アサシンギルドが赤珠の人間を襲ったのだと思う? 奴等は、名こそアサシンだが、このジェチナの治安を護ってきた連中だ」

 ジェチナは、前の戦争によって荒廃したというそう古くない過去を持っている。あまりに大きく広がったスラム街に、大国にも見捨てられたその地を統率するには、相応の力を持つ組織が必要だった。そして今日までそれを担ってきたのがジェチナアサシンギルドだったのだ。

「奴等が『罰』を下すのは、彼らの偏見によどんだということはあっても、必ずジェチナに対する『罪』があった。だが赤珠国に関して、ジェチナの街が関わったという動きはない」

 時には半ば横暴なやり方を見せたアサシンギルドであったが、理由がないのに彼らの裁きを下すことはなかったのだ。だが今回ばかりは少し様子が異なる。ジェイクが一番おかしいとおもったのはそこだ。

 だがルークは振り返らずに小さく答えた。

「俺は新参者でジェチナの事には詳しくはない」

「プライベートな意見で構わない。これはエピィデミックの闇の契約人としての質問じゃなく、町医者ジェイク=コーレスとしての質問だからな」

 エピィデミック、それはアサシンギルドと対を成す、ジェチナの治安維持機関の名だ。

 表舞台で名を轟かせ、力にとって街の治安を護るギルドに対し、エピィデミックはギルドを見張ることで彼らの横暴を阻止してきた。

 奇妙な二つの組織の均衡が、この街を外界からの敵や、内で起きるいざこざなどから護ってきたのだ。

 そのエピィデミックの一員としてではなく、ジェイクとして話を聞くと言うことは、彼自身大きな不安を抱えていることのあらわれでもあった。なまじ情報の集うところにいるために、彼はいつもこのような不安を抱かなければならない。

 そんな彼を哀れだと思ったのかは解らないが、ルークはゆっくりと振り返り、その問に答えた。

「今までがどうかは知らんが、ギルドは今のジェチナの現状を快く思っていない。確かにジェチナは今は安定しているが、所詮は仮初めのものだ。連中が現状を動かそうという行動を起こしてもおかしくはない。ある程度の犠牲を払ったとしてもな」

 仮初めの安定・・・。その言葉をまるで忌々しいものだというように、ジェイクは唇を噛みしめる。認めたくはないが、それが正論であるからだ。

「俺が思うのはそれだけだ。幾ら何でもこんなにも早く見付かりはしないと思うが、仕事だからな。行ってくる。」

 そう言って出ていくルークの姿を見て、ジェイクはふと小さな疑問を持った。

 彼の知るルーク=ライナスは好んで人との接触をしなかった男だ。なのに何故そのリニアという少女を気にかけるのだろう、と。

 本人に問いだたせば契約だからとでも言うだろう。だがジェイクは、何故かそれだけではないような気がしていた。契約の内容だけを重視するならば、いざこざの元である彼女を自分の下に連れては来ないだろうからだ。

 ジェイクのそんな考えを余所に、ジェチナはいつもと同じ様に、灯りのない、漆黒の夜に包まれようとしていた。





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